第2話 哀しみを胸に ~ 時の眠る場所
鬱蒼と茂る夜の森。時折覗く月明かりだけを頼りに木々の合間を抜けていく三つの影があった。
「…ねぇ、アリスちゃん。グモのところに戻ってマルスを助けに行かないの?」
ユイリアが弱弱しく先頭を進むアリスに声をかけた。魔王城を脱出してから何度目だろう。何度とない問いかけにもアリスは聞こえていないように黙々と歩を進める。一方のユイリアは今にもその場に座り込んでしまいそうだった。
「ねぇ、アリスちゃん…」
「戻っても、マルスさんを助けることはできませんよ」
アリスがやっと重く口を開いた。しかし立ち止まることも振り向くこともなく、歩みを進めることは止めなかった。
「いい加減、何処に向かっているかくらい話しなさいよ」
未だにユイリアの手を引きながらアリスの後ろを歩くパステル。彼女の口調も不安からか荒々しく物になっていた。
「勿論、マルスさんを助けに行くんです。これは私の推測ですが、マルスさんは異世界に飛ばされてしまったようです。だから、こちらから迎えに行きます」
「…ホント?」
アリスの言葉にユイリアがはっと顔を上げた。
「えぇ。ただ確実に助けられるかはわかりません」
またマルスに会えるかもしれない。そう思っただけで、ユイリアは自分に元気が戻ってくる様に感じた。
「異世界って…、一体どうやって行くつもりなの?」
パステルが尚も問いかける。
「それはですね…、見えてきましたよ」
アリスが立ち止まり指差す先。木々の間から差し込む青白い月明かりに照らされたのは、古びた白亜の建物だった。
苔生し蔓草に覆われた外壁からは、かなりの年月が覗える。長年の風雨に晒されたその遺跡は、小屋程度の大きさの建物を残しほとんど崩れていた。
「ここって何なの?」
天井部分が崩れた壁に寄りかかり、ユイリアがアリスに尋ねた。その顔からは今もまだ不安の色が抜けない。
「ここは昔に、魔王を封印した『伝説の勇者』が現れた場所です」
「…マルスの先祖ね」
辺りを見回しながらパステルが呟く。アリスもそれに小さく頷く。
「そうです。だから魔王は新たな勇者が現れないように、ここを封印したんですが…」
説明を続けながら、残った小さな建物には似つかわしい立派で頑丈そうな扉の前に立つと、解除の呪文を唱える。
「素敵なことに、封印の解除の仕方は私も知ってるんですよ」
ガチャン!と錠の外れる音がすると、小屋に不釣合いな大扉は音もなく左右に開いた。
三人が遺跡の小屋に入ると、部屋の中は不思議な気に満ちていた。祭壇のように一段上がった先には、輝く渦のようなものが静かに廻っている。その神秘的な光にパステルたちが見入っていると、背を向けているアリスの胸元から聞き覚えのあるくぐもった声が聞こえてきた。
「これが異世界とこの世界を繋いでいる『渦霧の扉』です。マルスさんのご先祖様は、異世界の人だったんですね~」
と、得意気な解説。振り返ったアリスの腕には見慣れたクマのぬいぐるみが抱かれていた。
「ボブって、焼けちゃったんじゃないの…?」
ユイリアがボブの頬に手を伸ばす。
「時間が経てば復活するんですよ、これは。だから私は死なないって言ったのに」
「そうだったんだ…、直ってよかったね」
ユイリアは久しぶりの笑顔を見せながら、ぬいぐるみの頭の撫で撫でする。
「だからって、アリスさんは人形扱いが酷すぎますよ」
ボブのぼやきには誰もコメントしなかった。
「それで…、この渦の中に飛び込めばいいのかしら?」
パステルが急かすように説明の続きをアリスに求めた。
「そうですね」
渦に近づきながら頷くアリス。
「それじゃ、すぐに行こうよ」
ユイリアが恐る恐る渦に靴の爪先を触れようとするが、渦に触れるその時、アリスに制された。
「え?」
「待ってください。私もしばらく『あちら側』には行ってませんし、何事にも順序があります」
そう言うと、ぽいっとボブを渦の中央に投げ入れた。
「またっスカ~~~!」
渦に飲まれ消えていくボブは、海にでも投げ捨てられたかの様にあっさりと渦に飲まれ…沈んで消えた。
「ボブ…沈んじゃったね」
ユイリアがぽそっと呟いた。正直な感想を言うと、自分が飛び込むのは少し抵抗が生まれたユイリアだった。
「…そうね」
パステルもそれに頷く。あの光景を見てから自分も飛び込むのだと思うと、少し躊躇ってしまう。そんな二人の様子に気づいたアリスがフォローを入れた。
「大丈夫ですよ。ボブと私は精神で繋がってますから。ボブを通して『あちら側』の安全を確認します。それに向こうの鍵も開けないといけませんし…」
などとアリスにしては珍しく詳しい説明をしているが、パステル達の不安は全く払えていない。
「さて…、大丈夫みたいですね。もう飛んでいいですよ」
「え…、うん。パステルちゃん、どう?」
「わ、私はいつでも行けるわよ。マルスを助けに行ってあげないといけないんだし」
「…そうだね、マルスが待ってるんだもんね」
ユイリアも渦に飛び込む決心がついたようだった。
「それじゃ、狭いので一人ずつ来てくださいね」
そう言い残すとアリスは渦の中心目掛け歩み始めた。一歩進むごとに彼女の身体が渦の中に沈んでいき…、そして渦の中央へ辿り着く頃には光の中に消えてしまった。
「それじゃパステルちゃん。先に向こうで会おうね」
「え…、えぇ。わかったわ」
ユイリアはパステルに手を振りながら渦の中心目掛け跳んだ。光の中に入った瞬間景色が歪み…、そして視界の全てが青白い光に包まれていった…。
* * *
気がつくとそこは狭い路地裏のようだった。自分を囲むように見慣れぬ高い建物が建ち並び、見上げると建物で空が四角く切り取られているようだった。
「痛ぇ~、いったい何処なんだここは?」
先ほどまでいたはずの魔王城は影も形もなく、一緒に旅をしていた仲間たちもいない。突然のこの状況にマルスは混乱していた。
「グモの魔法に飲み込まれて…、それから俺は、どうなったんだ?」
敵の魔法『次元断層』に嵌められたところまで覚えている。光の剣が眩い光を放っていたような記憶もあるが、今手に持ったその剣からは何の力も感じないのだった。
「参ったな~。とりあえず誰か町の人を見つけないとな」
マルスは路地を抜け、人気のありそうな方に向かって歩き出した。
「それにしても変わったところだな~。こんな街来たことないぞ」
歩きながら街中を見回してみるが、高い建物が立ち並ぶその町並みに見覚えはない。マルスは自分が歩いている場所にまったく見当もつかなかった。さらに店の多さにも驚いていた。
「村川無線って何の店なんだ? 武器屋には見えないしな…」
店中や露天商店には見慣れない部品のような物が売られているが、用途がまったくわからない。そんな中、出窓がついた可愛らしい建物が見える。周りの商店と一風違った店構えがあった。
「メイド喫茶『メルシィ』…? ほんとに聞いたこと無いような店ばっかりだな」
見慣れた洋風な概観から淡い期待を抱き近づいたが、結局マルスのわからない店だった。マルスががっくり肩を落としていると何処かから人の声が聞こえてきた。
「こっちのほうだな」
町の人間に会えればここが何処だかわかる。そう考えたマルスは声のするほうに急いだ。
「おいおい、何処見て歩いてるんだよ。お前が当たってきたんだからさ、ちゃんと侘び入れないとダメなんじゃねぇの?」
「す、すいません…」
「ぁん? なんだ?」
「やっぱ誠意は物で見せてくれないとなー」
マルスが向かった先では、一人の男性が三人のチンピラに絡まれている真っ最中だったのだ。
「おいお前たち! なにやってるんだ!」
マルスは反射的に囲まれている男性を庇うように、チンピラたちの間に割って入る。
「なんだ! このコスプレ野郎?」
「俺たちとやろうってのか!?」
獲物を前に邪魔され、チンピラたちはマルスを睨みつける。マルスも応戦しようと男性を背中で庇いながら腰の剣を抜いた。
「おいおい勇者様気取りかよ? そんなコスプレで俺たちとやりあえると思ってんのかよ!」
と、マルスの光の剣をおもちゃか何かと勘違いしたらしいチンピラの一人が、素手で剣に手を伸ばした。
「お、おい! 危ないぞ?」
チンピラの予想外の行動に、マルスは驚いたような声を出す。しかしチンピラはそれを狼狽したと勘違いし、勢いよく抜き身の剣を掴む。
「こんなもんでマジでや・・・痛ぇ!」
声をかけるも遅く、刃に触れてしまったチンピラの手には、一筋の紅い線ができていた。
「イッテェェ~」
「おい…、あれ本物じゃねぇか」
「テメェ、覚えてろよ!」
マルスの持つ剣が本当に斬れる事がわかった途端、チンピラたちは後ずさり、捨て台詞を残すと逃げ出してしまった。
「なんだったんだ? とりあえず助かってよかったな」
マルスが男性の方を笑顔で振り返ると、男性はとっくの昔に逃げていたのだった…。
「…あれ」
困惑するマルス。
「おい君!」
声をかけられ振り向くと、お揃いの服を着た男が二人、マルスのほうへ向かってくる。
「こんな所で刃物を振り回したら危ないだろう! ちょっと署まで来なさい!」
その男性二人組は『警察官』であり、警察の仕事をマルスが知ったのはもう少し後になってからだった…。
* * *
ユイリアが目を開けると、見知らぬ部屋の中に立っていた。狭い室内にはガラスのショーケースがずらっと並んでいた。ケースの中身はほとんどが見たことも無い人形や光るカードばかり。1つだけ扉が開けられているショーケースの中身には見覚えのある小さくなった蒼い渦が収まっていた。
「なにこれ。ミニ渦霧の扉?」
「そうですよ。ショーケース内に収まるように小さくした、渦霧の扉です」
突然の相槌に驚き振り返る。
「ぁ、アリスちゃん」
「…レンタル料に一万二千円も取られました」
ユイリアが見えているのかいないのか、アリスは一人不満そうに愚痴を漏らしている。渦霧の扉を抜けた先は、レンタルショーケースという店の中だった。売り場としてショーケースをレンタルする委託販売が行えるらしい。アリスは人目の付きにくい位置のショーケースを借りると、そこに渦霧の扉を保管しているのだと言う。一万二千円というのは、そのショーケースの利用分の料金なのだろう。
「頭いいと思いませんか?」
とアリスが胸を張ったその時、今まで淡い光を放っていた霧渦の扉がひときわ強く輝き出した。
「…来ましたね」
「え…?」
アリスはユイリアの手を引き、渦の入ったショーケースから遠ざける。それに呼応ように渦はさらに強く光
を放った。
「きゃぁ~!」
一瞬煌いた光にユイリアが思わず眼をつぶる。そして再び眼を開けると目の前に立っていたのはふらふらになったパステルだった。
「…パステルさんは随分と遅かったじゃないですか」
「アンタね、あんな渦にコロコロ飛び込めるわけないでしょ!」
パステルにとってはとても辛い旅路だったようだった…。