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プレイッ!!◇笹浦二高女子ソフトボール部の物語◆  作者: 田村優覬
一回表◇最高の絆で結ばれた、仲間集め――創部活動編◆
21/118

四球目 ⑤叶恵→夏蓮パート「今度は私が、入部ってあげるわ」

◇キャスト◆


月島叶恵

如月彩音

宙継希望未

清水夏蓮

篠原柚月

田村信次


 笹浦二高職員室前の廊下。

 昼休みを迎えた校内の廊下では、生徒と同じように教員たちも胸を撫で下ろしながら歩んでいく。しかし職員室に入ればゆっくりする時間などほとんどもうけず、はしを使わない軽食を済ませばすぐに午後の授業進行を再確認していた。

 休みという概念とは無縁だと思わせる職員室。その一方で前の廊下には一人の生徒――月島つきしま叶恵かなえ如月きさらぎ彩音あやねの帰りを待っていた。


『彩音ちゃん遅いな~。何やってんのよ?』


 田村たむら信次しんじによる三時間目終了と同時に訪れてから、間もなく十分少々。もちろん室内に彩音の姿が見られなかったため、こうして今か今かと待機しているところだ。

 強気な表情が次第に不満気の顔に変化していく叶恵だが、ふと奥の階段から小刻みな足音が鳴らされ振り向く。


「――っ! 彩音ちゃん!」

「ん? 月島さん?」


 現れたのは叶恵の担任――如月彩音本人だ。長く整った髪の毛を上下に揺らし、細く華奢きゃしゃな身体で包むように出席簿を抱えながら、幼さ際立たせる丸い瞳でまばたきを繰り返していた。


「どうしたの? 何か忘れ……」

「……あのさ、彩音ちゃん?」

「はい?」


 目の前で立ち止まった彩音の言葉尻を被せると、不思議そうに小首をかしげられた。しかし叶恵は耳を赤くしながら沈黙し、自身の足下に目をやる。

 いつも友だち感覚で会話をしてきた、自分の担任。しかし今日だけはまだ一言も交えておらず、ましてや昨日の今日もあって、彩音から緊張感さえ生まれていた。


「次の授業の準備、忘れちゃった? プリント印刷する?」

「……」


 うつむいた顔を覗こうと膝を曲げた彩音だが、叶恵の口は震えるだけで音を鳴らさない。


「……もしかして、昨日のこと?」

「――っ!」


 聞きづらそうに間を空けた彩音に、叶恵は図星を突かれ息を飲む。確かに昨日の勧誘ポスターをがした事への謝罪は、まだ信次や彩音にも伝えていない。


「そ、そのね……」

「ん?」


 言いたい気持ちはもちろん心にあるが、生まれ持った強がりのせいか言葉が詰まる。片言の叶恵は顔を上げるもそっぽを向きながら、ごめんなさいの一言を必死に発音しようと肩を強張らせていた。

 徐々に廊下のざわつきも減り、沈黙している二人の周囲は静かな空間が場をいろどる。叶恵は未だに口をすぼめたままだが、ふと彩音はやっと気づいたように目を見開く。



「――もしかして! お昼ごはんのお箸忘れちゃった!?」



「………………フフ」

 すると、叶恵の固まっていた肩が落ちる。いつもの如くきれいにまとめてきたツインテールも、今日初めて彩音の前で揺らすことができたのだ。



『なんで緊張なんかしてるんだろ、アタシは。目の前の相手は、あの彩音ちゃんなのに……』



「……ねぇ、彩音ちゃん。昨日はゴメンね」

 頬を緩みが残ったまま、やっと心の声を鳴らした叶恵。担任に対するタメ口は顕在けんざいで、反省の色も感じられない微笑みと共に廊下へ響き渡った。


「月島、さん……」

「迷惑かけちゃったでしょ? アタシのせいでさ。だからゴメン。これでも反省してる」


 目を見開く彩音に眉をひそめるも、叶恵は頬を上げながらこうべらし、謝罪の意を確かに示した。それは今までやったことがないくらいに、新鮮な状況(いな)めない。


「……や、やめてよ月島さん! それはわたしにじゃなくて田村せんせ……」

「……それとさ、ありがとね」

「へ?」


 声を荒げた彩音はすぐに凍りつき黙り、驚き隠せない瞳が、叶恵の穏やかな眼差しと交差する。



「彩音ちゃんが、今回の振り替え授業お願いしてくれたんでしょ? しかも、泣きながらさ……」



「――ッ!! 月島さん、どうして……?」

 更に大きく開けた彩音を見て、叶恵は親しき担任の瞳孔どうこうさえ外に広がる瞬間がうかがえた。なぜ知っているのだろうかと言わんばかりに、どうやら隠そうとしていた思惑おもわくすら簡単に伝わる。


「フフ。実は昨日、希望未のぞみが教えてくれたんだ。彩音ちゃんが田村アイツに、アタシのことを助けてほしいって」

「――っ! そ、そう。宙継そらつぎさんが……」


 今度は彩音が下を向く番が訪れ、胸を張る小さな叶恵に見下ろされていた。



 昨日の放課後。

 校長室に訪れた彩音は確かに、信次へこう泣き叫んでいた。


「――月島さんを、助けてあげてください!」


 担任として、大切な一人のクラスメイトのために起こした彩音の。彼女の悲壮たる大声は室内だけでなく、外の廊下にも響き渡ってしまうほどだった。分厚い校長室の扉など、まるで無かったかのように。

 そのときに校長室前に訪れたのが、生徒会役員として活動していた宙継そらつぎ希望未のぞみだった。職員室に用があって通りかかったところ、心を置ける彩音の声だとすぐ気づき、共に親友である叶恵の苗字をしかと聞き届けることができたのだ。



「宙継さんに、全部聞かれてたのね……」

 静止していた彩音の黒髪は次第に揺れ始め、への字に曲がった口許まで振動を放つ。しかし一方で叶恵は小さな大人のように、温度保った瞳で静かに見守り続けた。


「正直、希望未がアタシに教えてくれなかったら、今日学校行くつもりなかったからさ。希望未にも、感謝してる」

「そ、そうね。宙継さんが、繋いでくれたのね……月島、さん?」


 声の揺れを示す彩音だが、次の瞬間叶恵は突発的に両肩を鷲掴わしづかみされ、潤みで輝く担任の瞳と目が合う。



「――やっぱり夢を! 諦めない゛でェ!!」



 誰だってわかる、安易で真っ直ぐな彩音の叫び。裏の意味なんて全く感じさせない、担任による素直な心の叫びだった。

 ふと涙を頬に伝わせた彩音を、叶恵は茫然と眺め肩の力を抜く。


「彩音ちゃん……なんで、彩音ちゃんが泣くのよ?」

「グズッ……当たり前でしょ? だって、だってわたしは……」


 言葉の途中で泣き顔を隠そうと俯いた彩音。しかし彼女の熱い想いはとどまらず、叶恵の肩、目、そして秘めた心へじかに送る。



「わたしは! 月島さんの担任だから゛ッ!!」



「……フフ。変なこと言わないでよ。ぜ~んぜん、いつもの彩音ちゃんらしくない」

 つい場違いな嘲笑ちょうしょうをしてしまった叶恵。しかし脳裏には、今日まで過ごしてきた彩音との記憶たちが走馬灯のごとく浮かびよみがえってくる。


 初めて出会ったときはどこか慌ただしくて、いつも余裕の無さが随所ずいしょに観察できた。よろしくお願いします! のホームルーム最初の挨拶だって緊張で裏返り、担当である数学の板書も記号を書き間違えたり説明を噛んだりと、ホントに教職三年目なのか疑わしいほどの振る舞いが印象的だ。

 見た目は大人びたオフィスレディーだが、様々な校内報告書に焦る表情を窺えば窺うほど、留年でもしてしまった女子高校生なのかと思わせる新担任の姿。しかしそれが彩音の大きな武器でもあって、他の二年生や希望未、そして叶恵からもよくしたわれる日々が始まる。

 言わば彩音を、一人の友だちとして捉えるようになったのだ。

 休み時間中の会話内容といえば大概彩音が発信者で、主に自身の恵まれない恋愛話ばかりを聞かされた。思いきって告白しても相手からは“ゴメン”の一言のみを返され続け、たとえ付き合えたとしても持って三ヶ月が最長記録だと項垂うなだれていた。


 決して信次のような熱血さは生徒へ見せたことがなく、いつも優しく穏やかに接してくれた彩音。そんな大人しい友だち感覚の担任が今、目の前で大粒のしずくを繰り返し落としている。無情にも廊下からは反響されず、職員室から鳴らされる足音の方がよく耳に尋ねる。

 しかし、叶恵の胸には大きく響くものがあった。それはもちろん、彩音から受け取ったとおとい想い。

 そして、彩音に対するたっとき信頼に他ならなかった。



『――良かった。井村アイツの次が、彩音ちゃんで……しかも、また今年も担任だ』



 叶恵が一年生当時の担任――井村いむら幸三こうぞうの懲戒免職で急遽代替担任となったのが、現在二年六組の如月彩音。

 だからこそ、今年始業式を終えたばかりの叶恵には彩音との思い出があり、共にありがたい想いをたくさんいただいてきたのだ。“ちゃん”付けしてタメ口という接し方は決して彼女をバカにしている訳でなく、ただ素直に心の扉を開けているだけである。


「グズッ……うぅ……」

「彩音ちゃん泣きすぎ~。そんなんだから、男に振り向いてもらえないんだよ?」

「そんなの、今はどうだっていいもん。わたしは、泣き虫でいいもん……」


 彩音の熱は依然として冷めず、何度も鼻をすする音が廊下へ広がっていた。

 もらい泣きなのだろうか、次第に叶恵の目頭にも高いものが込み上げてくる。校内でこんな思いにされたのは初めてでこのままではマズイと、表情をせながら彩音のか細い両腕を握り、解放へとゆっくりうながす。


「グズッ、スッ……月島さん」

「彩音ちゃん……ホントにありがと。マジで感謝してるから」

「う、うぅ……」

「それとね、最後に一つだけ、お願いがあるんだ」

「おね、がい……?」


 すると彩音が残る涙をスーツ袖で拭うと、叶恵はいさましい前向きの顔を放つ。



「――“アレ”、一枚ちょうだい。今日の放課後までには書きたいからさ」



「月島さん……うんわかった! じゃあ今すぐ刷ってくるね!」

 瞳を潤ませてながらも笑顔に戻った彩音は、叶恵の告げた“アレ”を確かに理解したように職員室へ駆け込む。

 相変わらず慌ただしい担任の後ろ姿だが、叶恵はじっと彩音を待ち、今後の運命を変えるかもしれない一枚の用紙を待ちわびていた。



 ◇もう一人の発起人◆



 放課後の午後四時。

 笹浦二高グランドでは現在、陸上部やサッカー部、少し離れたところで硬式野球部が練習しているところだ。入学式を終えて一日が経った今日では無論新入部員の姿は見当たらないが、帰路を辿たどる一年生たちは目に焼き付けるように部活動を観察していた。

 もちろん見向きもされない部活動だって存在している。その代表が現在、校舎に近いグランドのすみで柔軟体操をしている女子ソフトボール部である。


「痛い!! 痛い痛いいた~い!! 柚月ゆづきちゃんストップゥ!!」


 地べたに座るジャージ姿の清水しみず夏蓮かれんは、一方で制服姿の篠原しのはら柚月ゆづきに背を押されて苦しんでいた。もはやこれ以上身体をひねられないと、マネージャーに反発するように背を起こそうと努力している。


「ウフフ~。夏蓮の身体、ホントにカチカチね! そんなんじゃすぐにケガしちゃうわよ?」

「このままだと、準備体操でケガする~……てかなんで、柚月ちゃん嬉しそうなの~?」


 柚月の笑みがむことは無かったが、息を荒くした夏蓮が立ち上がったところで、女子ソフト部初の練習が開始される。現在部員は二人だが、運動できない柚月を考慮すれば夏蓮たった一人同然。フィールディングやバッティング練習はおろか、キャッチボールする相手だっていない。

 そこで本日の練習内容は、広大な笹浦二高グランド回りのランニングだ。ソフトボールにおいて大切な足腰の強化を理由に設定された内容ではあるが、それを決めた柚月に夏蓮は笑えず聞いてしまう。


「あの、柚月様……いきなり十周なのですか……?」

「そうよ。今日は初日だから、結構少なめにしてあげたから」

「エへへ……十周で……」


 ならば最終的には何周走らされるのだろうかと、夏蓮は思わず肩を落として小さなため息を漏らした。


「――やぁ二人とも!!」


 すると職員玄関先から、田村信次が普段の元気と共に歩み寄ってきた。見慣れたスーツ姿で革靴を鳴らしながら、振り向いた夏蓮と柚月のもとにたどり着く。


「ついに女子ソフトボール部、練習開始だね!!」

「ランニングだけどね。まぁ十周もあるけど……」

「篠原も、マネージャーよろしくね!!」

「まかせて、先生」


 胸を張りウィンクで返した柚月だが、やはり夏蓮は絶望的な数を引きずっていた。

 アキレスけん屈伸くっしん、腕のストレッチも済ませた夏蓮はついに初練習に臨む。


『十周はたいへんだけど、今のうちに力をつけないと。これから入ってきてくれる同級生や後輩に、ちょっとでもバカにされないためにも……』


 一度深呼吸をしてスタート地点に脚を揃えた夏蓮。柚月が自前じまえのストップウォッチを掲げたところで、走ろうと前傾姿勢を始めた、そのときだった。



「――ちょっと待ったぁ~~!!」



「「「――?」」」

 すると今度は昇降口の方から、ソフト部の三人にかん高い声が放たれ振り向いた。

 聞きなれない音でありながら、つい最近聞いた覚えのある女声。


『あれ? もしかして、この声は……』


 声の正体に気づき走る姿勢をめた夏蓮の見つめる昇降口から、やはり昨日出会ったばかりの同級生がジャージ姿で、一枚のプリントを握り締めながら現れた。



『――ッ!! 月島さん!?』



 驚愕で夏蓮が固まる中、叶恵は尖った目付きのまま近づいてくる。もしかしてまたソフト部に対する怒りが込み上げているのか疑ってしまい、ついに目の前まで眉間の皺が訪れた。


「アンタさ、本気でインターハイ行こうと思ってるの!?」

「え、インターハイ!?」


 いきなり大きな目標を叫ばれた夏蓮は言い返せず、叶恵からより険しい顔をされてしまう。


「まったく、これだから最近の若い子は……」

「同級生、ですよね……?」

「仕方ないわね。ほら、さっさと走るわよ?」

「え……?」


 何度も驚かされる夏蓮だが、同じく鋭い瞳を続ける叶恵からさらに荒声をぶつけられる。



「だ~か~ら~!! アタシもいっしょに走ってあげようって言ってるんじゃない!! アンタ文系なんだからわかるでしょ!?」



「……? じゃあ、ということは!」

 すると夏蓮は初めて笑顔を見せることができ、柚月も察して微笑みを向ける。

 ソフト部三人から暖かな視線に包まれた叶恵は未だに不機嫌そうだが、左手に握るプリントを勢いよく信次に、勇敢なはにかみと共に放つ。



「――今度はアタシが、入部はいってあげるわ」



 そのプリントの正体は昼休み、如月彩音から印刷してもらった入部届けだった。


「……か、叶恵ちゃん!!」


 嬉しいあまりに夏蓮は同じ背丈の叶恵に飛び込み、正面から強く抱き締める。


「ちょ、何するのよ!? それにアタシのこと、今名前で呼んだでしょ!!」

「うん!! よろしくね叶恵ちゃん!!」

「うん、じゃないわー!!」


 叶恵の頬が明らかに赤くなっていることが夏蓮にも見えたが、まだまだ幼い二人の一方的な抱き合いはしばらく続いた。



『だって嬉しいんだもん! 叶恵ちゃんが、わたしたちにも心を開いてくれたことが』



「はなせはなせー!! てか、アンタも早く入部届け受け取りなさいよ!!」

「ぼ、ボク!?」

「アンタ以外誰がいんのよ!? 早く!!」

「は、はい!」


 夏蓮は顔を押されながらも決して離さなかったが、入部届けの受け渡しをする叶恵と信次に挟まれることとなった。


「月島……」

「アンタの言ったこと、正しい夢の叶え方……本当かどうか、確かめさせてもらうわ」


 ヤル気に満ち溢れた叶恵の表情に、信次の頷きと笑顔が送られる。



「ようこそ! 笹二ソフト部へ!!」



 両腕を開いて受け入れる姿勢を型どった信次。小首を傾げながらも、穏やかな目を向けて歓迎を示す柚月。そして夏蓮の満面の笑みが叶恵へ向けられ、全員一致の入部を心から認めた。


「叶恵ちゃん、今日からよろしくね! そうだ! これから歓迎会でもやろ……」

「……アンタはアホか!?」

「うにゅへ……?」


 顔だけでなく小さな胸も押され、ついに離してしまった夏蓮には叶恵のつり上がった瞳を当てられた。


「そんなことやる暇があるなら、練習に決まってるでしょうが!! ほら、さっさと校庭十五周走るわよ!!」

「じ、十五周!? 増えてる! 叶恵ちゃん増えてる!!」


 当たり前だと言わんばかり告げた叶恵は早速スタートラインに立ったが、夏蓮は絶望と恐怖で震えていた。このままでは体力どころか、明日を生きる命さえ奪われてしまいそうだ。

 助けを求めようと柚月に振り返ってはみたが、やはりドSのマネージャーからは心底しんそこ嬉しいそうな笑みを向けられてしまい、諦めて叶恵の隣で渋々スタートの構えを作る。


「行くわよ……」

「うぅ、誰か助けて……」


 今にも泣き出しそうに夏蓮はつぶやいたが、もちろん誰にも受け入れてもらえず春の空気に溶け込む。

 ついに柚月のストップウォッチまでもが作動し始め、夏蓮は悲壮な眉を浮かべながら走り出した。が、その刹那ものすごいスピードの疾風しっぷうが真横を通り、散った桜の花びらが頭に乗り目を見開く。


「か、叶恵ちゃん!? 待って! ペース速すぎるよ~!!」


 夏蓮が思っていたペースの何倍もの速さで、叶恵は突き進み互いの距離を拡大させていく。これで十五周を走る気なのかと、暖かな四月に関わらず身の毛が弥立よだった。


「待って叶恵ちゃ~ん!! わたしには無理だよ~!!」

「……」

「ねぇ叶恵ちゃんてばぁ!!」



 夏蓮の叫び声は叶恵の背に届かず、揺れるツインテールばかりを放たれた。徐々に二人の間は開き、早くも夏蓮のペースが落ち止まりかけてしまうところだ。


『ハァハァ……もしかして、叶恵ちゃん……』


 叶恵の小さくなっていく後ろ姿を目にし続けていると、喘息ぜんそく気味な夏蓮はふと思ち立つ疑問があった。

 どうして叶恵は、自分の声を聞いてくれないのだろうか?

 もしかしたら夏蓮自身の声が小さかったからなのか。しかし柚月と信次が練習風景を見ながら笑う姿をうかがえば、離れた二人にも声が届いていることがわかり、叶恵にも十分届くはずだ。

 ならば叶恵にはどうして聞こえないのだろうかと、さらにペースを落として走りながら考えた夏蓮にはたった一つの要因しか浮かばず、反って頬を緩ませてしまった。



『――叶恵ちゃん、きっと楽しいんだ。一年ぶりにソフトボールができるようになって、没頭するくらい楽しんでるんだ』



 だから叶恵のペースはさらに上がり距離を置かれ、だからこそ彼女の垂らすツインテールが大きく揺れている。

 つまり一人だった彼女の後ろ姿は間違いなく、見える訳がない喜ぶ表情を具現化していたのだ。


「叶恵ちゃん! 待ってぇ~!!」


 今度は笑顔で叫んだ夏蓮。遠く離れた叶恵に追い付こうと、予定していたペースよりも速めて走り出した。



 ――これであと、七人。



 まだまだ遠いかもしれない試合可能人数だが、一人入部してくれた喜びに浸りながら突き進む夏蓮。叶恵にはより距離を置かれていく中、信次と柚月たちの前を通り過ぎようとした、そのときだった。



「――田村先生!!」



「……? 如月先生だ」

 再び声が鳴らされた職員玄関からは、如月彩音がこちらに向かっていた。必死に走り余裕のない表情からは、何やら信次に緊急の伝言があるようだ。

 信次同様夏蓮も立ち止まって待ってしまったが、するとたどり着いた彩音の口からとんでもない言葉が放たれる。




「――貝塚かいづかゆいさんたちが、ゲームセンターで補導されたそうなんです! 至急迎えに行ってあげてくださいって、校長先生が……」



 それは貝塚かいづかゆいの担任である信次だけでなく、同じクラスメイトの夏蓮と柚月らもこごえさせた一言だった。

次回


五球目◇本当に帰りたい場所◆

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