ちょっとケンカ?
本編『未知との遭遇』の直後の話。
わたしと夏目くんは立ち止まったまま、話し続けた。
「バレンタインにチョコ、たくさんもらってたんだね。しらなかったよ」
「言わなかったからね」
わたしもきかなかったし。
きかれてもいないのに、彼女にチョコの数を自慢する彼氏もどうかと思うし。
理屈ではわかっていても、モヤモヤするわたしの心。
「ほら、ファンがアイドルに贈るようなものだから」
「ああ……」
自分でアイドルとか言っちゃうし。言ってもいいくらいの見た目だし。
それにわかっている。自惚れで言っているのではなく、わたしを安心させるために言っているんだってことは。
「たとえ話ね。みんなでワイワイ騒ぐだけの軽い気持ちって意味で」
「うそだね」
だけど、そんな見えすいた嘘は一刀両断で瞬殺だ。
アイドルに本気で恋する女の子だっているのに、一緒の学校に通っているイケメンを本気で好きになる女の子がいないわけがない。
つまり夏目くんをちゃんと好きになっている女の子は絶対にいる。
鈍い人ならば、義理チョコの仮面を被った本命チョコに気づかないかもしれない。
でもわたしの目の前にいる夏目くんは、他人の好意に鈍感じゃない。女の子の本気の視線、言葉、態度、見知って見飽きているはずだ。
わたしがカマを掛けたときだって、すぐに見抜いたもの。
軽い気持ちのチョコか本気の気持ちがこもってるかぐらい、わからないわけがない。
「本当は勘づいているでしょ。本命チョコの数」
「……三個」
「うそだね」
「五個です。たぶん」
全部でいくつもらったかしらないけど、本命が五個はなかなかリアルな数字なんじゃないかと思う。
「どうすんの?」
「なにを?」
「おかえし」
なんだか尋問しているみたい。
「しないよ」
「もらったのに?」
夏目くん知らないの? ただより怖いものはないんだよ。
わたしがそう言う前に、夏目くんは言葉を続けた。
「さっきからナツミちゃんは『もらった』って言うけど、もらってないよ」
「もらったでしょ」
「勝手に置かれてたんだよ」
夏目くんは話の前提を引っ繰り返した。
たしかに東高の女生徒の皆さんも『渡した』とは言わずに『置いた』と言っていたけど。
「面と向かって手渡しされたなら返す義理もあるかもしれないけど、知らないあいだに置かれた物に責任もてないよ。そういう意味では、さっきの五個も取り消し。本命チョコなんかもらってません」
夏目くんが理屈をこねて、わたしを言いくるめようとしている。
「ナツミちゃんからだけ」
言いくるめられそうになっているのは、わかっている。わかっちゃいるけど。
「俺がもらったのは、ナツミちゃんからだけだよね」
「……ハイ」
最上の表情の夏目くん。筋が通っているような気がする理屈。
顔・スタイル・頭の出来・性格、ヤツの武器はよりどりみどり。
なんか悔しい。
そのとき強い風が吹いた。
わたしはモヤモヤと考え事をしたせいで、風に気づくのが遅れた。
制服のスカートが風を含んで大きくめくれ上がった。
「うっわああ」
みっともない声をあげて下を向き、慌ててスカートの裾をおさえた。
「ごめんなさい」
「はい?」
思わぬ言葉に驚いて、わたしは下に向けた顔をあげて夏目くんを見た。
夏目くんは深々と頭を下げていた。
「え!? なに!? どうしたの!?」
「違う学校だからと油断して手を抜いたのをごまかしてました」
「ちょっとわかんないんだけど! とにかく頭あげて」
夏目くんはゆっくりと頭を上げた。さっきわたしを言いくるめようとしたときとは打って変わって、しょぼくれた表情だった。
「チョコのことも今日のことも、俺が気を回しておけば、ナツミちゃんがイヤな思いすることもなかったんだよね。違う学校だから黙っていれば済むと軽く考えてほっといたんだ。同じ学校だったら付き合ってからすぐに何とかしていたよ。こうなることがわかっていたんだから」
夏目くんが東高でフリーと思われていたこと、たくさんチョコをもらっていたこと、それをわたしが知らなかったこと。
モヤモヤして嫌な気持ちになっていた原因は自分だとあっさり認めた。
さっきまでごまかそうとしていたみたいなのに。
「ナツミちゃんのおみ足の前で、ごまかそうとした俺が浅はかでした。ごめんなさい」
「あ……そう。いいよ」
夏目くんは全面降伏した。
ヤツがイケメンだろうが、素敵なスタイルだろうが、頭の出来が優秀だろうが、性格が素晴らしかろうが、わたしには最強の武器があったのだ。
夏目くんが右手を差し出した。
「なあに?」
「仲直りの握手」
「わたしたちケンカしてたっけ?」
「ナツミちゃんだからケンカにならなかっただけ。普通は大ゲンカでしょ」
強い風はまだ吹きすさいでいる。
わたしはスカートの裾を押さえていた右手をはなして夏目くんの右手を握った。
パタパタとスカートの右側がはためいている。その度に露わになるわたしの足。
握手したのは、まさかこれを狙ってのことではないよね?
疑わしいけど、まあいいか。
わたしと夏目くんは手を繋いで歩き始めた。
駅までの道の途中で立ち止まって話しこんでいたから、東高の女生徒の皆さんに追いつかれた。
わたしは繋いだ手を振りほどこうとしたけど、ギュッと強く握られて離せなかった。
「こういうわけなんで、よろしくね」
ぶんぶんと繋いだままの手を大げさに振って女生徒の皆さんに見せつけた。
キャーとかウソーとか叫び声が聞こえても、わたしたちは手は繋いだままだった。
「これでもう彼女持ちだって知れ渡るでしょ」
「一応知られてはいたんじゃないの? だからあの人たち来たんだろうし」
「そっか。じゃあ『彼女と仲良し』って情報追加ってことで」
「百聞は一見にしかず?」
「そういうこと」
夏目くんは満足げにうなずいている。
さっきまで、ごまかして言いくるめようとしていたくせに。
形勢逆転できたのは、わたしの足のおかげで。
わたしは自分の足に揺るぎない自信を持った。
それで文字通り『足下をすくわれる』のは約一ヶ月後のホワイトデーのこと。
今はまだ、そんなことは露知らず、わたしは力強く握られた手にドキドキしていた。