表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

観測対象:人間

掲載日:2026/05/02



ソトス。

それが彼に与えられた符号だ。


与えた存在は、もうこの世にいない。

だが、その戦いぶりだけは――今も鮮烈に蘇る。


「敵増援接近! 大規模です!」

「後方は伏兵の波状攻撃で遮断、補給線が維持できません!」

「敵航空戦力、戦線に侵入!」

「第二防衛ライン、突破されます!」


緊迫した報告が、指揮車両内に次々と叩き込まれる。


その中心、戦況を投影するライトビジョンの前で――

男は、腕を組んだまま微動だにしなかった。


冷静、という言葉では足りない。

まるで、すべてが想定内であるかのように。


「各戦線に損耗抑制ドクトリンを適用しろ」


短く、無機質な声。


「押し返すな。誘引しろ。後方の地雷原を使え」

「孤立部隊は撤退させるな。ゲリラ戦に移行、敵の勢いを削げ」


迷いはない。

判断は速く、そして正確だった。


オペレーターたちの動揺が、わずかに引いていく。

命令は前線へと伝達され、戦場が形を変え始める。


やがて結果は明らかになる。


防衛線に押し寄せた敵軍は、戦力で四倍。

それを、ソトスの指揮は崩した。


撃退。


戦史に残る一戦として、記録されることになる。


それでも、男の表情は変わらない。


勝利の余韻も、安堵もない。

ただ静かに立ち、次の戦場を待っている。


まるで――戦いそのものが、目的であるかのように。


「人間の脆弱さは、先に晒した方が敗れる」


それが、ソトス司令の口癖だった。



ソトスは、稀に遠い目をする。


そういう時、決まって過去を見ている。


それは、一人の幼い捨て子だった。


口減らしの果てに、わずかな食料と引き換えに売り払われた命。

広大な廃棄物の山の中で、力尽き、静かに消えようとしていた。


雨が、止んだ。


正確には――遮られた。


頭上に、武骨で巨大な白い盾が掲げられていた。


幼子を守るように。


強靭な機械の腕。

胸部に灯る、赤い単眼。

低く構えた四脚。


白い装甲の塊のような機械兵が、その日から彼の庇護者となった。


「名前はなんて言うの?」


「SAVF-Type-Δ-113」


「そっか。じゃあ、君は今日からデルタだ」


少年は笑った。


「この世界を創った神様も、同じ名前らしいよ」


時は流れ、幼子は少年となる。


赤い単眼の機兵に感情はなかった。

だがこの個体は、言葉の意味を越え、その奥にある意図を理解していた。


それが“異常”であることすら、知らぬまま。


「否定。私は神ではない。戦術機動装甲兵器――デルタだ」


「だよな」


少年は笑う。


「でも俺にとっては、神様みたいなもんだよ」


少年は、デルタから多くを学んだ。


廃品から糧を得る術。

身を守る技。

知識。歴史。戦術。戦い方。


教えられたわけではない。

ただ、見て、真似て、理解した。


やがて少年は青年となる。


その日、平穏は終わった。


スカベンジャー。

生き残るために奪う者たちが、彼らの拠点へと踏み込んできた。


デルタは応じた。


普段の静かな機体とは別物だった。


鋼の腕が骨を砕き、肉を潰し、敵をまとめて吹き飛ばす。

圧倒的だった。


だが――数が違った。


高圧電流が走る。


白い巨体が、わずかに止まる。


その一瞬に、弾丸が降り注いだ。


装甲が穿たれる。

脚が砕かれる。

腕が引きちぎられる。


赤い単眼が――潰れた。


それでも。


デルタは最後まで、青年の居場所を明かさなかった。


青年は、動けなかった。


ただ見ていた。


息を殺し、涙を堪え、

その最期を、目に焼き付けた。


やがて静寂が戻る。


スクラップの山の中に、残骸が転がっていた。


かつてデルタだったもの。

沈黙したコアブロック。


青年は、その前に立つ。

ゆっくりと手を合わせる。

祈るように。


そして思い出す。

あの時、デルタが返してくれた名前を。


ソトス。


後に知る。

その意味を。


――聡明なる子。



やがてその胸に、国史上いまだ前例のない最高位の勲章が輝く日が来た。


長きにわたり軍を率い、かつての小国を大国へと押し上げた立役者。

その名を知らぬ者は、もはやいない。


退役式を兼ねた受勲式典は、国をあげての祝祭となった。


祝福の歌。

鳴り止まぬ歓声。


その中心で、ソトスは静かに敬礼する。


そして――口を開いた。


「この栄誉を、私は一人の存在に捧げたい」


一拍。


場が、わずかに静まる。


「よく目を赤くして、私のために涙を流し」

「白く冷たい肌で、それでも私を守ろうとしてくれた」


「――大きな、私の母に」


「この世でただ一人の、私の母に」


その日。


人々は初めて、ソトスの涙を見た。


英雄ではなく、一人の人間として流す涙を。


息を呑む者。

静かに震える者。


誰もが、その言葉の意味を完全には理解できず、

それでも何かを感じ取っていた。


後の世で、ソトスの名がどのように語られようとも。


与え合った符号は消えない。

贈り合った記憶もまた、消えない。


それは、記録には残らない。

だが確かに、そこに在った。



本作は『観測不能点 ― 名を与えられし変数 ―』のメインテーマに沿った外伝的短編です。

本編小説も公開中ですので、是非お立ち寄りください。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ