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荒魂の旦那様は、最初の妻を離さない――一年契約の花嫁は、和魂の巫女でした  作者: じょーもん


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第十九話 ミタギリ神、顕現

 丑三つ時。草木も眠るとはよく言ったもので、あたりは異様な静寂に包まれていた。

 篝火は、少し前に弱められている。

 空高くのぼった満月が、青白い光で舞台ある平場を照らし出し、影という影を鋭く際立たせていた。


 秋の夜の底冷えに、りよは思わず両の手に息を吹きかける。白い吐息が、すぐに闇へと溶けた。


 桃蘇の巫女二人が、神楽鈴を手に舞い出る。

 シャン――シャン――と規則正しく響く鈴の音が、沈黙した木々のあいだを渡っていく。

 その音は、確実に“人ならざるもの”を呼び寄せつつあった。


 巫女舞が続く中、一頭の若い牡鹿が、二人の神職によって引き出されてきた。

 その後に、阿多香が緊張を隠さぬ面持ちで、静かに前へ進み出る。


 巫女たちは舞を納め、舞台の端へと下がる。

 代わって数名の巫女が座に加わり、シャン、シャン、と一斉に鈴を鳴らし始めた。

 規則正しい響きが、夜気と木立を震わせる。


「掛けまくも畏き、ミタギリの大禍神(おおまがつかみ)よ――

 天つ神の御裔(みすゑ)にあらずとも、

 山の(いただき)より谷の底まで、すべてを斬り裂き給う荒御魂なり。


 岩を裂き、樹を断ち、

 白き息をもって人の命を奪い、

 その足跡に凍てつく影を残し給う御身よ……

 今ここに、篝火のもと、血の香と鈴の響きをもって御名を呼び奉る。


 隠れ坐す岩戸を押し開き、

 禍をもたらす御刃(みやいば)を抱き、

 この地、この時、この我が身の前に、御姿を顕し給え――

 畏み畏みも申し奉る」


 阿多香が深くうやうやしく頭を垂れると、牡鹿は舞台の中央へ引き立てられた。

 彼女は腰の直刀を抜き、迷いなくその首筋へと刃を走らせる。


 鋭い断末魔が、境内を裂いた。

 生温い血の匂いが、篝火の熱気と混ざり、夜気を押しのける。

 鹿は血しぶきを撒き散らしながら暴れるが、神職二人が綱を引き締めて押さえ込む。

 やがて膝を折り、苦しげに身を横たえると、舞台には赤黒い血溜まりが静かに広がっていった。


 一部始終を、清孝は眉一つ動かさず見つめていた。

 その隣で、りよは口元に手を当て、喉の奥からこみ上げる叫びを必死に押し殺している。


 やがて――山の頂の方から、風が吹き始めた。

 それはあたりの空気よりも一段と冷たく、肌を刺すような寒気をまとっている。

 風は霧を引き連れ、夜気を押し分けるように舞台へと流れ込んできた。


 霧は、見る間に舞台の中央で渦を巻きはじめる。

 鈴の音がわずかに揺らぎ、篝火が低く唸る。

 渦は次第に形を変え、やがて――禍々しい容貌の、巨大な、獣とも人ともつかぬ何かの姿となって現れた。


「りよ、支援を」


 清孝は短く囁くと、舞台の横手へ素早く回り込む。

 りよもすぐに、清孝へ陰の気を送る祝詞を低く唱えはじめた。


『ワレヲ――ヨブハ、キサマカ……』


 ミタギリ神は、男とも女ともつかない、不気味に何重にも重なった声を発しながら、阿多香の鼻先へ迫る。


「清孝殿!」

 阿多香は禍神と視線をぶつけたまま、短く叫んだ。


 清孝は直刀を抜き放ち、横合いから鋭く踏み込む。

禍津戸神名命まがつとかむなのみことよ、ここに!」


 その言葉と同時に、清孝の神威と陽の気が、一気に膨れ上がった。

 背後に、夜の闇をさらに濃くしたような黒影が立ち現れる。

 その姿は、獣とも人ともつかぬ異形――

 背を覆う毛並みは逆立ち、目は赤黒く輝き、ミタギリ神にも劣らぬ禍々しさをまとって迫った。


「うぐっ……」


 りよは、腹の底から何かを強く引き抜かれるような感覚に襲われた。

 陰の気が激しく吸い上げられ、手足の先から体温が失われていく。

 これまで何度か、この方法で清孝を支えてきたが、これほどの負荷は初めてだった。


「阿多香殿、今だ!」


 清孝が鋭く叫ぶ。

 阿多香は、まだ牡鹿の血が滴る直刀を一閃させた。


 ミタギリ神の顔面を刃が裂き、面の皮一枚が、ずるりと滑り落ちる。

 露わになった下からは、骨とも肉ともつかぬ、黒ずんだものが脈打っていた。


『ギァァァァァァァァァ――!』


 舞台を突き抜けるような咆哮が、夜の空気そのものを震わせた。

 神職や巫女の中には、その場に膝をつき耳を塞ぐ者、衝撃に耐えきれず地に臥す者もいた。

 篝火が大きく揺れ、鈴の音さえ掻き消える。


 その中で、阿多香だけが、不敵に笑みを浮かべていた。


「清孝殿! もう少しだ。押さえておれよ!」


 彼女は叫ぶと、控えていた神職から“神面”を受け取る。

 白木の面を両手でしっかりと握り、裂けた切り口へと力いっぱい押し当てた。

 篝火の明かりが面の彫りをなぞり、影がミタギリ神の顔に食い込んでいく。


 ミタギリ神は激しく身を震わせ、地を打ち鳴らして暴れたが、やがてその動きは鈍り、

 霧を纏ったまま徐々に縮んでいった。

 最後には、美しい女の姿がそこに跪いていた。


「ふう、成功だ。清孝殿、もう大丈――」


 阿多香が言いかけた瞬間、境内の篝火が一斉に低く唸り、平場全体の空気がぴたりと凍り付いた。


 切り落とされたミタギリ神の顔が、舞台からズルズルと這い出した。

 肌に貼りついた霧を曳きながら、まるで意思を持つ生き物のように、りよの方へにじり寄ってくる。


「……あ、あぁ……」


 誰もが気づかなかった。

 清孝も、りよ自身でさえ、神面の付け替えに気を取られ、ごく近くまで迫られるまで、その異様を見落としていたのだ。


 清孝は焦ったが、身体は凍り付いたように動かない。

 阿多香も、りよも同じだった。


 顔はりよのすぐ目の前で止まり、しばし揺れたかと思うと――

 皮膚の内側で何かが蠢くように盛り上がり、頬から首が伸び、髷を結った女の頭部が現れる。

 さらに肩、腕、白い着物の袖が生まれ出で、やがて全身が形を取った。


 それは、見たこともない様式の髷を結った、不思議な女の姿だった。

 そして、完全に形が定まると、りよに向かって膝をつき、深々と頭を下げる。


『分かたれて、幾星霜。我が主、美戸香比売命(みとのかびめのみこと)よ。

 再び相(まみ)え、この水滾(ミタギリ)、これほど嬉しきことはなからんや――』


 ミタギリ神にかしずかれ、りよは恐怖と困惑とで、今にも恐慌へと陥りそうだった。


 しかし、そんな彼女をよそに、ミタギリ神は親しげににじり寄ると、りよの足先にそっと唇を落とす。


 その瞬間――胸の奥で、堅く閉ざされていた何かが音を立てて解き放たれた。

 茶褐色だった瞳は、暗く深い紫に輝きを変え、全身から紫の陰の神威が奔流のようにほとばしる。


『汝が御覚醒(みさめ)、いまだ(まった)からずといへども、此処には戸神名命(とかむなかむい)もまします。

 和合の日は近づきぬ。まこと、めでたきことなり』


 ミタギリ神は嬉しげに目を細め、再び深々と地面に額を擦り付けた。


『ことほぎて――ことほぎて――』


 低く響く声が、夜気の底に沁み渡る。

 その身は霧をまといながら薄れ、輪郭が揺らぎ、

 やがて嬉しげな声だけを残して、闇へと溶け、跡形もなく消え去った。


 が――場を押し潰すような威圧感は、なおも消えなかった。

 篝火の光の中に、

 新たに生まれた桃蘇の木花咲耶比売命と、

 清孝が呼び出した禍津戸神名命まがつとかむなのみことの二柱が並び立つ。

 その傍らに、紫の神威を纏ったりよが立ち、

 まるで三柱目の神がそこに降りたったかのように、場の空気を震わせていた。


「りよ……そなたは一体……」


 身体の自由が戻っていることに気づいた清孝は、りよへ駆け寄ろうとした。

 しかし、その前に影が動いた。


 清孝が呼び出した禍神――禍津戸神名命まがつとかむなのみことだ。

 先ほどまでミタギリ神を押さえつけていた膂力そのままに、咆哮とともにりよへと躍りかかる。


「清孝! その神を何とかしたまえっ!」


 阿多香の声が響き、彼女は疾風のように二人の間へ滑り込む。

 振り抜いた刃が禍神の腕を受け止め、鋼と鋼がぶつかる音とともに火花が散った。


「くっ……重いな、邪神め!」


 憎々しげに吐き捨てながら阿多香は押し返す。

 その一瞬の隙を逃さず、清孝はりよをかき抱き、掌から迸らせた異能の炎を禍神へ叩き込んだ。

 禍神は一瞬ひるんだが、諦めなかった。

 咆哮とともに幾本もの黒い腕を伸ばし、清孝の腕からりよを奪い取ろうとする。


 清孝は異能の炎で払って応戦するが、いかんせん数が多い。

 そのうちの一本が、攻撃の合間を縫って忍び寄り、するりとりよの襟首を掴んだ。


「清孝さま、たすけてっ!」


 気づいたりよが悲鳴を上げる。

 いつの間にか彼女の紫の神威は消え、ただのりよに戻っていた。

 黒い腕は襟首を離さず、じわじわと引き寄せるたびに、りよの身体から薄紫の光が糸のようにほどけていく。

 それは魂そのもののようで、引き抜かれるごとに彼女の輪郭がぶれ、揺らいだ。


「クソっ、背守が効いていない?! なぜだ!」


 清孝は直刀の柄に手を伸ばす――が、数歩先の地面に投げ出されているのに気づき、舌打ちした。

 そのとき、自分とりよの間に、何か硬いものが当たっているのを感じる。


「失礼っ」


 短く断り、りよの懐へ手を差し入れる。

 指先が漆塗りの鞘を捉えた――彼女の守り刀だ。


 清孝は素早く抜き放ち、刀身に炎の異能を纏わせる。

 赤黒い光が刀身を走り、空気が焦げる匂いが広がった。

 次の瞬間、その刃ごと禍神へ叩き込んだ。


『グアァァァァ――!』


 平場全体を震わせるほどの咆哮が夜気を切り裂いた。

 禍神は身を大きくよじり、黒い霧を撒き散らしながら後退する。

 その姿は輪郭を崩し、やがて闇に溶けるように消えていった。

 残ったのは、焦げた匂いと、りよの守り刀、耳の奥にこびりつく唸りだけだった。

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