四球目 ③叶恵→夏蓮パート 「……あ゛っそ!!」
◇キャスト◆
月島叶恵
田村信次
清水夏蓮
篠原柚月
宙継希望未
メイ
次の日の金曜日。
月島叶恵は一人、少し遅めの登校をしていた。表情は雲で覆われているかの如く陰鬱で、細い足を何とか上げ進んでいる。
『彩音ちゃんに、何て言われんのかな? まぁ怖い訳じゃないけど……』
担任の如月彩音に早速怒られるに違いない。そう考えながらたどり着いた叶恵は昇降口から下駄箱へ、俯いたまま靴を履き換えて教室へと向かい始める。
「――Wow! this is softball!!」
「は……?」
流暢な英語を耳にした叶恵はふと立ち止まる。顔を上げて見れば、廊下には一人の幼い生徒の後ろ姿が目に映るが、思わず日本人離れした身だしに一歩退いてしまった。
『き、金髪……もしかして、外国人なの……?』
長く自然な金髪をツインテールとして結ぶ彼女に、英語に自信ない叶恵は声など掛けられなかった。しかも英語での一人言が長々しく続いており、楽しそうに揺れている様子にはより近寄り難さが増す。
「Softball club……It's my dream!! Where is head coach!?」
すると金髪幼女はサファイアの瞳で辺りを見回し、直後走り去って叶恵の視界からすぐに消えてしまった。
『ふぅ~、何とかいなくなったみたいね……』
とりあえず外国人から会話を迫られなかったことにホッとし、叶恵は小さな胸を撫で下ろして再び進む。あの金髪ツインテールは一体何を見てはしゃいでいたのだろうか。
「……っ!」
すると外国人幼女を気にしていた叶恵に今度見えたのは、掲示板にある一枚のポスターだった。それは昨日破り外したはずの模造紙――笹浦二高女子ソフトボール部勧誘ポスターである。クシャクシャに丸めたせいで全体は皺だらけ。周りの切れた部分もセロハンテープで縫われた状態で、華々《はなばな》しさの欠片など見当たらない。
どうやらさっきの外国人はこの勧誘ポスターを見て騒いでいたようだが、反って叶恵は静かなままポスターの前に立ちはだかる。しかしまた外してやろうという気にはならず、つい茫然と眺めていた。
「何よ、これ……」
「女子ソフトボール部の勧誘だよ!!」
「――ッ!!」
すると廊下の奥から大きな男声が響き、叶恵は目を見開きながら振り向く。聞き覚えのある音だけに身を固めてしまうが、やはり田村信次が距離を縮めていたことに背が反る。
『チッ、まずはコイツから怒鳴られるのか……』
叶恵はため息を落として待っていた。が、憤りを放たず笑顔のまま近づく信次が意外で、何度も瞬きを繰り返す。
「やぁ!おはよう月島!」
「……」
ついに目の前まで来られたが、叶恵は黙ってそっぽを向き無視する。いきなり怒鳴らない辺りめんどくさそうな男だと、屁理屈匂わす信次に心の距離を置きながら。
「月島のことは昨日、如月先生から直々《じきじき》に聞いたよ。プロの選手になりたいだなんて、とってもすごい夢じゃないか!」
「……だったら、何よ?」
個人情報を勝手に知られた叶恵は不機嫌なまま口だけを動かし、信次には一切目を向けなかった。偽善者なんかに言われても、何も嬉しさなど感じられなかったからだ。
「もう一度、やってみないか?」
「――っ! は、はぁ……?」
すると叶恵はやっと振り向き、信次の微笑みを直に見つめる。蟠りなど毛頭なさそうに、朝陽の如く頬を緩めていた。
「月島のような志の高い生徒は、ボクも清水たちも大歓迎だからさ」
最後にはにかんだ信次はふと、目線を叶恵の背後へと向ける。
つられて叶恵も後ろを覗いてみれば、廊下奥の端から顔をひょっこり出した清水夏蓮と篠原柚月が確認できた。夏蓮からは心配そうに眉を顰められ、柚月からはムッとした眉間の皺を放たれている。
「チッ……」
叶恵は舌打ちを鳴らすと、夏蓮と柚月からも遠ざかるようにポスターから離れていく。夏蓮の表情は部への襲来の恐怖、柚月の顔は昨日のポスター事件の憤怒だと捉え、誰も自分を受け入れようとしていないではないかと感じ、信次により偽善者のイメージを強めながら横を通ろうと歩く。
「そうそう月島! 今日の三時間目、ヨロシクね!」
「はぁ?」
しかし信次を通り過ぎようとした刹那、叶恵は再び止まり不審目を向ける。
「今日の三時間目は、確か彩音ちゃんの数学でしょ? なんでアンタが?」
「いや、急遽振り替えで現代文だ!」
「はぁ!? そんなのいきなり言われたって困るわよ!! 国語の教科書なんて持ってきてないし!」
金曜日の時間割には現代文は疎か、古文の授業だって含まれていない。国語関係の教科書を用意できてる者など、常にオキベンしてる生徒しかいないはずだ。
「心配御無用! 今日はプリントを刷ってくるから、安心して」
何もかもペースを持っていかれ、叶恵の腹立たしさは有頂天を迎えようとしていた。
「……あ゛っそ!!」
瞳が尖りきったまま背を向け、叶恵は二年六組の教室へ再出発した。背から信次の生暖かい視線を感じながら、余計に苛立ちが増大していく。
『何なのよ!? 訳わかんない!』
階段を上り始めたところでやっと、笹二ソフト部の視線から解放された叶恵。もちろん怒りは顕在で、特に信次から優しく扱われたことを挑発と捉えていた。彼の童顔を思い出すだけで、今にもスクールバッグを投げてしまいそうになる鬱陶しいさが胸を締め付ける。
――しかし何よりも不思議だったのは、信次が叶恵を叱らなかったことだ。
怒られて当然のことをした。それは叶恵自身確かに理解できていたし、怒鳴られる覚悟だって抱いていた。が、予想とは裏腹に罵声を投げられず、しかも歓迎ムードまでされて、一瞬だけ揺れかけた胸中をより苦しめていた。
『ホンット、訳わかんない……』
歯軋りを鳴らす叶恵は一歩一歩強めに階段を叩きながら、イライラを何とか放出して教室に進んだ。
二年六組教室前。
ホームルームの時間まで残り僅かと迫った廊下は、人気がほとんどなく静閑としていた。
階段を上って更に奥の教室が六組である中、落ち着いてきた叶恵にもやっと見えてきた。どうやら遅刻にはならなそうで、一先ず安心だ。
「……? 希望未?」
徐々に教室へ近づく叶恵には、一人廊下で悩める様子の六組生徒――宙継希望未が映った。窓の外を眺めながら、小さなため息を漏らしている。
「希望未、どうしたの?」
「あ、叶恵! お、おはよう」
不意を突かれたように返した宙継希望未。小さな背は叶恵とほぼ同じで、セミロングの髪を右側頭部で結び垂らしている。よく見せる不安の表情だが、今日はいつにも増して眉が下がっていた。
「何か悩み事? 顔にそう書いてあるわよ?」
「そ、そんなことないよ……あ、そうそう! 昨日は片付け、手伝ってくれてありがと!」
無理矢理話題を換えた思惑が見え見えだったが、叶恵はこれ以上聞こうとしなかった。きっと言いたくない悩みなんだと推測し、希望未の小さな肩に左手を置く。
「まぁ何かあったら、私が協力するから。仲間でしょ? 私らさ」
「叶恵……うん、ありがと……」
希望未の眉はハの字のままだったが微笑みを返され、叶恵も共に笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「私の方こそ、彩音ちゃんのこと教えてくれてありがと」
それは昨晩、希望未から送られた“SHINE”でのメッセージの話だ。彩音のことを伝えてくれた、仲間への感謝に他ならない。
「おかげで、登校する気になれたんだ」
「叶恵……やっぱ休む気だったの?」
叶恵は希望未から手を離し、呆れたように自嘲する。
「いつも色々余裕ない彩音ちゃんを怒らせたくないからさ。だったら私が休めば良いって、ちょっと思っちゃっただけ……」
「叶恵……」
叶恵は最後暗く俯いてしまった。自分の悪い行いで、親近感抱く担任を困らせたに違いないのだから。
怪しげな雲が立ち込めた表情の二人だが、いっしょに教室へと入って、それぞれの席で朝のホームルームの時間を待つことにした。
今日もつまらない高校生活が始まるという退屈さを念頭に、彩音には素直に謝りたい申し訳無さを秘めながら、重いスクールバッグを下ろして着席した。
◇もう一人の発起人◆
二年二組教室。
すでにチャイムが鳴った頃のこちらでは、信次得意の高速ホームルームがもう終わり、室内は学生らの会話で賑やかな空気に包まれていた。
「ねぇ柚月ちゃん? 月島さん、入部してほしい?」
「はぁ? 冗談じゃないわよ、まったく」
中央後ろ席まで足を運んだ夏蓮だが、席に着く柚月から言葉を荒げられてしまう。
「人様の描いたポスターボロボロにしておいて……それで、よろしくお願いしま~す! とか言われてもムカつくだけよ」
「で、ですよね~……」
昨日の襲撃を未だに怒っている柚月に、困りながらも相槌を打った夏蓮。確かに酷い行いであったが、ポスターは再び掲示板に貼れたのだから、何もそこまで引きずらなくても……。
「――月島のことかい?」
「あ、先生……」
すると夏蓮たちのもとに信次が現れ、眩しい笑顔を見せられた。
「う、うん……せ、先生はさ、もし月島さんが入部希望してきたら、認める?」
「そりゃあもちろんだよ!! 月島にはプロになりたいという、素晴らしい夢があるんだから!」
どうやら信次は叶恵を否定していないようで、強張っていた夏蓮の表情が次第に緩んでいった。しかし、柚月の眉はもちろん上がったままで、ふてぶてしく椅子の背に寄りかかる。
「入部すれば、それまでの罪はどうでもいい訳?」
「ゆ、柚月ちゃんそういう訳じゃ……」
「……じゃあ何よ? 人手不足だから? それとも月島さんは経験者だから? それならたとえ罪人でもいいってこと?」
言葉尻を被せてきた柚月のマシンガンには、機嫌が果てしなく悪いと夏蓮には伝わる。勧誘ポスターの八割がたを作った張本人からしたら、簡単な入部など認められないに決まってる。
「……でもさ、柚月ちゃん……」
「なによ?」
しかし夏蓮は僅かながらの勇気を振り絞り、鋭く尖った瞳の柚月と目を合わせる。
「――私たちしかいないんだよ? 月島さんの夢を、救えるのは……」
「夏蓮……どうしてそこまで……」
不審がる柚月の意見だって理解できる。が、夏蓮はそれ以上に叶恵の境遇を気にしていた。
「月島さん、相当ショックだったと思うんだ。自分が創った部が、崩壊する瞬間を見て……正直 私だって、考えただけで怖いもん……」
「か、夏蓮……」
柚月を黙らせた、夏蓮が辛いながらも伝えた想い。それは、同じ発起人として苦悩する気持ちだった。仲間が離れていくこと。顧問が遠ざかっていくこと。何よりも、一人になることを恐れた心の有り様だ。
「だから私は、月島さんの入部は賛成なんだ。だって、月島さんを一人にさせたくないから……月島さんが夢を、無駄にしてほしくないから……」
「ボクも同じだよ」
「先生、ありがと」
手助けするように会話に入った信次も囁き、夏蓮の表情が光を持って晴れていく。
同じ学年として、せっかく出会えた叶恵とはもっと仲良くなりたい。
同じソフトボーラーとして、経験者の彼女には是非部に入って活躍してほしい。
そして同じ発起人として、叶えられなかった創部を、今度は共に成し得たい。
「二対一か……二人がそこまで言うなら、別に止める気はないけどさ……」
唯一反対していた柚月も賛成派になりかけていた。しかし頬杖を着いた仕草には、まだまだ納得できていない様子が伝わる。
「……果たして月島さんが、素直に入ってくるのかしらねぇ? 今ある笹二ソフト部のことは、少なくとも嫌ってるはずよ?」
「う、う~ん……」
問われた夏蓮は腕組みをして考え込むも、テスト平均以下の頭脳に浮かばず苦悩していた。叶恵による昨日の悪行を考えれば、確かに柚月の発言は正しい。自分らへの嫉妬はきっとあるだろうし、彼女が楽しくソフトボールをやっていけるかも心配だ。
「――きっと入ってくるさ!」
しかし信次だけが白の歯を放ちながら笑い、夏蓮の尊い心を起こす。
「先生……ちなみに、どうして?」
「月島はソフトボールをやりたがってるんだ。それは今でも変わっていないらしい。だから絶対入る!」
信次が何を理由にして発言したのか、恐らく昨日彩音から聞いたことを元にしているのだろうが、その場にいなかった二人にはもちろんわからなかった。しかし今はどんな理屈よりも、ただ叶恵を信じて待ちたいという想いだけが、夏蓮の幼い胸を満たしていた。
『――月島さん、私は待ってるからね。月島さんが心を開いてくれるまで、ずっと……』
少しだけ強気の目に変わった夏蓮は信次に頷き、叶恵の入部希望を心から待つことにした。




