冬の終わりのお出迎え
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ディジー・エステランド様
この度は、私との婚約に前向きな返事をいただけて嬉しく思っています。
ありがとう。
大したものではありませんが、婚約の証にミランティス産のサファイア『人魚の涙』で作られた首飾りを贈ります。
喜んでいただけると嬉しいのですが。
雪解けを待って半年後、お迎えにあがります。
突然の提案で、婚礼の準備も大変かと思います。
婚礼用のドレスや装飾品などは、ディジー様が私の元に来次第準備を始めますので、ご心配なさらぬよう。
ダンテ・ミランティス
◇
こんもりとした雪が、丘を覆い尽くしている。
街へ降りるための道は、お兄様とお父様と一緒に雪かきを行なっているので、他の場所に比べて雪は薄い。
雪解けまでは数ヶ月。
私は自室の文机にしまった手紙を出しては眺め、またしまってを繰り返していた。
几帳面で綺麗な文字は、仕事のお手紙のようにどこか事務的だ。
婚約の手紙など貰ったことがない。町にいる友人が貰った恋文などは見たことがあるけれど、それには『君に会えなくて寂しい』『会いたい』『夢の中でも君に会いたい』などと書かれていた。
もちろん、狭い町なので外に出れば嫌でも顔を合わせるだろう。
だから友人が貰ったのは、旅の商人からの恋文である。
友人はこの手紙を寄越した商人と結婚できるものと喜んでいた。
けれど旅商人とは移り気なもので、その後音信不通になったらしい。
一時期はそのショックで、友人は塞ぎ込んでいた。私は彼女を励ましたし、お兄様にも励まして貰った。
お兄様は「牧草でも運ぶか? 体を動かしていれば嫌でも忘れるぞ」などと言って、友人に嫌がられていたけれど――。
ともかく、ダンテ様からの手紙には、恋文という雰囲気が欠片もない。
貴族の婚約とはこのようなものなのだろうか。はっきりとは愛を伝え合わないものなのかもしれない。
ダンテ様と私ではないディジーさんが顔見知りだとして、婚約の打診をするほどに愛があるとしても――まるではじめましての相手のような文章を送るものなのかしら。
羊たちの場合は発情期があるからわかりやすいけれど、人間はそうではない。
人間って難しいわねと思いながら私は手紙を再び文机にしまった。
春になったら迎えに来るとお手紙に書いてあるから、両親は私が嫁ぐ準備をしてくれている。
けれど私はやっぱり勘違いだろうと思っている。
迎えなどこないのではないかしら。
人魚の涙の首飾りは、箱にいれたまま大切に机の引き出しの奥へとしまってある。
これは別のディジーさんへの贈り物だ。
恐れ多くて触ることもできない。
ダンテ様が「返せ」ということはないような気がするけれど、できれば返却をさせていただきたい。
部屋の床に敷いてあるラグの上では、アニマとエメルダちゃんがくっついて眠っている。
私は揺り椅子に座ると、唯一の趣味である羊毛フェルト作りにとりかかった。
針でチクチクして羊毛を固めてお人形をつくるのである。
羊毛フェルトをつくったり、動物たちの世話をしている間は無心になれる。
あんまり考えても仕方ないのはわかっているけれど、どうしても手紙が気になってしまう。
ダンテ様が気になるというよりも――本来なら手紙を貰う筈だった別のディジーさんが気になるといったほうが正しいだろうか。
間違いに気づいて、ダンテ様と別のディジーさんがうまくいってくれるといいのだけれど。
――そんなことを考えながら、冬を過ごした。
凍えるような空気が暖かさをはらみ、降り注ぐ陽光が優しさを帯びる。
雪解け水が川を流れて、とけた雪の狭間から小さな花が顔を出す。
羊毛フェルトで作った羊さんたちが窓辺に十体ほど並びはじめると、春がやってきた。
毛刈りの季節である。
綿帽子羊の毛は、春の終わりに抜け落ちて夏毛にはえかわり、秋口に再び抜けて冬毛にはえかわる。
夏毛にはえかわる前に、冬毛を刈る必要がある。
羊の数が多いので、春先からはじめて夏のはじまりまでには全て刈り終えるのが目標だ。
羊の毛刈りは結構重労働だ。綿帽子羊たちは性格が大人しく、毛刈りの最中はじっとして動かないいい子たちである。
けれど、肌を傷つけないように慎重にハサミで刈らなくてはならないし、体格も私の半分ぐらいの背丈で結構大きいので、一日数頭の毛刈りをすると疲れ果ててしまう。
私は朝から準備をして、雪がとけて青々とした緑がはえはじめている丘の牧草地へと向かう。
お母様とお兄様と一緒にハサミを持って、レオが連れてくる羊たちの毛を刈り始める。
大きなハサミで、ぽわぽわの毛をチョキチョキと刈っていく。
羊はつぶらな瞳で私をじっと見つめながらとっても大人しくしている。毎年のことなので、彼らも慣れているのだ。
数頭の羊を刈り終えると、もう昼時である。
羊の毛をレオと一緒に荷台に積んでいると、丘の道をあがってくる身なりのいい男性の姿がある。
「サフォン様!」
私は思わず声をあげた。
冬のはじまりのころはダンテ様からの手紙を気にしていたけれど、数ヶ月後にはすっかり忘れていたのだ。
サフォン様が微笑んで、礼儀正しくお辞儀をしてくれる。
お母様とお兄様は慌てたように体についた羊の毛を手ではらい、レオは心配そうに私を見上げた。