ダンテ・ミランティス、苦悩する
◇
ディジーを部屋まで送り届けて、扉を閉める。
数歩後退ると背後の壁にぶつかったので、そのままずるずると足を曲げてしゃがみこみ、俺は額に手を当てて深い溜息をついた。
「可憐だった……」
最早それいがいに何も分からないが、深い安堵が胸を満たした。
久々の再会の挨拶で失態を犯し、首飾りを返却されて、ディジーに激しく嫌われたかと考えていた。
しかし、そうではなく。俺がディジーを他の女と勘違いしていると思っていたらしい。
なんて謙虚で可愛らしいのだろうか、俺の愛しい女性は。
「……ダンテ様、大丈夫ですか」
しゃがみこむ俺の姿にややたじろいだ様子で、ディジーの元にやってきたのだろうロゼッタが言う。
「戦場では敵はなく、冷たい刃のような姿は味方をも震えあがらせると評判のダンテ様が……」
「いつも無愛想で必要以外を話さないダンテ様が……」
「確かにディジー様は可愛らしくていらっしゃいますが」
「ふわふわした子羊のようで可愛らしくていらっしゃいますが」
ロゼッタを筆頭に、侍女たちも好き勝手言い始める。
ふわふわした子羊のようなディジー。言い得て妙である。
ディジーは羊を飼っている伯爵家の娘だが、ディジー自身も子羊に似ている。
「ダンテ様、ディジー様はこれから湯浴みをされますが、一緒にいらっしゃいますか?」
「いや、いい。……ロゼッタ、からかっているな」
「からかうなどとんでもない。ダンテ様が奥様を娶ってくださり、使用人一同安心しております。このままミランティス家の血筋が途絶えてしまったらどうしようと……兄とサフォンと皆で話し合っていたところですから」
「それは、心配をさせたな」
「ダンテ様。まだ心配しています。本来ならもう、同室でもいいぐらいですのに、初夜までは別の部屋というのは」
ディジーの部屋を用意するようにと命じたら、ロゼッタには反対をされた。
夫婦になるのだから同室でいいだろう。婚礼の準備まで一ヶ月もかからないのだからと。
実際――婚約の了承が得られた時点で、国王陛下には婚礼についてを知らせていたし、ミランティス領の者たちにも伝えていた。
俺には両親はいない。兄弟もいない。親戚はいるものの、疎遠である。
婚礼の儀式に呼ぶ者は少ない。用意ができればエステランドのディジーの家族を呼び寄せて、あとは挙式を行うだけだ。
ディジーのドレスについても、すでに何着かつくっている。
採寸して仕上げればいいという状態なので、さほど準備はかからない。
ディジーには、伝えていない。
結婚する気満々の男だと思われると、怖がられるだろうか、嫌がられるだろうかと悩んだ末に、そういった細々したことは伝えなくていいという判断をした。
「まだ心の準備ができていないだろう、きっと」
「結婚をするつもりでここまで来たのに、つれなくされるほうが辛いです。ディジー様は実際、自分は人間違いをされているのではないかと考えていたようですし」
「それについては解決をした」
「お食事中は大変仲睦まじいようすで、安心いたしました。ダンテ様、しばらくは国境の戦線も落ち着いているのでしょう? だからディジー様に結婚を申し込んだのだと、理解していますが」
俺はつい一年前まで、国境で起っていた大規模な侵略戦争に兵を率いて従軍していた。
辺境伯家の軍に協力をする形である。
以前から度々、隣国に位置しているローラウド帝国は我が国に攻め入ろうと国境を侵すことを繰り返していた。
帝国は元々は小国だった。だが、野心家のローラウド皇帝が周辺諸国を侵略し支配する形で大きくなり、とうとう我が国にも攻め入ろうとしてきている状況である。
ローラウド帝国にとって我が国――ヴァルディア王国は目の上の瘤のようなもの。
ヴァルディアは周辺諸国の支配地域をすべてあわせたローラウド帝国よりも国土が広い。
ヴァルディアを落とさなければ、その先にある他の国にも手を伸ばせない。
それほど国土を欲してどうする――と、思うものだが。
ローラウド皇帝には子供が多いと聞く。徐々に、皇帝の血筋の者たちや、戦で武功をあげたもの、他貴族たちにも、領地として与えられる土地が足りなくなってきているのだろう。
それに今までが、うまくいきすぎていたのだ。
戦勝を重ねれば、次も次もと、戦を繰り返す。属国から搾取するという甘い汁を知ってしまえば、そこから抜け出すことは困難だろう。
俺は、国を守るべく体を鍛え、馬術や槍術や剣術の訓練を重ねてきた。
いつか大規模な戦が起こるだろうと想定してのことである。
それに、ローラウドには――遺恨もあった。
ミランティス公爵領は宝石や鉱物がよくとれて豊かだ。
資金の一部を軍事力に回し、いつでも戦に参戦できるように準備を整えてきた。
そして予想通りに、三年前――侵略戦争がはじまった。
国境には国王陛下も軍を率いてきており、各地の軍を有している有力貴族たちも集まっていた。
全ては、国を守るために。
俺の場合は――ディジーを守るため、だったのだが。
戦は三年続き、ローラウドが兵を引き上げさせたのが一年前である。
ようやく公爵領に戻ってくることができた俺は、気づけばもう二十歳を過ぎていた。
ディジーは十八になる。もっと早くに婚約を申し込みたかったが、そんな余裕はなかった。
もしかしたら既に別の男と婚約をしているかもしれない。
恋人がいるかもしれない。
そんな不安を抱きながら手紙を書いた。
だから、婚約が了承されたときは、奇跡だと思い、手紙を天に掲げて神に感謝の祈りを捧げたものである。
「あぁ。そうだ」
ロゼッタは普段はあまり多くを語らない。
だが、ディジーのことがとても気に入っているようで、珍しく色々と心配をしてくる。
エステランドからここに来るまでの間、ディジーと親しくなったのだろう。
正直、羨ましい。
「でしたら、婚礼の儀式までにディジー様とたくさんの時間を過ごしてください。いつまた、戦場に向かわれるのかわからないのですから、ディジー様に不安を与えるようなことはしないでください。ただでさえダンテ様はお顔が怖く、無愛想で、口もうまくないのですから」
「……そうだな。自覚はある」
はっきり指摘されると、胸に針が突き刺さるようだった。
威圧的な顔立ちも、体格も、戦場においては役に立つものだが、女性との恋愛にはまるで役に立たない。
気のきいたことを言えたらいいのだが、頭に浮かぶのは、ディジーが可愛いという単純な感想ぐらいだ。
その夜、俺はディジーの夢を見た。
エンドウ豆の鞘につつまれたディジーが「美味しく食べられたいです」と恥ずかしそうに言う夢を。
朝目覚めて、罪悪感で頭を抱えた。
我ながら――なんという妄想をしているのかと。
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