ダンテ・ミランティスは口下手である
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しきりに頭をさげる闘牛場の支配人や他の者たちを一瞥すると、俺はディジーを連れて闘牛場を出た。
騒ぎが起こってしまったために、次の試合は時間を置いて執り行われるのだという。
金をかけているわけでもないので、次の試合まで待つよりは別の場所に移動するべきだと判断をした。
せっかくディジーとはじめて出かけているのだ。
しかも、ディジーから誘ってくれたのだ。
時間を無駄にはしたくない――というか、皆がディジーに注目しているので、長居したくないという気持ちが強かった。
「闘牛、迫力があって素晴らしかったです。それに、あそこまで大きくて筋骨隆々なオルデイル牛ははじめて見ました。とても格好よかったです」
興奮冷めやらぬ様子で、頬を上気させながら、オルデイル牛についてディジーは語っている。
時折俺を見あげては、にこにこと機嫌のよさそうな笑みを浮かべる。
機嫌が悪くなる時などあるのだろうかと疑問に思うぐらいに、ディジーはいつも笑っている。
ゆるやかに弧を描く、ふっくらとした唇は桜色に色づいている。
目元が涙のようにやや光っているのは、化粧のためだろう。
化粧をしていなくてもしていても可憐であることは変わりないが、美しく着飾って薄化粧をしたディジーは女神と見まがうばかりの愛らしさだ。
俺から離れまいと腕を絡め、手を重ねてくれる姿が愛しく、何があっても大抵は平静でいられるはずなのに、言葉は出てこず、声は上擦る。体温があがり、呼吸が苦しいぐらいだ。
人間、人を好きすぎて死にそうになるということがあるのだな。
なんて、感心している場合ではない。
言葉が上手く出てこないのは、元々俺は口下手という自覚があるので、いつも通りだ。
だが、女性に対してもっとなにかあるだろう。女性――女性ではない。
ただ一人の愛しい女性に対してもっと何か、何かあるだろう。
そう思考は堂々巡りを繰り返し、結局ディジーが「お腹がいっぱいになったので、少し歩いて、景色を眺めたいです、ダンテ様」と言ってくれたので、行き先が決まった。
完全に、後手に回っている。
こういう時、男というのは女性をリードするものではないのか。
デートもろくにできない情けない男だと呆れられないか。
もしディジーの故郷に、俺よりも女性の扱いに慣れた男などいて、そちらのほうがいいとディジーが思っていたら――などと思うと、酷く落ち着かない。
頭の中は忙しなく様々なことを考えているのに、それが全く口から出てこないのだ。
昔から、こうなのである。
「……ディジー。怖い思いをさせた。帰りたければ、帰っていい」
景色を見ることができる場所といえば、北地区の丘にあるフォルフェルン大聖堂の鐘楼だろう。
あの場所が、ヴィレワークの街の中では一番高い。
だが、オルデイル牛に襲われそうになったのだから、怖かっただろう。
無理をする必要はないと伝える声は、どうしてか冷たく響く。
もっと――優しい言い方はできなかったものかと、口に出してから後悔する。
言葉に気を付けようと思う程に、妙にうまくいかないのだ。
だがディジーは気にした様子もなく、俺の手を握ったまま「大丈夫です、ダンテ様。日暮れまではまだありますでしょう? ですから、もう少し私に付き合っていただけますか?」と健気なことを言った。
フォルフェルン大聖堂のある丘の下までヴァルツに乗り、ゆっくりと歩かせる。
人にはあまり懐かない気難しい馬だが、ディジーのことはすぐに好きになったようだ。
撫でられると、まるで高貴な姫君から勲章を授けられたかのように、やや得意気に尻尾をぱたりと揺らす。
ディジーはしきりにヴァルツの姿を褒めたり、オルデイル牛の勇姿を褒めたり、街の人々に手を振って挨拶をしたりしていた。
それからふと思い立ったように、俺の腰にぎゅっと抱きついてきた。
なめらかで柔らかな体の感触に、心臓が跳ねる。
「ダンテ様、先程の勇姿、とても素敵でした。オルデイル牛への落ち着いた対処、取り乱さないご様子、男らしくて格好よかったです」
「あ、あぁ……そうか」
嬉しい。死ぬほど嬉しい。
好いた女性から格好いいと褒められるのがこれほど嬉しいことだとは、二十年以上生きているのにはじめて知った。
もっと気のきいた言葉を返せないのだろうか、俺は。
「ダンテ様が軍神のごとくお強いのだということが、よくわかりました」
「……戦は、一人で行うものでもない」
「でも、強い雄がいると、その軍団はとても強くなるのです。狼の群れなどもそうなのですね」
「強い、雄……」
「はい。一人の強い雄に守られる形で、集団も強くなるのです。不思議なことですけれど。ダンテ様は強い雄なのですね」
「そうか……そういうものか」
独特な褒め方だが、嬉しい。
できれば俺は、ディジーを守るただ一人の雄でありたい。
などと思ったが、口にだすのは憚られたので黙っていた。
ややあって、丘が見えてくる。丘の下の厩にヴァルツを置いて、俺はディジーの手を引いて長くくねった大聖堂までの上り坂を歩いた。




