屋台のご飯です、旦那様
ダンテ様に促されたので、私は支配人さんの用意してくれたフルーツティーを一口飲んだ。
甘酸っぱさと紅茶の爽やかさが口に広がり、喉が潤う。
それから、はっとしてダンテ様を見上げた。
「大変です、ダンテ様!」
「……どうした」
「乾杯するのを忘れていました。お酒の席では乾杯、しませんか? 嬉しいことがあった日には、乾杯を……」
「しないわけではないが」
「では、乾杯をしましょう、ダンテ様」
私はダンテ様の持っている琥珀色の樽酒の入ったグラスと、フルーツティーのグラスを軽くぶつけるふりをした。
実際にぶつけたりはしない。グラスが割れると困るからだ。
「今日はデートをしてくださってありがとうございます。お仕事中でしたのに私を優先してくださって、私はとても素敵な旦那様の元に嫁ぐことができて、とても嬉しいです」
乾杯をして、感謝の言葉を伝えると、ダンテ様は何故かグラスを落とした。
グラスが落ちる直前で、パシっと手にする。さすがは氷の軍神様、素晴らしい反射神経をお持ちになっている。
奇跡的に中の樽酒も無事だった。
琥珀色の液体が波打ち、雫が少し散った程度だ。
「……ディジー」
「はい」
「刺激が強すぎる」
「お酒の刺激が強すぎるのですか?」
「いや、なんでもない」
ダンテ様は刺激が強すぎるぐらいに高いアルコール度数と思われる樽酒をグイッと飲み干した。
私は不安に思いながらも、素晴らしい飲みっぷりに、自分のグラスをテーブルに置いてパチパチと拍手をした。
「ダンテ様、男らしいです。でも、大丈夫ですか? ご無理なさらないでくださいね」
「このぐらい、問題ない」
「新しいお酒をおつぎしますね。あの、エステランドではお祭りの時は、みんなのお酒をついで回るのですけれど、男性にお酒をつぐのははしたないでしょうか?」
「俺になら構わない。だが、他の男にはしてはいけない。絶対に、駄目だ。絶対に」
「わかりました、気をつけますね」
なるほど、旦那様以外にお酒をつぐという行為は、かなり咎められる部類の行動らしい。
気をつけて、しっかり覚えておきましょう。
私は支配人さんの持ってきてくれた樽酒の入ったボトルを手にして、ダンテ様の空になったグラスにこぼさないようにしながら樽酒を注いだ。
樽酒は樽から瓶に移して売られているのが普通だ。
樽で熟成されている時にお酒に香りがつく。支配人さんの言っていたとおり、とっておきのお酒なのだろう。
甘いチョコレートに似た香りと、ナッツの香りが混じっている。
お酒は飲めないけれど、とても美味しそうな香りだ。
「ダンテ様、お酒と一緒にお肉もいかがですか? 内臓の煮込み料理なんて、お酒によく合いますよ、きっと。甘いものも案外合うかもしれません。アーモンドのキャラメリゼも一緒にいかがですか? あっ、オレンジチョコもいいですよね。どれを食べますか?」
「先に食べていい」
「そうですか? では、せっかくなのでいただきますね」
私はどれにしようかと悩んだ末に、まずはあたたかいものからと、牛串を手にした。
それに、これを残しておくと、闘牛を見ながら牛肉を食べるという、牛さんたちにとって非常に気まずい状況になりそうだからだ。
というのもあるけれど、単純に美味しそうだった。
太い串を手にして、四つ刺さった牛肉の網焼きをぱくりと頬張る。
分厚いお肉は見た目よりもずっと柔らかい。
表面に切れ目を入れてくれている心配り、そして多分、りんごや玉ねぎのすりおろしに長時間浸けてくれている味がする。お肉も柔らかくなるし、臭みもとれる。
「美味しいです、ダンテ様。すごく美味しいですよ、二本買えばよかったです。でも、そんなに食べられませんから、一本で十分といえば十分なのですけれど。ダンテ様の分が……」
もごもご牛串にかぶりつきながら、私は思案した。
それから、お酒を飲みながら私をじっと見ているダンテ様に尋ねる。
「あの、半分食べますか? 半分こ、しましょう。……もしかして、いけないことでしょうか? 私、マナーのない女でしょうか」
「……っ、いや、問題ない」
「食べますか? よかった。はい、どうぞ」
私は串に刺さっているお肉を差し出した。
一つだけ食べたので、まだ三つ残っている。ダンテ様は大きいので、たくさん食べたほうがいい。
口元に牛串を差し出した私と牛串を、ダンテ様は無言で見ていた。
それから、全てを諦めたような表情で口を開いて、お肉を食べてくれた。
「ふふ……」
懐かない獅子や狼を手懐けているような感覚に、嬉しくなってしまう。
もちろんダンテ様は人間の男性だ。わかってはいるのだけれど。
「美味しいですか?」
「……あぁ」
「よかった。どうぞ、もっと食べてください。あっ、これでは食べにくいですよね。今、フォークで奥のお肉を手前に……」
「いや、いい」
ダンテ様は私の手をぎゅっと掴むと、器用に串の奥のお肉に噛み付いて、するっと串から外すと口の中に入れた。
「とても、お上手です!」
「……ディジー。俺と二人の時に、マナーを気にする必要はない。隣国との戦のために、長らく従軍していた。焚き火で焼いた肉などはよく食った。狩りをすることもあった。ナイフとフォークで上品に食事などはしていなかった」
「ダンテ様……そうなのですね、とても格好いいです……」
「……戦の話は、恐ろしいだろう」
「強い男性はとても素敵だと思います」
私は力強く言った後、そそくさとナプキンを手にして、ダンテ様の口元を拭った。
レオにすると嫌がられたものだけれど、ダンテ様は眉を寄せて不機嫌な顔をしたきり、何も言わなかった。
嫌だったかしら。でも、とても妻、という感じがする。
はじめて妻らしいことができたのではないかしら。
何も言わないダンテ様の口元に、今度は内臓の煮込みをスプーンにすくって持っていく。
「ダンテ様、先に半分、食べてください。私は次にいただきますね?」
「ディジー、俺は一人で食えるのだが」
「駄目でしたか……?」
「……いや」
ダンテ様が再度口を開いてくれるので、スプーンをそっと差し出した。
眉を寄せながらもきちんと食べてくれるので、私は次々とそのお口にご飯を差し出した。
仲良く一緒に食事をして、デザートのクリーム入り揚げパンを口にする。
シナモンがたっぷりかかっている揚げパンの中には、もったりとしたクリームが入っている。
とても、甘くて背徳的な味がした。
私はダンテ様の唇にクリームがついてることに気づいて、指先でそれを拭う。
それから、クリームがもったいないのでぺろっと舐めた後、ナプキンで指を拭いた。
「美味しかったですね、とっても。すごく食べてしまいました。一緒に食べると、余計に美味しく感じますね」
「……」
「ダンテ様?」
「……ディジー……!」
突然ダンテ様が私の両手を、抱きしめるようにしてぎゅっと握る。
真剣な眼差しに射るように見据えられて、もしかしたら何かしら怒られるのかもしれないと、私は身構えた。
闘牛の始まりの鐘が鳴ったのは、その時だった。




