序章 「変わる事のない日常」
序章 「変わる事のない日常」
目の前にあるのはマンションの扉。そこに彼は辿り着いていた。
「ただいま」
奈義 純はそう言って扉を開け、中へ入った。手提げの鞄は高校通学用のもの。服装は私服校のためにワイシャツと安物のズボン。
「おかえり、純」
出迎えの声は母、美津子のもの。
母とは言っても、彼女と純は血縁ではない。義母だ。勿論、純の名字は美津子と同じものだ。
彼女が家族に加わったのではなく、純が美津子達、奈義家に拾われて育ったのだ。そのため、本当の名字は判らない。ただ、純と言う名前だけは本物で、捨てられていた箱の中に入っていた紙に書かれていものだ。
「敦也は……まだみたいだね」
玄関の靴を見て、純は呟いた。
通う高校が違えば、校舎の位置も違う。家に着く時刻も変わってくるのは当たり前だ。
「今着いたよ、ただいま」
背後からの声に純は振り返った。
そこには手提げの平たい鞄を握った右手を肩に乗せた敦也が立っていた。黒い上下の制服の第一ボタンは外され、下のワイシャツの第一ボタンも外されているのが見える。茶色に染められた短髪を、空いている左手で掻き、敦也は靴を脱いだ。
「何か変わった事あった?」
既に靴を脱いでいた純は、敦也に問う。
「んー、変わんないな、特に」
敦也は肩を竦めて答えた。
「俺の方も」
純はそう言って軽く溜め息をつく。
そうして、廊下の脇の自分の部屋の扉を開けて中に入った。マンションであるがための、小さな部屋には、勉強用の机とベッドが一つずつ。
部屋の中で、純は持っていた鞄を机の脇に置き、ベッドに腰を下ろして背伸びをした。
――なんだかなぁ……。
後ろに倒れ、純は溜め息をついた。
今まで何とも思っていなかった毎日が、最近は酷くつまらなく感じている。ただ、淡々と『いつも通りの日常』を繰り返しているような気がした。朝起きて、学校へ行き、授業を受けて帰宅し、食事や会話等をして、眠る。
いつごろだろうか、今まで考えもしなかった事を考えるようになったのは。高校への進学は、両親の負担が少ないと思われる中の下のランクの私服校。そこへ行った事で、生活に余裕が出来たためだろうか。それとも、それとは関係なく、純が現状に余裕を感じるようになったためか。
それが精神的な成長だとするならば、つまらないものだと純は思う。今の日常生活は幸せなもののはずなのに、満足出来るはずのものだというのに、それを物足りなくしてしまうのだ。
「俺、どうかしちまったのかな?」
日常と違う刺激が欲しいのではないし、ましてや日常を崩してしまうような事態に遭遇したいのではない。
いつごろかは判らないが、純は違和感を感じるようになっていた。
「――敦也、純、夕飯出来たわよ」
「あいよ」
「今行く」
敦也に一瞬遅れて返事をした純は、身を起こすとベッドから立ち上がって部屋を出た。
ダイニングルームでは美津子が夕食を盛り付けていた。そこには三人分の食事が盛り付けられている。父、純にとっては義父である達雄は約一時間後に帰宅するため、平日は純達とは食事の時間が合わない。一時間後に帰ってきた達雄は、美津子と雑談しながら夕食をとるのが日常だ。
(……考えても仕方がないんだけどな、こんな事)
その場にいる二人に気付かれないように溜め息をつき、純は窓に視線を向けた。
そして、ご飯を美津子から受け取り、純は食べ始めた。




