四球目◇もう一人の発起人◆①夏蓮→信次パート 「如月先生……」
夏蓮と柚月でせっかく作った勧誘ポスターを破り丸めた、怒濤の少女――月島叶恵。
なぜ彼女が新生笹二ソフト部を忌み嫌うのか?
それは一年前、彼女を襲った闇こそが原因だった。
◇キャスト◆
清水夏蓮
篠原柚月
田村信次
如月彩音
清水秀
放課後を迎えた笹浦第二高等学校。
学校を照らしていた夕陽はほぼ沈み、校内の廊下が急速に暗くなってくる時間帯。緑の非常口ランプや赤の消火器ランプの光が鮮明だった。
不気味ながら静閑とした笹浦二高校内だが、昇降口前廊下の元には田村信次、そして二人の女子生徒――篠原柚月と清水夏蓮たちが、床上でボロボロとなった女子ソフトボール部勧誘ポスターを悲しげに見下ろしていた。
「だから、こうなるのも仕方ないと思う……」
「そうね……月島さんの気持ちも、わからなくはないわ……」
夏蓮に続いた柚月。両者共に俯く姿は、周囲の闇をより強めている効果をもたらしていた。
「……月島、叶恵。彼女も、去年ソフトボール部を創ろうとした娘なのか……」
すると信次も憂鬱気味で、得意の微笑みを消したまま月島叶恵の名を呟く。すると夏蓮は静かに頷き、襲撃で剥がされた勧誘ポスターにそっと触れる。
『――月島さんは去年、今の私と同じ立ち位置だったんだ。ソフト部の発起人は、私が最初じゃないんだよ……』
心で自分に言い聞かせた夏蓮は、柚月といっしょに描いた勧誘ポスターを何度も撫でる。あちこちの切れた箇所は修復できないのは疎か、皺だって際立ったままだ。もはや原形の素敵なポスターなど、今ではどこにも見当たらない。
「ねぇ、清水。月島が始めたソフト部は、一体いつ廃部くなってしまったんだ?」
「確か、去年の四月終わり頃だよ。私が入部しようとしたときには、もう……」
信次も夏蓮も目を合わせぬまま、弱々しい声をポスターに浴びせ続ける。
「廃部くなっていたんだね?」
「うん……だから私は、入部してなかったんだ……」
去年女子ソフトボール部が創られたのは、ちょうど今頃の入学開始日。当時一年生だった夏蓮や柚月たちが部の存在を知ったのも、それから数日後の四月中旬だった。
もちろん去年の夏蓮だって、大好きなソフトボールをやりたいと思いながら部に興味を抱いていた。しかし入部する勇気をなかなか出せず躊躇してしまい、五月のゴールデンウィークが始まる頃には消えてしまったのだ。
「私ら、声掛けてもらえなかったしね。月島さんとは、今まで会ったこともなかったからさ」
「うん。面識もない私たちが経験者だってこと、知らなかったに違いないよ……」
柚月に続いて夏蓮が悲哀を表すと、ついに夕陽も無くなり、廊下の蛍光灯が灯し始まる。言うまでもなく三人の表情までは光は届いていなかったが、すると次第に近づいてくる足音と声が耳に入り込む。
「妹さんは元気でやってるかい?」
「はい。地元の神奈川で、今年はエースだって張り切ってますよ!」
場違いなほど愉快さを思わせる、老人男性と若い女性の会話が距離を縮めている。
聞き覚えがあると感じた夏蓮は背後を振り返り確認すると、やはり奥から姿を現したのは想像通りの二人だった。
「――おじいちゃん、如月先生……」
夏蓮の小さな囁きで柚月、信次までも驚いたように振り向き、夏蓮の祖父であり校長でもある清水秀、去年から数学担当教諭として顔馴染みの如月彩音らと目が合う。
「フフフ……おや~夏蓮? まだ帰ってなかったのかい?」
「清水さん、それに篠原さんに田村先生も! どうした、の……ッ!!」
秀の疑問後、突如彩音が目を見開いて走り向かってくる。どうやらソフト部の勧誘ポスターに気づいたようだ。
「ソフト部のポスター……こんなになって、どうしたの!?」
「そ、その……」
驚きを隠せていない彩音を隣に、夏蓮は正直返答しづらいあまり目を落としてしまう。
『だって如月先生は、月島さんの担任だから……』
自身の受け持つ生徒がやったのだと知れば、彩音が傷ついてしまうに違いない。そう思いながら夏蓮は口を動かせず止まっていたが、すると柚月から大きなため息を溢される。
「やられたの、月島さんに……」
「ち……ちょ、ちょっと柚月ちゃん!?」
「へ……月島さん、が……?」
平気で告げた柚月に夏蓮は唸ってしまったが、一方で彩音は唖然と口を開けていた。やはりショックを与えてしまっただろう。
「……ご、ゴメンなさい。私たちが、月島さんの気持ちを考えないで、こんなポスター描いたから……」
「夏蓮、どうして謝るのよ?」
柚月から呆れ返ったような目を向けられたが、それも確かに夏蓮にはわかる。部員集めのため必死に描いてくれた力作ポスターなのだ。目の前で破り丸められてしまうなど、反って泣かない柚月にはたいへん申し訳なく思う気持ちも生まれていた。
「そ、そう……月島さんが、やっちゃったのね……」
すると彩音の微かな声で、夏蓮は眉をハの字にしたまま窺う。が、依然として瞳が交わされることはなく、担任としてたいへん残念そうに下を向いていた。
「……あの、田村先生……」
「は、はい?」
彩音の低い声に、今度は信次が顔を上げる。
「ちょっと、お話があります。校長先生も含めて、伝えたいことがあります」
「わ、わかりました……」
彩音は一度たりとも信次に目を向けなかったが、ゆっくりと立ち上がり職員室へと歩み出す。
信次もすぐに立ち上がり着いて行こうとする中、ふと校長の秀が夏蓮と柚月の肩に手を置く。
「今日はもう帰りなさいな。また明日、笑顔で会おうよ」
「おじいちゃん……」
「わかったわ、か……夏蓮のおじいちゃん……」
素直に受け入れた柚月はすぐ立ち上がり、夏蓮もポスターを畳み始めて下校する準備に取り掛かる。
クシャクシャな勧誘ポスター。畳むだけでも手間が掛かるほど、折りづらく抵抗あるものとなってしまったが、何とか畳み終えた。
その頃には秀や彩音、信次の姿も消えており、夏蓮と柚月二人だけの寂しい廊下となっていた。
「田村先生、如月先生に怒られるのかな?」
「私たちには関係ないでしょ、大人の事情なんて」
「そ、そうだけど……」
どうしても信次のことを気にしてしまいがちだが、夏蓮は先を行く柚月を追うようにして教室に戻り、置いてきたスクールバッグを抱えて施錠し、再び訪れた昇降口から外へ出ていく。
時刻はいつの間にか午後六時半を回ろうとし、笹二の完全下校時刻まで残り僅かを示していた。
部活動を終えた生徒たちに混じりながら歩くこととなった親友同士だが、夏蓮は柚月の隣で周囲の部活動生徒たちをふと眺める。
「……ねぇ柚月ちゃん、もしもだよ? もしも……」
「……もしもなら聞きたくない」
「あ、ちょっと待って!」
すぐに言葉尻を被せてきた柚月は早足になってしまい、夏蓮も短い脚ながら懸命に追いかける。
「柚月ちゃん!? 早く歩いたら、身体に悪……」
「……冗談じゃないわよ!」
「ゆ、柚月ちゃん……」
怒っている様子否めないポスター作製者にも驚いたが、すると柚月立ち止まり、同じく夏蓮も歩みを止めて息を飲まされる。
「――こんなことで、笹二ソフト部を潰されちゃ困るのよ……」
「柚月ちゃん……そうだよね……」
今回の叶恵の襲撃で、正直部が無くなってしまうのではないかと危惧していた夏蓮は呟き、スクールバッグをギュッと握り締める。
せっかく大きな勇気を振り絞って始まった創部活動。柚月もマネージャーとして入部してくれたこともあり、幸先のよいスタートを切れたと思う。
だからこそ、こんな簡単に終わってほしくない。
きっと今頃信次は、叶恵の担任である彩音から部の協力を辞めるよう言われてるかもしれない。それがかつて部を創設しようとした叶恵を傷つけていると。
笹浦二高女子ソフトボール部は、二度とあってはいけないのだと。
『それでもお願い、田村先生。私たちへの協力、続けてくれるって信じてるから!』
柚月の一言で、信次に信頼を置いた夏蓮。
懸念していた“もしも”の後先は決して明かさず、夜の帰路をたどっていった。
◇◆
夏蓮と柚月が学校から離れた後、信次は秀、彩音と共に職員室――ではなく隣の校長室へ招かれていた。。
「如月先生……」
「ゴメンなさい田村先生。他の先生方にはあまり聞かれたないので、ここに来てもらいました……」
「そ、そうですか……」
窓際から秀の心配気味な瞳を向けられながら、信次は彩音の後ろ姿へ返事を当てる。今回は恐い教頭先生の存在が無いだけまだ良かったが、その代わりに、いつにも比べて声の低い如月先生という存在が空気を凍えさせ、決して居心地の良い空間とは呼べなかった。
「田村先生……今朝、月島さんにも勧誘チラシ渡しましたよね? あの娘が自分から取りに行くとは思えないんですけど……どうしてですか?」
彩音が振り向かないまま問いを投げると、信次も微笑すらできず俯く。
「ゴメンなさい。マスクを着けていたので、てっきり一年生だと勘違いして渡しました。それに去年の月島についても全然知らなかったので、仮に月島だとわかっていても、渡してたと思います……」
「そうですか……そうですよね。月島さん、背が低くくて可愛らしい女の子ですもんね……」
叶恵の魅力を伝えた彩音だが、声のトーンはいっこうに上がらないままだ。さらに力の限りな女性の小さい拳すら放たれてしまい、信次は校長室内の雰囲気がより嫌悪色に染まっていくよう感じていた。
『やっぱ、如月先生は怒っているのかな……?』
叶恵が勧誘ポスターを台無しにしたことは、もちろん信次にとっては許しがたい行いだと捉えている。が、それは彼女に勧誘チラシを渡したことがきっかけとすれば、自分が誘発させたと言われても仕方ない。
次第に罪悪感を覚えるようになった信次は、申し訳なさのあまり眉間の皺を浮かべる。自分の行いが悪かったのだ、朝の勧誘チラシのせいで一人の生徒を傷つけてしまったのだと。
やるせない想いは急速に膨張し、早速彩音に謝ろうと顔を上げてみる。
「如月先生!! ホント、に……っ?」
しかし信次の勢いは途中で滞ってしまう。なぜなら彩音の背が、僅かだが揺れているのが見え、そして響かされる掠れ声で気づいたからである。
『如月先生、どうして泣いてるんだ……?』
泣き顔まではもちろん信次には見えなかった。しかし涙を拭う後ろ姿と丸まった背を窺えば、いとも簡単に受け取ることができる。
「……田村、先生? どうか、お願いがあるんです」
すると彩音は踵を返し、室内に訪れてからやっと信次と目を合わせる。
やはり、瞳からは大きな雫が溢れ出ていた。
鼻を啜り潤目ながらも真剣な様子の彩音に。喘息染みた呼吸にも変化していき、なかなか喋りづらそうに口を開けようとしていた。
担任として、叶恵に対する彩音の尊い気持ちを感じながら、同じく担任を任されている信次は固唾を飲んで静かに待つことにした。もはや怒られるのも仕方ないと、諦めではなく覚悟を抱きながら。
だが彩音からの返答は、予想していなかった内容なだけに、反って驚かされる。
「――月島さんを、助けてあげてください!」
「――っ! ボクが、月島を助ける……?」
怒らないのだろうか――と言うよりも、なぜ自分に叶恵を助けられる権利があるのだろうか。
疑念を抱いた信次は問い返すと、彩音は拭いながら頷く。
「月島さんは、ホントにかわいそうな娘なんです。プロソフトボーラーの夢を叶えようと、必死に努力しているのを知ってます。たとえ今部が無くても、いつも一人で投げ込み練習をしてることだって……」
上擦る声のままに、彩音は止められない涙と共に信次へ訴える。
「だからお願いです! 一人になった月島さんを……どうか、孤独になってしまった月島さんの夢を! ソフト部を創ろうとしてる田村先生に救ってほしいんです!!」
「如月、先生……」
正直信次は言葉が続かなかった。彩音から驚かされたこともあったが、何よりも叶恵の詳しい事情も知らず、どうするべきか検討が着かなかったからである。
彩音の唏泣音が絶えず鳴らされる室内には、一時の沈黙を迎えることとなった。すると校長の秀は二人の間に割って入り、信次に悩ましい表情を放つ。
「……まだ田村先生には、去年のソフトボール部の話していなかったねぇ。ゴメンよ、隠したりしててぇ」
「校長先生……どうして、ソフト部は廃部くなってしまったのですか?」
何も知らない信次だからこその、素朴な疑問。
頷いた秀から一度咳払いをされると、ついに一年前の、笹浦二高女子ソフトボール部の物語が信次に明かされる。
「――悪いのは全部、僕ら教員なんだよ。もちろん他にも犠牲者はいた。けど、叶恵ちゃんを人一倍傷つける形になってしまったんだ……」




