三球目 ④篠原柚月パート「……いいわ。教えてあげる」
◇キャスト◆
篠原柚月
清水夏蓮
田村信次
笹浦二高二年二組の教室。
穏やかな春の夕陽が室内に射し込む頃、生徒たちは部活や下校で、校内は静閑としている。しかし二年二組の教室には、眼鏡姿の篠原柚月を始めとする、親友の清水夏蓮、そして担任の田村信次の三人だけが残っていた。
「勧誘ポスター?」
床に広がった模造紙を見つめる信次が問うと、作成中の夏蓮が嬉しそうに頷く。
「部活初日の今日は、柚月ちゃんといっしょに勧誘ポスターを作ります! ねぇ柚月ちゃん?」
「まぁね。勧誘ポスターなら、昇降口前の掲示板に貼れるし、夏蓮のおじいちゃんにも許可はもらってるから」
「おお~良いじゃないか!! 是非とも作ってみよう!!」
信次も快く賛成してくれた、柚月の勧誘ポスター作成提案。
部員を集めるためには、まずは部の存在を知ってもらうことが先だと柚月は考えていた。嫌でも全生徒が通る昇降口前の掲示板に飾れば、きっと視界に入って一目置いてくれるだろうと。
しかしただポスターを書くだけでは、それは勧誘の意味を為さない。閲覧者の目に留まり、少しでも興味を惹ける物にしようと、柚月の表情はいつにも増して真剣さながらだ。
「よしっ。じゃあ夏蓮、設計通り進めてくわよ?」
「うん! 了解!」
「ならボクも!」
ふと会話に入った信次が腕捲りをしようとした、刹那、柚月は待ったの手のひらを広げ放つ。
「先生は、絶対に描かないで」
「えぇ!? な、なん……」
「……返事は?」
「は、はい……」
勧誘チラシのような絵を描かれては溜まったものではない。
男子禁制主義者の柚月は信次を黙らせ、乙女の勧誘ポスターを夏蓮と共に作り進めていった。
早速作業に取り掛かった柚月と夏蓮は、大きな白の模造紙に色ペンや貼り紙を使って、鮮やかな勧誘ポスターを組み立てていく。主に夏蓮が貼り紙担当、一方で柚月が色ペンやマッキーで文字や絵を描いていた。一方で信次は無論一字一句も描かせてもらえず、色ペン運びや散らばった紙切れのゴミ集めなど、二人の雑用係として協力していた。
「あれ? 柚月ちゃんタイトルは後なの?」
「うん。内容が完成してからの方が、マッチしたタイトルに決めやすいからさ」
不思議がっていた夏蓮に同意も受け、柚月はまずタイトル欄を空けて、ポスターの中身から描いていった。
未経験者大歓迎から始まり、集合場所にはとりあえず二年二組と、また現在における活動予定場所の学校グランドを記していく。各自で準備してほしい用具にはグローブや練習用ユニフォーム。もちろん無い場合は体育館倉庫の物、学校ジャージでも可であると、できるだけ入部のハードルを下げながら鮮やかに染めていった。
「ふぅ~。まぁ文字はこんなところでいいかしらね」
「柚月ちゃん字上手~!」
「残った空白には、絵でも加えましょっか」
「待ってました! 美術部!」
テンションが高まる夏蓮にも刺激され、柚月はポスターにソフトボールに相応しい絵を描き込んでいった。グローブとバットはもちろん、野球とは異なるダブルベースや半ズボンユニフォームまで加え、最後には信次の絵と比べ物にならないほど丁寧で乙女チックな、女子高校生のユニフォーム姿を完成させる。
「さすが柚月ちゃん! 字も上手だし絵もきれいだし! これならみんなから注目されるよ~!」
「……さて、最後はタイトルで完成ね」
髪の毛に貼り紙の破片を載せつつ褒めちぎった夏蓮に、柚月は微笑みを見せながら最後のタイトルへと取り組む。まずは大きく、“笹浦二高女子ソフトボール部”と、女の子らしく可愛らしいタッチで下描きをした。文字の所々にはボールやバット、ダブルベースまで取り入れた一文となったが、ふと眉をハの字に変えて腕組みをする。
「う~ん……」
「柚月ちゃんどうしたの?」
「なんか、普通すぎないかな~と思ってさ。笹浦二っぽさが出てないというか~……」
悩ましげに囁いた柚月には、もう一つ何かフレーズを加えたかったのだ。笹浦二高女子ソフトボール部というチームに合った、キャッチコピーを。
『だけどまだ活動もしてない段階だから、イメージが思い浮かばないのよねぇ~』
昨日創部が決まったは良いものの、ソフトボール部の活動にはまだ及んでいない。そのため柚月は考え続けたものの、笹二のキャッチコピーどころか、笹二らしさすら突き止めることができずにいた。
「……ねぇ夏蓮?」
「なに?」
「夏蓮はさ、どんな部にしたいの?」
創部の発起人である夏蓮に聞けば、何かヒントを得られるかもしれない。
そう思った柚月は隣の夏蓮に尋ねてみたが、やはり考えていなかったのか、同じく悩ましい眉間の皺を天井に向けていた。
「う~ん……みんなと仲良く、楽しくって感じかな~」
「レクリエーションじゃないんだから……他には?」
「う~ん……う~~ん……」
どうやら思い浮かばないようだ。
発起人という立場でありながらチーム像を考えていなかった夏蓮には、柚月も呆れてため息を溢してしまう。
「……じゃあベタだけど、“集まれッ!! 笹浦二高女子ソフトボール部”とでもしときましょっか」
「うん。それにしよう!」
結局納得がいかないままに決まったタイトルは、“集まれッ!! 笹浦二高女子ソフトボール部”。柚月は渋々ながらも下描きし、青と黄色のマッキーで色付けていく。
『まぁ、ポスターだからいつでも変更は効くし、チームとして活動したら、またそのときにでも描いてみよっと』
「……よしっ! これで完成ね」
「おお~!」
夏蓮の瞳に輝きが増した頃、前向きに捉えながら完成させた柚月タイトルは、黄色の縁で青の文字となった。
一先ず終わったことに胸を撫で下ろし、柚月は安堵のため息を一つ置く。するとゴミ拾い係の信次が袋を手に持って広げると、久しぶりに声を掛けられる。
「二人はホントに仲良しなんだなぁ~! 見ていて羨ましいよ」
「なに、先生は友だちいないの?」
「ハハハ! 親友が一人だけだね。それも随分会ってないから、今は一人みたいなもんさ」
「へぇ~。明るい先生にしては意外ね」
生徒にはフレンドリーに接する信次に友だちが少ないとは。
柚月は、ゴミ袋に紙切れを拾い集める信次をじっと哀れみを込めて見つめていた。すると隣の夏蓮から腕に抱きつかれ、何とも喜ばしい少女の素顔が現れる。
「私たちは小学生からの付き合いだもんね!」
「……フフフ、そうね。私も、夏蓮も。それに、咲と梓だって」
小学生当時、学校は違えど同じソフトボールクラブ――笹浦スターガールズに所属していた四人。
すでにそのときから親友であると、柚月も夏蓮も同じ意見を抱いているのだ。
「えッ!! 梓って……舞園のこと!?」
すると信次は突然動きを止め、あまりにも意外なことだと言わんばかりに目を合わせてきた。どうやら梓もソフトボール経験者だということを、まだ知らなかったらしい。
「そっか。まだ先生には、梓とは友だち、としか言ってなかったわよね。ちょっと隠してあげようと思ってたからさ」
「隠してあげようって、舞園に何かあったの……?」
神妙な様子で聞いてきた信次に、柚月はふと俯き、当時小学五年生だった六年前の出来事を思い出す。
「……うん。まぁ何かあったから、梓は途中で辞めちゃったんだ……」
「ゆ、柚月ちゃん……言って良かったの?」
「大丈夫よ。梓は素直じゃない、不器用な娘なんだからね……」
夏蓮には困った顔を見せられたが、真相まで伝えなかった柚月は微笑みで返していた。
『――そう簡単に言える訳ないじゃない。責任感の強い梓が辞めた、残酷な理由なんて……』
「そっか~……ねぇ! ちなみに二人はどんな選手だったの? 良かったら教えてくれないかな?」
梓が経験者だということを意外がっていた信次だが話題を換えると、柚月はたすかったと思いながら頷き、まず夏蓮について説明を始める。
「夏蓮は、最後の最後まで控え選手だったよね。一応ポジションはライト」
「うぅ……私は下手っぴだったから……」
夏蓮の小さな肩は縮まり、抱きつく柚月の腕にため息を当てていた。
「フフフ。でも、夏蓮は誰よりもソフトボールを楽しそうにやっていた。チームの中でいちばんソフトボールを好きだったって、私はそう見えたわよ」
「柚月ちゃん……なんか、恥ずかしい……」
夏蓮は顔を赤く染め上げ、近くに落ちていた紙で顔を隠してしまうが、信次からは暖かい微笑みを向けられていた。
「それは良いことじゃないか!! 何事もそういう気持ちが大切だと思うし、好きこそものの上手なれ、だもんね!! ……じゃあ、篠原は?」
「私?」
「――っ! ちょっと先……」
「……いいわ。教えてあげる」
「柚月ちゃん……」
焦った夏蓮の言葉尻を被せた柚月は一度深呼吸をしてから、信次と目を合わせる。いつかは聞かれることだと思っていたが、やはり教えるのはどうも気が引けて仕方なかったのだ。
「篠原……?」
「私はね、こう見えてキャッチャーやってたんだ。関東代表にも選ばれたのよ?」
「関東代表のキャッチャーか~……キャッチャーってなんだ?」
「え!? 先生ってそこまで素人なの!?」
「いや~スポーツには疎いもので……」
せっかく胸を張って言ったものの、信次からは頭を掻きながら笑れ、柚月は呆れに呆れて唖然と固まってしまった。いくら素人でも、キャッチャーぐらいわかってほしいと。
「……まぁ一応説明すると、キャッチャーっていうのは、一言では表すことができないほど重要なポジションなの。主人公のピッチャーを支えたり、チームの守備に指示を出す第二監督ってところかな」
「なるほど~!」
少年のように興味の瞳を光らせる信次に、柚月は思わず笑ってしまった。本当に何も知らない大人なんだなと、手の施し用がないくらいに。
「要するに、チームの大黒柱ってわけだね!!」
「フフフ。そうね、大黒柱、っ……」
だが大黒柱と口ずさんだ刹那、柚月の笑顔が突如消え去ってしまう。
急に俯き暗い顔になった協力者には、信次からも、それに夏蓮からも心配する顔を放たれてしまうが、柚月は苦しいながらも何とか喉を鳴らす。
「……まぁ、私は途中で、折れちゃったんだけどね……」
柚月の重いトーンで揺れた二組の空気は、沈黙と共に悲哀が漂い始める。夏蓮には再び腕を抱き締められたが、先ほどよりも強く締め付けられていたことがわかる。
「柚月ちゃん……」
「いいの……私ね、ケガしちゃったの。まぁ、ケガはケガでも、治りそうもないケガ……」
夏蓮の助けも断った柚月は、空いていた利き手の右手をそっと背に添える。自身が幼い頃から気にしている、腰に近い背へ。
黙ってしまった信次にじっと見続けられていたが、いつか話すときがくることを予想していた柚月は覚悟を持って、己の悲しき過去を初めて公にする。
「――中心性脊髄損傷。もうスポーツができるような身体じゃないんだって、小学五年生のときに言われちゃってさ……」
下を向いたままの柚月には、夏蓮の潤み揺れた瞳が、また信次からは驚愕を示す開いた目を浴びていた。
午後の五時を迎える頃の二年二組の教室。三人が残った室内の空気は夕陽の沈みと共に冷えてくるが、突如として春らしからぬ冷え込みが舞い込むこととなった。




