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第4話 襲来 ~ 再会

「はぁ。急いで帰れば、夕飯までの時間でまだ出来るかな…」

 夕方の混雑する改札を抜けながら小さく溜め息をつく。

 一見中学生か小学校高学年に見間違えてしまいそうな小柄な少女が、大きな紙袋を持ちながら頼りない足取りで夕日に染まる秋葉原の人混みを抜けていく。彼女は今、母親のおつかいの途中だった。

「レベル上げないと、やっぱりボスは辛いかな…」

 考え事をしながら歩道の端をてくてく歩いていく。今彼女の頭の悩ませているのは、先週買ったばかりのRPGの進行具合だった。そんなことを考えながら歩くうちに、目的の場所に着いてしまった。

 彼女は慣れた様子で外神田警察署の正面入り口を入ると、受付に父親の名前を告げ母から預かった荷物を渡す…と、その時後ろから彼女の肩がたたかれた。

「なんだ、美優ちゃんじゃないか!」

 ビクリと肩をすくませ振り返ると、父親の部下の小林さんが立っていた。体育会系のノリと大きな声を持つ小林は、彼女‐佐々木美優の苦手なタイプの相手だ。しかし、そんな美優の反応にも小林は勿論気づかずに話しかけた。

「警部に用事なら、俺が呼んできてあげるよ」

「ぁ。はい…」

 美優の返事をほとんど聞かないうちに、小林は小走りで行ってしまった。今日は家に帰って来なさそうな父親の明日の服などを届けに来ただけなので、小林の手で渡してもらっても美優は構わないのだが。

「…6時までに帰れないかも」

 椅子に座りながら警察署の受付に置かれた時計に目を向けると、もうすぐ5時を指そうとしている。

 美優はもう一度溜め息をついた。


 夕闇の迫る取調室。佐々木警部はタバコを取り出し、深呼吸するように一本吸った。

「悪いな。家じゃカミさんや娘がいて吸えなくてな」

 もう一度ヤニを吸い込み、マルスの眼を見つめた。

「それで、お前さんは何処から来たんだ? アルカディアなんて地名は聞いたこと無いぞ」

「俺も急にこっちに飛ばされて…、気がついたらあの辺にいたんだよ」

 マルスは唸りながらもう一度よく考えてみる。だが考えてみてもよくわからない。

「ただ。俺は襲われていた人を助けようとしただけで、町の人を襲おうしたとか…そんな理由じゃないんだ。信じてくれ!」

 身を乗り出し訴えるマルス。佐々木警部も、口にはしていないが目の前の男が通り魔的に他人に危害を加えるような人間でない。ということだけはわかっていた。

 と、そこでドアを勢いよく開くと、小林が入ってきた。

「警部! 娘さんが見えてますよ」

「んな…、大声で言わなくても聞こえてるぞ!」

 佐々木警部は頭をかきながら小林に注意する。だが多分すぐに忘れるのだろう。

「悪いな。それじゃ、ちょっくら席外すわ」

 警部が席から立ち上がろうとしたその時、ガッシャーン!というガラスの割れる音と悲鳴が受付から響いた。


   *    *    *


 太陽が西に沈み、東側の空が夜色に染まっていく中、斜陽の影に蠢く一つの闇があった。東の空を抉り取るかのように黒い円が生まれ、その風穴を潜り抜け現れた不気味な人影。老人のような長い髭と邪悪な力のみなぎる杖を持つ男、魔王の腹心・グモ。

「グハハハァ…。この世界に勇者が居るのだな?」

 そしてグモの抜け出た穴からは黒い霧が染み出し、秋葉原の町並みに暗雲の如く立ち込めていった。

 グモは空中に静止すると瞑想を行い、光の魔力が集まる場所を探す。

「グフフ、あそこか」

 すぐに勇者のいる外神田警察署を捉えると、黒き霧を従え爆発を引き起こす呪文を唱える。

「砕け、撃ちすえよ! マナエクスプロージョン!」

 爆発の魔法は正面玄関をパトカーごと吹き飛ばし大穴を空ける。すぐに警官がグモを止めようとするが、濃度の高い黒い霧に包まれほとんどの者が倒れてしまった。

「グハハハ。容易いな、人間」

 尚も黒い霧を放ち続け、漏れ出た霧はどんどんと街中にまで闇色で包み込んでいく。

「そこまでだ、抵抗するようなら撃つ!」

 威嚇射撃を行うと、小林がグモの前に躍り出た。

「―なんなんだ、コイツは…!」

 グモを正面から見据え、小林は固まった。その異形の姿は彼に恐怖を刷り込むに十分過ぎる。

「グフフ、どうした?」

 グモが一歩前に出る。小林は拳銃を構え…ようとしたが一瞬で体の感覚が無くなり、その場で倒れこんでしまう。もう霧の瘴気が体中に回ってしまった後だった。

「さて、勇者はどこだ?」

 その時、バン!という空気の爆ぜたような音が響き、グモの右胸を弾が撃ちぬいた。

「美優! 無事か!」

 佐々木は小林の安否を確かめると、おつかいで来ているはずの一人娘の姿を探しまわった。窓ガラスと天井の一部が壊されているが、他の職員も小林同様気絶しているだけのようだ。

「お父さん!」

 佐々木の背後から娘の声が聞こえた。振り返るとなんと、先ほど心臓を撃ち貫いたはずの男が美優を人質に取っていたのだった。

「み、美優!」

「グフフ。残念だったな」

 グモの右胸が煙を上げ、傷が塞がっていく。濃度の高い霧の中で魔族に傷をつけることは難しい。

「お父さん…」

「グハハ、動くとこの小娘が消し飛ぶぞ?」

 グモの杖の先端に燃え盛る火球が灯り、ただの脅しではないことを示す。

「くそ! 何が狙いだ!」

「お前たち、ただの人間には用はない…。だが、愛する娘の前で殺される父親というのも悪くないな」

「…!」

 グモの口に激しく燃える炎が集まる。

「そこまでだ! グモ」

 倒れた椅子やテーブルを足場にし高く跳躍すると、上からグモを叩きつける。マルスだった。何処で見つけてきたのか手には木刀が握られていた。

「何!?」

 完全な不意打ちにグモがよろける。マルスはその隙を見逃さずに、人質に取られていた美優を助け出す。

「おのれ…! 勇者だな!」

 グモが標的をマルスにむけ火炎を吐こうとするが、佐々木警部がすかさず拳銃でグモを打ち抜く。

「お前…。来るなって言っただろ!」

 警部の前で美優を降ろすマルスに怒鳴りつける。

「アイツは俺を殺しに来たんだ。俺が戦わないと!」

 マルスは背中で美優を庇いながらグモとの間合いを計る。

 美優はマントをはためかせ剣を振るうマルスを見て、「まるで勇者みたい」だと思っていた。

「おい。武器もない奴は邪魔だ。お前は美優を連れて逃げろ! 裏から逃げられる」

 警部はマルスと美優の前に立ち銃口をグモに向けると視線を逸らさずに続けた。

「美優を頼む」

「…お父さん」

 美優が小さく声を絞り出すが、警部は聞こえていないように押し黙ったままだった。

「…わかった。俺に任せてくれ」

「おぅ。頼んだぜ勇者様」

 警部はマルスに片手を上げ答えた。マルスは美優の手を取ると裏口目指し走りだした。

「お父さん!」

「…美優、しっかり守ってもらえよ」

 もう見えなくなった娘を案じ、小さく呟いた。

「グフ、逃がしはせんぞ!」

 グモもマルスを追おうと身を翻すが、それを警部が足止めする。

「おいお前! あんまり警察なめるんじゃねえぞ!」

 続けざまにグモに向け二発ほど見舞うが、魔法の障壁に阻まれ当たらない。

「貴様、ただの人間風情が何故霧の中で動けるのだ…? まぁ良い、貴様から先に消してやろう」

 グモは標的を警部に絞ると、かざした杖から不気味なルーンが浮かび上がる。警部も弾を込めなおすと、グモ目掛け引き金を引いた。


   *    *    *


 外神田署の裏口から出ると、まだ夕刻だというのに空には黒く暗い闇に覆われていた。街を覆い尽くす黒き闇は、マルス達の世界を浸食する霧と同質のものだろう。霧の魔力は行き交う人々もその毒牙にかけ、道路のあちらこちらに人が倒れている。また、霧の直撃を受けなかった者も石化していた。生まれつき魔力を持たないこちら側の人間にとって、この霧は脅威だ。

「勇者さん、空が…」

 異質な空を見上げ、美優が息をのむ。

「あぁ、魔王の黒い霧だ。この霧の中じゃ光の剣無しには動けなくなっていまうんだ」

 そこまで説明しならも取り戻した光の剣を見つめ、マルスにふと疑問がわいた。『美優や佐々木警部は何故霧の中でも動けたのだろうか? たまたま魔力が高いだけなのか?』

 しかし、考えるのは二の次だ。そもそもマルスにそういった考察は向いていない。こんな時にアリスやパステルがいてくれれば…。ついそんな考えが頭を過ぎる。


 当てもなく霧の街を進む二人。しかし街中が霧に包まれてしまった今、安全な場所は望めない。霧はもうこの街の中に止まらず、この国・この世界中に広がり始めているかもしれなかった。霧の中は歩くだけで体力を奪っていく。早く何処か安全な所を見つけて美優を休ませないといけない。

「…」

 その時、霧の向こうで小さく人の話し声が聞こえてきた。

「誰だ!」

 マルスはすかさず美優を背中で庇い、剣を構える。

「あれ? マルス?」

 霧が払われ現れたのは、なんとユイリアたちだった…。


   *    *    *


 黒き霧は建物の隙間を見つけては入り込み、室内と言っても安全とは言えなかった。マルス達一行は休息を取るために、表通りのとある店の中にいた。

「よかった。ほんとに心配したんだからね!」

 マルスの顔を見つめ、ユイリアが満面の笑みを向ける。マルスが飲み込まれてしまって、一番心を痛めていたのはやはりユイリアだろう。

「悪い。でも、まさかユイたちが来てくれるとはな」

 マルスもそんなユイリアに笑顔を向ける。やはり仲間達が駆けつけてくれれば、異世界だろうと心強い。

「私が連れてきてやっただけです。二人…特にパステルさんの足の引っ張り具合と言ったら…」

「アリス、待ちなさい!」

 そして、アリスとパステルのお馴染みのやり取りが続く。マルスたちが再会を喜び合っている中、美優は一人蚊帳の外だった。

「…」

 美優は少し離れた所に腰を下ろし、四人の様子を眺めていた。元から人見知り気味だったのに、一度に初対面の人が三人も増えてしまったらもうお手上げだった。

「―もう嫌、家に帰りたい」

 床を見つめ一人溜め息をつく。いろいろなことがありすぎて、肉体的にも精神的にも疲れてしまった。

「…ところで、マルス」

「ん? なんだ?」

 マルスの隣にいたユイリアが、部屋の隅に座る美優のほうへ視線を送る。

「あの子、誰?」

 ユイリアに聞かれたことをしばらく考えると、マルスは「あ」と手を打った。

「悪い。美優のことみんなに紹介してなかったな」

 どうやら、美優とユイリア達が初対面だという事が、すっかり頭から抜けてしまっていたらしい。突如名前を呼ばれ美優が顔を上げると、ユイリアと目が合ってしまった。慌てて視線を逸らそうする美優に、ユイリアが優しく微笑みかけた。


 マルスが美優と佐々木警部に助けられた旨を説明し、続けてユイリアたちを美優に紹介した。

「美優ちゃん、よろしくね♪」

「は、はい…」

 にっこりと微笑むユイリア。しかし美優の緊張はほぐれていなかった。

「あの~。皆さん私のこと忘れてませんか~?」

「…ぇ」

 アリスの胸に抱かれていたクマのぬいぐるみが突然口を利き、美優は驚き思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。…しかも、その可愛い容姿を裏切るようなダミ声で喋っている。

「…ついでに、こいつはボブです。速効で忘れてもらってかまいません」

アリスが苦々しげにボブを紹介した。ぬいぐるみが突然喋れば驚かせてしまうだろうと、あえて美優には紹介しなかったのに。しかしボブにそんなアリスの考えを察する事は到底期待できるわけがない。

「と、言うわけで私のこともよろしくお願いしますね~。ぁ、抱っこする時には綿が寄らないように注意してくださいね~」

「は、はい…」

 話している間中も、ボブの手足が奇妙にひょこひょこと動いていた。

 一通り紹介されたが、「異世界の勇者」や「聖女」、そして「喋るぬいぐるみ」。そんなゲームから飛び出てきたような人達が目の前にいることに、美優は自分の胸の高鳴りを感じていた。マルスやユイリア達の冒険した世界こそ、美優が密かに夢見ていた「RPG」の世界そのものだった…。


「それじゃみんな、美優を頼む」

 マルスは立ち上がり四人を見回した。

 ―ユイリアや世話焼きなパステルと一緒なら美優も心細くないだろうし、もし何かあってもアリスがいれば十分対応出来るだろう。

 マルスはそう考えながら最後に美優を見つめる。そんなマルスの視線に気づいたのか、美優が不安そうな瞳で見つめ返した。

「頼んだって…、マルスはどうするの?」

 ユイリアも心配そうに問いかけた。折角マルスに再会できたのに、また離れ離れのなってしまうかもしれない…。ユイリアは、それだけは絶対に嫌だった。

「まさか、一人でグモと戦いに行くつもりじゃないでしょうね? 私たちも一緒に…」

 自分も一緒に行くと立ち上がったパステル。しかしマルスは、首を横に振り制した。

「いや。パステルには、霧の生んだ魔物が襲ってきた時にみんなを守ってほしい」

 黒き霧には、人間の力を奪うという力以外にも「魔物を生み出す」という力を持っている。霧に街中が飲み込まれた今、いつ魔物が襲ってきてもおかしくない。もし魔物に襲われても、パステルならば攻撃も回復もできるので安心だった。

「俺が…、俺がグモを倒さないといけないんだ」

 そう自分に言い聞かせ、光の剣を強く握り締める。グモの魔法に嵌められ、こちら側に迷い込んでいなければ美優や佐々木警部を巻き込んでしまうこともなかったのだ。マルスは勇者として責任を感じていた。

「マルスさんはグモと戦いに行くつもりですか?」

 アリスだけはいつもの冷めた反応を返した。

「あぁ。アリス、みんなを頼む」

 一番こちら側に詳しいアリスなら、三人を任せられる。本当は美優のことはマルス自身が守る約束だったが、心強い仲間達なら警部も納得してくれるだろう。

「別にいいんですけど、私たちじゃ戦力になりませんよ」

「…どういうことだ?」

「こちら側の世界では、魔法は使えませんから」

 アリスがつまらなそうに答える。もしそれが本当ならば、レイピアを持つパステル以外はまともに戦えないことになる。ユイリアの持つ杖もアリスの短剣も、打撃武器としては完全に攻撃力不足だった。

「魔法が使えないっていうのは、本当なのか?」

「えぇ。なんでしたら試してみますか?」

 アリスの言葉に、パステルたちも試してみるが、詠唱を行っても何も起こらない…。そんな中美優は、本物の魔法が見られると思っていたのでこっそりと落胆していた。

「え~。なんで魔法使えないの?」

「ほんとに使えないわ…」

 ユイリアたちも驚きと戸惑いの声を上げた。

「それは簡単ですよ。『こちら側』に魔法がないからです」

 二人の困惑の声に、アリスはきわめて冷静に答えた。勿論使えない事が平気な訳ではない。魔法攻撃をメインにするアリスにとって、魔法が使えないという事は一大事で、自身が役に立てないという事だ。それを認める様なことは、自尊心の高いアリスの口数を減らしていた。

「…まずいな」

 想像していなかった事態に、マルスは舌を巻いた。ここで四人を残してしまっては、パステルが一人で戦うことになってしまう。だから言って、全員でグモとの戦いに臨めば美優を守りきれない…!

「一体、どうすればいいんだ…」

「…マルス」

 困窮するマルスと、マルスを心配そうに見つめるユイリア。アリスやパステルも黙り込み、徐々に黒の霧に侵食される室内はどんよりと空気が重い。その沈黙の破ったのは、今まで俯くばかりだった美優だった。

「ぁ、あの。私のことは気にしないでください。別に一人でも…」

「ダメだ。美優を置いてなんていけない」

 美優一人残しては、またさっきのような危険な目に合わせてしまうかもしれない。

「そうよ。こんな所に一人でなんて危なすぎるわ」

 出会ったばかりの人たちに自分のせいで迷惑をかけたくない。それに美優は、一人でいるほうが気が楽だった。しかし、マルスやパステルがそんな事を許すわけが無いのだ。

「…そうですね。放置しておいてはいかないでしょうね」

 そのやり取りを見ていたアリスも、マルスの意見に賛同してくれているようだ。…珍しい。

「あら、珍しく意見が合ったわね」

 パステルは笑みを浮かべながらも、物珍しそうにアリスを見つめる。普段のアリスだったらもっとドライな反応をしていただろう。

「別に、お前たちの意見に賛成したわけじゃないです」

 アリスはむすっと剥れながらも言葉を続けた。

「私が言っているのは、グモのことです。あれはマルスさんを始末しに来たわけですから、マルスさんが元の世界に戻ると知れば…」

「あ! グモもセットで戻ってきて、お得だね♪」

「そういうことです」

 肝心な所をユイリアに割り込まれ機嫌を損ねたのか、ユイリアに冷たい視線を送りつつもアリスが頷く。

「俺たちを追って、グモも戻ってくる…か」

 アリスの言葉に感心し頷くマルス。

 自分たちの不利なこちら側の世界で戦うより勝算も高い。なにより、美優をこれ以上危険な目に合わせるわけにはいかない。しかし、それでは…。

「待ってくれ! そうすると美優の親父さんを助けに行けないじゃないか」

 もしかしたら、警部はまだ戦っているのかもしれない。それを見捨てるような真似はマルスにはできなかった。

「…もう手遅れだと思いますよ。この霧の中で普通の人間は活動できませんよ」

 アリスの冷たい言葉に美優は下を向く。しかしアリス本人は、そんな美優の反応に気づくことなく続けた。

「それに、もし霧に抗えたとしても魔族とただの人間が戦って、勝てる見込みはないんじゃないですか?」

「アリス!」

 パステルの怒気を含んだ怒鳴り声がアリスを黙らせる。狭い室内での彼女の高い声はよく響いた。

「大丈夫よ美優。私たちがついてるんだから」

 アリスを黙らせると、今度は別人の様に優しく美優を抱きしめた。

「そうだよ。美優ちゃんのお父さんだって、きっと大丈夫だよ」

 パステルに抱きしめられている上からユイリアにまで抱きしめられ、少し苦しい美優。苦しいけれども、赤の他人だった自分や、自分の父親の事まで心配してくれる二人に少しだけ感謝もしていた。

 その時、周囲の闇が微かに動いた。

「マルスさん、何か来ます!」

 その動きにいち早く気付いたアリスが叫ぶ。

「なに!」

 美優の背後の闇がうねり、闇から生まれた漆黒の獣が牙を剥く!

「三人とも避けてくださいね」

 突然の敵に抱き合い固まる美優達。その3人目へ狙いを定め襲い掛かる魔物目掛け、アリスが愛用の短剣を放った。短剣が美優の頭すれすれを掠めると魔獣を射止めた。

「グルルルルゥ!」

 改心の一撃。脳天に短剣が直撃した魔獣は、苦しげにうなり声を上げ霧散した。

「…みんな大丈夫か?」

 マルスが慌てて美優たちのところに駆け寄る。

「は、はい…」

「びっくりしたよ~」

 魔物に襲われたことより、アリスの投げた短剣が自分達の頭すれすれを通ったことに驚いていた。美優は腰まで抜かしている。

「アリス! 危ないじゃない。私達に当たったらどうするのよ!」

「大丈夫です、この私が外すわけありません」

 怒り出すパステルと、何故か胸を張るアリス。その自信はどこから沸いてくるのだろう?

「…あ、あの。今のがモンスターですか?」

 美優が遠慮がちに口を開いた。

「そうだよ。「霧の番犬」で、この霧から生まれる魔物なの。…弱いんだけど、たくさん出るから大変なんだよね~」

 美優の問いにユイリアが答える。初めて見た魔物の姿に、美優は恐怖より興味のほうが勝っていた。気持ちテンションが高い。

「それじゃ、仲間を呼んだりとかも…?」

「うん。って、美優ちゃん詳しいね~」

 美優の意外な反応に、ユイリアは目を丸くして驚いていた。

「そうなんです。霧の番犬は、他にも索敵機能やらも持っている強敵なんですよ」

 アリスがユイリアに代わり説明する。が、「強敵」の部分を無駄に強調する。

「…アリスさん、自分が倒した敵を勝手に強敵にしないでくださいよ~。霧の番犬ならそんなに…」

「黙れ、クマ」

 ボブの首が絞められる。

「まったく…。でも本当に、面倒な敵な事には変わりないわ」

 溜め息交じりにアリスをたしなめるパステル。確かに体力は少ないものの、対処を間違えば大変なことになる魔物だった。ここで戦ってしまった事で、恐らくグモに位置がばれるのも時間の問題だろう。休息も十分取れたことだし、そろそろ移動しなければならない…。と、マルスが一人考えを巡らせていると、ユイリアがすっと片手を上げた。

「ん、どうした? ユイ」

「あのね。また私、いい事思いついちゃったんだけど…」


   *    *    *


 夜の帳が下りた秋葉原。普段ならば平日でも人でごった返し、会社帰りのサラリーマンや学生などの買い物客で活気に包まれている頃だろうか。しかし今その面影はまるでなかった。黒き霧に光を奪われ、街中が廃墟のように静まり返っている。

 グモがもたらした呪いの霧の直撃を受けたものはその瘴気に倒れ、それ以外の者も石化していた。今この街は、光を奪われ石にされた人々が立ち尽くす呪われた街と化していたのだった。いや、この街だけではない。霧は無限に広がり続け、やがてこの世界全てを闇に染めるだろう。

 そんな街中を一望出来る高いビルの上に、その邪悪な影はいた。

「おのれ人間風情が、私に傷を付けるなど…!」

 警部を倒した後から治癒は続けているものの、傷は今も残っていた。もっとも、自身の傷などこの霧の中では幾らでも回復できるだろう。そんなことより魔道の杖を撃ちぬかれてしまったことが大きかった。

 佐々木警部とグモの戦いは、グモの勝利に終わった。警部はグモが魔法を放つ直前に杖に嵌め込まれた宝玉を撃ち砕き、魔法の暴発を引き起こしたのだった。その爆発に巻き込まれたグモと警部は吹き飛ばされ、グモは大怪我を負っていた。一方警部は、吹き飛ばされてからすぐに霧の瘴気に負け倒れたていた。あっけない幕引きだ。今頃、部下共々石像にでもなっているだろう。

「グフフ、まあ良い。勇者さえ殺してしまえば此方のものだ」

 今グモは、霧から生まれた魔物「霧の番犬」に勇者を探させていた。霧の番犬は動くものを察知し攻撃する。何処かに隠れた勇者を見つけ出すのも、時間の問題だろう。

「グハハハ。足手まといな小娘を連れて何処まで逃げおおせると思っているのか、勇者よ」

 本来ならばグモが直接魔力探知を行い探し当てていたが、この傷では精神統一もままならないのだ。

「グフ? 見つけたか!」

 その時、ある一箇所から霧の番犬の遠吠えが響き、それに街中の魔獣達が呼応している。…どうやら勇者を見つけ出したようだ。

「グフフフ。勇者よ、一人でこの番犬共を捌ききれるか見物だな」

 グモは、耳まで裂けた口を歪めて不気味に笑った。


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