第1話 魔王の城 ~ 強き者たち
見上げれば暗く、吸い込まれそうなほど高い天井。壁や扉に施されたのは今にも動き出しそうに精巧で、不気味な魔物のレリーフ。昼間でもなお薄暗い城内に地響きが木霊した。
―グォォォォォォ!
人の2倍はある巨体からは想像も出来ないほどの俊敏さで、巨大な棍棒が振り下ろされる。痛恨の直撃を受けた床には巨大な穴が開き、その威力を物語る。魔王城を進むマルス達の前に立ちふさがったのは、一つ目の怪物・サイクロプスだった。
「こんな攻撃くらったらひとたまりもないぞ。みんな、俺の後ろに下がっていてくれ!」
マルスは仲間に指示を出し光の剣を構えると、自身に狙いを定め今にも棍棒を振り下ろさんとする一つ目の巨人目掛け、一気に間合いを詰めた。
「お願い、マルスを護って!」
後方に下がっていたユイリアが加護の呪文を唱えると、勇者の体に光のベールがかかる。攻撃魔法などはあまり得意ではないユイリアが、最も得意とする補助魔法だった。
仲間からのサポートを受け、マルスはサイクロプスの攻撃を紙一重でかわす。そしてすぐさま跳躍し、垂直に斬りつけた。そこへ…、
「消し飛びなさい、木偶の坊。
…―いでよ、火の玉。地獄の業火」
小さく押し殺した声で詠唱が響いたかと思うと、巨大な火球が負傷したサイクロプスを飲み込み、一瞬で蒸発させてしまった。
「・・・」
目前で戦っていた敵を粉砕され、固まるマルス。自分の髪からはちりちりと焦げた臭いがする。
「ふぅ、やっと片付きましたね」
マルスとユイリアが唖然とする中、強力な攻撃魔法を放った張本人であるアリスは、わざとらしく肩をすくめて見せた。
「アリス、危ないじゃないの。こういう時に大きな魔法なんて使っちゃダメでしょ!」
一人動じる事無く怒っているのは、マルスと同じく世界を救う使命を持った少女、パステル。貧乏な家庭で育った彼女は「魔を封じる」聖女の力を持っており、勇者であるマルスと共に魔王を再び封印するために旅していたのだった。
一方のアリスは元々魔王の配下だったが、魔王を裏切り今は勇者達と共に旅の仲間となったのだった。しかし、
「いいじゃないですか。ちょっとマルスさんを巻き込んだ感はありますが、さくっと倒せたんですし」
…性格は目立ちたがりのひねくれ者なのである。
「ま、まぁまぁ。結果的に倒せたんだから、いいじゃないか。俺にちょっとかすった程度なんだし…」
慌ててマルスが二人に割って入る。
パステルは頑固というか、融通の利かない面があった。そんなパステルの性格がアリスと水と油の関係なのかもしれない。そして何より…、
「まったく、いかにもボス戦のありそうなダンジョンの探索中に、あんまりMP使っちゃダメでしょ」
貧乏な暮らしを続けていたためなのか、彼女はお金やMP節約にはとてもシビアなのだ。
「あ~ぁ、マルス結構焦げちゃったね。ほっぺとか火傷かな?」
「イテテ。ユイ、あんまり突かないでくれよ…」
マルスの隣に座ったユイリアが、呑気に火傷を負ったマルスの頬を指でつつく。
ユイリアは、マルスの家の近所の道具屋の一人娘。二人は幼馴染同士で、マルスの旅の仲間の中では一番長い付き合いだった。ゆったりした口調とマイペースな性格で、パーティーの仲を取り持つムードメーカーだったりもする。
魔王城を探索中の勇者パーティーは、魔物から姿を隠せそうな場所を見つけると、束の間の休憩を取っていた。マルスの横に座り、じっとマルスの横顔を見ていたユイリアが思い出したようにパステルの方を向き
「そうだ、パステルちゃん。この火傷なんだけど治してあげられる?」
マルスの横顔を無理やりパステルに向けさせた。
「さっきのアリスの魔法のせいね。いいわよ」
と、パステルは杖を持つと癒しの魔法を唱え、暖かい光が舞い降りる。
「はい、終わったわ」
あっという間にマルスの傷が回復した。
「ありがとな」
慣れた手つきで回復魔法を使うパステル。MP削減を掲げる彼女も、HP回復だけはこまめに行ってくれた。その光景を遠巻きに観察していたアリスが、いつも抱いているクマのぬいぐるみに力をこめて抱き絞めながら3人に近づいてきた。
「…パステルさんも、回復魔法には随分寛容じゃないですか」
その表情には不満と皮肉の色が滲み出ている。というか、本人は不平不満を隠すつもりは微塵も無い。先ほどパステルに怒られたことを今も根に持っているようだ。
「パステルちゃんは優しいからね♪」
笑顔で答えるユイリアに無言で一瞥をくれながら、パステルの反応を覗っているようだ。
「別に不必要じゃないMP消費ならいいのよ。第一、体力が0になっちゃったら、そっちの方がいろいろお金なりかかるでしょ? そうならないように、回復するのよ」
真顔で、そして笑みさえ浮かべながら「死」の面倒さを語るパステルに、さすがのパーティーも固まった。
「あぁそれに。今使った杖はMP消費しないで使えるから、いつでも回復してあげるわよ?」
パステルは戦闘用の細身の剣「レイピア」と、回復用の杖を持ち歩いている。戦闘中に道具としても使える「祝福の杖」は彼女のお気に入りアイテムの1つだった。
「…って言うか、アリスさんは自分が止めを刺せたのに怒られた事を、根に持ってるだけなんですよね~」
突如、アリスのぬいぐるみが声を発した。
「な…、黙りなさい。ボブ」
アリスは慌ててクマのぬいぐるみ
の首を絞める。
「ひ、酷いじゃないですか~。アリスさ~ん」
「いいから黙れ」
アリスがグイグイ首を絞めているクマの名前はボブ。可愛らしいテディベアの姿をしながらダミ声で喋る、不思議なぬいぐるみだった。
「さてと、そろそろ先に進むか。アリス、案内頼んでいいか?」
先頭を進むマルスが振り返り、パーティーの一番後ろを行くアリスに道案内を頼んだ。
「仕方ないですね。まぁ、そこまで仰るんでしたら最短距離で連れて行ってあげましょう。私に感謝してくださいね」
休憩を終えたマルスたちは、再び魔王城の中の探索を開始した。元々魔王の配下だったアリスの案内のおかげで、迷うことなく進むことが出来る。しかしそんな中…!
「ちょっと待ちなさい。ちゃんと宝箱は全部取れるんでしょうね?」
パステルがまた不満があるようだった。アリスの「最短距離」という単語に反応したようだ。彼女はダンジョンに入ったら宝箱を全部見つけないと気が済まない性格なのだ。
「…まったくお前は、本当に面倒な性格してますね」
アリスはこめかみを押さえ振り返る。出鼻を挫かれ相当不満そうだった。
「そういうアリスさんだって、大分面倒くさ…」
無言でボブの首がグイグイ絞められる。『…そんなに怒るくらいだったら、ボブを持ってなければいいじゃないのか?』と、勇者は密かに思っている。しかしそこで、今まで黙って眺めていたユイリアが二人(三人?)の会話に加わってきた。
「私もいろいろ珍しいアイテムは見てみたいけど、無駄な戦いはしたくないよね?」
そうでしょ?と言いたげにアリスが頷く。ユイリアは尚も続けた。
「なら、魔王を先に倒しちゃえば…、宝物も探し放題じゃない?」
名案と言いたげに微笑むユイリア。
「ダメとは言わないけど、いいのかしら?」
少し困り顔のパステル。
「…目的が変わっています」
アリスはばっさりと切り捨てる。
「えぇ~、ダメかなぁ~? いいと思うんだけどな~…」
二人のつれない反応を見て、ユイリアは少しがっかりしているようだった。そんな話に盛り上がっていると、何処からか不気味な声が響いた。
「グハハハァ、魔王様に敵うと思うてか。愚かな小娘共め、ワシがこの場で消し去ってやろう」
不気味な嗄れ声はマルスたちの進む通路の奥から響いているようだった。しかし敵の出現に身構える前に、巨大な火の玉がマルスたちの目前に迫っていた! 敵の先制攻撃だ。
「間に合いませんか…」
アリスは舌打ちすると、腕に抱いていたクマのぬいぐるみを、迫り来る火球目掛け投げる。
「マジっすか~~~~~~!」
ボブは弧を描きながら火球に突っ込み…、ボ~ンと巨大な音を上げ火球は爆発を起こしていた。間一髪、敵の先制攻撃を防ぐことに成功した。
「ぼ…、ボブは大丈夫なのか?」
マルスが心配そうにアリスに近寄る。妙なぬいぐるみとはいえ、仲間の仲間はマルスにとっても仲間なのだ。
「ボブは死にません。そんなことより、楽しそうなボス戦ですよ」
アリスは薄く笑い、通路の奥の暗闇を指差す。通路の奥からは闇魔術のローブを纏い、邪悪なオーラを纏った杖を携えた影が現れた。髭を生やした老人にも見える男だが、その体から放たれる覇気が、ただならぬ力を感じさせる。
…思わずマルスは息を呑んでしまった。隣にいたアリスは、「魔王の腹心、グモです。なかなか手強そうな奴なので気をつけてくださいね」とだけ告げた。
マルスも気を引き締め、剣を構える。その後ろでパステルとユイリアも身構えていた。
「グフフフ、次こそは消し炭にしてやろうぞ!」
―グモが現れた!
「みんな、いくぞ!」
その掛け声と共に、ユイリアの補助魔法がマルス・パステルに祝福の加護を与え、すかさずマルスがグモに光の剣で攻撃する。グモは敵を迎え撃とうと、身を震わせ酸の霧を吐く。しかし二人はそれをかわすと、死角からグモにレイピアを討ちこむ。マルスとパステルの同時攻撃だ。二人に続くようにアリスが氷雪の攻撃魔法を撃ち込むが、グモの前の光の壁に跳ね返されてしまう。敵は事前に反射魔法を張っていたのだった…。
「グハハ。魔王様に刃向かう裏切り者め、己の愚かさを思い知るがよい!」
グモはアリスに狙いを定め一瞬でアリスの目前に転移すると、杖をアリス目掛け振り下ろした。
―ガシン!
「アリス、大丈夫か?」
間一髪、その攻撃は勇者の剣に阻まれていた。グモは引き、一旦間合いを取る。
「グモ、俺が相手だ!」
「グハハ…、望むところ。貴様から先に始末してくれようぞ!」
暗い城内に低く不気味な呪文が響いた。
「受けてみよ、禁呪『次元振動』! 時空の狭間で朽ち果てるがよい!」
「まずい、マルスさん逃げてください!」
アリスが叫んだ。しかし既に遅く、黒き魔力は邪悪な線を中空に刻み、マルスを包み込む様に不気味な魔方陣が浮かび上がっていた。陣は妖しく闇を放つと、逆巻く突風と揺れを生み出していく。
「な、なんなんだこれは!」
剣を床に突き立て堪えるが、魔方陣の力は強く魔城の床諸共崩壊してしまう。
「マルスー!」
「ユイ、来ちゃダメだ!」
ユイリアがマルスのもとへと駆け寄ろうとするが、突風と揺れで満足に歩くことすらできない。パステルが体を押さえていなければ、今頃飛ばされてしまっていただろう。
「グハハハハハァ! もう遅い。時空の彼方へ消し飛べ、勇者よ!」
グモの声に呼応するように突風と鳴動は強まり、総ての物を吸い込まんと黒い次元の大穴を開けている。とその時、マルスの持つ光の剣が眩い光を放った刹那、持ち主を包み込む光の球となった剣は自ら穴に飛び込み消えてしまったのだった…。次元振動はゆっくりと収まり風穴が閉じていく。…全てが終わった時、そこに勇者の姿はすでに無かった。
「喰らったのか? いや…。まあよい、これでこの世界から『勇者』は消えたのだ」
「そんな…、マルス」
「なんてことなの…、どうすればいいのよ」
ユイリアとパステルが唖然としている中、アリスは一人立ち上がると、余韻に浸っているグモに燃え盛る火球を放った!
「グハァ…、貴様~!」
完全に油断していたグモに直撃し、激しい熱気に包まれる。
「今のうちです、逃げますよ!」
アリスはパステルたちを促し、出口目掛け走り出す。
「ユイリア、走れる?」
「でも…マルスが」
ユイリアが悲痛な声をあげる。
「いいから今は逃げるわよ!」
パステルは泣きながら動こうとしないユイリアの腕を掴み無理やり立たせると急いでアリスの後を追った。
こうして、勇者を除く三人は魔王城からなんとか脱出したのだった…。