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ディジー、婚約の返事をする


 

 ダンテ様とは怖い人らしい。

 生まれてから一度も笑ったことがないなんて、そんなことはあるのかしら。

 

 公爵様というのは、どんな生活をしているのだろう。

 そもそもお手紙自体何かの間違いな気がするのだけれど、確かにお手紙には『ディジー・エステランド』と書かれている。


 もしかしたらこの国には、ディジー・エステランドさんが私の他にも何人かいるのかもしれない。

 それも、伯爵令嬢のディジー・エステランドさん。

 この国はとても広いのだと、家庭教師の先生に習った。

 とても広いのだから、同姓同名の伯爵令嬢もあと二、三人はいてもおかしくはない。


 ダンテ様は別のディジーさんと私を間違えているのではないだろうか。


「公爵様からの婚約の打診なのですから、断るのはよくないですよね。お受けしますね、私」


 皆が私を見てくるので、私は頷いた。

 婚約は何かの間違いではないかと思うし、まだいまいち理解できないけれど──断ることはできないわよね。


 相手はなんせ公爵閣下。

 公爵閣下とはどんな方なのか全く想像つかないけれど、私にとっては神様みたいなものだ。


「いいのか、ディジーちゃん」


「大丈夫なの、ディジー?」


 お父様とお母様が心配そうにしている。お兄様と弟のレオ君も不安そうな表情をする。

 私は微笑んだ。だって、何かの間違いだろう。多分。

 ここはひとまず了承の返事をしておいて、間違いだったという連絡を待つべきよね。


 私はもうじき十八歳になる。結婚適齢期だ。

 領地に住む誰かと結婚するだろうと思っている。まだ相手はいないけれど。

 とても公爵様の妻など、務まるわけがない。


「ありがとう、ディジー。公爵閣下の従者の方が、クロスフォードの町にしばらく滞在して、返事を待っていてくれているそうだから、早速手紙を書くよ」


「はい、お父様」


 その日のうちに、お父様は返事の手紙を書いた。

 伯爵家は丘の上にある。羊たちや馬や牛が放牧されている丘の道をくだった先に、クロスフォードの町がある。


 エステランド伯爵領にある唯一の、小さな町だ。


 お父様と一緒に丘を降りると、羊さんたちが私たちのそばにやってくる。

 もふもふの体を撫でてあげると、皆満足げに離れていく。

 

 冬眠間近のリスさんが背中を駆け上ってきて、頭の上に乗った。

 白い大きな牧羊犬のアニマがやってきて、鼻先で私の体をつついた。


 ふわふわの体を撫でる。賢い真っ黒な目が嬉しそうに細められる。尻尾を振りながら、アニマは雪のちらつく牧草地を走り回った。


 冬の間に育つのは根菜ぐらいだ。畑には、芋類が植えられている。

 広葉樹は葉が落ちて、枝がむき出しになっている。針葉樹の葉には雪が少し積もっていた。

 

 冬の間でも、馬や羊や牛たちは元気だ。古くからエステランドのあるローザナ地方に住んでいる彼らは寒さに強い。

 羊たちは体を寄せ合って、白い絨毯みたいになっている。

 馬や牛たちはゆっくりと牧草を食んでいて、ウサギや七面鳥が自由に歩き回っている。


 昔から変わらない、穏やかな風景だ。

 私はこの土地が好きだった。都会に憧れたこともなければ、どこかに行きたいと思ったこともない。


 もし公爵閣下との結婚が本当だとしたら、ここから出ていかなくてはならない。

 まさかとは思っているけれど。それは、とても寂しいことのような気がした。


「オルターさん! すごい立派な馬車がきてるけど、一体何事だい?」

「オルターさん、ディジーさんこんにちは。あんな立派な身なりの人に泊まってもらう部屋なんてないって、宿屋も困っているよ」


 街を歩くと、街の人たちが話しかけてくれる。

 数えるほどしか人は住んでいないから、みんな顔見知りだ。

 お父様を伯爵様と呼ぶ人はいない。

 以前は呼んでいたようだけれど、柄じゃないと言ってお父様がオルターさんと呼んでもらっているらしい。


 お父様が事情をかいつまんで説明すると、みんな驚きの声をあげる。

 私は「多分何かの勘違いですよ」とつけ加えておいた。

 本当にそうだと思うし、そう言っておけば間違いだと分かった時に、余計な気を使わせなくてすむものね。


 宿屋の前には確かに見たこともないような立派な馬車がとまっている。

 黒塗りに金の縁取り。黄金の尾の長い鳥が描かれている。


 宿の前にお父様がたどり着くと、すぐに来訪に気づいてくれたのか、これまた見たこともないような立派な身なりの男性が現れた。


 黒いコートに、金の鎖飾り。黒い髪をかっちりオールバックに撫でつけた、寸分の隙もないような美しい男性だった。

 この方がダンテ様かしらと一瞬思ったけれど、多分違う。

 お父様はお手紙を持ってきたのは、公爵家の従者の方だと言っていた。


「これはこれは、お出ましいただいてありがとうございます。エステランドは寒いでしょう? お部屋に返事を届けようかと思っていました。公爵家の方に泊まっていただけるような場所ではないと、宿のものも恐縮しているようです」


「ご足労痛み入ります、エステランド伯爵様。本来なら私が返事を受け取りにいかなくてはいけないのに。足を運んでいただき感謝します。宿に関しては、大変快適に過ごしています。部屋が暖かくていいですね」


「それはよかった」


「エステランド産の羊毛は有名です。部屋のベッドにも使われているようですが、こちらもとても柔らかくかつ、弾力があって、いいものです」


「わぁ、ありがとうございます! 羊の毛刈りは、とても得意なんです。喜んでいただけて嬉しいです」


 私は深々と頭をさげて、公爵様の従者の方にお礼を言った。


「ごめんなさい、ご挨拶もしていないのに。私は、ディジー・エステランドと申します」


「あなたが、ディジー様でいらっしゃいますか。不躾なお願いにも関わらず、お顔を見せていただいてありがたいことです」


「いえ、ご挨拶が遅れてしまい申し訳ありません」


 婚約の打診は間違いなのでは、ディジーさん違いなのではと尋ねたかったけれど、流石に失礼かと思い黙っていることにする。


「私は、ダンテ様の従者の、サフォンと申します」


「初めまして、サフォン様」


「それで、返事の件ですが……」


「娘は、ダンテ様と婚約をすると了承しました。こちらが、手紙の返事です。いやはや、どうしてディジーが……とは思うのですが……」


「それは、私の口からは伝えることはできません。ダンテ様がディジー様を妻にとお望みであると伝えるのが、私の役割ですから」


「そうですな。余計なことを言いました」


「こちらこそ。本来なら主人が出向くべきなのでしょうが」


「そんなことは……公爵閣下と私どもでは身分が違いますから」


 お父様は手紙をサフォン様に渡して、ハンチング帽を脱ぐと薄毛を撫でつけた。


「婚約の了承、ありがとうございます。主人もとても喜びます。手紙は必ず持ち帰りますので、ご安心を」


 サフォン様はとても綺麗な所作で礼をしてくれた。

 私は一体どこで結婚を望んだのは別のディジーさんだったという間違いに気づくのだろうと思いながら、曖昧に微笑んだ。




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