42話 ③鮫津愛華パート 「あれ? 転校生……?」
笹浦四中の入学式から丸一年が経ち、中学二年生となった愛華の足取りは、一年前の入学当初と比べて軽快に思わせる登校ぶりを放っていた。通学路ではスキップをしているようにも見えるほど楽しそうで、共に頬の緩みがしっかりと浮かび上がっている。その理由に関しては、もはや言うまでもないだろう。
「おっはよう! 唯~!」
大きく手を振って答えた愛華の先には、口にパンを食わえて走ってくる唯の必死な姿があった。
「ウゴオオウ!! イゴグイイアグアオウガーッ!!」
「な、なに? 何かの変身呪文?」
口に含んだパンのせいで唯の言葉が聞き取れず、愛華は首を傾げてしまう。どこか焦ってるようにも見える彼女だが、一体何を言おうとしているのか。
すると唯は口内のパンを無理矢理ゴクリと飲み込み、呆然と立つ愛華の手を強く引っ張る。
「なにボーッとしてんだよ!? 新学期早々遅刻しちまうだろうがッ!!」
「あぁ~~れぇ~~~~!!」
唯の力強さに敵わない愛華は身をされるがままで、目を回しながら通学路を駆けていく。しかし必死こく問題児とは違って、真面目女子は確かな笑顔を保ちながらアスファルトを鳴らしていた。
「おっはよう! じゃねぇよ!! オレが遅刻しそうなときは先に行けって、いつも言ってんだろうが!!」
「唯と学校行けるなら、ウチは平気だよ!」
「何が平気なんだよ!? オレのせいで遅刻だなんて、口が割けても言うんじゃねぇからな!? これ以上生徒指導のヤロウに雷くらったら、電気ウナギでも焼け死んじまうわ!!」
声を荒げながら走る唯と、依然として微笑みを灯して引っ張られる愛華。
最近の二人はいつもの如く駆けて学校に向かっており、朝のホームルームはギリギリに間に合うような日々を繰り返していた。このような状況にある普通の生徒ならば、唯のように焦ることが基本だろう。しかし、愛華は終始笑いながら歩道橋の階段を上っていった。
『だってあの日、ここで唯と会えてから、すごく楽しいんだもん!』
運命の出会いを果たした聖地でもある、通学路途中の寂れた歩道橋。愛華は上る度にそう思いながら、今日もこうして唯と共に黒髪を揺らしていた。
初めて出会ったあの日、足を怪我して歩けなくなった愛華は唯の背中に乗って学校へと向かった。当然遅刻となってしまったのだが、すぐに保健室へと連れてかれると治療を受け、出血をしながらも幸いに打撲で済んだのだった。
あのまま一人だったら、こうやって保健室に訪れるのはおろか、ずっと歩道橋の階段で泣きじゃくっていたに違いない。しかし貝塚唯という正義のヒーローに助けてもらった愛華は傷の痛みを忘れ、保健室で見守る彼女に微笑みを向けていた。
「ありがとう、唯」
「なんだよ~改まって。んじゃ、オレはいつも通り、遅れて教室に行くな。大事にな~」
すると唯は踵を返して保健室から退出したが、背中を眺めていた愛華は健気な瞳に強く焼き付けていた。あの人とは、今後もいっしょにいたい。そして仲良くなりたい。
『友だちに……いや、親友になりたいな』
そう思うようになってから、愛華は休み時間の合間を縫って毎日のように、隣の教室を覗いて唯を探す日課をこなす。以前の一人ぼっちで内気な自分では考えられない行動であり、最初の頃は身体の震えが止まらぬほど緊張した。しかしそれを気持ちで乗り越えて、愛華は恩人でもある唯と会って話すという、新たな中学生活を造り上げたのである。
朝のホームルーム前ではなかなか見当たらず、だいたい一時間目が始まる前には、唯が机上で伏せる姿を発見する。得意の遅刻で参上した挙げ句、担任にでも怒鳴り散らされたのだろう。
一声掛けてあげたい想いはやまやまだが、愛華には自分から声を掛けるほど勇気は無かったため、唯が気づくまでジーっと見つめて待っていたのである。その姿と回数と言ったら、もはやストーカーと呼ばれても否定できないほど繰り返しており、終いには唯と同じクラスの篠原柚月が、車イスに乗りながら中継役を担っていた。
他にも授業間の十分休みや昼休み、酷いときには授業開始のチャイムが鳴っても唯の教室前で覗き込んでいたのである。もちろん担任の教師や恐い生徒指導の先生にも叱られたが、愛華はそれ以上に唯を見ること、話すことに心を向けて学校生活を満喫していた。
あれから約一年が過ぎた今日の春。朝は共に登校するようにもなった二人――唯は頻繁に遅刻してしまうが――は温かな春風に歓迎されるように、中学二年生という新学期が始まるところだ。初日早々、寝坊した唯をずっと待った愛華も遅刻になりかけたが、何とか五分前には昇降口に着き、人気のない扉に貼られた『新二年生クラス名簿』を、息を荒げながら確認を始める。
「はぁ……えっと、アタシは……三組」
「お、オレは……?」
後ろで両手を膝に着けた唯が囁くが、もちろん愛華は告げられる前から探している。今日の正座占いでは二位の看板をいただき、ラッキーアイテムの毛布だってカバンの中に入れてきたのだ。準備は万端であり、あとは気になる結果を待つのみである。
愛華は固唾を飲み込んで、まずは自分の三組のメンバーを確認した。すると……
「うそ……?」
――ポトン……
ふと持っていたカバンを落としてしまった愛華は、呆然とクラス名簿を眺めて固まっていた。
息を整えた唯も異変に気づいて、どうした? と尋ねた刹那、愛華は満面の笑みで振り返り抱き着く。
「やったよ~!! 唯とアタシ、同じクラスだぁ!!」
「あ、愛華……強い……苦し、い……」
強い締め付けで声が籠る唯だったが、今の愛華には全く届かず、強さが増す一方だった。だが、それも仕方ない。なぜなら愛華はこの瞬間を去年から待ち望んでいたのだから。
『やったよ! これでもっと唯と、お話ができるよ!!』
愛華の無邪気な微笑みはしばらく続き、反って唯が窒息しかけて顔を青ざめていた。
こうして初めて、同じクラスになった愛華と唯。
まるで仲のよい姉妹とも代弁すべき、二人の学校生活とは、それはそれは歓喜を促すもので、休み時間や昼ごはん、授業中にも互いに目を交わして笑い合う一時が訪れていた。登下校はもちろん、委員会や当番のグループ、体育祭競技での班、そして夏休みに課される職場体験までも二人いっしょに行うこととなる。いつ見ても離れない彼女たちの後ろ姿は、もはや親友そのものを、絵で描いたように写し出していた。
中学での毎日が、あまりにも楽しすぎる。
二年生になってから成績が落ち込み始めた愛華は、一つの悩みとして抱いていた。しかし、それは決して手放したくはない時間であり、可能ならばこの環境がずっと続けば良いとさえ思える、贅沢で嬉しい悩みの一つである。
『ずっとずっと、親友の唯と、このままがいいなぁ!』
正直中学校自体は、あまり行きたい場所ではなかった。難しい勉強して、冷めた給食を食べて、たくさんの宿題を課された挙げ句、帰宅する。何も面白味など見当たらない部分は、二年生になった今でも顕在である。しかし愛華はいつの間にか、学校とは“勉強するための場”ではなく、“親友と会うための場”として捉えるようになり、学校という檻の中の至福を、初めて見つけることができたのだ。
――二学期が始まるまで、は。
楽しい学園生活とはあっという間に過ぎ去るもので、気づけば夏休みも終えて九月一日。
部活動をやっていない愛華にとっては久しぶりの登校日となるが、同時に本日から二学期が始まる日だ。今朝はもちろん、通学路の別れ道で唯を待っていたのだが、集合時間を大幅に過ぎても姿を現さなかった。どうやら、早速遅刻を犯すつもりのようである。待ってたあげたい気持ちはもちろんあったが、唯を怒らせたくない、困らせたくない想いの方が強かったため、一人で学校に間に合うよう出向いた。
仕方ないと残念がる愛華はこうして一人で教室に入り、静かに窓側の自席へと着席する。朝日が射し込む温かな後ろ席であるが、ここから教室を見渡してもやはり唯の姿はなく、周囲の生徒が盛り上がっているなか、一人だけ机上のカバンとにらめっこをしていた。思い返してみれば、唯とは御盆前の職場体験以来会っておらず、今すぐにでも彼女の顔を見て、“唯”という大好きな名前を叫びたい。
「遅いなぁ……もう、本当に遅刻じゃん……」
眉をひそめた愛華は一人寂しげに呟くと、言葉通り校内チャイムが鳴らされる。この時点で唯は完全にアウトとなり、二学期初日から、欠席へのワンアウトが加えられたようだ。
非情なチャイムが鳴り終わると同時に、教室には担任の男性教師が入室する。さすがの初日だけあって、クールビズなのにスーツを着込む先生からは、自然と緊張感を伺える。
だが愛華にはもう一つだけ、不思議な点があって首を傾げていた。
「あれ? 転校生……?」
呟いた愛華が見つめる教室の入り口からは、もう一人の見慣れない女子生徒が姿を現し、教卓の前まで来て担任の隣に立つ。大きな緊張に駆られているせいか、新入生らしき彼女の表情は暗く、終始俯いている様子だった。
しかし愛華にとって気になっていたのは、彼女の顔ではなく、中学生らしからぬ容姿だったのだ。
『すごい……完全に茶髪じゃん……』
もちろん笹浦四中での校則では、頭髪の色染めが禁止されており、真面目な愛華も学生手帳で見たことがある。
しかし、そのルールを堂々と破る女子が、目の前に現れていたのだ。背は唯と同じくらいの高さで、スカートは膝が見えるほど短い。垂らした長い茶髪を頭頂部で、キラキラと輝くアクセサリー付きヘアゴムで束ねているおり、一目見ただけでお嬢様だとわかる優雅な風貌だった。
「お金持ちっぽそう……」
つい小さな独り言を放った愛華だが、どうやら辺りには聞かれず、何事も無かったかのように男性担任が口を開ける。
「今日から、このクラスに一人、新しい仲間が加わる! では、自己紹介を」
すると新入生は静かに頷き、憂鬱な顔をクラスメイトたちにゆっくりと向ける。だが、なかなか話し出さず黙っており、愛華には彼女の虚ろな瞳がよく目に焼き付いた。
温度を感じさせない、まるで周囲を近寄らせない冷徹な瞳。
恐らくあの転校生は、突然の引っ越しか何かで四中に来たのだろう。それも大切な友だちと別れて。自分だって唯と離れて転校など、考えられないし想像もしたくない。その分だけ、転校生の今の気持ちが何となくわかる。大切な友だちと別れるほど、教育現場で残酷なものはないとさえ思えるから。
転校生の沈黙が続くと、担任も急かすように煽り始める。だが彼女は表情を一切変えぬまま口を開けず、代わりに説明してくれと言わんばかりに目線を下げ始めた。
――ガラガラ……
すると、静かだった教室の後ろからは、開けられたドアの音が鳴り響く。すぐに振り返った愛華には、遅れてやってきた女子の姿を見せられ、無意識に場違いな微笑みを浮かべていた。
「唯だ!」
嬉しさを押さえられず声を響かせた愛華は、反省の色一つ見せず現れた唯から苦笑いを受け、わりぃ! と、口の動きと立てた手のひらで表現された。
待ち望んでいた親友の顔を、愛華は見ることができて嬉しく、頬の緩みが取れずにいた。が、すぐに担任の一声が二人の間を割り、削り取られることとなる。
「貝塚! 初日から遅刻とは、いい度胸だな!?」
「仕方ねぇだろ? 昨晩は忙しかったんだからよ……」
一気に冷めてしまった様子の唯はため息を漏らし、決して担任の方へ目を向けぬまま、席に着いてすぐに横たわる。
「忙しかったって何がだ? どうせ宿題を溜め込んで、徹夜でもしたんだろ!?」
「んなことやらねぇよ! 誰が宿題なんか、真面目にやるかよ?」
「…………や、やってないのかあぁぁ――――!?」
机で俯せる唯に、怒れた先生は檄を飛ばし続ける。しかし遅刻常習犯、兼宿題やらない娘は顔を伏せたままで、全く聞き入れていない様子だった。
唯とは違って、ちゃんと宿題を済ませて来た愛華は、そんな親友の背に苦笑いをしていたが、何とも彼女らしいと、温かな微笑みで見つめていた。
ところが、先生の説教はヒートアップしていき、今が自己紹介の時間であることなど忘れさせるほど怒鳴り散らしていた。周囲の生徒たちも空気の悪さに気づき、隣同士で相談してざわつき、二学期始めのホームルームが騒がしいものとなってしまう。
こうして見ている愛華も雰囲気の悪さは感じており、つい心配して新入生の顔を覗く。やはり驚いた様子で目を開けており、どうやら唯の方を見ながら固まっていた。初日から嫌な気持ちにさせただろう。確かに唯の行いは正しくないが、先生も時と場を弁えてほしい。
愛華は呆れてため息を漏らした刹那、唯も我慢が限界にきたのか、机を強く叩いて立ち上がる。
「っせぇな!! んなの、いつものことだろうが!! 昨日はなぁ!! ホントに、たい、へん……」
だがすぐに唯は落ち着き、茶髪な転校生と目を合わせ黙る。新入生が来ていたことを知らなかった様子がよくわかるが、二人はなぜか最後に瞳を輝かせ、頬を吊り上げると共に口を大きく横に延ばした。
「――きららぁ!!」
「――唯~!!」
「へ……?」
驚いて間抜けた声を漏らした愛華は、唯に“きらら”と叫ばれた女子の初めて見せた笑顔を、茫然と眺めていた。二人は知り合いなのだろうか。しかも、下で名前を呼び合うほど。
表情を失った愛華が見つめる先では、歓喜に満ちた唯が転校生に近寄り、すぐに互いの手を取り合う。
「きららぁ! お前、この学校だったんだな! 全然知らなかったよ!!」
「うん! 私も、唯がここにいるなんて知らなかった! 昨日の今日でもあるから、すごく嬉しいよ!!」
喜ばしい二人はそのまま抱き合い、悪雰囲気だった教室に温かな温度を取り戻させた。それは友だちと久しぶりに巡り会えたかのように、まるで親友と再会を思わせるほどである。
「よろしくな! きらら!!」
「うん! お願いね、唯!!」
もはや新入生の自己紹介など、必要性が無くなった二年三組。それはきっと唯のおかげであり、その彼女に笑顔で答えた、転校生の勇気の結果なのだろう。
こうして二人を眺めていると、何とも友情の尊さを知らしめられる気持ちになり、先生を含め生徒たち誰もが明るい視線を送っていた。
――もちろん、愛華だけを除いて。
「きら、ら……」
明るい教室とは裏腹に無表情の愛華は、依然として唯ときららの姿を静かに眺めていた。親友が嬉しいのなら、自分だって笑顔で迎えなくては。そんなことは一切考えも浮かばず、笑顔で手を握る二人を、ただボーッと見つめることしかできなかったのだ。
『――二人は、どういう関係、なの?』
親友の親友を知った愛華は笑うこともままならず、胸中に確かな疑念を抱いていた。
こうして迎えてしまったのが、転校生――植本きらら。
地毛の茶髪を揺らす彼女の笑顔はとてもきらびやかで、名前の通り光さえ垣間見える。そんなきららの存在が、これからの唯との関係を壊すことなど、このときの愛華はもちろん知らなかったのだ。




