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懐かしい味



 できる備えを全て終えるころには、夕方になっていた。

 夕方に近づくにつれて空には分厚い雪雲が立ち込めはじめた。


「見たことのない空です」

「そもそも空を見る習慣はあまりないのですが、ディジー様の影響でこれからは毎日空を気にしてしまいそうです」

「怖いぐらいに分厚い雲ですね」


 私はロゼッタさんたちと、屋上で一緒に空を見あげている。

 風も強くなり始めて、公爵家の周囲にはえている幹の太い背の高い木々を揺らしている。


 鳥たちが飛んでいく。東に飛ぶのは、雪を察知して反対側に逃げているのだろう。

 私は風になびく髪をおさえた。

 

「雪雲です。予想がはずれることを願っていたのですが……今夜、降りそうですね」


「見て分かるものですか?」


「はい。大体は。雲や星ぐらいしか見るものがない場所で育ちましたので、エステランドの人たちは小さなころから空ばかり見ているのです。両親が子供に、空や星の見かたを教えてくれるのですよ」


「なるほど。王国の空見学者たちは、エステランドで勉強をするべきですね」


 そもそも空見台というもの自体が歴史がまだ浅いのだという。

 天候を知りたいというジェイド国王陛下の意向で設置されたもので、空見台があるのは王都と、ジェイド様の意向に従ったミランティス家の領地だけ。

 他の貴族たちなどは空を見て何が分かるのだ、そんなものに国費や税収を使いたくないと言っているそうだ。


 ――農民ではあるまいし。


 というのが、貴族たちの一般的な認識だと、ロゼッタさんがとても言いにくそうに教えてくれた。

 確かに、天候を気にするのは農民である。天候は作物の発育にとても影響があるからだ。

 

 ジェイド国王陛下の道楽だと言う者もいるらしい。

 けれど声を大にしないのは、ミランティス家もそれに従っていることを皆が知っているからだ。


「皆、ダンテ様が怖いのですよ。ダンテ様がひと睨みするだけで、うるさい貴族などは震えあがります。ディジー様もその点については安心してください。ディジー様を悪く言うような人がいたら、ダンテ様が成敗してくださいます」


「私の出身が田舎だとは私自身が一番よく知っていますので、大丈夫ですよ」


「ディジー様は素晴らしい方です」

「そうですよ、ディジー様。ディジー様がいらっしゃらなければ、今頃突然の寒さや風や雲に、怯えるばかりでした」

「心の準備と、身支度とお屋敷の準備ができていますから、落ち着いていられるのです」


「ありがとうございます、皆さん。寒くなってきましたね。今夜はあたたかくして過ごしてくださいね」


 私は皆と一緒に部屋に戻った。

 夕食は、カールさん特製のチーズフォンデュだった。テーブルの上に置かれた太い蝋燭に火がつけられて、その上にチーズフォンデュ鍋が置かれる。


 炎でチーズがとろとろに溶けるのを眺めながら、私は「いい匂いです、カールさん」と、珍しく顔を出してくれたカールさんにお礼を言った。


「ありがとうございます、ディジー様。ダンテ様、ディジー様に作り方を聞いたエステランドで食べられているチーズフォンデュです。お口にあうといいのですが」


「……お前たちは、いつの間にかディジーと親しくなっているが」


「親しいなどととんでもない! それはもう可憐な方だと、使用人一同思っておりますが」


 ダンテ様は無言でカールさんを睨んだ。

 カールさんは壁際までさがると、びしっと背すじをのばして立った。


「カールさん、ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです。ダンテ様、皆さんとてもよくしてくださいます」


「……ディジー。あまり、使用人と話すのは」

 

「公爵家の妻として相応しくないでしょうか。……あっ、違いますね。ダンテ様、それは心配をしている顔です。大丈夫ですよ、皆さん優しくしてくれます。新しい家族が沢山できたみたいで、嬉しいんですよ」


「そうか。……だが、ロゼッタたちから離れないようにしろ」


「はい。気をつけますね」


 男性と二人きりになると危ないとは、私もお兄様やお父様から色々と言われている。

 ダンテ様の言いたいことが分かったので、私は頷いた。

 それにしても――今は皆がいるからいいけれど、私はこれからダンテ様と二人きりになる。

 なんだか、緊張してしまう。

 好きだと伝えてから、忙しなく動き回っていた。

 まるで逃げるように。

 だから、ゆっくりと言葉を交わしていなかったのだ。


「では、いただきます」


 用意されていたパンをチーズにつけて、お皿に移してからフォークで口に運ぶ。

 口の中に、エステランドで食べていた味が広がって、懐かしさに瞳が潤んだ。


「――美味しいです! 懐かしい味がします!」


「そうですか、よかった!」


「ありがとうございます、カールさん。もちろん、いつも美味しくご飯をいただいていますが、懐かしい味を食べられるというのは嬉しいものですね」


「ディジー様……! 嬉しい言葉を、感謝いたします。お邪魔をしてしまい、失礼しました。ゆっくり召しあがってください」


「……この味は、覚えている。美味いな」


「だ、ダンテ様……! はじめて褒められた……俺は泣きそうです」


「カールさん、騒がしいですよ。さぁ、お邪魔になりますから退室しましょう」


 ロゼッタさんがむせび泣いているカールさんを引っ張って部屋から出て行く。

 それを見送った後にダンテ様が、小さく息を吐いた。


「カールは、国境での戦いに従軍してくれていた。その時に足を負傷してな。元々料理が好きで、従軍中に料理番のようなこともしていた。怪我をしてからは料理人となり、今は、料理長をしている」


「怪我をなさったことは聞いていましたが、戦争とは危険なものなのですね。想像することしかできませんが、命が無事でなによりでした」


「あぁ。……ディジーはああいった男はどう思う」


「いい人だと思います」


「そうか……」


 私は首を傾げた。ダンテ様の表情は硬いまま変わらないが、こころなしかしょんぼりしているよう見える。


「ダンテ様、エステランドの味を懐かしいとおっしゃいました。幼い頃に食べた味を、覚えているのですか?」


「……あぁ。……覚えていたというよりも、思い出した。エステランドで君と、出会った。俺にとっては、特別な場所だ。だから、記憶に残っていたのだろう」


「は、はい……嬉しいです、とても」


 好きだという気持ちがいっぱいになって、体から溢れて部屋を満たしていくような気さえする。

 初恋のときめきというのはこれほどまでに感情を乱すものだろうか。

 私は恥ずかしくて顔をあげられないままに、小さなトマトのついた串でフォンデュ鍋をぐるぐるかき回した。



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