45話 ③清水夏蓮パート「大丈夫だよ……」
一 二 三 四 五 六 七 計
釘裂| | | | | | | |0|
笹二| | | | | | | |0|
一回表
B◇◇◇
S◇◇
O◆◆
ランナー二塁
「ツーアウトツーアウト! あと一つだよー!!」
ライト深めに守る夏蓮の声援が広まると、内野の一年生、美鈴と凛に菫、また外野のメイからは返事を返された。
とても頼もしい一年生たち四人には頭が上がる気が起きない夏蓮は、ピンチに不相応な笑みを浮かべてしまう。しかし、すぐに悩ましい表情へと変え、サンバイザーの陰よりも濃い影を発生させた。
『唯ちゃんときららちゃんはともかく、叶恵ちゃんと咲ちゃんが静かなんて、おかしい……』
夏蓮としては、無論唯ときららの様子も気になるところだが、それよりも経験者である二人のことが心配していた。
チームの元気印であるキャッチャーの咲。試合が始まった直後はいつも通りのお転婆だったが、ワンアウトを取って以降、無言の壁と化していることが否めない。釘裂高校の威圧にやられているかのように。
また熱血特攻ピッチャーの叶恵も同じく、三番打者――内海翔子から右中間への二塁打を放たれてから、どこか様子が変なのだ。ライトからは彼女の華奢な後ろ姿しか見えないが、肩の強張り、微動する左腕を目にする限りでは余裕の無さを感じてしまう。
『確かにスゴい打球だったけど、打たれるのは仕方ないんだよ? 叶恵ちゃん、自信持って……』
状況はツーアウト、ランナー二塁。
夏蓮たち笹浦二高としては、練習試合早々のピンチ。
「夏蓮ちゃんセンパ~イ!! 守備位置、どうしマスカ~!?」
隣で守るセンターのメイから声を投げられたが、夏蓮はすぐに結論を出せず、正面の試合状況に視点を置く。
外野と内野の間に打球が落ちれば、きっと先制点を与えてしまう場面。今現在の守備位置では、自分はもちろん、内野投げのメイもバックホームは届かないだろう。
だからといって守備位置を前にすれば、今度は四番打者――鮫津愛華の打球で頭を越される危険性がある。三番バッターでさえ外野フェンス近くまで飛ばす、恐ろしいクリーンナップ打線なのだ。しかも左バッターとなれば、ライトとしては尚更後退せざるを得ない。
「……長打警戒でいこう!! どんな打球でも、必ず短打で済ませるよ!!」
「ラジャ~!! きららちゃんセンパイも、バックしてくだサイ!!」
「わ、わかったにゃあ!!」
メイが中継となって、声の上擦りがあったレフトのきららも後へ数歩下がる。
背後を伺えば、ネットフェンスまであまり距離がない警戒シフト。
しかし試合はまだ一回表。この先起こりかねない再度のピンチを避けるためにも、一点を献上するつもりで守ろう。
よしっ! と決意を固めて構えた夏蓮。だが、ふと前方のセカンド――凛と目が合って静かに頷かれる。
何を意味した頷きだったのか?
夏蓮は首を傾げて見つめていると、凛はファーストの美鈴へ色白な小顔を向け始める。
「美鈴、わたしたちも下がるよ」
「え!? でも、これ以上下がったらバント処理が……」
美鈴の言うことは決して間違っていなかった。すでに一塁ベース一歩前まで後退しているため、左打者の愛華にセーフティーバントでもされれば間違いなく内野安打だ。
しかし凛は首を左右に振って否定を示すと、冷静かつ真剣な瞳で言葉を紡ぐ。
「――それでいいの。短打で済むなら、こっちとしてはありがたい場面だから」
「凛ちゃん……」
ライトの夏蓮は遠いながらも、凛のか細い声を何とか耳に吸収し、丸く煌めく瞳を見開いていた。
美鈴は指示された通りに一塁ベース後方まで後退したところで、続いて凛はショートの菫、そしてサードの唯にも深めの守備位置を取らせた。
内野の四人が落ち着いたところで、ずっと眺めていた夏蓮は凛に振り向かれ、再び頷かれたことで微笑みを放つことができた。
『そっか。私の指示、内野のみんなにも伝えてくれたんだね』
ツーアウトから二塁打を放たれ、しかも自分のポジション近くに飛んできたことで、キャプテンの夏蓮は少しばかり焦っていた。そのせいで外野にしか指示を出すことができておらず――もしかしたらメイが聞いてくれなかったら、そのままの守備位置を取っていたかもしれない――内野まで考えが及んでいなかったのだ。
しかし、それも凛のおかげで。
チームで一番か弱そうな、静かな一年生のおかげで、長打警戒シフトをみんなに広められた。
もはや、キャプテン顔負けの存在感以外何物でもない。
笹浦二高女子ソフトボール部の発起人であるライトの夏蓮は、いつも目にしているセカンドの幼い背中が、いつもより大きく見えたことに嬉しさを感じていた。
『――ありがとう、凛ちゃん。私よりも、ずっと、キャプテンみたいだよ』
来年のキャプテン候補という存在は、こうしてプレー中に決まることなのかもしれない。
チームのために、みんなの勝利のために、静かなる凛が声を出してくれた。
夏蓮はライトという後ろのポジションから温かく見つめ、共に勝ちたい試合へと集中を高める。
「よしっ! みんなぁ!! ツーアウトだよーー!!」
再び張り上げた夏蓮の声は更に轟きを増し、バッテリー以外の選手から返事が返される。今度は遠く離れたサードの唯も、レフトのきららも含めて。
時間が進むことで上昇していく、五月にしては暑すぎる気温。
夏蓮の顔にも汗粒がチラホラと浮き立っている最中、ピッチャーの叶恵も肩袖で額を拭ってからセットに入る。まだ震えは止まっていない後ろ姿が観察されたが、果敢にも四番打者へ第一球目を投じた。
――バシッ!!
「ストライク!!」
「叶恵ちゃん! ナイスピーだよー!!」
主審を務める祖父の秀のコールに、夏蓮は誰よりも喜びを表現していた。
叶恵が投げたボールは、向かいながら落ちた軌道を見る限りでは、彼女にとって得意のドロップだろう。
変化球中心で構わない。むしろそれが月島叶恵の特徴をもっとも活かせる戦術だ。
「ワンストー!! その調子だよーー!!」
夏蓮も次第に自信ある声援が続くようになり、周囲の守備人にも勇気が拡散していく。
――バシッ!!
「ストライクツー!!」
――「「「「ナイスピーー!!」」」」――
左打者内角にスライダーが決まった刹那、笹二フィールドプレイヤーから大きな歓喜が沸き起こった。
これでツーストライク――つまり、あとワンストライクでアウトを取れる。
ピッチャーの叶恵を心配していた夏蓮だが、今はその影も無くなろうするぐらいに明るい表情をしていられた。イイ流れは来ていると、打者の愛華を見ながら心で呟く。
しかし、ふと愛華の打席に不思議な点を発見してしまい、表情が無に帰する。
『鮫津さんだけ、まだバットを一回も振ってない……どうしてだろう?』
釘裂高校の一から三番まで、皆追い込まれる前から振るイメージがあった。てっきり早打ちをチームで徹底しているのかと思ったのだが。
打ちたいと思うボールが来なかったからだろうか?
いや、それならば三番の内海翔子が打ちにいった外角低めのボールを考えると、あまり好球必打の要素は感じられない。
じゃあ、まだ球数の少ない叶恵の投球数を増やすため?
それも追い込まれる前に打ってきたチームを覗く限り、あまり期待できない考えだ。
何度考えても、愛華の見逃し意図が思い浮かばない夏蓮。すると暑いはずの気温とは裏腹に、嫌な寒気が身体中に襲う。
『じゃあもしかして、追い込まれても打てるから、球筋を観察していたってこと……?』
しかし時間は待つことなく、叶恵はすでにウィンドミル動作に移って、ウィニングショットのチェンジアップを放っていた。ストレートと同じ軌道を描きながら徐々に失速していき、咲の赤いキャッチャーミットに向かっていくところだ。
――カキイィィーーーーン!!
「――っ!!」
夏蓮を驚かせた、フルスイングの打球はファーストライン際、凄まじい速度で地を這い進む。
「ウスッ!!」
ファーストの美鈴が果敢に飛び込む。が、ミットに打球が触れることなく、勢いが衰えぬまま襲いかかる。
再び長打コースだと、夏蓮は必死で追い付こうとライン際へ疾走するが、恐ろしく速い打球にはとうとう越されてしまい、後を追っていったときだった。
「――ファールッ!!」
「ふぁ、ファール……」
一塁審判を務める永瀬誠朗のジャッジを耳にした夏蓮は立ち止まり、九死に一生を得たように安堵の吐息を漏らしていた。どうやらボール半個分ラインから外れていたようだ。フェアゾーンに落ちていれば、先制点はおろか、再び長打となって二塁打――いや、自分の弱い肩を考えれば三塁打になっていたかもしれない。
『取り合えず助かったけど、またあんな打球が来たら……』
「愛華ちゃ~ん!! 突っ込んじゃってるよ~!! 変化球こそ、呼び込んで打って~!!」
二塁に戻った翔子に声を放たれた愛華は、反って大きな御世話だとも言いそうなふてぶてしい表情で足場を均していた。しかし、一方で夏蓮は唖然と四番打者を目に映し、ポジションに戻れず立ち竦んでいた。
それはそれは禍々《まがまが》しいほどに、危険性ある打球だったからだ。
自分のもとに飛んできたりすれば、きっと怖くて避けてしまうだろう。ましてや、バッターと距離が近い内野のみんなが心配でならない。内野を守る四人は未経験者たちで、あんな速い打球などまだ危険過ぎる。
『……こ、故意四球でも、いい場面かもしれない……』
釘裂のオーラ、そして鮫津愛華の強振打に怯える夏蓮は、未経験者たちの能力も考慮した結果、脳裏に故意四球という名のルールが思い浮かんでいた。
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オフィシャル ソフトボール ルール
1―40項 故意四球 (INTERNATIONAL BASE ON BALLS)
守備側チームが、投球せずに故意に打者を一塁に歩かせるため、投手、捕手、あるいは監督が、球審にその旨を通告すること。
※通告は、打席の初めでも、いかなるボールカウントのときでも行うことができる。
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投球数はカウントされども、実際には無投球でフォアボールを出すことができる敬遠だ。
未経験でも大切な仲間たちに、大好きなソフトボールでケガされるのは嫌だ。
未経験者故に抱く、ソフトボールの良いイメージを汚したくない。
決して叶恵の投球を信じていない訳ではないが、ここは故意四球でも良さそうだと、判断した夏蓮はバッテリーに向かって通告しようとした、そのときだった。
「――ファースト! ナイスガッツだよー!!」
「――っ! 菫、ちゃん……」
夏蓮に息を飲ませた音は、ショートを守る菫から美鈴への、高らかな一声だった。白い歯をファーストに向けながら、頬の緩みも現している。
「さてと、あたしたちもしっかり準備しなきゃね、凛?」
「うん、わかってるよ。たぶん、引っ張りにくるから」
凛も菫の微笑みに明るく振る舞った。二遊間の仲良しコンビが共に頷きあったところで、今度は凛が、起き上がって胸の土を落とす美鈴に放つ。
「美鈴はやっぱ、泥んこが似合うね」
「は、はぁ!? どういう意味だよ!?」
顔にも土を塗った美鈴は怒号を上げていたが、反って凛の笑いを促していた。
「それだけ一生懸命だってことだよ。ナイスファイッ」
「……つ、次こそちゃんと捕ってやるー!!」
イジられた感が否めない美鈴と凛のやり取りも観察しながら、夏蓮には笑みが甦り、何も口にせぬままライトのポジションに戻っていく。
『――みんななら、ぜんぜん心配なさそうだ。反って私が、自信なかっただけなんだね』
凛だけではない。
頼もしい一年生は、ライトからたくさん見える。
それも未経験者ばかりなのに。
自分の弱気が情けなく感じた夏蓮はポジションへたどり着き、勇ましい表情で大エールを投げ込む。
「バッター勝負で大丈夫だよーー!!」
声を掛けてくれたメイ。
仲間のプレーを喜んだ菫。
ガッツある存在感を示した美鈴。
そして、キャプテンにも見えてしまう凛がいたから、勇気を持って言えた台詞。
ピッチャーの叶恵は決して振り向いてはくれなかったが、きっとみんなの熱い気持ちは伝わっているはずだ。
夏蓮はそう思いながら構え始めると、故意四球など脳裏になさそうな叶恵が第四球目を投げ込む。
――バシッ!!
「ボール!!」
放たれた球種は、叶恵にしては珍しいインコース顔付近に外れたストレートだった。次の決め球に対する見せ球として投げたに違いない。
「惜しいよー!! ツースト! ツーストー!!」
夏蓮の声は広まり、再び守備のみんなからも声援がピッチャーズサークルに向かう。それをエースナンバーを掲げた背に受けた叶恵はすぐに、二度目のウィンニングショットを投げ入れた。
左打者の外角へと、ゆったりと落ち曲がるスローカーブ。
これで決まりだと、最高の三振が思い浮かんだ夏蓮。たとえ当てられたとしても、二番打者の瀬戸風吹輝と同じように、引っかけて内野ゴロでおしまいだ。
――しかし、愛華の重心は軸足に載せられたままだったことに、夏蓮はバットを下ろされた直後に気づいてしまう。
――カキイィィーーーーン!!
再び快音を放ったバットからは、先ほどとは真逆のサードライン際に飛ばされた。流し打ちにも関わらず勢いがある、猛威的がゴロがフェアゾーンギリギリに襲いかかる。
――ボゴッ!!
「ウ゛ッ……」
「――っ!」
鈍い音と共に、苦渋の声まで聞こえた夏蓮の視線先には、サードの唯が身体正面に打球を当て止めていたのだ。
「美鈴! ワンバンッ!!」
苦い顔で膝を着けた唯だが、すぐさま地の球を拾い、ファーストへ低いワンバウンド送球を放つ。
――パシッ!!
「アウト!!」
一塁審の永瀬誠朗のジャッジが轟いた刹那、グランドには一時の沈黙が訪れる。しかし夏蓮はすぐに目の前の光景に笑顔で答え、無意識にも思いっきり走り出してしまった。
「唯ちゃ~ん! ナイスだよーー!!」
あの凄まじい打球を身体で止めた唯。
きっと痛かったはずだ。それも相当に。
しかし恐れ戦くことなくボディーストップをした唯に、夏蓮は猛ダッシュで近づいていった。
「唯ちゃ~ん!!」
「んな!? なんだよ!? くっつくな!!」
キャプテンからの唐突な抱き締めに、唯は頬を赤く染めて叫んでいた。が、夏蓮はいっこうに離れることなく、下から目線で窺う。
「痛かったでしょ? どこ? ここ?」
「んだ、いいから触るなー!!」
打球が当たったところを擦ろうとした夏蓮は突き飛ばされてしまったが、決して嬉しさが消えることはなかった。
「――唯、助かったわ」
ふと唯に声を投げたのは、表情に余裕のない叶恵だった。やはり相当悩み苦しみながら投げていたようだ。
「気にすんなよ、お前らしくねぇ。さっ、攻撃といこうぜ?」
叶恵の小さな肩を叩いた唯は走り出し、自陣の一塁側ベンチへと向かい出す。夏蓮を含め、すぐに内野の一年生たち、外野のメイや親友のきららにも囲まれながら向かうことになっていた。が、突如立ち止まり、ファーストベース方向へと鋭い視線を放つ。
「愛華……」
小声を漏らした唯の先には、同じく恐ろしく尖った目をした、鮫津愛華が近づいていた。
この二人が旧友だと知っている夏蓮も、静かに眺めて待つことにしたのだが、愛華は無言で唯の前を通り過ぎ、そのまま三塁側ベンチへと戻ってしまう。
「愛華……」
愛華の背に儚げな声を溢した唯は、とても残念そうに眉間の皺を際立たせていた。まるでチャンスを逃したかのように、辛く俯き出しそうだ。
「大丈夫だよ……」
しかし夏蓮は笑顔を放ちながら唯を振り向かせ、互いの瞳を合わせる。
「――まだ、試合は始まったばかりだから。仲直りできるチャンスは、きっとまだまだあるから」
「……あぁ」
すると唯は再び歩み始め、一人スコアブックを焦って書き込む信次がいるベンチへ、みんなといっしょに無事たどり着く。
唯が愛華を気にしていることは、二人の関係性を理解している夏蓮にも想像が着いていた。
もう一度仲良くしたい、唯の優しい気持ちを。
今すぐに叶ってほしい願いだということもわかってる。だから一回目のチャンスを失ったことへの残念さも伝わった。
しかし、試合はまだまだ序盤。
きっと二人が話せる機会は、今後の試合中にもあるはすだ。
夏蓮も二人の再縁を願いながら、ベンチ前で作られた円陣の中心に入る。
「さぁ! 私たちの攻撃! 始めるよ!!」
――「「「「はいッ!!」」」」――
「かがやけーーーー!!」
――「「「「笹二ファイトーーーー!!」」」」――
一回表を零で抑えた笹浦二高の、反撃が始まろうとしていた。
一 二 三 四 五 六 七 計
釘裂|0| | | | | | |0|
笹二| | | | | | | |0|
一回裏
B◇◇◇
S◇◇
O◇◇




