第6話 帰還
「…ゆ」
…。
「美優!」
誰かに名前を呼ばれ目が覚めた。
「ぁ、お目覚めですか?」
「よかったわ…」
気がつくと、自分の顔をアリスとパステルが心配そうに覗き込んでいる。
「美優ちゃん起きたの! よかった~。パステルちゃんもアリスちゃんも心配してたんだよ」
身体を起こすと、ユイリアに抱きつかれた。
「ぁ、えっと…」
「アリスと一緒に渦霧の扉の抜けて出てきたんだけど、ずっと気を失ってたのよ」
パステルが心配そうに説明してくれた。
「だいじょぶ? どっか痛い所とかない?」
「は、はい」
辺りを見回すと、石の壁が広がっている小部屋だった。部屋の中央の一段上がったところに先ほど見た蒼い渦が微かに光を放ち、静かに揺らめいている。しかしマルスの姿がなかった。
「ぁ、あの…。勇者さんは?」
おずおずとユイリアに聞いてみる。
「…マルスは」
ユイリアの表情に影が差し、口を濁す。
「マルスは…、まだ戻ってきていないわ」
口籠るユイリアに代わって、パステルが答えた。
「そんな…」
美優がアリスに連れられ渦霧の扉を抜けてからしばらくが経つが、未だにマルスは戻ってきていなかった。
「やっぱり、私たちも戻ろうよ」
「ダメです。先ほども説明しましたが、この『渦霧の扉』は安定していないんです」
ユイリアの訴えを聞いて、アリスが首を横に振る。
「そんな短時間に、何度も行き来きできません」
空間と空間を結び、異世界を結ぶ『渦霧の扉』。しかしその能力は安定していなかった。一度使用したら、何ヶ月・何年かかけて魔力を蓄えないと再び使用する事は出来ない。
「…で、でも」
「ユイリア、大丈夫よ。今はマルスを信じて待ちましょう」
なおも食い下がるユイリアを、パステルが優しくなだめた。
狭い室内で黙り込む四人。重たい空気が流れ、誰も口を開こうとしなかった。外は朝霧が立ちこめ、遺跡の小部屋にいる四人の体温を奪っていく。身体を寄せ合いながら、ただ静かに揺らめく渦を見つめていた。
「…あら?」
沈黙を破ったのはパステルだった。
「どうしたの?」
俯き座っていたユイリアが声につられて顔を上げる。
「…気のせいかしら」
首をかしげるパステル。
「ぇ…、なにが?」
「私たちが最初に見た時より、光が弱くなっている様な気がしたんだけど…。気のせいよね」
そう言いながら、渦霧の扉を指差した。
「え…?」
そう言われ、真剣な顔で渦を見つめる美優とユイリア。しかし美優が見てもわかるわけがなかった。
「…それはただ単に、真夜中と朝方で周りの明るさが違うからじゃないですか?」
気だるそうに答えながらも、一応アリス自身も渦を観察する。
「だから、気のせいだって言ってるじゃない!」
アリスの小馬鹿にした反応に、怒るパステル。
「…あぁ、気のせいじゃないですね」
「…なんですって?」
アリスは身を乗りだし、渦に手をかざすと意識を集中させた。
「どう? アリスちゃん」
「…確かに渦霧の扉の力が弱まっています。これは…、黒の霧ですね」
アリスは息を呑んだ。グモが「あちら側」で放った黒き霧は、渦霧の扉にまでその悪手を伸ばしていた。霧は時空の渦をも侵食しようとしており、その一部が「こちら側」の渦から漏れている様だ。
「アリスちゃん、それって…」
恐る恐る、ユイリアがアリスに次の言葉を急かす。
「空間移動の力を吸い取られています。このままだと、二度とこの扉が使えなくなりますね」
二つの世界を繋ぐ『渦霧の扉』、その力が失われれば…。
「マルスが。マルスが帰って来れなくなっちゃうの?」
最悪の事態を想像し、取り乱すユイリア。
「ユイリア、落ち着きなさい」
放っておけば、今すぐにでも渦に飛び込みかねないユイリアを、見かねてパステルが止める。今戻っても「あちら側」に無事に着く保障すらない。
「そうですね…。大変なのはマルスさんだけじゃないですよ」
「そうね…」
アリスとパステルが顔を見合わせ、なぜか美優のほうを心配そうに見つめてきた。
「え…、私…ですか?」
突然の視線に困惑する美優。
「…まさか忘れてるとは思いませんが、美優さんは「あちら側」の人ですよ?」
半分呆れ顔のアリス。
「そうよ、美優だって家に帰りたいでしょ?」
パステルの言葉に、最後に見た父親の姿が脳裏をよぎる。
「ぁ…」
今まで考えないでいようと、無意識のうちに胸の奥に仕舞っていた様々な事。美優はユイリアやパステル達と違う、同じ世界の人間ではない。どんなに一緒に冒険しても、いつか別れなければならない。
「で、でも待ってよ」
ユイリアが美優の身体を抱きしめ、パステル達から護るように自分の体で隠そうとした。
「美優ちゃんの世界は、今大変なことになってるんだよ?」
「それは…、そうね」
パステルの言葉も歯切れが悪い。美優の世界を黒き霧の呪いに巻き込んでしまったことには、責任を感じていた。
「だから、美優ちゃんも私達と一緒に行こうよ」
ね? と美優に問いかける。もしユイリア達と一緒に旅が出来るなら、どれほど嬉しいだろうか。美優の心は揺れた。しかし、アリスの氷の様な言葉が、美優を突き放した。
「ダメです。ただの人間が一緒に行っても犬死するのがオチですよ」
「アリス!」
アリスの心無い言葉にパステルが怒る。
「美優さん自身が、一番わかってますよね?」
「そ…、そうですよね」
自分がついて行っても足手まといになる事はわかっていた。何にも出来ない美優が一緒にいても、また勇者達に護られ、迷惑をかけるだけだ。
「美優ちゃん…」
うな垂れる美優に、ユイリアが心配そうに声をかける。
「…とにかく。美優とマルスの為にも、この霧をどうにかしないといけないわね」
パステルがわざと明るい口調で話題を逸らす。
「そうですね…」
アリスも重い空気にいたたまれなくなった様だ。
「うぅ~ん…」
美優の隣でユイリアも考える素振りは見せるが、まったく思いつかない。そして美優は、どうする事もできず、ただ立ち尽くすばかりだった。
「聖女様のお力で、なんとかならないんですか?」
不敵な笑みを浮かべるアリス。
「聖女の力は、あくまで魔王を封じる為の力よ。この霧は光の剣でしか払えないわ…」
パステルはアリスの不敵な笑みに気づかず、唇に手を当てながら答えた。
「知ってますよ。聞いてみただけです」
しれっと返すアリス。
「アリス。その性格はどうにかならないのかしら?」
普段通りの口調だが、パステルはかなりご立腹だった。しかし美優から見れば、本音を言い合える仲間がいて、とても羨ましかった。
「もう~。アリスちゃんもパステルちゃんも本気で考えてよね」
そんな二人のやり取りを見て、頬を膨らませるユイリア。
「ならダメ元で、魔力でも注入してみますか?」
「注入?」
ユイリアとパステルが揃って聞き返した。
「はい。渦霧の扉とはいえ、根底にあるのは魔力と術式です。その動力である魔力を入れれば、多少は変化するかもしれませんね」
アリスはあまり気乗りしない様で、歯切れの悪い説明だった。
「そんないい方法があるなら、もっと早く言いなさいよ」
「でもそれいいかも♪ やってみようよ!」
アリスの提案に意気込む二人。しかしアリスの反応は、反対に冷めたものだった。
「馬鹿言わないでください。この霧は、満月の魔力を三回フル充電しないと使えないんですよ?」
三人で出せる量では、到底及ばない。アリスはそう続けた。
「でも、やってみるだけやってみようよ」
「そうね。何もせずに手をこまねいているより、体を動かしていたほうがいいわ」
ユイリアにパステルも賛同した。
「はぁ~、これだから体育会系のお前たちといるのは嫌なんです」
やれやれと口では言いながらも、準備を整えるアリス。
「それじゃ、いっくよ~!」
「えぇ、いいわ」
「…いつでもどうぞ」
三人は弱い光を放つ渦を取り囲み、ユイリアの掛け声と共に瞼を閉じて、自分の魔力に集中する。それぞれの身体から淡い光が取り巻き、次第に大きく強くなっていく。
「お願い…!」
三人から溢れた光は輪を描き。三つの光が交じり合い虹の様に輝く。
「ゎあ~…」
その幻想的な光景に、美優は溜め息を漏らしてしまった。
―しかし…。
「…」
「…やっぱりダメなのかしら」
「そんな、マルス…」
光に包まれながらも、尚も闇が抗い続ける。まるで光がある所、必ず影が指すことを知らしめるかのように…。
「はぁ、はぁ…」
ユイリアが苦しそうに息を整える。高度な魔力操作はかなりの負担だった。
「―勇者さん…」
美優も眼を閉じ祈った。魔力を持たない自分には何も出来ないかもしれない。それでも、自分にも出来る事があると教えてくれた勇者を救いたい。そう、ただ祈り続けた。
…美優、ユイ。
思い出される暖かく、陽だまりのような声。
パステル、アリス…。
「これ! マルス?」
「…私にも聞こえたわ」
すると、渦の光に染み付いていた闇が次第に揺らぎ始める。
「なぜかわかりませんが、そのまま続けてください!」
アリスが美優を含む全員に指示を飛ばす。ユイリアも美優も、想いを集中させる。
「…!」
美優の身体もいつしか光に包まれ、四色の光が互いに共鳴し、更なる強い輝きを生む。その輝きは美優を中心に波紋の様に広がり、影の潜む渦霧へと達する。光の紋は陰をかき消し、光へと反していった…。
『お願い、想いを届けて!』
そして、朝日の様な優しい純白の光が、総ての陰も闇も包み込み…。
世界は、白き輝きに覆われた。
「…ただいま、みんな」
白い光が晴れた先には、照れくさそうに笑う彼女達の勇者が立っていた。
「…勇者さん」
「もぉ~、心配したんだからね…」
「まったく…、いつも私達に心配ばっかりかけさせるんだから」
「悪い、悪い。みんなのお陰で助かった。ありがとう」
勇者を取り囲む三人。美優とユイリアは、嬉しさのあまり抱き合って喜び合った。
「アリス」
一人遠巻きでその様子を見ていたアリス。
「なんですか、お礼だったら今度でいいですよ」
必死でいつも通りを装おうとしているのが、マルスから見てもバレバレだった。
「いや、お礼も勿論なんけどな…」
そう言うと、持っていた物をアリスに手渡した。
「ほらこれ、落ちてたぞ」
首をかしげながら受け取った物は、見覚えのあるクマのぬいぐるみだった。
「アリスさん、酷いじゃないですか~! 私とアリスさんは一心同体、一蓮托生じゃないですか~!」
アリスは不覚にも、不意をつかれ一瞬驚いてしまった。
「あぁ、お前ですか…。道理で静かだと思ってたんですよ」
「やっぱりアリスさんには、私がいな…」
そう言い終わらないうちに、早速首を絞められるボブだった。