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ディジー・ミランティスは猛獣使いである




 ◇



 ダンテ・ミランティスという男を一言で表現するならば、内に激情を秘めた寡黙な猛獣である。


 獅子は常に相手を威嚇しているわけではない。ただそこに眠っていても獅子は獅子であり、近づくと途端に起き出して襲いかかってくるものだ。

 無駄吠えをしない。無暗に怒りをあらわにすることもない。


 けれど、その性分は獰猛な獣。


 ダンテもおそらくは同様なのだろうと――あの襲撃の場にいあわせた私は思っている。


 卑劣極まりないクオンツ・ローラウドの毒牙により、ミランティス公爵と奥方様、それから多数の兵たちが命を落としたヴァルディアの惨劇と呼ばれている襲撃。


 ダンテと私もその場に同席しており、ダンテは両親の死を目の前で見ることにより声を失った。

 比喩ではなく、実際に言葉を話すことができなくなってしまった。


 失語症――と呼ばれている症状で、原因は精神的なものだと典医は診断をした。

 当時はまだ壮健だった我が父は幾度もダンテに謝っていた。ダンテは表情を変えずに、唇だけを動かして「大丈夫です」と伝えていたことを覚えている。


 私はローラウドの汚いやり方が許せずに、父に何度も抗戦を主張した。

 けれど父は「ローラウドを滅ぼせというのか? かの地は、平坦な土地がほぼない。人が住める場所が少なく、土地も痩せている。ローラウドを手に入れたところで、我が国に利益などはない」と厳しく私を諭した。


「我が国が受けた恥辱を晴らし、ローラウドに支配されている周辺諸国を開放することができます」

 

「周辺の国から助力を求められもいないのに、そのようなことはしない。正義を振りかざし遠征をおこない、死ぬのは誰だ? 内乱がようやく落ち着いたばかりの今、民は戦いなど求めていない」


「ですが! このままではあまりにも、ミランティス公が哀れだ」


「ミランティス公の死は、名誉なものだった。……ジェイド。私も、死ぬのはミランティス公ではなく私であればよかったのだと、思わぬ日はない」


 それは、ヴァルディア国王としての言葉ではなく、友を失った一人の男としての言葉だった。

 私はそれ以来、父に対して何も言わなくなった。

 抗戦を主張することもなくなった。

 父はあまりにも弱腰であると心の片隅で考えてはいたものの、怒りの感情に任せて判断をしてはならないことを理解したのだ。


 ダンテと再会したのは、貴族学園でのことだった。

 ローラウドからの侵略は、国境で防いでいる。ローラウドも度重なる侵攻で、金も兵も失っていたのだろう。

 国境の向こうに砦が築かれて兵が敷かれていたが、攻め込んでくるようなこともなく、にらみ合いが続いていた。


 私は何かしなくてはという焦燥を感じていたものの、玉座を継ぐためには教育を受ける必要がある。

 

 貴族学園で久々に再会したダンテは、幼い日に見た小柄な少年ではなくなっていた。

 この時も、獅子に似ていると思っただろうか。


 鬣に似た銀の髪に、不機嫌そうに寄せられた眉。

 冷ややかな青い瞳に、立派な体躯。


 在りし日のミランティス公によく似ていた。


「ダンテ、久しいな! その後、元気にしていただろうか。こちらから会いに行かずにすまない。君のことをずっと思っていた」


 ミランティス公と奥方に起こった凶事への罪悪感から、私はずっとダンテのことを気に病んでいた。


 顔を見ることができた喜びに思わず駆け寄り、その手を取る。

 ダンテは眉間の皺を更に深くして、俄かに目を見開いた。


「殿下、ご無沙汰しております」


 低い声で、礼儀正しくダンテは言う。

 そして、沈黙が訪れた。


 何か言われるかと思っていた私は、口を引き結んでしまったダンテにより一層責められている気がした。


 両親が亡くなったのは、王家のせいであると。


 入学式のために校舎前に集まっている貴族の子供たちが、私たちを遠巻きに見ている。

 私たちの間には、一触即発の空気が漂っているように見えただろう。

 ヴァルディアの惨劇については、貴族たちならば皆知っている。


「ダンテ、声が出るようになったのだな。よかった」


「はい。あのあと、エステランドに療養にいき、そこで」


「そうか。エステランドの空気は綺麗だろう。エステランド伯爵は社交会には顔を出さないが、毎年出来のよいチーズや葡萄酒を城に届けてくれる」


 エステランドの話をすると、ダンテは何故かよりいっそう不機嫌そうな顔になった。

 何か悪いことを言っただろうか。

 私はできれば、ダンテと親しくしたい。

 

 ミランティス家は古くから王家を支えてくれている。

 王家の剣であり、盾として。

 それだけではなく、ミランティス公は父の友人であった。


 私がダンテの友人になるなど、難しいかもしれない。

 だが、同じ場に居合わせて、同じようにローラウドに怒りを持つものとして、ダンテと肩を並べて歩めるようになりたかった。


「……葡萄酒や、チーズを。俺も、早急に手配しなくては」


「どうした?」


「いえ」


「エステランド伯爵には娘が一人いるらしい。ディジー・エステランドだったか。可愛らしいとの噂を聞くが、君は会ったか?」


 会話を続けたくて、私は思い出したことを口にした。


「殿下。何故、その名を」


「貴族のことはだいたい把握している。それに、エステランドは我が国の豊かさにはかかせない」


「殿下」


 ダンテが私を睨んだ。それはそれはおそろしい顔で、私はこの場で斬り殺されるかと思ったぐらいだ。


「エステランドの娘と、会ったことが?」


「ないが」


「では、そのまま会わないでいただきたい」


「え?」


「それでは、失礼します」


 ダンテは話は終わったとばかりに、その場から去った。

 私はあわててその背を追いかける。


「待て、ダンテ。君が私に腹を立ていることは知っている。君の両親が亡くなったのは、私や私の父のせいだ。すまなかった!」


 追いかけながら、私は大声で話す。

 他の貴族たちに聞かせるためでもある。

 私たちが不仲だと知られたら、まだ内乱が起こりかねない。ミランティス家とは、国の貴族たちの重要な抑止力なのだ。


「私が玉座につけば、ローラウドの不遜を許したりしない! ともに手を取り合い、彼の国に復讐を果たそう!」


 ダンテは足を止めて振り向いた。


「殿下。復讐など、しません」


「しかし、君は怒っている、恨んでいるだろう?」


「いえ。怒りも恨みも、愛の前では塵のように消えるものです」


「愛……!?」


 愛などと口にしそうにない男がそんなことを言うので、私は何故か乙女のように頬を染めてしまった。


 先程から私たちを見ていた者たちが、ざわめく。

 彼らもダンテの言葉に驚いたのだろう。


 この時は意味が分からなかったが、その数年後に国境の防衛戦に参戦したダンテから、「ディジーを守るために戦っている」と聞かされて、やっと理解した。


 ダンテはエステランドでの療養中に、ディジーをみそめた。

 いつかローラウドがせめてくることを見越して、体を鍛え、軍備を増強していた。


 ローラウドに我が国が負けるようなことになれば、ディジーの安寧が脅かされるからである。


 そのため、ダンテは国境で獅子奮迅の働きをみせた。

 容赦なく敵兵を討ち倒す姿は、正しく氷の軍神。


 私は、愛とはこれほどおそろしいものかと、震えるような気持ちでそれを見ていたものである。


 その姿は、正しく獅子であった。


 そのダンテが、ディジー嬢とついに結ばれることになったらしい。

 結婚の許可を求める手紙は既にもらっていた。

 私は喜ばしい気持ちで、許可証をミランティス家に送った。


 あの恐ろしい男と結婚する女性とは、どんな人なのだろうと思いながら。


 ミランティス家から早馬が来たのは、数日前のこと。

 ディジー嬢が吹雪を予知したのだという。


 まさかそんなことがあるわけがないと思いながらも、ダンテが冗談など言わない男だと私は知っている。

 念のために備えをしていると、本当に吹雪がやってきた。


 おかげで、王都にはさしたる被害は出なかった。


 何も知らずに、大きな損害が出ていたかもしれないと思うと、身が震えるようだ。

 この期に乗じて、ローラウドが再び侵攻してくるとも限らなかったのだから。


 それにしても──ディジー嬢とは。

 あの強靭かつ冷酷で寡黙な獅子を手なづけるのだから、まるで猛獣使いのような女性だ。


 会ってみたいなと思いながら、私はミランティス家に送る礼状を書くために、ペンを手にした。

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