準備はよろしいですか ◇
夏目視点の三人称。本編完結後の蛇足。
東高で、夏目や上田が二年生に進級して早々に実施された実力テストは、ことのほか難しかった。
テストは翌日に返却され、その結果の悲惨さに教室内で悲鳴を上げる生徒は多数。
上田もその中の1人で、かろうじて赤点は免れたものの、先行きが不安になった。
「サイトー、勉強おせーて」
「いいよ」
「土曜日、お前んち行っても良い? あ、彼女とデートか?」
「いや、大丈夫」
「なんだ? 別れそうなの?」
夏目は上田を睨んだ。
「冗談だよ。顔こえーって」
「上田の冗談は腹立つんだよ。センス無いから止めろ」
気の置けない上田に対しては、つい口調も乱暴になってしまうのだった。
明けて土曜日の午前中。上田は勉強道具を一式抱えて斎藤家に訪れた。
東高は進学校なので、生徒の勉強に対する意欲も平均的に高い。
上田のような一見軽薄そうな生徒でさえ、成績の良し悪しは最も優先すべきことなのだ。
返却されたテストの間違いを見直し、教師の解説で理解しきれなかったところを復習する。
夏目の家には全教科の参考書も揃っているので、下手にマックやファミレスに出向くよりも効率的に勉強ができた。
昼食は、上田が訊ねてくる前に夏目が作っておいたカレー。
特に凝ったカレーではなく、豚肉と野菜と一番売れているカレールーで作ったものだ。
上田が行きがけに豚カツを買ってきたので、ただのカレーはカツカレーになった。
夏目の両親は朝から出かけて留守である。
昼食を終えて小休止。ベッドの横のラグマットの上でゴロゴロする夏目と上田。
上田は立ち上がると夏目の勉強机の引き出しを片っ端から開け始めた。
夏目はゴロゴロ転がったまんま「なにやってんだよ」とたずねた。
「参考書ならば本棚を探せよ」とも。
上田はそれには答えず
「彼女、この部屋来たことあんの?」
逆に質問してきた。
「一回だけな」
「ヤッた?」
夏目は血相を変えてガバッと起き上がった。上田が何を探しているのかも察しが付いた。
「ヤッてねえよ!」
「だからねえのか」
「なにがだよ」
「ゴム」
夏目はそっぽ向いて「持ってねえよ」と言った。
今度は上田が血相を変えた。
「おまえ、いきなり生でヤるつもりかよ!? 俺たちまだ高校生だぞ!」
「なに良識派ぶってんだよ! 『まだ高校生』って台詞そっくりそのまま返してやる」
「だから、ちゃんと付けろって言ってるだろうが」
「違うって、そういう意味じゃなくて」
「何がだよ。ヤりたくねえってこと?」
「そうは言ってない」
夏目が今朝見た夢は誰にも話せないくらい卑猥な夢だった。
「だよなあ。彼女、触り心地良さそうだもんなあ。一度見ただけだけど」
上田がウッカリ口を滑らせた台詞は夏目を本気で怒らせた。
夏目が上田のシャツの襟ぐりを掴んだ。
「そういう目で彼女を見たら本気で殴るぞ」
自分の頭の中では何度となく服を脱がせて、あるいは着衣のままで、あれやこれやしているのに。
他人がそれと同等の想像をするなど絶対に許せなかった。
自分は想像するくせに他人は許せない。勝手極まりないことであっても。
「冗談だよ」
「センス無いから止めろって言っただろ」
これでも夏目と上田は友だちであった。
「お詫びの印にこれやるから。既に持ってたらいらねーかなと思って引き出し探したんだよ」
(いきなり探し出す前に聞けばいいだろう)と夏目は思った。
上田は自分のバッグの中から未開封の四角い箱を出して夏目に渡す。
何コレ? と聞くまでもなく一目で避妊具だとわかった。
「こんなの人からもらいたくねえんだけど。お前が使えよ」
そのまま突っ返した。
「買ったはいいけど、使う相手がいねえんだよ」
「俺の知ったことか」
「あ、そうだ、彼女に頼んで女友だち集めて合コン開いてくれない?」
「今の話の流れで引き受けると思うか?」
「とにかく、イザというときのために持っとけって」
「イザというときなんかない」
「嘘つけ。絶対『あのとき上田様から戴いておけばよかった』と後悔するぞ」
「絶対しないね」
「生は止めとけよ」
「しつこい!」
最後まで夏目は上田の進呈を受け取らなかった。
ようやく勉強の続きに立ち返り、それが終わる頃には夏目の両親も帰宅していた。
駅まで上田を送るという夏目に母が言いつけた。
「駅前の薬局で絆創膏買ってきてくれない? 買い忘れちゃったのよ」
夏目は二つ返事で家を出た。
駅の改札まで上田を見送ったあと、薬局に立ち寄った。
頼まれ物の絆創膏の棚の横に、ついさっき話題の中心になった避妊具が並んでいた。
(薄さやらサイズやら、ずい分種類があるんだな)
絆創膏を手に持ったまま横目でチラチラ確認してしまう。
パッケージは色とりどりだが、箱そのものの形や大きさは一辺倒で、一目でソレだとわかる。
(みんな素知らぬ顔して買うのかな)
どんな顔をして買うのか様子を想像できない。
いまの自分の服装は私服だ。身長も高いし、顔はそれなりに整っていて、無駄にオロオロしなければ成人しているように見えなくもない。
コレをレジに持っていっても咎められることはないだろう。
一番数多く並んでいるパッケージを手に取ったが、すぐに棚に戻してしまった。
夏目は避妊具を買うのを止めた。
こんなものが手元にあったら、それを免罪符にして菜摘を押し倒してしまうだろう。
したい気持ちが溢れんばかりでも、それを必死に押さえてられるのは、準備不足だからでもある。
準備が整ってしまったら、欲を押さえる術はもうない。
菜摘を抱きたい欲と、今はまだダメだと思う理性との間で揺れている夏目。
敢えて準備をしないことが夏目の防波堤だった。