42話 ⑤鮫津愛華パート「これでしょ。一番の原因は」
風の寒さが染みてくる秋冬の朝、茶髪の愛華は登校学生とは逆向きに疾走していた。瞳は潤い、頬には涙の伝った跡を残しながら、次々に繰り出されるアスファルトに顔を落として駆けていく。
「唯のバカ……唯のイジワル!」
どうして唯は、自分の想いをわかってくれないのだろう? ただ唯が喜ぶと願って、善かれと思って染めただけなのに。
周囲の生徒から不審な目を向けられていたが、愛華は気にかけないまま進んでいく。今日のように学校をサボるのは、真面目な自分には初めての経験だ。明日はきっと担任から、無断欠席ということで罵声を浴びるに違いない。それにこのまま家に帰っても、父母から叱られてしまうだろう。
誰も慰めてくれる者など、いやしない。
「もういい……もう、どうでもいい!」
愛華は大きな悲しみ抱きながら、独り言を連発するほど夢中になっていた。茶髪を靡かせるその姿は顕在でありながら、溢れ散る涙が影響してか、心配する一声を掛けられたものではない。ただ一人苦しい思いに駆られながら、誰とも共有できず孤独だったのだ。
逆走を続ける愛華がふと気づいたときには、一軒家である自宅にたどり着いてしまい、ここでやっと足を止めることができた。
「お父さんとお母さん……いるよね……」
温度を感じない愛華の声が弱々しく鳴らされた。二人に見つかれば絶対に怒られる。今は聞く耳が必須な説教を受けられるほど、気持ちに余裕などないのに。
なかなか玄関に行けず立ち竦んでいたが、すると家の玄関扉が開き始め、中から父母の姿が出現してしまう。
マズイ、見つかった――とも思ったが、愛華はすぐに二人に向けて首を傾げる。
「何、運んでるんだろう……?」
不思議な念を持たされた愛華の先には、出てきた二人の運搬作業らしき姿が映し出されていた。何やら観葉植物らしきものが植えられた植木鉢を、それぞれ一つずつ持ち運んでいる。もちろん自宅にいる際には見たことのない親らの光景であり、ギザギザな緑葉が目立つ植物に関しても同じことが言えた。
「……外に、植えるのかな?」
気持ち的に手伝う気にもなれない愛華は観察をしていたが、突如顔を向けた父と目が合って息を飲まされてしまう。
「あ、愛華!? お前、どうしてここに!?」
父の叫びに続いて母も驚きを隠せぬ様子だったが、愛華はそっぽを向いて玄関扉へ向かい出す。今は怒られても何も考えられないし、反省する余裕もない。面倒ごとは後にして、一旦自分の部屋で寝転ぼう。
扉の前にたどり着いた愛華は、ゆっくりとドアのぶに手を着けて捻ろうとした。だがその刹那、左肩に父の大きな手が載せられる。
「愛華……」
禍々(まがまが)しい暗く重い声を背中に当てられたが、愛華はため息で肩を落とした。やはり説教はすぐに行われるようだ。
「何、お父さん……?」
仕方なく返事をした愛華は半身で対峙し、相手を寄せ付けない冷徹な瞳を向けていた。
ヤンキー上がりの怖さがよくわかる、父の鋭く尖ったまなじり。変に漂う甘い臭い。そして手もとには見知らぬ植木鉢が残されていたが、無精髭に包まれた口がついに動き出す。
「――お前、これがわかるか……?」
「へ……?」
ずいぶんと恐ろしげな声が放たれたが、今の愛華の心には全く恐怖を与えず、むしろ聞き間違えたように感じてしまい、疑問を示す瞬きを繰り返していた。叱り怒鳴られると思ったのだが。
「……きゅうり? それとも、トマト?」
植物の名前を言い当てられるほど、秀才でもなければ得意分野もない。
とりあえずテキトーな言葉を並べた愛華だったが、すると父は人が変わったように微笑みを浮かべる。
「これは、あれだ! オクラだよ!!」
「オクラ? あの、ネバネバするやつ?」
以前に理科の授業でオクラを扱った愛華は、僅かに覚えている知識を振り絞ると、父から再び喜ばしいまま頷かれる。
「良かったら愛華も、こいつを育ててやってな!」
「う、うん……」
愛華が渋めに喉を鳴らすと、父母はホッと安心したように立ち去り、揃って植木鉢を裏庭へと運んでいった。どうやら学校から帰ってきたことを気にしていないようだ。何がなんだかよくわからなかったが、一先ず一件落着と言った胸中である。
「……あれ? でも、オクラって確か……」
小さく呟いた愛華はふと、父から見せられたオクラの実物と、教科書に掲載されていた写真を、思い出しながら照らし合わせていた。
父母の実物は七枚の葉が手のひらの如く開かれ、枝分かれした緑の姿は写真とそっくりではある。だが、少し違う気がしてならなかったのだ。
『――オクラの葉っぱって、五枚じゃなかったっけ?』
きっと、バカな自分の勘違いだろう。
愛華は自身の悪い成績と頭を考慮して、無理矢理な理論で納得していた。オクラの観察授業だってずいぶん前のことで、間違えて覚えているに違いない。また、葉っぱの数などどうでもよいことを覚えようとするから、ろくなテストの点数を獲れないのだろう。
「それに、今はそんなこと、どうでもいいし……」
今日は唯ときららのことで頭がいっぱいなのだ。オクラなど気にしているような気分ではない。
表情を憂鬱に戻した愛華は家に入り、自室のベッドに制服のまま倒れる。学校がもはや楽しい場所とは思えない。“親友と会うための場”ではなく、“勉強するための場”に変わった気がする。
「もう、行きたくないな……学校なんて」
枕で口ごもりながら囁いた愛華は、起き上がる力すらままならなかった。この日を境に不登校の日常が始まることは、もはや言うまでもないだろう。
『だって、学校に行ったって、おもしろくないんだもん……』
唯との揉め事から早くも数ヶ月。
寒い冬を迎えてしまった季節のなか、愛華はなかなか登校しない日々を繰り返していた。一週間に二回ほど学校に行けば良い方で、週によっては一度も登校しないこともある。
髪の毛についても、担任に叱られて以降は黒に戻そうと試みたのだが、一度染めた髪の毛は完全には戻らず、焦げ茶色の髪の毛まま生活することとなっていた。
いざ学校にたどり着いたとしても、教室に入れば唯ときららの会話には入って行けず、一人机で俯くことが休み時間の習慣だった。
時折、同じクラスの梓から背中をそっと叩かれて、
どうかした? と心配されることも多々あったが、愛華はいつも決まって、放っといて…… と目も向けず冷たく返してしまう。
誰一人も引き寄せない愛華の態度は次第に孤立へと導き、三学期が終わる頃には、一日の間に一言も発さない学園生活となっていた。もちろん唯ときららからは話しかけてもらえず、そして話す気にもなれなかったのが事実である。いつも机に肘を添えて静かに窓の外を眺めるのが、愛華の中学生スタイルだった。
時間は無情にも進んでいき、愛華は学年を上げてついに三年生となる日が訪れる。
しかし、瞳は常に虚ろだった。
クラス変更された三年の一学期、愛華は唯と別教室になってしまう。二人の会話はあの日から再開されず、結局溝を埋められないままの進級となったのだ。
もちろん人見知りな愛華は、休み時間では常に一人。ましてや登下校など、不登校を繰り返しているため同様である。
いつも一人の時間に見舞われる、最高学年としての生活。その背中と揺らぐ焦げ茶髪はどことなく儚げで、一目見れば悲哀を伺える。だが愛華は、孤独自体に苦悩を感じてはいなかった。
――本当の辛さは、彼女の瞳に映る校内環境だったのだ。
出席日数が足りないことで、担任から無理矢理に学校へ連れて来られたある日、愛華が御手洗いに向かっているときだった。俯きながら進む廊下では、顔が見えなくとも生徒たちの話し声がよく聞こえてくる。初めて聞くような話、自分も僅かながら知っている話など、気持ちが中二から抜け出せない騒がしさが伝わってくる。
一体何がおもしろいのだろうと、愛華は一人思い興味を示さなかったが、とある一声に足を止めてしまう。
「――唯~~!!」
それは懐かしさすら覚える単語で、高らかな声からは、現在進行形で楽しんでいる様子が安易にわかる。
久々に顔を上げた愛華に見えたのは、笑顔を交わす二人の、背が高めの女子だった。自分よりも遥かに優美な茶髪を揺らす一人と、自分よりもずっと端整な黒髪を垂らす一人が隣り合って話してる。彼女らが誰なのかは、あえて言いたくない。
『植本きらら…………唯』
しかし、心で思ってしまった愛華は見てしまう。二人の愉快な姿を。二人が再び、同じクラスになっていたことを。
声に反応して様子を見れば、そこにはいつも唯ときららの姿。廊下を歩いていくのはもちろん、休み時間だっていっしょ、登下校も笑顔を絶やさずに歩く。そして図書室を覗けば、隣り合って受験勉強に取り組んでいることもあった。
――それこそが、孤独な愛華を一番苦しめていた、辛い学園生活の姿だったのだ。
不登校を続けたおかげか、愛華にとって中三の生活はとても早く感じるものだった。気づけばもうじき中学卒業で、内申も頭も悪い自分に残された進学先は、ヤンキー校として悪名高い釘裂高校くらいしかない。別に中卒でも構わないと思いながら、勉強などろくにしないまま受験に臨んでいた。
そして迎えた卒業式当日。
咲きかけの桜の木の周囲では、友や教師との別れを惜しみ涙する者がたくさん集まっていた。また会おうね! がんばれよ! ありがとうございました!! など、様々なコメントらは花びらの代わりに、儚くも春の温かさを秘めて舞い散っている。
しかし愛華は唯一、既に学校を後にしていた。
周りに生徒は見当たらず、両親も仕事で参加していないため、中学最後の帰路を一人でたどっていた。
「何で、みんな学校に残ってるんだろう? 全然楽しくなんかなかったのに……」
。正直、泣いていた生徒の気持ちがわからなかった。むしろ卒業して残ったのは学校からの解放感のみで、感謝の意などどこにも示していない。
「……早く帰って、オクラの水やりでもしよう」
愛華は何の迷いもなく、自宅へ足早で進む。もうこの通学路を歩くことはないだろうが、名残惜しいとは微塵も感じられない。それに春休みがあるため、しばらくは嫌いな学校に行かずに済んで安心だ。
安堵のため息をつこうとした刹那、愛華の瞳には二人の背中という異物が入り込む。無意識に歩みを止めてしまい、聞こえてる高らかな声に、密かに耳を傾けていた。
「受験発表、明日だね!」
「そうだなぁ~。笹二、受かってる自信ねぇわ」
「大丈夫だって! 唯は、一生懸命勉強したんだから! 絶対大丈夫!!」
「…………そうだな。きららの教えもあった訳だしよ! ありがとな、色々教えてくて」
「ウフフ。どういたしましてにゃあ!」
愛華は時々、一人でよく考えることがある。どうして自分は、こうなってしまったのかと。
中学初めの頃は真面目に励んできたつもりだが、勉学はおろか、いつの間にか不登校を繰り返すようにもなってしまった。自分自身の無知な頭と、弱気く脆い精神が原因なのかもしれない。
「これでしょ。一番の原因は」
しかし愛華は自嘲気味に笑いながら、この場でやっと見つけることができ、今までしなかった鋭く尖った瞳を向けていた。
『全部、植本きららのせいだ』
きららが転校してきたからこそ、学校などよりつまらないものとなった。
きららがいつも楽しく見えるからこそ、学園生活が酷く胸を苦しめた。
きららがいるからこそ、自分は親友を失い、いつも一人となってしまった。
――つまりは、きららが唯を奪った。そして唯は納得し、二人だけの世界を繰り広げたのだ。
隣り合う背を見せつけられる愛華は、突如踵を返して進行方向を変えて歩く。中学一年当時の自分だったら、これほど悲哀な学園生活になるとは思っていなかっただろう。初めての親友を見つけることができ、確かに登校の楽しさも知れたのだから。
『――でも、裏切られたんだ』
騙された方が悪いのかもしれない。一方的に親友だと思ってたことだって考慮される。だが、愛華は決して反省の色を示さなかった。
むしろ自分は被害者である。反省するべきは、加害者であるあの二人だ。
そう言い聞かせながら、通学路最後の帰路を、反対向きで遠回りながらも辿っていった。
「植本、きらら……唯……」
中学を卒業した愛華は予定通り――あまり望んではいなかったが――こうして釘裂高校へと入学した。もちろん入学当初から気怠さが顕在で、楽しい学園生活の思いなど抱いてはいない。
「あれから、まだ一年くらいか……」
右足首から視点を外した愛華は、室内の天井を見つめて独り言を鳴らした。入学して高校二年となった現在だが、この一年間でも色々な出来事があったため、時間をとても長く感じる。
「なんで、平和な生活を送れねぇんだろうなぁ。厄でも憑いてんのかなぁ?」
入学した高校も影響してるのかもしれない。問題児だらけの高校ということもあって、毎日が騒がしく落ち着けない生活だ。それに家族とだって、今は連絡を取り合えないほどの状況である。
暴力事件によるソフトボール部活動停止処分。
それからの逮捕疑惑。
愛華は今日までの旅路を振り返り、いかに険しい道のりだったかを思い出し、自然とため息を漏らしていた。
「……まぁ、釘裂も悪いところではねぇしな。だって……」
――ゴンゴンゴン!!
すると、愛華の言葉尻を被せるかのように、ドアのノック音が鳴らされた。一打一打力強い叩き方はまるでパンチをしているかにも思わせるほどで、閉じてる扉も揺らいでいる。
「愛華ちゃん!! わたしだよ!! 入るからね!!」
扉越しから少女のかん高い声が響かされると、間もなく取手が捻られ、眼鏡とジャージを身につけた小さな女子高校生が現れた。
「あ、愛華ちゃん!? まだ着替えてなかったの!? お風呂の時間なんだから、早く着替えてよ!!」
ユニフォーム姿のままであることに驚いた様子だが、愛華は僅かに頬を緩めて、止められた言葉の続きを鳴らすことにした。
「――お前が、いてくれるからな。翔子……」
「へっ?」
煩かった内海翔子は小首を傾げて黙りこむが、愛華は小さく鼻で笑って立ち上がり、自分よりも遥かに低い背中を押し始める。
「ほら! 着替えんだから、出てった出てった」
「えっ!? いいじゃん!! いつもいっしょにお風呂入る仲でしょ!? それにわたし、レディーだよ!?」
「正しくはガールだ。はいはい、一旦退出しましょうね~」
「あ~!! ちょっと~!!」
――ガチャン……
翔子を追放したことで、愛華の部屋は再び一人の空間と化した。寂しさを促すことは、残念ながら高校生活でもしつこく訪れる。その理由は内気であることも含め、派手な金髪に染めたことも悪いのかもしれない。
それでも愛華は、どことなく微笑みを浮かべていた。楽しいとはほど遠いが、嬉しい気持ちが見てとれる顔で笑んでいる。
『――今のウチには、翔子がいてくれるんだ。あいつだって、マジでかわいそうなやつなのにさ……』
翔子と知り合ったのは、入学間もなくの一年次。同じクラスになったこともあってか、一人の自分に話しかけてくれたのだ。それからは共に部活動をやるまでの仲となり、思い返せば常にいっしょにいる気がする。
正直愛華は、翔子と共に校内や寮で生活してることを悪く思っていない。ソフトボール部の練習さえ除けば、決して苦労はない日々である。それに彼女の悲運も知っているため、無視できない一人の存在なのだ。
「ありがとな、翔子……」
裏に本人いることも考えて、愛華は小さな声を扉に放ってから、ゆっくりと着替えを始める。上半身のユニフォームを脱いでティーシャツを纏い、長いソックスを下げて素足を出す。
扉の裏から翔子の煽る声とノックが鳴らされ続けたが、愛華はもう右足首に目をやらずに着替えを済ませた。
今回もありがとうございました♪
これにて42話終了です。また愛華の高校一年生過去は後に書きます。
てか、愛華ちゃんのバックグラウンドが壮大過ぎました。
唯とのすれ違い。
きららに対する因縁。
そして暴力事件と逮捕。
苦悩ばかりの愛華ちゃんを、これからもよろしくお願いします。本当はいい娘なんですから。
次回はスタメン発表です!!
練習試合までもう少しです\(^_^)/




