三球目◇立派な選手◆①夏蓮→柚月パート「夏蓮……ホントに、ゴメンね……」
笹浦二高女子ソフトボール部の創設に、まず一歩踏み出せた夏蓮。とりあえず創部が決まったことにひと安心しているときだった。
またその情報は柚月にも流れ、次第にソフトボール部へ心が揺らぎ始める。
だが柚月の入部は、想いに反するどうしようもない理由が隠されていた。
◇キャスト◆
清水夏蓮
篠原柚月
田村信次
菫
凛
笹浦二高通学路。
春の朝は快く晴れ、桜の花びらが静かに舞い散る中、笹浦二高生徒たちは学校へと向かっていく。
実は本日、県内では高校入学式当日でもあり、普段通う在校生以外にまだ制服に着なれていない様子の新入生らも窺える、春の通り道となっていた。
新たな学校に通う不安、高校デビューしたいと願う希望や勇気など、新鮮で様々な思いを抱く一年生らがスタートを切っていた。
その中に一人、一年生のような幼い背丈で歩む女子――清水夏蓮は明るい表情のまま、ふんわりショートボブに春風を当てていた。
『――またみんなと、大好きなソフトボールができるかもしれない』
引っ込み思案な夏蓮としては珍しい、前向きな思いを描いていた。
昨日、担任の田村信次との協力で、なんとか女子ソフトボール部を創ることが決まったのだ。実の祖父である校長先生――清水秀からも申請を許可され、まずひと安心といったところである。
もちろん課題は山積みで、標高は計り知れないほどだ。
ソフトボールは集団スポーツであり、最低でも九人を必要とされる。
著名を書いてくれた二人――篠原柚月と中島咲たちはすでに他の部に所属している。そのためソフト部が新設されたとしても、名前だけ貸してくれた二人が入部する保証は残念ながらない。
つまり現段階で、部員は夏蓮一人だけと言っても過言ではないだろう。
また、部費や設備に関しても皆無だということを忘れてはいけない。
ソフトボール用グローブ一つの価格――約八千円から二万円程度。仮に野球用を使うとなれば、更に価格は高くなるだろう。
また、ソフトボール用バット一本の価格――安い物で五千円程度、高ければ五万円を超えることだってある。
忘れてはいけないのが、ソフトボール一球の価格――約八百円と、たった一球の重みがここからも感じられる。
その他にもスパイクやヘルメット、ユニフォームや練習着など、ソフトボールで使用する道具は多種に渡り、全て高価であるのが現実だ。それに試合参加費用、グランド使用料を継ぎ足すとなれば、簡単にできるスポーツでないことは明らかである。
『――でも、きっとできると思う。そう信じて、私は待ちたい』
そのせいだろうか、いつも下を向きながら歩いていた夏蓮にも、新入生が多くいる今日の通学路からは、何か新鮮で胸が高鳴るものを感じていた。
◇◆
「……はぁ~」
場面は打って変わり、こちらも一人――篠原柚月が悩ましげなため息を漏らし歩いていた。
モデルのような優美で上品さを備えた黒髪にはヘアピンが、また知性を解き放つ紺縁眼鏡を掛けている。
何も悩みなど無さそうな優雅女子高校生だが、昨日からずっと気にしていることがあったのだ。
『夏蓮、本気なんだな~……ソフト部創るの……』
柚月は夏蓮が立ち上げようとする、笹浦二高女子ソフトボール部のことばかりを考え込んでいた。
著名をして協力したのは事実。
それでも柚月は更なる力を注ぎたかったのだ。夏蓮にとってはきっと、一番の励みになることは自分の入部だろうと。
『でも私はもう、ソフトボールはできない……』
「チッ……」
苦い顔のまま舌打ちを鳴らした柚月。端から見れば怒っているようにしか見えない。
柚月はふと立ち止まり、自身の伸びた端正な背に右手を添える。まるで何かを抱えているように、苦しそうな表情のまま。
『――何が損傷よ? 情けないったらありゃしない……』
損傷――それこそが柚月が抱えた、運動不向きな要因なのだ。
それを抱え始めたのは、今から六年前のソフトボールクラブでの試合からだ。当時はキャッチャーとして活躍していただけに、小学生に不相応なハードワークを課されたことを覚えている。
しかし一番鮮明に残っているのは別で、クラブのたいへんさでなけらば、夏蓮たち親友と過ごした良き思い出でもない。
――たったワンアウトのために、自分自身が一生のアウトをくらってしまったことだ。
「――柚月ちゃんおはよう!」
「――っ! 夏蓮」
悲愴な過去を思い出しそうになった柚月だが、ふと聞こえた背後へ振り返ると、いつにも増して明るい清水夏蓮の近寄る姿が見えた。
「柚月ちゃん、いっしょに学校行こう!」
「……そ、そうね。じゃあ行こっか」
夏蓮の笑顔が伝染したかのように、柚月にも微笑みが戻り始め、いつもの如く隣り合った登校を開始した。
普段なら昨日のテレビのテレビ話、昨日得たオシャレ情報の話など、たわいもない会話が広げられる。
しかし、昨日の今日である本日を迎えた柚月は、イレギュラーな話を持ち出す。
「……そ、そういえば、部活の件どうだったの?」
早速柚月はソフトボール部創設の話を振ると、隣の小さな夏蓮はコクりと静かに頷く。
「一応、認められたよ」
「本当に!? ならよかったじゃん」
顔を赤らめた夏蓮には嬉しさも垣間見え、柚月も合わせて祝福した。
「そっか~。まぁ私らの校長は夏蓮のおじいちゃんだもんねぇ。そりゃあ認めくれる訳か」
「でも、問題はこれからなんだよね。最低でも九人……いや、十人は必要だって、おじいちゃんに言われたの」
困り顔に変わった夏蓮が告げたのは無論、校長の秀がケガを第一に考えているとわかる一言だった。控えを用意しておくことが大切だと言わんばかりに。
「そっか……そう、だよね……」
それを誰よりも理解している柚月もそう感じ、眉がハの字に変わり俯きそうになる。が、せっかく小さな勇気を振り絞った夏蓮に申し訳ないと、なんとか頬に緩みを与えた。
「でも、きっと集まるわよ。こっからがホントの戦いなんだから、自信もって! 夏蓮」
柚月は夏蓮の肩に手を置き、もう一方の手でファイトの意を込めた拳を見せる。
「ありがとう、柚月ちゃん」
「ううん……だけど、ゴメンね。たぶん、私が夏蓮の力になれるのは、ここまでかも……」
すると柚月はついに下を向き始め、夏蓮の肩に置いていた手も宙ぶらりんになってしまう。親友として協力したい気持ちに応えられず、拳は次第に自分への怒りに変わろうとさえしていた。
「そんなことないよ。名前貸してくれただけでも助かったから! だからありがと、柚月ちゃん」
しかし夏蓮からは再び少女の無邪気な笑みを放たれ、柚月の心を鎮める。
「夏蓮……ホントに、ゴメンね……」
何度も謝ってしまう柚月だが、対して夏蓮も同じだけ首を左右に振ってみせた。
決して悪くない雰囲気の中、二人は学校までの距離を縮めていく。会話も弾んできた頃にはもう少しで到着するところで、在校生や新入生とその連れ親まで増えてくる。
しかし、それまで柚月はずっと、利き手である右手を背に当て、制服の裾を強く握り締めていた。もちろん夏蓮には見えないように、そっと……。
「……ん? なんか騒がしいわね」
ふと気づいた柚月には、先ほど正門から声が聞こえていた。入学式とはまた違った、慣れない盛り上がりを感じる。
「本当だ……なんだろう?」
続けて夏蓮も気づき、二人揃って不審めいた表情のまま、次第に見えてきた正門に焦点を当ててみる。
声の音は次第に大きくなり、どうやら男性のものだということが窺えた。
「お願い申し上げます!! 是非是非!! 体験でも結構ですので~!!」
何かを嘆願している男だとわかった柚月と夏蓮。ただ二人にとっては、どうも聞き覚えのある男声だった。
「え……?」
「もしかして……」
ニヤリと嫌な笑みを浮かべた柚月の後に、夏蓮は心配げに呟き、突如校門との距離を狭める。しかし校門の道が一瞬だけ開けた刹那、走り出した少女の足が止まる。
「――ッ!! うそぉ!?」
「マジか~」
柚月も正門の前に着くと、二人はある光景を目の当たりにして固まってしまった。なぜなら声の正体を知ってしまったからである。
「――女子ソフトボール部始めました-!! 今ならすぐに試合に出られますよー!! どうか御参加を、よろしくお願い致しまーす!!」
そう、担任の田村信次だ……。
どうやら信次は入学式早々、新入生に対して勧誘を試みていたようだ。どこから持ってきたのかわからないチラシを配りながら、駅前の募金活動のように何度も叫び続けている。
「みなさん!! 笹浦二高女子ソフトボール部をお願い致しまーす!! 良かったらいっしょに、大きな夢を掴みませんか!? 今ならサービスで、入部してくれた子にはレンコンパンを差し上げまーす!!」
商店街に新しいお店がオープンするので、是非来てくださいと似た光景が拡がっていた。
校門前に信次が待つことで多くの新入生が犠牲となっていく。するとその中で、身長差明白で姉妹のような二人組が立ち止まる。
「……凛。何か勧誘やってるよ? 行ってみる?」
「……いや、菫。近寄らない方がいい。裏門から入ろう……」
菫と凛と呼びあった一年生二人組は即座に校門から遠ざかり、小さく痩せた方が言っていた裏門へと向かってしまった。
眺めていた夏蓮は愕然と、そして柚月が呆れた微笑みで見つめる中、信次は正門を通る女子生徒らを中心にチラシを渡す。受け取ってもらえた際には輝かしい笑顔で、よろしくね!! と伝え、酷いときは握手まで求めようとしていた。
「せんせーッ!! な゛に゛やってんの!!」
あの大人しい夏蓮がキレた。敬語も忘れるほどに……。
しかし怒鳴られたはずの信次からは、やぁおはよー!! にこやかに返されてしまう。
「見ての通り、勧誘だよ。昨晩、このチラシ作ったんだ! きっとこれなら、沢山入部希望者が来ること間違いなし!!」
「う゛うぅ~……」
「ん? 清水もやりたいかい? ほら!」
すると信次は、歯軋り放つ夏蓮にチラシを束ごと差し出す。だがその瞬間、少女の健気な堪忍袋の緒がブチッと切れてしまう。
「やる訳ないでしょ!! 入学式当日から何してくれてるんですかァ!!」
柚月も聞いたことがほとんどない、普段穏やかな夏蓮の大声。
ぶつけられた信次もさすがに驚いてしまう中、夏蓮は瞬時にチラシを奪い取る。
「なんだー、やっぱやりた……」
「……しかも、このチラシなんですか!!」
信次がほっとして笑ったのも束の間、怒濤の波と化した清水夏蓮は言葉尻を被せ、チラシに人差し指を向けながら続ける。
「白黒で手書きだし! 誤字だってあるじゃないですかァ!!」
攻撃的な指摘を示す夏蓮に、信次は頭を掻きながら、急いでたから……と言い訳めいた言葉を紡ぐ。しかし創部の発起人の怒りは依然として止まる様子はない。
「なんか変なキャラクターも描いてあるし! それに“急募!! 女子ソフトボールスタッフ!!”って書いてますけど、完全にバイトの募集みたいになってますよ!! あとレンコンパンもいりませんから!!」
「ええ!? レンコンパン美味しいのに……」
「そんなことはどうでもいいんです!! いいからもう止めてください!!」
夏蓮と信次のやり取りは、端から見れば正に漫才そのものだった。もちろん夏蓮が突っ込み役で、信次がボケ担当。
やはり、過ぎ去る学生たちからは小さく笑われてしまい、一時の明るい雰囲気が生まれる。しかし、それに気づいた夏蓮は恥ずかしいあまり、顔を真っ赤にして口が固まってしまった。
「……」
「清水、どうしたの?」
「アハハ! あのね、先生?」
すると漫才コンビの二人の前に、お腹を抱えて笑っていた柚月が呼び掛ける。眼鏡を取って目を擦っており、相当ツボだったようだ。
「やぁ篠原!! 良かったら篠原もや……」
「……ダメだよ」
「りぇ……?」
再び高らかな微笑みでチラシを差し出した信次だが、今度は柚月から言葉尻を被せられ、目が点で首を傾げていた。
どうやら先生は何もわかっていないようだと、それが反ってまたギャグだと思った柚月は再びお腹を抱えながら、信次の知らない答えを明かす。
「――うちの学校ね、始業式からしばらくの間は、勧誘禁止なのよ」
「え? ……ええぇぇぇぇーーーーーーーー!?」
「はぁ……」
誰よりも大きな声で驚愕した信次。またその隣で、夏蓮の悩ましいため息が吐き出される。
ただ一人、今朝の登校開始で憂鬱気味だった柚月だけが、二人を見て心底笑っていた。




