はじめましてダンテ様
公爵家までの一週間ほどの旅路はとても快適なものだった。
日中、馬車は街道をゆっくり進んでいく。私は馬車の窓から風景を眺めていた。
エステランドから出たのははじめてだが、街道から見る風景はエステランドとさほど変わらなかった。
草原が広がり、山脈が連なっている。川があり、丘があり、谷がある。
夕方には街にたどり着いて、馬を休ませて、私たちは宿で休んだ。
私のそばには常にロゼッタさんがついていてくれて、髪をとかしたり着替えを手伝ったりと、甲斐甲斐しくお世話をしてくれた。
申し訳なさを感じながらも、私は大人しくしていた。
髪をとかしてもらうのは気持ちがいいし、結ってもらえるのは嬉しいものだ。
話し相手にもなってくれるし、ロゼッタさんが側にいてくれるのはとてもありがたかった。
「ロゼッタさんのお兄様が、ミランティス家の執事なのですね。ロゼッタさんはずっと、ミランティス家に?」
「はい。我が家は古くからミランティス家に仕える家なのですよ」
「それはとてもすごいですね! 私などは代々続く羊飼いの家で……もちろん、羊たちは可愛いですしエステランドの羊毛はふかふかで素晴らしいと考えてはいるのですが、公爵様の元に嫁げるような身分とはとても思えず」
「そんなことはありません! エステランドの羊毛は有名ですよ。特に冬場は、エステランドウールのコートなどは非常にあたたかく、人気があります。チーズも美味しいですし!」
馬車に揺られながら、ロゼッタさんが力説してくれる。
「ダンテ様は使用人一同に、エステランドウールで作ったコートをお仕着せとしてつくってくださいますし、エステランドチーズも毎年買い付けています。チーズとトマトとオリーブオイルのサラダ、最高に美味しいですよね」
生真面目そうなロゼッタさんが、やや興奮気味に話をしてくれる。
ロゼッタさんはどうやらお酒が好きらしい。「葡萄酒のおつまみに……い、いえなんでもありません」と、お酒の話をしかけて、慌てたように訂正した。
ダンテ様、そんなにエステランドの特産品を買ってくださっているなんて。
万が一にも本当にダンテ様のいうディジーが私であった場合、ダンテ様は羊毛好きか、チーズ好きという可能性がでてきた。
チーズと羊毛を買い付けるついでに、私も娶ってくださるつもりなのだろうか。
「ありがたいことです。私にとっては、ダンテ様とはお会いしたこともない雲の上にいるようなかたなのに」
「ディジー様、ダンテ様と知り合いではないのですか……? 不躾な質問、申し訳ありません」
「遠慮なさらず、なんでも聞いてください。知り合いではないと思います。父もお手紙をいただいたときはとても驚いていて」
「それは驚きますよね。ダンテ様の噂をディジー様はご存じですか?」
「うまれてから一度も笑ったことがないという噂ですか?」
「ダンテ様は……どちらかといえば寡黙で、どちらかといえば表情が乏しく、真面目な方です。けれどけして怖いかたではないので、ディジー様が驚かないでくださると、嬉しいのですけれど……もちろん、このロゼッタ。何があってもディジー様をお守りしますので」
「ありがとうございます、ロゼッタさん。お気持ち、とてもありがたいです」
守る――と言われたことなど、生まれてから一度もなかったように思う。
困ったことがあればロゼッタさんに頼っていいのだと思うと、とても心強い。
とはいえ、私はやっぱり勘違いされている違うディジーだと思うので、なんだか騙しているみたいで申し訳なかった。
旅路は順調で、公爵家にはあっという間に辿り着いた。
砦のようにぐるりと街が高い壁に囲まれている。これは昔、王国内で争いが耐えなかった時代の名残。
敵から街を守るための壁だ。
ミランティス公爵家は王の剣として名高い。王都に攻め込むにはミランティス公爵家を落とさなくてはいけない。
それ故に防御に特化した、城塞都市というのだという。
公爵家の館を中心に壁をつくりながら街が外に外に広がっていっている。
内側にもいくつかの壁があり、壁と壁の間に建物がひしめいている。
ひしめいている――といっても、その敷地はものすごく広い。エステランドの領地がすっぽり十ぐらいは入ってしまいそうなほどだ。
そんなヴィレワークの街の中心に、ミランティス公爵家はある。
公爵家の領地はヴィレワークの街だけではなく、もっと広大である。領地の中には五つの都市があるのだと、ロゼッタさんが教えてくれた。
城塞都市とは、白菜やキャベツに似ている。
街の中には街路樹ははえているし、川も流れているし、水車もある。
ヴィレワークの街の外には葡萄畑が広がっている。葡萄酒作りが盛んなのだろう。
もう少し南下すると、海もある。港町なので、立派な船が何艘もあるらしい。
ロゼッタさんは「きっと、ダンテ様が連れて行ってくださいますよ」と、にこにこしながら言っていた。
沢山の建物と、通りを歩く人々の姿は、私の知る町の風景とは全く違うものだった。
ヴィレワークの街の馬車道を進み、ミランティス公爵家に到着した。
公爵家の周囲は、深い川に囲まれている。
それは川ではなく、壕というらしい。館を守るために、周囲に深い穴を掘り、川の水を引き込んでいる。
橋を通ると、門番が門を開いてくれる。
身分の高いかたとは、家に辿り着くまで、とても大変なのだ。
当然、羊たちが馬車を取り囲むようなこともない。
門をくぐり馬車は更に進んでいく。
美しく木々や花が整えられた前庭を抜けると、その先にお城がそびえていた。
館というよりは、お城である。一体何人、人が暮らしているのだろうというぐらいの大きな建物だ。
「ディジー様、長旅お疲れ様でした。ダンテ様がお待ちです、どうぞ中に」
「ありがとうございます、とてもお世話になりました」
サフォン様を筆頭に、馬車を護衛してくれていた方々が頭をさげてくれる。
お礼を言いながら私も頭をさげていると、「ディジー様、こちらです」と、ロゼッタさんに促された。
ロゼッタさんに連れられて、大きな館に足を踏み入れる。
扉の先には広いエントランスがあり、美しい水晶がいくつもついたシャンデリアがつり下がっていた。
高価そうな絵画もあれば、壺や、動物の形をした石像が飾られている。
どこかの美術館に迷い込んでしまったような気持ちで、感心したり驚いたりしながら、私は館の中を歩いた。
お仕着せを着た使用人の皆さんが並んで、頭をさげてくれる。
私もぺこぺことお辞儀をしながら、階段をあがり二階へと向かった。
「ディジー様は頭をさげなくていいのですよ」
「そうなのですね。どうにも、慣れなくて」
「大丈夫です、きっと慣れます」
慣れるだろうか。それよりも先に、私が人違いだと気づいていただいて、家に帰していただけるといいのだけれど。
ダンテ様に返却するために、人魚の涙の首飾りも持ってきている。
きちんと、正しいディジーさんに渡してあげて欲しい。
ロゼッタさんは二階にある、濃い茶色のつるりとした質感の、立派な扉を叩いた。
「入れ」
中から返事がする。低い声だ。お腹の底から響いてくるような低い声は、収穫祭で演奏される大きな弦楽器である、ウッドベースを連想させた。
扉を開くと、そこにはソファセットや壁一面の本棚、立派な机などが置かれていた。
執務室のような場所である。
立派な机の上には、私がつくった小さな羊さんがちょこんとおかれている。
その先には、とても体格のいい、身なりのいい男性の姿がある。
青みがかった銀の髪。冬の湖のような澄んだ青い瞳。白い肌に、高い鼻梁、切れ長の瞳。
しっかりした顎と、とても頑丈そうな太い首。
サフォン様も美しい方だったけれど、目の前の男性も――神様がそのまま絵画の中から出てきたような美しい方だ。
剣を持つ、軍神のような神様だろうか。体格がとてもいいので、そう見える。
この方が、雌にとても人気のあるフェロモンを出している雄――であるところの、ダンテ様。
口元はむっつりと厳しく結ばれているけれど、女性から人気があるというのはとても分かる気がする。
私が雌羊であれば、是非番っていただきたいと思うほどの立派な雄である。
「ダンテ様、ディジー様をお連れしました」
ロゼッタさんは礼をすると、一歩後ろにさがった。
私はダンテ様の前に進み出て、じっとその顔を見つめる。
私は違うディジーですよ、気づいてください――という気持ちで。
どうしよう。無言だわ。
私の予定では、ダンテ様が目を見開いて「すまない、間違えた」と一言。
万事解決する予定だったのに。
「はじめまして。ディジー・エステランドと申します」
私はスカートを摘まんで、礼をした。
ダンテ様は鋭い瞳で私を睨み付けている。睨んでいるということは、やっぱり間違いに気づいたのだろうか。
「ダンテ・ミランティスだ」
「はい。はじめまして、ダンテ様」
「……ディジー。俺は君を――」
私を睨んでいたダンテ様は、私から視線を逸らした。
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