五球目◇本当に帰りたい場所◆①田村信次パート「――クズとはなんだ!!」
新入部員――月島叶恵も加わり一時の幸福に見舞われた田村信次。
しかし今度は自身のクラスメイト――貝塚唯が補導された事実を知らされ、すぐに事件の元へむかう。
学校を休み、ゲームセンターで友だちと遊んでいた唯。
だがそれは悲惨な少女からの、聞こえないメッセージそのものだった。
◇キャスト◆
田村信次
貝塚唯
植本きらら
星川美鈴
三神龍介
福山知美
週末の金曜日。
もうじき午後の六時を迎える笹浦市の町並みは、帰宅しようと走る車で溢れかえっている。長蛇の列が果てしなく延びた渋滞に見舞われ、日没間近の道路は赤いランプが街灯よりも光で照らされていた。
「はぁ……はぁ……」
しかし一人、車を所持していない高校新任教諭――田村信次は歩道を猛スピードで駆け進み、笹浦市に存在するゲームセンターへ向かっていた。いつもなら得意な笑顔を放つも、今は余裕の欠片すら窺えない表情だ。
『貝塚……どうして、ゲーセンなんかに……』
信次はここしばらく自分の教室に現れなかった女子生徒――貝塚唯を心配しながら、纏うスーツで風を切り込み続け進んでいた。
校長の清水秀に告げられたゲームセンターで、二年生の植本きらら、一年生の星川美鈴、そして唯の三人が補導されたらしい。それぞれの親族に連絡が着かなかった現在は店員の元に置かれ、高校教員の迎えが来るまで待機させられているそうだ。
どうしてこのような事態になってしまったのだろうか?
月島叶恵の入部でより一層の明るみが生まれた女子ソフト部。その練習さえも蹴ってきた信次は、次々に吹き出る汗とは裏腹に、事件の予想が全く思い浮かばなかった。
「はぁ……ここか」
すると信次は“ニャプコン”という名のゲームセンター入口に着き、息も整わせず早急に踏み入れる。
ゲーム機各々の大音量が耳を攻撃し、他者の話し声など全く聞き取れないほどの騒音空間だった。学校帰りの高校生集団、金髪でタバコを吸いながらスロットボタンを弾く成年男性、ボードゲーム機の上に百円玉のタワーを作って没頭する青年などと、良い印象など見当たらない環境が拡がっていた。
もちろん場馴れしていない信次には興味を示す機械など皆無で、ゲームセンタースタッフがいるカウンターへ直進した。自分が笹浦二高の教員であると、微笑みもまともに作らずに告げてみれば、冷めた対応ながらすぐに奥のスタッフルームへ誘われる。どうやらこの扉の先に、唯たちがいるようだ。
「し、失礼致します!!」
緊張を前面にしながら、声を張り上げ入室した信次。すると目の前には、まず二年九組の担任――三神龍介、その隣に一年九組の担任――福山知美らの、威厳と風格を備えたベテランコンビの後ろ姿が並んでいた。またその二人の前には一年生の美鈴、二年生のきらら、そして信次のクラスメイトの唯が先頭になって対峙しており、本日登校していないにも関わらず揃って制服姿のまま立ち刃向かっていた。
「――っ! 田村……」
「貝塚……」
相容れない唯の瞳が、信次の悩ましい目と交差する。二人がこうして顔を合わせるのは始業式以来だが、久しぶりに出会った喜びなど毛頭感じられなかった。望まれない再会だと誇張するような雰囲気が、妙に二人だけを包む。
「――あっ! 信次くんにゃあ!! お久しぶりにゃあ!」
すると唯の背後から飛び出したきららが叫び、まるで今の状況を完全無視したようにはしゃいでいた。
「だ、誰っすか……?」
今度はきららの隣から美鈴が疑うように問うと、カールを効かせた長い茶髪が縦に揺れる。
「田村信次くんにゃあ!! きらら公認のおもしろい先生で、唯の担任なんだにゃあ。にゃあ唯?」
「……」
きららは溌剌とした様子のまま振ったが、唯は何も発することなく、信次からそっぽを向いたて険しい表情を続けてしまう。迎えなど求めていないと言わんばかりに、ついには舌打ちも鳴らした、そのときだった。
「――ふざけるなッ!! いい加減にしろォ!!」
「――ッ!? 三神先生!?」
信次が驚いた突発的な男声が、スタッフルームを大きく揺るがす。その正体は三神龍介の怒号で、激怒の瞳で自身のクラス生徒であるきららに近寄る。
「にゃははは~!! キレたキレたにゃあ! 大人って、どうしてみんな短気なのか、不思議で仕方ないにゃあ」
「植本……キサマ……」
反省の色を示さないどころか爆笑まで顕にしたきららに、龍介は歯ぎしりを放ちながら両拳を震え立たせる。
「にゃっフフ。殴るのかにゃあ~?」
小首を曲げながら挑発させる言葉を鳴らしたきららは、呆れたように嘲笑してしまう。すると、ついに怒りの有頂天を迎えた様子の龍介が拳をさらに固め眉を立てる。
「調子にのるなよ……?」
「にゃあ~?」
大人の恐い顔を向けられても平気で、反って上から目線で子どもをあやすように返したきらら。だがそれは長年教職者である龍介の拳を促し、殴るという暴力行為へと発展させてしまう。
「このッ!!」
龍介の振り上げた右拳が、きららへと真っ直ぐ放たれようとした、その刹那だった。
――パシッ……。
「――ッ!! た、田村先生!?」
驚きを隠せず背後を振り向いた三神龍介。なぜならきららに向けようとした右拳が、信次の片手で押さえつけられていたからである。加えて強い握力まで伝い、微動だにさせず取り押さえていた。
「三神先生……生徒への体罰は、お止めください……」
普段は面に出さない信次の尖った表情には、年配の龍介すら固めさせる効果をもたらしていた。また静かに言い聞かせるように囁くことで、小さな恐怖心さえ芽生えさせる。
「教員として、大人として、生徒への暴力はいけません。長年教職を任せられてきた三神先生なら、絶対にわかるはずです」
「……う、うちのクラスメイトだ! 君に止められる筋合いはな……」
「……強引な行為はやめろッ!! ……って、あのときアナタはボクに言いましたよね?」
「――っ!」
信次は龍介の大声に勝る叫びで言葉尻を被せ、再び驚かせ黙らせた。あの日の始業式、きららと唯を引っ張って参加させた新任教諭から、今回は暴力行為に働こうとしたベテラン教諭へと言い返した瞬間だ。
「……チッ、クソッ……」
不貞腐れた態度が否めない龍介だが拳は降り始め、共に解放した信次もホッと微笑みを灯す。事が大きくならずに済んだこともあるが、何よりも威厳ある彼が愚行に行き着かなかったことで安心していた。
「……さぁ、貝塚、植本、星川。ここから早く帰ろう」
信次は穏やかに告げ、唯たち三人教諭三人と揃ってゲームセンターから退出しようと試みた。
そもそも彼女ら三人に何があったのか?
それはここのゲームセンター管理人から直々に伝えられた。
時間で言えば先ほどの夕方、唯たちは他校の生徒と言い争いになっていたらしい。理由については唯が、バカにされたから……の一言だけで、どうも些細なことで始まってしまったようだ。
もちろん言い争いは拮抗し、ついには喧嘩にまで発展しかけてしまう。その修羅場にいち早く気づいたのが、センター内を監視していた警察官だった。他校の生徒は逃げてしまったため、唯たち三人だけが補導され、こうして管理人の元に送られたという。
スタッフルームから退出する際には、福山知美を筆頭に、信次も龍介も管理人へ頭を何度も下げて謝罪を示す。最後まで冷たい態度で見送られ、二度と同じようなことはさせないように! と、親でもない教諭らが叱られるはめとなった。
「にゃあ!! 外の空気は、やっぱ美味しいにゃあ~!!」
謝罪も済ませた信次たち計六人は外へ出て、早速きららの解放感溢れる言葉が響く。唯と同程度の高い背を伸ばし、大きく腕を開いてリラックスしながら、煌めく長い茶髪を春の夜風に靡かせていた。
『何はともあれ、この娘たちが無事で何よりだ』
安堵の頬を上げた信次は、場違いな元気を表すきららを始めに、唯や美鈴のことも眺めながら思っていた。喧嘩にまで発展しかけたそうだが、観察してみた限りでは、ケガや傷などは見当たらない。自分らの気持ちなんかよりも、生徒の心持ちの方が大切であると言わんばかりに、温厚な視線で見守っていた。
「――まったく、冗談じゃないよ……」
だがその矢先に、龍介の呆れたような溜め息が鳴らされてしまう。
「……なんでこんなクズどもに、大切な時間を割かなきゃいけないんだ……」
『み、三神先生……?』
咄嗟に振り向いた信次にもわかるほど、龍介の怒りは未だに収まっていないようだ。老いた声と混じった重低音が、担当のきららだけでなく唯と美鈴の背にも当てられる。
「チッ、お前らのせいでこっちはいい迷惑だ。クズはクズらしく、静かに大人の言うことに従ってればいいのに……」
『三神先生!? 何てことを……』
上に立つ教諭として、あるまじき言葉他ならなかった。思わず信次も龍介の気怠そうな表情を凝視してしまう。
聞かされた美鈴は気まずそうに黙って下を向き、きららはまだ小馬鹿にしたような顔を続けていたが、唯は冷めた無表情のままそっぽを向こうとした、そのときだった。
「――クズとはなんだ!!」
「た、田村先生?」
ゲームセンター入口前の渋滞音にも負けない、一人の男の叫びが龍介、そして唯たちをも振り向かせる。
信次はすぐに龍介の目の前に立ち、怒りで染まった眉間の皺と共に喉を鳴らす。
「――たしかに!! 今回この娘たちがやったことは反省させなきゃいけません!! だけど教員であるアナタが、この生徒たちをクズと呼ぶことは絶対におかしいと思います!! クズはクズらしく大人の言うことに従えですってぇ!? ふざけるなッ!! 生徒は教員の道具なんかじゃない!! ましてや人形でもない!! 生徒は立派な自己をもった人間だ!! その自己を清く整えて、正しく形成してあげるのが、ボクら教員の役目なんじゃないんですか!? そんな誇らしい教員が生徒を見捨てるような発言、ボクは絶対許しませんよ!!」
長きに渡った信次の心の叫び。上司でもある龍介へタメ口すら混じった怒濤の直球だった。もちろんその場は凍りつき、唯たちの視線ばかりが集中していたが、焦った様子の福山知美が割って入る。
「ちょっと、田村先生。そんな興奮しないでください。みっともないですよ?」
知美が周りを気にしながら伝えると、信次も周囲を観察し始める。すると道中を歩いていた老人や下校途中の少年少女、またゲームセンターの入口で驚き固まっている青年などから注目されてることに気づき、マズイとすぐに我を取り戻す。
「す、すみません。つい熱が入ってしまって……」
強張った信次は知美に素直に謝り、周囲の無関係者たちにも苦笑いながら頭を下げていた。周りを気にしないでやってしまうのが悪い癖だと、自分自身に言い聞かせながら。
「……その、三神先生も、つい偉そうなこと言って申し訳ございませんでした」
「……まさか新任にこんなこと言われるとは……上司命令だ。ソヤツらの見送りは君がやってくれ。こっちは色々と忙がしいのでね」
「え、三神先生!?」
信次が再び叫び止めようとしたのも疎か、龍介は早足で離れ遠ざかっていき、一台の車に乗り込んですぐに去ってしまった。確かに三神龍介は特別進学クラスの担任兼二年生の主任でもあり、忙しいと言われて当然かもしれない。
「……仕方ないか。じゃあ、ボクらで帰ろう。家までちゃんと送るからさ」
龍介の車が見えなくなった後、信次はきらら、美鈴、そして晴れない表情の唯にそれぞれ告げる。美鈴の担任である福山知美も、龍介と同じく特進クラス担任と学年主任の役柄があるため、三人の帰路は任せてください! と、きつく縛ったネクタイを張ってみせて知らせた。
「……でも、本当に大丈夫なのですか? 田村先生、車持ってないんですよね?」
「平気です! この娘たちの家もそんな遠い訳ではありませんし。それに福山先生は御家庭だってあるのですから、家庭のことも大切にしてください」
「じ、じゃあ申し訳ありませんが、よろしくお願いしますね」
「はい! 喜んで!!」
知美も自身の車で場を離れ、徒歩組の四人だけが残される。独身の龍介に比べてさらに多忙なはずだと、信次は最後まで笑顔で見送った。
「さてと、じゃあボクたちも帰ろっか!」
「にゃあ!! 信次く~ん!!」
「おわッ!! 植本!?」
早速三人の自宅に向かおうとした信次だが、突如正面からきららに抱きつかれてしまい、驚きと恥ずかしさが顔に重なる。
「う、植本、こういうのマズイって~……てか、苦しい゛……」
きららの抱きつき強度は凄まじいもので、信次の上体を圧迫し窒息に近づけていた。細いスレンダーからは想像できない、腕力の強さが痛いほど伝わる。
「信次くんかっこいいにゃあ!! きらら、信次くんのことダ~イ好きにゃあ!! 今から挙式してもいいにゃあよ?」
「わ゛かった……い゛や、わ゛かってないけど、一回離れてくれ゛……」
「にゃあ?」
きららからは不思議そうに傾げながら開放されたが、信次はしばらく膝に手を着け悶えていた。ここに走ってきたときよりもなかなか息を整えられず、終いには咳さえ鳴らしてしまった。
命の危うさまで感じてしまった信次だが次第に落ち着いてくると、瞳を輝かすきらら、苦しむ姿を見て笑いそうになっている美鈴、そして未だに表情を作れていない唯を一目し、早速各々の自宅へ辿ろうと歩み始めた。
――彼女たちがそれぞれ思う、本当に帰りたい場所などまだ知らずに……。




