第廿四話 面倒くさい男の告白
「君から訪ねてくるなんて……今日は槍でも降るんじゃないかね?
まあいい、そこに腰をかけたまえ。」
芳乃の解雇から、まだ日も浅い。
清孝はこの日、陸軍省の一角に新設された“異能特務局”準備室を訪れていた。
そこは、篠崎資雅の牙城。
清孝にとっては初めて足を踏み入れる洋室であり、思わず草履を脱ごうとして資雅に笑われ――軽く気分を害していた。
更には、勧められたソファにも座り方が分からず、恐る恐る腰を下ろしたところを、再び笑われる。
こちらからの用件でなければ、すぐにでも帰ってしまいたかったが――そうはいかなかった。
「これからは服装だけじゃない。住まいも、生き方も、何もかも西洋式になってゆく。
これは清孝殿の小さな、しかし偉大な一歩だ。……それを提供できたのは、誇らしいよ」
資雅は小馬鹿にしたように笑う。
清孝は苦虫をかみつぶしたような顔で、鋭く睨み上げた。
「……何でもかんでも、西洋にかぶれるのが良いわけではない。
ましてや私たちは、伝統の中に身を置く神職――そう早々に、和の流儀を捨てられるものか」
「捨てろとは言っていないよ」
資雅は肩をすくめ、茶化すように続ける。
「ああそうそう、来春からは君にも軍服を支給するよ。楽しみだな。
きっと手足が長くて背のある君には、悔しいくらい似合うだろうなぁ」
「洋装など、面倒だ。」
鼻を鳴らす清孝に、資雅はやれやれと肩をすくめて苦笑した。
「だからといって、陸軍の観兵式で斎服に幣を振りかざして行進するわけにもいかないだろう?」
ひとしきり清孝の反応を愉しむと、資雅は足を組みなおし、声の調子を改めた。
「――桃蘇の筆頭宮司、桃蘇阿多香から、“異能特務局”への参加表明があった。
なんでも君の働きに感銘を受けたとかで」
「……そうか。」
清孝の短い返事に、資雅は小さく目を細める。
「……その件で、ここへ来たのではないのかい?」
「……誰が異能特務局に参加しようが、私には関係ない。
それより――以前、りよに何やら神名を問うていたな。あの件について、詳しく聞きたい。」
清孝は両膝に手を置き、背筋を正して改まった。
その仕草に、先ほどまでの苛立ちは影をひそめる。
「りよちゃんに?……ああ、『美戸香比売命』のことか。
どうした、何かあったのか?」
「……桃蘇の“神面被せの儀”で呼び出した古の神が、その名を口にして――りよに跪いた。」
「へぇ?」
資雅は面白そうに口角を上げる。
「我が斎部の禍神も、りよに執着している。
先日は夢にまで現れ、私を依り代にして――りよと交わるよう、囁いてきた。」
「……それで?」
「どうせお前のことだ。りよの知らぬ、その出自まで調べ上げているのだろう。
場合によっては――禍神の言い分を聞き入れて、依り代になることもやぶさかではない。
だから……知っていることを吐け。」
「まったく、それが人に物を頼む態度かね。……ふむ、ようやく奥方に興味が湧いたと見える」
「……そんなところだ。」
清孝の目元がわずかに赤らむ。
資雅は一瞬きょとんとしたが、次の瞬間にはソファの上で腹を抱え、声をあげて笑い転げた。
「ははははは! いやあ、女性とはかくも偉大なものか!
あの朴念仁の清孝殿を、ここまで色づかせるとは――。
よろしい、素直な貴君に免じて、僕の知ることを包み隠さず語ってしんぜよう」
もったいぶって尊大に告げる資雅に、清孝の気分はますます悪くなる。
だが今は、黙って耳を傾けるしかなかった。
「というか――君も、もう気づいているのではないかな。
君の奥方は『美戸香比売命』をその身に宿す巫女。
そして『美戸香比売命』とは……君の家が封じてきた荒魂――『禍津戸神名命』の、和魂。
別たれた、もうひとつの半身だよ。」
「……やはり、そうなのか。」
清孝の声は低く、しかしわずかに震えていた。
資雅はソファにもたれ、指先で軽く机を叩きながら続ける。
「ああ。“異能特務局”を立ち上げるにあたり、国内の異能を持つ家や、神威を行使する家は、すべて洗い出した。
篠崎の情報網を、侮ってもらっては困るな」
それから、どこから話を切り出すべきかしばらく思案したのち、資雅は声を一段低く落として口を開いた。
「……桃蘇の“神面の付け替え”を見たなら、察しがつくだろう。
古事記や日本書紀に記された神話は、あくまで“正史”――都合よく編まれた物語にすぎない。
実際には、天津神も国津神も現れるはるか以前から、この地には人の営みがあった。
蝦夷や隼人、土蜘蛛などよりも、もっとずっと昔からだ。
彼らが崇めた神々もまた、時代ごとに名を変え、顔を変え、八百万の神として今なお息づいている。
斎部の“禍神”も、りよちゃんの“神”も――そのいにしえの神の一柱にすぎないのだよ。」
「禍神は……千五百年ぶりに、りよを見つけたと喜んでいたが……」
清孝が戸惑いを隠せずに口にすると、資雅は大きくうなずいた。
「ああ、その通りだ。
『戸神名命』と『美戸香比売命』は、本来――関東一円から信仰を集めた天地を統べる夫婦神。
だが、今から千五百年前。
君たち斎部氏が牧を拓き、馬の生産を目的に関東へ進出したとき――その地を支配するため、神を“分けて”手中に収めたのだ。
荒魂と和魂に引き裂き、従わせた。
……それが、君たちの“家業”のはじまりだ。」
「……それほど昔から……しかし、なぜ、斎部には名以外の伝承が残ってないのだ?」
清孝が疑問を口にする。
すると資雅は笑みを崩さずにとんでもないことを言った。
「それは、夫を奪われた女神が怒り、神津毛国を完全に滅ぼしたからだよ。春名山は知っているだろ?あれが二度にわたって噴火したんだ。
斎部はそれでも生き延びて、封印を続けた。
女神もやがて面を付け替えられ、鎮められた。その末裔が君たちだよ。」
「は? 神津毛国が一度滅びた? 女神が、あの静かな春名山を噴火させた……? にわかには信じ難いな……」
清孝は故郷の山を思い浮かべ、低く唸る。
「そうだろうね。……まあ、だからこそ、りよちゃんは君の陽の気なんかものともしていない。むしろ心地よいくらいじゃないかな。
君たち夫婦が、まだ清い関係だなんて信じがたいが……ある意味、とんでもなく幸運だったのかもしれないよ」
「……というと?」
いぶかしげに目を細める清孝に、資雅はずいと顔を寄せる。
笑みをさらに深め、声をひそめて囁いた。
「君の奥方の正体を知った時――僕は“運命”を感じた。
二神の和合は、いずれ必然だ。
神津毛一国を滅ぼす女神の力は恐ろしい。
だが、その力を制御し、妖怪退治のあと、西欧列強と渡り合うために振るうことができたなら……。
異能者の地位も、この国も、飛躍的に向上するのさ」
資雅の瞳が、きらりと野心に光った。
「だから、君たちの和合は――あくまでも“御せる範囲”で行えばいい。
いざとなれば、“二神の和合”をちらつかせて契約で縛ってしまえばいいんだ。
君たちが新時代を築く……なんとも夢のある話じゃないか!」
二人の契りが、いつの間にか、国家級の重要事項へとすり替わっていた。
「……私は、そんな大層なことは考えていなかったのだ。
ただ――妻と、本当の夫婦になるためには、どうすればいいのか。
そして、二神の和合は……どうすれば成せるのか。
そのあたりを、聞きたかったのだがな……」
資雅は一瞬目をぱちくりさせてから、にやりと笑みを深めた。
立ち上がると、西洋式の書き物机から一冊の本を取り出し、清孝に押しつける。
「私に具体的な方法をたずねるとは――君もなかなか面白い。
その本を差し上げよう。和合の教本だ。実によくできている」
清孝は受け取った本をまじまじと見つめた。
表紙には題箋も貼られていない。
真剣な面持ちで、おもむろに開くと――
「これは……春画……艶本じゃないかっ!」
清孝は怒鳴り声をあげ、机に叩きつけた。
「おやおや。貴重本なのだから、大切に扱ってくれたまえ」
資雅はまるでいとし子をあやすように本を撫で、「かわいそうに……痛かっただろう」などと呟いている。
その様子に、清孝の怒りはますます加速した。
「貴様は――私を馬鹿にしているのか! 私は神々の和合を――」
「馬鹿になどしていない」
資雅の声色が変わった。
気づけば、真剣な眼差しで清孝を見据えていた。
「清孝殿。神の和合も――そういうことだ。
今でも各地の神社では、男女の交合を模した神楽や舞が奉じられ、行為そのものを奉納する祭も連綿と続いている。
土着の神々が、今もなおそうした営みを欲しているのだ。
そして――君たちは夫婦神。
“和合”とは、つまり、そういうことだろう。」
「そういうこと、って……ではやはり、禍神が言っていた“一つになる”とは、言葉通りか……」
清孝は天井を仰いで手で顔を覆った。
「そんなに難しいことかねぇ。
どうせ君たちは祝言も挙げているし、籍も入れている。
紛う事なき全き夫婦なのだから、閨の一つや二つ、どうってことないと思うがね。」
「情を抱いてしまったから……
……そう簡単には、割り切れぬのだ……」
「面倒くさい男だなぁ……」
本をパラパラとめくりながら、資雅はしみじみと言う。
しかし、清孝にとってそれは、国家の夢設計図よりもずっと厄介で、ずっとまっとうな願いだった。




