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短編集

春の世界で奏でた明日の音

作者: 佐藤朝槻


 寒さが厳しい1月某日。

 姉の結婚式(せかい)は春に染まっていた。

 会場は白を基調としながら、装飾されたピンクや黄色の花に包まれている。まわりのみんなも華やかな色を身にまとい、なにもかもが鮮明だ。


 でも、私の指先は冷えたままだった。

 緊張しているんだ、と思う。この美しき春の世界に、もうすぐ私の演奏が加わるから。雑音にならないように練習したけど、人前で演奏するのは3年ぶりで、うまくいくかわからない。


 そわそわした気持ちで、新郎新婦の横に置いてあるピアノに向かって歩いた。コツ、コツ――。慣れないパンプスの音が地面から聞こえると、鼓動がさらに速くなる。


 見た目を気にしてパンプスを選んだ過去の私、本当にバカ。発表会のときみたいにヒールを低くすべきだったのに。あのときピアノをやめていなかったら、こんな()細なミスしなかったのかな。


 後ろ向きな言葉が脳内を巡る。

 ピアノを背に両足を(そろ)えて立ち、背筋を伸ばした。


「みなさま、お料理やご歓談は楽しんでいただけていますでしょうか。ここで新婦の妹、(おん)さまが所属されております、合唱部の皆さまによるパフォーマンスをご覧いただきたいと思います。今日のために半年前から練習を重ねられていたそうです。それでは、みなさま、会場の前方にご注目ください!」


 司会の女性に紹介され、渡しはお辞儀をした。そして拍手が静まってから、ピアノを前に座る。

 自分の顔がピアノにうっすらと映った。ひそめられた眉と上がらない口角は、結婚式という場とは思えないほど真顔である。緊張の汗で前髪がなくなっていて、今にも逃げてしまいたい。


 それでも、私は顔を上げる。

 視線の先で、指揮者として立つ先生がうなずいた。合唱部のみんなもいる。今は自分のことより、みんなのことを、これまでの計画を優先しよう。

 ネガティブな感情にふたをするように、ピアノの鍵盤に手を添えた。

 私は緊張している。

 姉と再会した去年から、ずっと。

 約1年前のあの日も、寒い1月だった。


   ◯


 雪予報のせいで、はやめに学校に戻ることになった。

 駅に設置されたストリートピアノが視界に入る。いつもは見るのも嫌になるが、今日は演奏する女性に見覚えがあり、思わず立ち止まった。

 記憶のなかにある彼女は黒の長髪だったが、茶色の短髪に変わっていた。服装もスカートと厚底ローファーから、ジーンズとスニーカーを履いた姿になっている。


 彼女は、小さな男の子と一緒に猫踏んじゃったを弾いていた。ふたりの拙い演奏に、ほほえましく見守るか無視して足早に過ぎ去る者ばかり。

 不快に思いながら耳を傾けているのは、私くらいだろう。

 演奏は、体感30分ほど続いた。

 女性は男の子の手を引いて立ち上がる。目があった。


「……おんちゃん? おんちゃんだよね? 久しぶり!」


 やはり演奏していたのは姉だった。表情は明るく、会えたことに喜んでいる様子だ。


「実家付近にいていいの? 出禁じゃなかった?」

「最近、解除してもらったんだ」


 私は解禁に許可した覚えないけど。


「今日はね、おんちゃんにお願いがあってきたんだ」

「私に、お願い?」

「式で、おんちゃんにピアノを演奏してほしいの」

「……式って、なんのこと?」

「あれ? ママから聞いてない?」


 私が首を縦に振ると、姉は少し考え込むように唸うなった。


「そっか。ママは、わたしに説明させるために……。あのね、結婚式をあげるつもりなの。親とは話し合って了承を得てる。今日は、おんちゃんにピアノを弾いてほしくてお願いにきたんだ」

「ピアノならもうやめたよ」

「いつやめたの?」

「小学校卒業したときに」


 姉は「2年前か」とつぶやいたあと、「でも」と続ける。


「来年の予定だから、1年あれば練習時間はあると思う。ね、お願いできないかな?」


 姉が甘えるように、こちらをうかがう。


「そっちこそ、お母さんから聞いてない? 家から出ていったあとのこと」

「ううん」


 そうだよね。その笑顔を見たら、なにも知らないのはわかる。


「高校卒業直前に妊娠して男と駆け落ちしたでしょ。そのあと、お母さん、私を寮つきの女子校にいれたんだよ。姉と同じ苦労をしないようにって。それで私、ピアノをやめることになった。そっちがなにも起こさなければ、私は今頃ピアノ続けながら、普通に地元の学校いって、友達とも離れずに、恋愛だって……」


 短く息を吸った。最後まで言いきるには酸素が足りなかった。


「とにかく、これで情報はシェアできたね。で、お願いの返答だけど、言わなくてもわかるよね?」


 憤りが表に出そうになるのをこらえて、「ごめんね」と自分なりの明るい声で小さくほほえみ返した。

 姉は絶句していた。しばらく目もあわせず、息子の手をつなぐ手が少し震えている。


「ごめん。バカなお姉ちゃんだから、おんちゃんにたくさん迷惑かけた。謝ることしかできない。わたしは、ただ、おんちゃんの演奏が好きなんだよ。飽き性ですぐやめちゃったわたしと違って、本当にきれいだったから……!」


 べつに謝ってほしくなんかない。

 遅すぎただけだ。

 突然、泣き声が響いた。姉の足もとで男の子が泣いていた。


「ご、ごめん、息子がぐずったみたい」


 姉が抱きかかえ、「よしよし」となだめる。

 少し泣き止んだ彼は涙をぬぐいながら、私をにらんできた。悪者とでも言いたげに見つめてくる。


「もう行くね」


 急ぐふりして、私はふたりから離れる。これ以上の対話は、手が出てしまうような気がした。

 駅のホームへ向かう途中、スマホが鳴る。お母さんからの着信だった。


「お母さん?」

(かなで)のお願い、断ったんでしょ』

「うん」

『やっぱりね。だからやめておきなさいってあの子には言ったんだけど』

「そのわりには結構ショック受けてる感じだったけど」


 返事がなく、耳からスマホを外して電波を確認する。お母さんが黙っているだけみたいだ。私はまた耳をスマホをあてる。

 ふたたびお母さんが口を開く頃には駅のホームに着いていた。


『折れてあげることできない?』

「なんで?」

『お姉ちゃんの旦那さんね、病気らしくてね』

「死ぬの?」


 直接的に尋ねると、そうねぇ、とお母さんは相づちなのか思案しているのかわからない声を出した。


『……手術は成功したけど再発することもあるそうよ。式を挙げておきたいって、わざわざ家にきたの』

「それで、お母さんは承諾した」

『まだ小さい子を連れて頭下げる娘を突き放せなかったわ』

「お母さんは、かわいそうだから許すの?」

『娘たちが大事だから、娘たちの幸せを願うの』

「じゃあ私が高校受験したいって言ったらOKしてくれる? 女子校じゃなくて共学にいってもいい?」

『それは……』

「……冗談だよ。結婚式のことは、ちょっと考えるね」


 一方的に通話を切ったあとも、私は考えた。

 昔、子どもを愛せない親を描いた漫画を読んだことがある。虐待で苦しんだ幼少期を語った文章をSNSで見つけたことがある。そういう苦しみに比べたら、母の真摯な言葉は有難いものだと思う。


 姉の夫のことも同情はする。進学とかコース選択とか、留学の話や大学受験。未来の話がたくさんあって嫌になる私よりもずっと、未来を望んでいるに違いない。 


 逆に生きてさえいれば、傷なんか無視されてしまうんだ。

 私が平気そうにしていたら、大丈夫って思われちゃうんだ。


 そんなことを考えながら電車に揺られ、気がつけば寮に戻っていた。

 部屋に入ると、ルームメイトの仁歌(にか)はすでに帰ってきていた。


(おん)は冬休み、どーだった?」

「なんか姉が結婚式するって言ってた」

「え、いいじゃん!」

「仁歌はそういうの行きたいって思う?」

「超行きたい! 音の友人ってことで参加したいくらい」


 これが普通の反応だろう。本来は祝福されるべき催事だと理解している。


「私は行きたくないんだよね」

「ええ、行こうよー!」


 私が本音を漏らすと、仁歌が食い下がった。


「やだね」

「あたしは行きたい! 行きたい行きたい行きたい!」

「子どもか」

「子どもだよ! ちょっと前までランドセル背負ってたもん」

「もう14だよ私たち……」


 私は(あき)れてしまい、低いテンションでツッコミをいれた。


「仁歌は結婚式に出てどうすんの。主役でもない、ただ祝うだけなのに」

「ご飯美味しそうだし、絶対可愛くなれるし。あとできれば彼氏候補見つけたいし」

「自分中心かよ」

「当たり前じゃん」


 当たり前か。


「ピアノを弾いてほしいって頼まれてるけど、私は弾きたくない。姉のせいでピアノをやめることになった日のこと、あんまり思い出したくない」


 姉を目の当たりにしただけで苛立った。姉を祝ったら、怒りでおかしくなってしまうだろう。


「姉は私の大事な時間を奪ったこと知らなかったみたいだけど、そうやって家族の不幸も考えず幸せになったことも少し恨んでる。こんな考えだからさ、私も自己中心的に動いたら参加できないよ」


 気持ちを吐露して、すぐに後悔した。

 参加したくない、姉に会いたくない気持ちばかりで、仁歌に余計なことを話してしまった。


「仁歌、ごめっ……」

「なら復(しゅう)しようよ」


 さっきまでの子どもっぽい彼女とは違い、真っ黒い瞳が私をまっすぐ見つめていた。


「復讐?」

「そう。あたしたちが主役のお姉さんを食べちゃえばいいんだ」

「どうやって?」

「簡単だよ。音がピアノ演奏して、歌って、でっかい花火あげんの!」


 1年前は冗談だと思っていたが、仁歌は本気だった。1年の合唱部を巻き込み、話を聞いた先生もなぜか乗り気になって、合唱部全員で姉の結婚を祝うことになった。


 私がピアノ担当、先生は指揮を、仁歌は合唱途中で結婚式の邪魔をする魔女役となった。

 魔女を倒すのは新郎であるべきだということで、途中から姉の夫も役に加わった。

 これのどこが復讐なの?

 準備期間中、何度も疑った。

 ひとつ言えることがあるとすれば、準備をはじめて、まわりをよく見るようになっていた。






「――ぐああ! やられたぁぁぁ!」


 魔女・ニカの叫び声で、私の意識は姉のいる結婚式せかいに戻された。

 魔女に魔法をかけられた合唱部全員は倒れたふりをしつつも、笑いをこらえるのに必死になっている。

 ニカは迫真の演技で、新婦の姉を襲おうとする。

 姉は「キャー助けてぇー」と少し棒読みで叫んだ。

 そこへ新郎がパーティー用クラッカーを放ち、魔女・ニカが黄金のテープを浴びながら倒れた。

 新郎が新婦を抱き寄せ、会場が笑い声や拍手に包まれる。


 その後、私たち合唱部は遠い日の歌を歌った。私が先生にリクエストした曲だった。この歌を歌うためだけに、先生のツテでテノール歌手とバス歌手を呼んでくれた。


 結婚式にふさわしいかどうかなんて知らないけど、どうしても外せなかった。姉は、ヨハン・パッヘルベルのカノンをよく弾いていた。私も姉の演奏(カノン)をよく聴いた。遠い日の歌はカノンをモチーフにした合唱曲だった。

 演奏を終えて姉を探すと、何度も涙をぬぐう姿が見えた。


 パフォーマンスが終わって席に戻れば、お母さんもハンカチで涙をぬぐっていた。


「音おん、とてもよかったわ。受験前に見られてよかった」


 お母さんの言葉を聞き、仁歌の言葉を思い出す。

 ――復讐しようよ。

 今日のパフォーマンスが復讐だったのかと問われたら、きっと違った。漫画みたいに、敵に同じ傷を与えたわけではない。


 復讐には至らなかったが、気づいたことがある。

 過去の自分がなにに傷ついたのか。

 なにを恨んだのか。 

「音?」と心配そうに見つめるお母さんに、私は口を開いた。


   ○


 結婚式も終わり、私は学校に戻るべく駅にいた。

 急いでいるはずなのに、ストリートピアノに座る彼女を探してしまう自分がいる。


「おんちゃん!」


 声が聞こえた。

 振り向くと、探していた彼女が立っていた。


「お姉ちゃん、どうしたの?」

「この前は、ありがとう」

「う、うん」


 改まって言われると、あの日の緊張がよみがえってきて恥ずかしい気持ちになる。


「また聞かせてね」

「え、やだ」

「なんでよー。すごく良かったよ」

「ダメダメだったよ。途中ちょっと走っちゃったし。というか、そのためだけに改札通ったの?」


 お姉ちゃんは息を整えたあと、ストリートピアノのほうをチラリと見た。


「あと、これも。息子がおんちゃんのピアノよかったから、お手紙渡したいって」


 と、封筒を渡された。そこには「ママのお姉ちゃんへ」と書かれていた。いや妹なんですけど。


「ど、どうも……。その子も連れてきたらよかったんじゃ?」

「今日はダメ。聞きたいことがあるから」

「聞きたいこと?」

「他校の受験を辞退した理由、知りたくて。なんで? 本当にいいの?」


 お姉ちゃんは深刻そうにつぶやいた。

 私は、お母さんに他校の高校を受験せず、今通っている女子校にストレートで高校進学するつもりだと話した。


「なんでって言われても……」


 ピアノ好きではなかったことを思い出したからだ。

 昔、姉がピアノ教室に通いはじめて、家でひとりになるのがさみしくて、私もピアノをはじめた。


 発表会は大嫌いだった。ひとりステージの上で、たくさんの視線を浴びるのが怖かった。それでも耐えられたのは、演奏が終わったあと花束をもって駆け寄ってくれる姉の姿があったからだ。

 姉がいなくなってピアノを辞めさせられたとき、もう視線を浴びなくて済むと思うと内心ほっとした自分もいた。


 本当は、ピアノなんてどうでもよかった。

 ひとりになることを恐れていたのだと思う。


 結婚式に向けて準備を進めていくにつれて、気づけば孤独を感じなくなっていった。仁歌は今までどおり話しかけてくれるし、合唱部のみんなとも前より距離が縮まった。

 それだけで救われた。笑える日が増えた。

 なんて単純な人間だろう。

 姉を恨むのも、環境を嫌うのも、さみしいだけだった。


「べつに……」


 あの頃の痛みはもう大丈夫。

 けれど、お姉ちゃんは諦めない。


「おんちゃんがよくても、わたしは聞きたい。今までずっと無視してきちゃったから」


 目から涙があふれても、私から目をそらそうとしない。


「去年おんちゃんと話して、ママから高校受験を考えてるって話を聞いて。わたしがかけた迷惑を、どうしたら償いができるか考えてた。結婚式で、おんちゃんが楽しそうに演奏しているのを見て、今度こそ応援しようって決めた」


「え、いや……」


 説明しようとしても、お姉ちゃんは話し続ける。


「でもママから受験しないって聞いて、おんちゃんに、また迷惑かけちゃったのかなって。わたしのせいだったらどうしようって……、だから今度こそ知らなきゃって」


 ごめんと鼻をすすりながら服の袖で涙をぬぐう姿に、私は言葉を失った。

 仁歌、復讐は成功していたみたい。お姉ちゃんはずっと気にしていたのだろう。ただ、1年前ならともかく、今の私は復讐を望んでいない。


「お姉ちゃん、話は最後まで聞いて」

「ごめん……」

「今の環境が好きだから他校を受ける理由がなくなっただけ。お姉ちゃんは関係ない」

「本当に? うそじゃない?」

「うそじゃない。ていうか、うそつく意味ないし」


 悔しいけど、お姉ちゃんのおかげでもある。結婚式で演奏をお願いされたから、仁歌に話して、私は今の環境に慣れることができた。それに、じつは式場で初恋の人にも再会できた。お姉ちゃんには絶対に教えないけど。

 これからは自分の足で、ひとりじゃない道を歩きたい。


「今を大事にしたいんだ」

「そっか。うん……、わかった」


 お姉ちゃんは噛かみしめるようにうなずいた。


「じゃ、そろそろいくね」

「うん」


 ホームに向かおうと荷物を背負い直すと、「おんちゃん」と呼ばれた。


「またいつでも戻ってきていいんだからね。連絡もたまにはしてよね。あ、でも勉強もやらんと、わたしみたいにバカやらかすからね。あと、あと」

「もうわかったから! いってくる!」

「……いってらっしゃい」


 桜みたいな、やわらかい表情でほほえんだ。

 駅のホームに着くと青い空と暖かい空気が流れている。

 春が近づいていた。

あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

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