秘伝のレシピ
入浴をすませて作業着からいつものドレスに着替えた私は、木くずも泥も落ちてすっかり綺麗な姿になっていた。
いつもの作業着――というのが私の今までだった。
けれど、ミランティス家に来てからの毎日が私の日常になりつつある。
いつものドレスと考えていることが、くすぐったかった。
「ディジー様、料理人がディジー様のいつも召し上がっていたチーズフォンデュのレシピを知りたいと言っているのですが、もしよければ教えていただけませんか?」
「はい、もちろんいいですよ。でも、料理人の方々のお料理はとても美味しいので、私が教えることなんて何もない気がしますけれど」
「エステランドのチーズフォンデュといえば、本場の味です! エステランドで食べたチーズフォンデュが忘れられないと、サフォンさんなんかは自慢げに言うのですよ。私たちがどれほど羨ましく思ったか……!」
ロゼッタさんの後ろで、侍女の皆さんもうんうんと頷いている。
「サフォンさんは、そんなことを自慢するような人には見えませんけれど……」
「ディジー様の前で猫を被っているのですね、それは。サフォンさんは結構――なんといいますか、子供っぽいところがある人です。ダンテ様の侍従の役割を昔から任されていて、皆の保護者のように昔から振舞っていましたが、その反動でしょうか。たまに言動が少年のようなのですよ。よく、奥様と娘の自慢もしてきます」
サフォンさんはいくつなのだろう。年上だとは思っていたけれど、奥様も娘もいるなんて――今度娘さんに会わせて貰えるかしら。
「ふふ、あまり想像はできませんけれど、可愛らしい方なのですね」
「可愛くなど! 私たちがどれほど、エステランドのチーズフォンデュが羨ましかったか……! チーズフォンデュに白葡萄酒の夢まで見たほどです」
「ロゼッタさんはお酒が好きなのですね」
「はい!」
初対面の時、ロゼッタさんはエステランドの特産品について熱く語っていた気がする。
その時はお酒が好きだとは言っていなかったけれど、今は隠さずに力強く頷いてくれる。
「それでしたら、今度お父様にお手紙を送りますね。毎年エステランドの葡萄酒を送って頂けるように頼みましょう。皆の分も」
「そ、それは、それは申し訳なく……」
「大丈夫ですよ。エステランドには葡萄酒が売るほどありますし、お兄様が葡萄酒づくりにももっと力を入れていきたいと言っていましたから」
そんなことを話しながら、私は調理場に向かった。
コックコートを着た体格のいい男性が待っていてくれる。料理長のカールさんである。
調理長というよりも騎士に見えるのだけれど、それもそのはずで昔はミランティス家の兵士として働いていたらしい。
足の怪我をして馬に乗れなくなり、料理の道に進んだと聞いている。
「ディジー様、こんなところに足を運んでいただいて申し訳ありません!」
「エステランドでは私もよく料理をしましたので、調理場を見ると落ち着きます。そんなに、恐縮しないでください」
「ありがたき幸せです」
元兵士ということもあってか、カールさんは生真面目な方だ。
ロゼッタさんが「カールさん、あまりかしこまるとディジー様がかえって気をつかいます。自然体でいてください」と伝えた。
「はい。その方が私も嬉しいです。そもそも、私はディジー様なんて呼ばれる立場ではなくて……エステランドでは街の人々に、ディジーちゃんと呼ばれていました」
「そ、それはあまりにも不敬なのでは。伯爵令嬢をそのように呼ぶなど」
「爵位などあってないようなもので……お父様もエステランド伯爵と呼ばれるのは苦手らしくて、そのように呼ばれると嫌がって逃げるのです。いつもハンチング帽をかぶっていて、挨拶の時に帽子を脱いで薄毛を披露し、笑いを取るのが得意なのですよ」
「えっ」
「そ、それは……!」
カールさんとロゼッタさんは顔を見合わせて、一瞬戸惑った表情を浮かべた後に、すぐに両手で口を隠して肩を震わせて笑い出した。
よかったわね、お父様。お父様の鉄板ネタが、ここでも笑いをとることができている。
お父様に伝えたら「本当かい、ディジーちゃん!?」と大興奮しながら喜ぶはずだ。
「す、すみません、ディジー様。笑ってしまって……そんなことをする伯爵様など聞いたことも見たこともないものですから」
「ふふ、いいのですよ。因みにお兄様は筋肉が自慢なので、冬でもタンクトップ一枚です」
「えっ」
「エステランドは寒いのに!?」
「筋肉は全てに打ち勝つことができるそうです。お兄様に負けず劣らず、ダンテ様もとても素敵な筋肉をしていらっしゃると思います」
「ダンテ様が冬でもタンクトップ一枚……」
「見たいような、怖いような……!」
タンクトップ一枚で過ごすダンテ様を想像して、私は顔を赤らめた。
きっとすごくお似合いだけれど、想像するだけで胸がどきどきする。
これが、魅力的な雄の力。私は今、魅力的な雄羊を取り囲む雌羊の気持ちを味わっている。
「ごめんなさい、余談でした。家族の話をできるのが嬉しくて。チーズフォンデュのつくりかたですよね?」
「はい、よろしくお願いします、ディジー様。少しでもエステランドの味を再現したく思いまして。エステランドのチーズフォンデュが有名ということもありますが、ディジー様が故郷を思い出せるように、と」
「カールさん、ありがとうございます……!」
「うぐ、眩しい……! ダンテ様が挙動不審になる気持ちが分かる……!」
「男って馬鹿」
「男って馬鹿ですね」
「ディジー様が可憐だというのは激しく同意しますが」
カールさんが両手で顔を押さえて小さくなるのを、ロゼッタさんと侍女の皆さんが半眼で見下ろしている。
もしかしてロゼッタさんはカールさんのことが好きなのかしら。
カールさんは私に気をつかって愉快な態度をとってくれているだけだと思うけれど。
それでもやきもちを焼いてしまうのが女心だと、私は知っている。
エステランドで友人たちの恋愛の話をよく聞いていたからだ。
娯楽が少ない場所なので、話すことといえば今日の天気とか恋愛のことばかりだった。
私は聞いていただけで友人たちからは「ディジーちゃんは恋をしないの?」「ディジーちゃんは男より馬や牛や羊のほうが好きなのよ」と言われていた。
その通りだった。
カールさんから基本の作り方を聞いた。
ミランティス家では何種類かの高級チーズを混ぜて作るらしい。
「すごく美味しそうです。作り方は同じですが、エステランドでは、基本的にはエステランドチーズと白葡萄酒しかいれません。白葡萄酒をこれでもかというぐらい多めにいれるのです。分量に決まりはなくて、好きなだけいれます。多分、白葡萄酒が有り余っているので消費したいからそうなったのだと思います」
「それだけでサフォンさんが大絶賛するほどの美味しいチーズフォンデュが……! やはり、素材がいいからか……分かりました。試してみます」
「はい! とっても楽しみにしていますね!」
どうやら今夜はチーズフォンデュが食べられるらしい。
カールさんは「ディジー様の口に入るものを料理できる幸せ……」と言いながら、胸を押さえた。




