六球目 ②夏蓮→菫パート……「何だかあたしたち、似てますね」
◇キャスト◆
清水夏蓮
東條菫
菱川凛
東條椿
東條桜
東條百合
東條蓮華
スーパーの買い物を終えた東條菫と菱川凛、そして清水夏蓮ら三人は横に並んで、東條家へと広い歩道を歩いている。車の訪れがほとんどない夕方のオレンジに染まる道中の景色は穏やかで、放課後遊んでいた少年少女たちも自宅へ帰ろうと足早な頃だ。また明日も遊ぼう! と小さな約束を済ませ、娯楽感に浸った影を伸ばしながら、夕陽に照らされた微笑みを運んでいた。
ところが、菫と凛の間で進む夏蓮だけはどうも苦しそうだ。
「うぅ、うぅ~……くぅ~……」
「清水先輩、そんなに無理しなくても……」
「だいじょ~ぶ~……袋二つぐらい、私はだいじょ~ぶだから~……」
まだ一歳満たない赤子――東條蓮華を背負いつつも心配する菫からは苦笑いを、また凛からは冷ややかな表情を受けている夏蓮。たくさん敷き詰められた大きなレジ袋を運びながら、本日の練習よりも悶えていた。自宅まで運ぶと自分の意思で決めたは良いものの、出発してから眉間の皺が取れず歩幅も狭いままだ。
「くぅ~……うっふぅ~……」
「か、片方持ちますよ。あたし、平気ですから……」
「平気~! 私も、平気だよ~おうお~」
「顔に書いてないんですけど……」
寡黙な凛の突っ込みも受けた夏蓮は、購入したフローラルシャンプーが入ったスクールバッグまでも肩に背負いながら、一つ上の先輩として胸を張ろうと一歩ずつ進む。が、張るどころか前傾姿勢になるばかりで、猫背が反って少女の小さな背中をより強調していた。
「うぅ~……と、東條さん家は、あとどれくらいなの~?」
「も、もう少しです。あそこの角を曲がればすぐです、けど……」
「あとも~少し~……だったら、余計に平気です~」
「敬語になっちゃってるし……」
ショートラフとポニーテールに挟まれたふんわりボブには、もはや弾力も失せかけている。部活動の練習で最も嫌いな筋トレすら頭に過る夏蓮。しかし諦めない気持ちを幼い胸に秘めながら、最後の踏ん張りを見せつけようと革靴を鳴らして左角を曲がる。
『私だってもう、高校二年生なんだから~はぁ~あぁ~』
「……し、清水先輩?」
「ふ、ふぁい?」
背後から菫に声をかけられた夏蓮は、何とか首だけ曲げて確認してみた。気がつけば、立ち止まった二人の一年生と距離を取っていたようだが、すると菫と凛が揃ってそばの一軒家に指差す。
「あたしん家、ここですよ」
「ここに東條家って書いてあるのに……」
どうやら行き過ぎたと理解し、目的地に無事たどり着いたことで少女の微笑みが甦ってくる。しかし、なぜか夏蓮の瞳は輝きまで増していた。
「ご、ゴールだぁ……グズッ……ゴ~ルだぁ~~!!」
「し、清水先輩!? どうしたんですか!? 手痛めました!?」
「感極まっちゃってる……」
相変わらず凛の引け目が続く中、突如泣き出した夏蓮には菫も驚いて袋運びを交代する。しかしなかなか泣き止まない二年生には表情が曇り、一年生の悩ましい眉が浮かんでいた。どっちが歳上なのか、どっちが上級生なのか、もはや見た目からも中身からも解らずじまいな光景だった。
「グズッ……良かった、良かったよ~お~」
「……あの、もし良かったら、家で少し休みませんか? きっと運んで疲れてらっしゃるだろうし……どうせなら、夕飯ぐらい食べてってくださいよ」
「ゆ、夕飯……?」
御飯の話になった刹那、涙が止まった夏蓮の小顔が上がる。確かに空腹が否めず、よくここまで御腹が鳴らず済んだものだった。
「い、良いんですか……?」
「もちろんです! 荷物運びの御礼、早速させてください!」
「……じ、じゃあ、ごちそうになります!」
菫に対する敬語が浸透しているが、一応先輩の夏蓮は快く頷き、二階建て一軒家の門を三人いっしょに潜っていった。一応、先輩なのだが……。
『あ、そういえば、東條さんって七人家族だったけ。どんな感じなんだろう……?』
ふと思った一人っ娘夏蓮は疑問符を頭上に浮かべながら、菫が開けていく玄関を早速覗いてみた。垣間見るよう顔を隙間に移した、そのときだった。
――ビュン!
「ブハァッ……」
「清水先輩!?」
突発的に軽く固まった小さい何かが、夏蓮の顔に直撃してしまったのだ。
デッドボールのような痛さは全く無かったが、凛の前で思わず尻餅を着いてしまった夏蓮にまず見えたのは、所々色がある白い紙の球だった。どうもクレヨンの絵らしきものが描かれているようだが、何かまではわからないほど丸まっていた。
「こ、これは……」
「百合の絵……これで遊んでたんだ」
「ゆ、百合……?」
球の紙を拾った凛に、夏蓮は座ったまま聞き返そうとした。
――「そんなっ! おれのイナズマトルネードキャノンを避けるなんて!!」
――「フッフッフ~。じゃあ次はうちの番! 必殺!! ラブリースターライトマシンガン!!」
「え゛……」
しかし、今度は家内から轟く少年少女の声に夏蓮は振り向かされる。玄関から続く廊下では小学生の男女が戦闘ヒーローごっこらしき遊びをしている最中で、二人とも両手に紙の球を握っている。どうやら顔に投げてきたのは、あの少年に違いない。
――「まる~かいて~まる~っとっ!」
「あ゛……」
また奥の部屋を窺うと、幼稚園児服を着た娘が楽しげに絵を描いており、その辺りにも球が転がり散らかっていた。きっと彼女が球の生産者で、恐らく失敗した絵を何枚も丸めたのだろう。
玄関を開けられたにも関わらず、東條家内の人間は誰一人も気づいていない。
騒がしい様子を見せつけられた夏蓮は未だに立てず茫然としているが、微動する後ろ姿の菫に視点が移り、嫌な予感を察知して耳を塞ぐ。
「コラァァーーーー!! 椿!! 桜!! 百合!!」
「げッ!! 姉ちゃんだ……」
「いつの間に……こりゃあマズイわ~……」
「あっ! 凛お姉ちゃんもいる~!! おかえり~!!」
三人のそれぞれ異なった表情が菫に向かうも、怒りを鎮めるまでは至らなかった。むしろボルテージを上昇させているようで、菫の怒号が更なる強靭さを纏って放たれる。
「――散らかすなっていつも言ってるでしょうがッ!! みんなで今すぐ片付けなさい!!」
「……オギャア~!」
「あ……赤ちゃん起きちゃった……」
静かに眠っていた蓮華が泣き出してしまったが、夏蓮にはあまりにも小さな泣き声にしか感じられなかった。なぜなら菫の叱った声には、耳を塞いでいたのに鼓膜を強く刺激されたからだ。自分とは真逆に向かって放たれた声のはずだが、突風すら感じるほど確かな勢いがあった。
◇支えられて……。◆
時刻は早くも夜の九時を迎えようとしていた。早寝早起きを原則としている東條家の和室には既に布団が敷かれ、小学五年生の椿、小学二年生の桜、幼稚園年中児の百合、そしてもうじき一歳を迎える蓮華も凛と隣り合って横になっている。
「凛も寝ちゃったか」
和室を覗いた菫は、スヤスヤと眠る凛にほのかな微笑みを放っていた。
正直、凛にはいつも感謝の気持ちが止まないのだ。家族でもない同級生なのに、いつも百合のお絵描きに喜んで付き合ってくれたり、蓮華には毎日のようにミルクや添い寝までしてくれたりと協力してくれる。
一見、菱川凛という寡黙な少女は冷たい人間性だと思われるだろう。しかし根はとても優しくて、か弱く幼い子にも快く接して笑ってくれる。
そのときに見せる小さな笑顔こそが、菱川凛の真の中身であり、彼女本人なのだ。
それは小学生当時から付き合う菫だけが知っている、大切な親友の本当の人間性である。背はとても小さい高校一年生だが、もはや理想の保育士にしか見えなかった。
「今日も……いつもありがとね、凛」
眠っている今の凛にはきっと聞こえないはずだ。しかし菫はそれを理解しながらも静かに囁き、感謝の意を込めて毛布を掛け、明るいリビングと繋がる和室の襖をゆっくり閉じてあげた。
「……清水先輩も、遅くまで残ってもらっちゃってすみません」
今度は台所で皿洗いをしてくれている夏蓮に、菫は優しい微笑みと共に振り向いた。
この前初めて出会った人なのに、今日は荷物運びから始まり椿と桜たちと遊んでもらった。姉ちゃんの後輩? と椿に言われ桜にも間違われて肩を落としていたが、二人といっしょに室内キャッチボールをしてくれた。楽しく繰り広げてくれたことでお絵描き中の百合も加わり、弟妹たちはいつも以上に笑っていたのを覚えている。
そして最後には、こうして家事まで協力してもらっているのだ。もはや頭が上がりそうにない立派な先輩の一人だと、菫は心底感じていた。
「平気平気。帰りが遅くなることは、もうおじいちゃんに連絡したし。それにこちらこそ、夕飯ごちそうさまでした。東條さんが作ってくれた御味噌汁に肉野菜炒め、とってもおいしかったよ!」
「それは良かったです。また是非来てくださいね! きっと椿や桜も喜びますから」
「うん。ありがと!」
笑顔が交わされる時間が、この東條家にはたくさん流れる。騒がしいときだって多々あるが、最後には皆笑って屋根の下で過ごしている。
また凛や夏蓮にも支えられている喜びだって、決して忘れてはいけない。一人でできない訳ではないのだが、真摯に協力してくれること、何よりもそばにいてくれること、そんな平和で幸せな一時が、今では長女の菫にとって原動力になっている。
「……それにしても、東條さんたいへんだよねぇ。四人の面倒見てるなんて、私には真似できないよ」
ふと夏蓮から苦笑いを見せられたが、菫はあえて表情を変えず頬を緩ませる。
「まぁ最初は苦労しましたけど、今は苦だと思ってませんよ。あたしは家族のことが、大好きですから」
「家族が大好きかぁ~。なかなか言えないことだよね」
「そう、ですかね? あたしはよくチビたちには言ってますよ。ちゃんと伝わっていれば良いんですけどね……」
家族のことが大好き。
それは今も昔も変わることがない、長女の東條菫が心に備えた、確かな愛。
菫は再び、弟妹と凛たちが眠った和室の襖を焦点を合わせる。姿が見えずとも透視したかのように、四人と一人の穏やかな寝顔を思い浮かべる。
『――誰一人だって、欠けてほしくない……そう、誰一人だって、欠けてほしくなかったんだ……けど……』
「そういえば、東條さん?」
「は、はい?」
ふと微笑みが消えかけた菫だが、濡れた手を拭く夏蓮から目をすぐ合わされた。どうやら皿洗いが終わった様子で、自身のハンカチを手に持って少しずつ近づいてくる。
「東條さんは今まで、何か運動部やってたの? ほら、この前ボール返してくれたとき、スゴく良いボールだったからさ」
「……え、いや、あたしそもそも部活動に入ったことないんですよ」
「えっ! 経験者じゃないのに、あんな良いボール投げられるの!?」
驚きで手を拭く動作も止まった夏蓮に凝視されたが、部活動やクラブに入ったことが皆無な菫は戸惑って頬を掻く。
「ま、まぁ……運動とか体育は前から好きだったから、でしょうかね~」
「そうなんだぁ~! 運動神経が良いなんて羨ましいなぁ。はぁ~……それに比べて、私は……」
すると小さな先輩はふと俯き、自嘲気味に笑う。
「唯ちゃんみたいな力はないし、叶恵ちゃんみたいな足の速さもない。柚月ちゃんみたいに戦う頭脳もなければ、きららちゃんと美鈴ちゃんみたいな大声だって出ない。君はソフトボールや運動に向いてないって、ソフトボールの女神様に言われてる感じだもん……エヘヘ」
「清水先輩……」
菫には聞き覚えのない名前が繰り出されたが、笑って誤魔化そうとした夏蓮からはどうも悲哀を感じてしまった。自分自身全てと他者の良き一部を比べることは、個性という概念を抱く人間では勝る訳がないというのに。
「……でも、そんな私でも、諦めたくないんだ」
悲しんでいるだろうと心配していた菫だが、向けられた夏蓮の瞳には温度を感じた。情熱に燃えた真っ赤な炎までは及ばないが、誰かをそっと照らしてくれる、小さな灯火のように見て取れる。
「私はね、ソフトボールが大好きだから」
「大好き……?」
小首を傾げた菫に夏蓮は頷く。
「――みんなとやるスポーツ……みんなといっしょに、同じ目線でいられるソフトボールが、私は大好きなんだ。確かに下手っぴで迷惑ばかりだなはずだけど、みんなとソフトボールやってるときが、一番楽しく思えるからさ」
「みんなと、いっしょに……」
思わず復唱した菫。部活動経験など今までなく、集団スポーツだって体育の短い授業時間ぐらいでしか覚えがない。授業で義務化されたソフトボールではあるが、そこまで強い興味を抱いたこともない。
しかし一方で、本日目の前に現れてくれた小さな先輩には、自然と親近感が湧いていた。
『――そっか。清水先輩は、大切な誰かといっしょにいるときが、一番幸せだって感じられる人なんだ。あたしと、同じように……』
「……何だかあたしたち、似てますね」
「えぇ!? 私と東條さんが!? そんなそんな、理想のお姉ちゃんな東條さんと、おチビの一人っ娘な私が似てる訳ないよ~!」
声を張り上げ否定した夏蓮だが、笑顔を向け続ける菫は間違いなど思わなかった。
なぜなら、見つけたからである。
――自分はたくさんの家族と、夏蓮はソフトボール部の仲間と、いっしょにいることが何よりの幸福だという共通点を。
相手の立場は異なるが、二人にはよく似た愛の形がある。公にできない恥ずかしさなど感じる間もない、揺らぐことなき確かな愛心が。
「……? そういえば清水先輩、まだお家に帰らなくて大丈夫ですか?」
「へ……アァ~!! もうこんな時間なの!? 明日も朝練なのに~!」
皿洗いを一生懸命やってくれた表れだろう。時間のことなど忘れていた様子の夏蓮はマズイマズイと声を荒げながら、帰りの準備に取り掛かる。制服の上着に手を通し、解いた青のリボンを縛り直し、スクールバッグをさっと担いで玄関先に向かった。
「清水先輩。ホントに今日は、何から何までありがとうございました」
見送ろうと菫も玄関に訪れると、革靴を履き終えた夏蓮が笑顔で振り向く。
「ううん。私の方こそ、反って迷惑掛けたと思う。だからありがとね、東條さん」
「いえいえ……また是非、来てくださいね」
「うん。じゃあ、またね」
ドアが開けられ、訪問者の制服姿が東條家から消えていく。一つの音が無くなっただけで、さっきまで本当にいたのか疑わしくなるほど静けさが拡がった。
しかし菫の瞳には、明るく前向きに去った夏蓮の笑顔が焼き付いていた。歳上の先輩という人とあまり接した経験もないだけに、本日は新鮮な一日だったと身に染みていた。
『清水夏蓮先輩か……きっと先輩がいるソフトボール部、とても楽しそうなんだろうなぁ。一人一人が大切で、家族みたいな感じなのかなぁ』
一度しか見たことがない笹二ソフト部のイメージを型どりながら、菫は玄関ドアに背を向けてリビングに向かった。もうそろそろ共働きの両親が帰ってくる頃だろうと、緑のシュシュを外してポニーテールを解放し、テーブルに二人の晩御飯を準備をする。
『――笹浦二高女子ソフトボール部……いいなぁ』
――ガチャッ。
――「「ただいまぁ~」」
「あ、お父さんお母さん、お帰り。お勤め御苦労さま」
再びドア音が鳴り響いた瞬間、菫は父と母の帰宅を早速玄関先で迎え入れた。二人共同じ職場で働く同士で、揃って黒のスーツを身に纏っている。
「あら、凛ちゃんも来てるの?」
ふと母が足元に置かれた小さな革靴を見つけると、菫は嬉しいままに頷く。
「今日も手伝ってくれたんだ。もう寝ちゃってるから、泊めてあげていいでしょ?」
「もちろんよ。ねぇお父さん?」
「あぁ。いつものことだし、ぼくらは大歓迎だよ」
まるで家族の一員として扱われている凛をすぐ受け入れ、両親は部屋着に着替えてテーブルへ向かい、いただきます! と菫の前に座って食事を始めた。
「相変わらず、今日も美味しいなぁ」
「うん。菫ったら、また上手くなったわね」
「いやいや~」
誉められて照れくさくなった菫は頭を掻いて応答したが、これも東條家にとってはいつもの日課だ。朝から晩まで仕事で忙しい両親のため、家事全般は基本的に菫だけに任されている。弟妹の四人もまだまだ幼いだけに、子たちの世話面倒まで。
「……あ、あのさぁ……」
ふと下を向いた菫には、食事中の父と母が微笑んで目を向ける。
「どうしたの?」
「……あのさ、別に決まった訳じゃないんだけど……」
「何かあったのか?」
「……その、さ……」
しかし東條家の姉だけは晴れぬもどかしい表情が継続する。二人には見えないテーブル下で制服スカートを強く握り締めていたが、菫はダメ元でと思いながら、固唾を飲み込んで目を合わせる。
「もしも……もしもだよ? あたしが部活をやりたいって言ったら、二人はどう思うかなって……」
聞きづらそうに発した菫は、せっかく上げた面を再度下げてしまう。が、両親の暖かな視線を感じとり、上目遣いで窺ってみた。
「ぼくは大歓迎だよ。やりたいことあるなら、是非やれば良いじゃないのかな」
「ほ、本当……?」
「あぁ。母さんはどうだ?」
「わたしも反対はしないわ。ただねぇ……」
二人の意外過ぎた答えに漠然と聞き返した菫だが、母は言葉尻に和室の襖に横目を遣る。
「――あの子たちの面倒は、やっぱり優先してほしいかなぁ……」
「……そ、そうだよね! ハハハ。ごめんね、変なこと言って……」
菫は苦笑いで済ませたが、弟妹たちを優先したがる母の気持ちも察していた。それは彼ら彼女らがまだまだ幼いことが理由だ。ヤンチャな椿と桜から目を離したら何するかわからないし、遊び盛りな百合やオムツの取り換えもある蓮華だって同じだ。
まだ自立にはほど遠い弟妹たち。しかし菫は四人に家内を散らかして欲しくないからと思ってる訳ではない。
“何をするかわからない”――つまりそれは“何が起こるかわからない”ことを意味するため、ひたすらに心配しているのだ。
『もう、誰一人も失いたくないから……部活なんて、やってる暇なんかないんだ……』
「ゴメンなさいね、菫。あなたには本当に、いつも感謝してるわ」
「気にしないで、お母さん。あたしだって、お母さんと同じ気持ちだからさ……」
母だけだなく父からも悩ましい視線を受けた菫。すると静かに席を立ち、リビングから退出し、とある一階の小さな小部屋に向かった。一人部屋としては十分な広さで、フローリングが敷かれた室内のドアを開ければすぐに目的物が視界に入る。今日も線香の煙が沈黙の中で舞っているが、そこでは闇夜の中で灯された小さな顔写真が鮮明だった。
『今度はあたしの番なんだ。妹から、姉になった者として……』
無音に包まれた真っ暗な中、菫はふと拳を作り、覚悟を保った凛々《りり》しい微笑みで顔写真の娘と目を合わせる。
『――今度は、あたしがみんなを護らなきゃだもんね……苺お姉さん』
菫が見つめる先には、“東條苺”と記された女子小学生の顔写真が、仏壇で静かに笑っていた。




