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大変です、旦那様!



 羊クッションのおかげでぬくぬくよく眠れた私は、朝早くに目を覚ました。

 エステランドでは朝早くから仕事があったので、朝日が昇る前には目が覚める習慣ができている。


 慣れない環境で少し疲れていたせいかそんなことも忘れていたけれど、自分のリズムを取り戻したようにぱちりと目が冴えた。


 私はそろそろとベッドから抜け出して上着を羽織ると、部屋から出た。

 ロゼッタさんたちが朝一番に朝の支度をしに来てくれるのだけれど、目が覚めてしまったからにはいつもの日課を行いたくなってしまったのだ。


 それは、天気を見ることである。


 雨が降るのか、曇りなのか晴れるのか、エステランドではそれはそれは重要なことだった。

 街の人々や私の家族たちは、雲の形を見て大体の天気を予想することができる。

 私もそうだ。


 だから、まずは朝起きたら外に出て、空を見るのである。


 私は少し考えて、屋上に向かうことにした。


 お屋敷の中の案内はしてもらっていて、屋上があることも知っている。

 見張り台の塔もあるけれど、そちらは私は入ることができない。


 厳密にいえば、入ることができるけれど見張りの兵士の方々に迷惑をかけてしまうので、入らない方がいい。


 屋上ならば好きに出入りできる。天気のよい日にはシーツを干したりするのに使う、とても風通しのいい場所である。


 屋上に出ると、朝焼けが一面に広がっていた。


 朝の空気はとても澄んでいる。春は近いけれどまだ肌寒く、剥き出しの頬や指先を冷気が包み込んだ。

 暗い夜空から茜色の空へと変わり、それが白く霞むといつの間にか青空が現れる。

 短いその朝の時間の空気が、私はとても好きだ。


 微睡の中にいる動物たちがゆっくりと起き出して、一日がはじまる早朝は、生命の輝きに満ちている。

 

「明日は晴れるかしら。晴れてくれると、いいのだけれど」


 どうにも気持ちが落ち着かないのは、いよいよ婚姻の儀式が目前に迫ってきているからだろう。

 明るみ始めた空に、羽釜のような形をした雲が浮かんでいる。


 橙色に照らされた雲はかなりの大きさで、あの形の雲はあまりいいものではないわね――と、じっと見ていると、鼻先にふわりとしたものが触れた。


 小指の爪の先程の大きさの、ふわふわとした綿毛のようなものがついている蜂のような姿をした虫である。


「……雪羽虫!」


 よくよく見ると一匹ではない。

 ふわりふわりと綿帽子のように何匹も、ゆれるように飛んでいる。

 私はその虫を潰さないようにして両手で掴むと、急いで屋上から部屋に戻った。


 部屋に――といっても自分の部屋ではない。

 一刻も早く、ダンテ様に知らせないといけないことがある。

 

 それなので、真っ直ぐダンテ様の部屋に向かって、雪羽虫を閉じ込めている両手でコンコンと扉を叩いた。


「何かあったか」


 すぐに、深刻な表情をしたダンテ様が出てきた。

 寝衣のままだけれど、マントを羽織り剣を持っている。


「ダンテ様!」


「ディジー、どうした……!?」


 表情はあまり変わらないけれど、より深刻そうな表情でダンテ様は私を厳しい瞳で睨んだ。

 これは――心配をしているのだろう。

 とても驚いて心配をしている顔だ。


「大変です、ダンテ様!」


「誰かに襲われそうになったのか!?」


「大丈夫です、誰も私を襲いませんので、大丈夫です!」


「では、何があった。そのような姿で……」


 ダンテ様は私を部屋に入れると扉をしめた。


「ディジー、屋敷には男も多い。あまり薄着で出歩くな」


「ごめんなさい。どうしても、空が見たかったのです。天気を見ようと思いまして」


 ダンテ様のお部屋は、手前にリビングルームがある。あまり物がない印象だ。

 壁には何本かの剣や槍がかかっている。テーブルにソファが一対。書架には歴史書や兵法書。飾り棚には特に何も飾られていない。


 奥にある寝室のベッドの上には、羊クッションがちょこんと座っている。


「空にはあまりよくない形の雲がありました。それで、これを見て欲しいのです」


 私はダンテ様の前に両手を差し出した。

 手を開くとふわふわの雪羽虫がひらりととびあがり、ふわふわと揺れて、それから雪が溶けるように消えてしまった。


「虫か?」


「はい。雪羽虫といいます。エステランドでは時々見かけるのですが、大雪の前に現れるのです。嵐のような大雪の前です、ダンテ様」


「……もう春だ。雪は降らないだろう。それに、ミランティス領では雪は滅多に降らない」


「……そうなのですね。それなら、考えすぎかもしれません。でも、雪羽虫は珍しい虫で、大雪の前に現れて、今みたいに消えてしまうのです」


「確かに、消えたな」


「はい。雪の前に産卵をすませた雌たちは、最後の力で飛び上がって、雪のように消えてしまうのです。不思議ですね。特に大雪の前は多くの雪羽虫たちが見られるのですが……」


 雪羽虫を見たからといって、大雪になるわけではないだろうけれど。

 ミランティス領の人々が雪に慣れていないのだとしたら、とても心配だ。


「もしかしたら、明日、明後日には、大雪になるかもしれません。ですから、ダンテ様……その」


「考えすぎなどと言って悪かった。君の意見を聞きたい」


 ダンテ様は私の腕を優しく掴むと、じっと顔を覗き込んでくれる。

 その表情の硬い少し強面の整った顔を見ていると、なんだか安心することができる。


「……婚礼の儀式を、少し、遅らせて欲しいのです。それで、皆に雪に備えるように、知らせて欲しいのです。外に出られなくなりますから、食料や薪やお水を確保して、数日は家に閉じこもっていられるように。雪が積もれば屋根が潰れますから、雪下ろしの準備も」


「家から出られないような雪が積もったことは、ミランティス領ではないのだがな。……それは、領地全土で起こることだろうか」


「雲は西にありましたので、ここを含めて西側の地域が心配です。心配のし過ぎかもしれませんが」


「備えあれば――と言うだろう。ディジー、長年空を見てきたのだろう、君やエステランドの者たちは。闘牛場でも、君は牛を落ち着かせる方法を教えてくれた。俺は、君の言葉を信じている」

 

「ダンテ様……ありがとうございます……!」


 もっと、疑われるかと。信じて貰えないかと思っていた。

 けれどダンテ様はすぐに私の言葉を信じてくれた。

 何よりもそれが嬉しくて、私はダンテ様の両手をぎゅっと握りしめた。



 

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