43話 ②牛島唯パート「……美鈴? きらら?」
完全下校時刻まで残り僅か。体育館での部活動も終わりを迎えると、選手たちが中からぞろぞろと部室に向かい始めていた。浮かべるたくさんの汗の数だけ、本日の練習に一生懸命臨んだ様子が窺れ、疲労もあろうが自信に満ちた顔つきである。
一方で先に解散となった笹二ソフト部も、下駄箱で靴を履き替えてそれぞれの帰路を辿るところだった。経験者である夏蓮、柚月、咲、梓、そして叶恵の二年生らは既に共に学校を出て、また一年生のメイも、遅いとママに怒られるという、家族愛を理由にしてすぐに姿を消す。
そして下駄箱に残ったのは唯、きらら、美鈴、菫に凛たち五人で、唯が履き替えるのを待っているところだった。
「……あれ?」
靴紐を結ぼうと前屈みになった唯はふと、制服のポケットから違和感を覚えて手を入れる。しかしどうやら勘違いではなく、空ポケットの化していた。
唯がスクールバッグの中身も覗き見たが、残念ながら目的物が見当たらない。教室に忘れてきたのだろうか。
「わりぃ! オレ、教室に戻るわ!」
「唯先輩どうしたんですか?」
菫が不思議そうに返答していたが、唯は靴を上履きに履き替えながらため息を漏らす。
「財布、置いてきちまったみてぇなんだ。待たしちゃわりぃから、菫と凛、それにきららと美鈴も先に帰っててくれ!」
そう言い残してすぐに廊下を駆けていき、先ほどミーティングで使用した二年二組へ向かった。大切な財布を忘れるとは、自分はどこまでボーッとしていたのだろうか。確かに中身には数百円程度しか入っていないが、それでも長年使用した大切な一物に代わりない。こんな事態になったのは初めてだ。
急いで階段を駆け上がると、二年二組の教室がすぐに見えてくる。
唯はスライド扉にたどり着いて、早速再入室しようと手を伸ばす。だが、つい首を傾げてしまう。
「……あれ? 鍵かかってる」
ドアを何度揺らしてもロックが解かれなかったのだ。
きっと信次が退出時に施錠したのだろうと、思った唯は大きなため息を漏らして肩を狭める。職員室に行って鍵を借りてくるしかないようだ。何とも面倒極まりない。
「マジかよ~めんどくせぇなぁ……」
教師の集まる場など、よく指導される唯にとっては一度も行きたいと感じた場所ではない。
遅刻やバックレなど、数えきれないほどの悪行をしてきたことで、教師による視線を極力避けてきたことが原因だろう。ついこの間だって、宿題を忘れただけで職員室に呼び出され、長い説教を受けたくらいだ。
できるのなら、誰かに鍵を持ってきてほしいところなのだが。
「……仕方ねぇ、行ってこよう」
唯は悩んだ末に職員室へと向かうことにした。今は財布を奪還することが大切だと自身に言い聞かせながら、教室に背を向けて重い足取りで歩き始める。
「――!?」
ところが、唯はすぐに立ち止まってしまい、顔を強張らせていた。決して誰かに見つかったからではない。むしろ、誰もいないというこの空間にこそ問題があったのだ。
「ま、真っ暗……」
身震いを示す唯の前方には暗く長い無人の廊下が拡がり、物音すら聞こえてこない夜の静寂に包まれていた。また、路を照らす明かりは緑の非常口看板、後ろを振り向けば赤い非常ランプのみで、どこか不気味さが否めない唯にとっては真っ暗同然である。
「……美鈴? きらら?」
いないとわかっていながらも、おどおど震えた声で名前を呼んでしまう。もちろんこの場にいない二人の返答など皆無で、自分の声のみが廊下中に響くだけだった。
『ま、マ~ズイ……一人じゃん、オレ……』
「へ……へへ……」
暗い廊下に残った唯はなぜか笑っていたが、反って不気味な微笑みにも窺われる。今さら気づいてしまった窮地に、一歩も動くことができず立ち止まっていた。
今唯の頭の中には“夜の学校”という、心霊特番でよく耳にする恐怖のフレーズが何度もリピートされ、平常でなんていられたものではない。
「へへ……誰か……いないの……? ひ、人なら誰でもいいんだけどさぁ……」
顔を引きつりながらも呟いた唯だが、勿論返答など起こらなかった。むしろ今は返された方が、跳び跳ねるほど驚いてしまうところだろう。
こんなことになるのだったら、ちゃんと美鈴やきららを、または菫や凛たちといっしょに来るべきだった。いくら迷惑を掛けたくないからと思って、なぜ四人を既に帰してしまったのかと後悔していた、そのときだった。
――カタッ……
「――!?」
背後から乾いた音が響いた刹那、唯の両肩は瞬時に上がり、不気味な微笑みも跡形なく消えてしまう。どうやら足音のようだが、ゆっくりと近づいてくるのを感じる。
カタッ……カタッ……
次第に音源が大きく聞こえてくるが、それでも唯は振り向くことなく固まっていた。きっと学校の関係者なのだろうと予想したい。が、万が一に違う者だったとしたら――視えないはずの者を視てしまったら。
カタッ、カタッ…………
すると足音はすぐ後ろで止み、すでにそばまで訪れていたことがわかる。それでも唯は気をつけのまま冷や汗を流しており、身震いが止まらなかった。背後にいるのはわかっている。視線だって伝わってくる。だが、わかっているからこそ、伝わってくるからこそ、決して振り返ることなどできない。
ごくりと固唾を飲み込むと、ついに背後のから声を掛けられる。
「牛島?」
すると男声が鳴らされた瞬間、唯は瞬きを繰り返していた。高めな音域である、若々しく優しげな声。それに聞き覚えもある面倒くささを覚える音色だった。
『あれ? もしかして……』
ふと緊張が解け始めた唯は、声の正体が何となく考察されたところで、大きなため息を肩と共に漏らす。
「……なんだよ~、田村じゃねぇか」
呆れながら呟いてはいたが、内心は知人であったことにホッとしている。他の教員に見つかっていたら、この時間まで残っていることを理由に叱られることだろうし、何よりも本当に幽霊などではなくて良かったと、心から安心を覚えていた。
それに教室の鍵を借りに行こうとしていたため、これなら信次をパシって手間が省ける。
そう思いながら、唯は自然と頬を緩まして踵を返したときだった。
「ふッ!?」
「う、牛島?」
信次に問い掛けられた唯の表情は、もとの強張った顔に戻っていた。
なぜなら瞳に映った男の顔が、夜の闇色と非常口ランプの緑色で染まった、不気味なエイリアンに見えてしまったからである。
「ギヤャャア゛アァァァァ――――――――!!」
その夜、校内は間違いなく揺れた。
大声を上げた唯は、瞬時に頭を抱えながら廊下に踞ってしまう。
「でたあァァ!! でたでたでたあ゛ァァァァ!!」
ついに視てしまった。
これでしばらくは一人でトイレには行けないし、夜道もまともに歩けないだろうと、強く目を瞑っていた。
「う、牛島!? どうかしたのか!?」
「来るなッ!! 来るなァァ!! 化け物!!」
「ば、化け物!?」
反って信次から驚いた声を放たれていたが、本人だと全く信じていない唯はいっこうに叫びを止めず、丸くなって廊下の地に声をぶつけていた。
ふと辺りを見回した信次も、さすがに気づいたのであろうか、目の前で怯え叫ぶ姉御女子に眉をひそめる。
「も、もしかして……それボクのこと? ボクだよ、田村だよ」
「嘘つけェェ!! 田村の姿をした宇宙人がァァ!!」
「う、宇宙人!?」
信次を悩ませるように酷いことを連発する唯ではあるが、決してふざけている訳でなく、ただひたすらに本音を夜の廊下に響かせていた。
「オレが何したっつうんだよ!? お前らの星に侵略なんて考えたこともねぇし、別の人間に当たってくれよォォ!!」
「あの……牛島さん?」
「拐う気なんだろ!? お前らのやることなんて全部知ってんだよ!! テレビで何度も観てきたっつうのォォォォ!!」
「いや……だから、そのね……」
「い、いつまで人間の振りしてんだよ!? 日本語なんて使いやがって!! 出てけッ!! 地球から、まずは日本から出ていけェェ!!」
「パスポート無い日本人なんですけど……」
眉をハの字にした信次から何度も落ち着くように告げられていたが、唯は全くもって踞る姿勢を止めなかった。
その後、オバケだけでなく宇宙人すら怖がる唯が、顔を上げるまでにかかった時間が十分以上も経ってしまうことは言うまでもなく、必死に顔を隠してしばらく叫び続けるのだった。




