戻ってきた首飾りとふかふかのベッドと安眠
お腹がいっぱいになり、誤解もとけると、結構単純な私は眠気を感じた。
お酒を飲まない私の夜は早い。
レオと違って夜遅くまで本を読むこともないし、羊毛フェルトをチクチクするのも、編み物をするのも、薄暗い夜の灯りの元ではあまり適していない。
それでもダンテ様がお酒を飲むのなら、ダンテ様がお休みになるまで一緒にいるのが妻の勤めというものだろう。と思う。たぶん。
「ディジー、もう休め」
「でも、ダンテ様。まだダンテ様は起きていらっしゃるのでしょう?」
「君の眠る時間を、俺に合わせる必要はない」
私から視線を逸らしたままダンテ様は冷たい声音で言う。
一見して素っ気ない態度だけれど――本当は私を気遣ってくれているのだろう。
ダンテ様が優しくていい人というのはもう分かっているので、私はその言葉の奥に潜む思いやりを感じてにこにこした。
「ありがとうございます、ダンテ様。では、ロゼッタさんにお願いしてお部屋まで送って貰いますね。お屋敷がとても広くて、迷ってしまいそうなので」
「……仕方ないな。……俺が案内しよう」
「いいのですか?」
「……あぁ」
私が立ち上がると、ダンテ様も立ち上がった。体が大きいせいか、足をがたがたとテーブルや椅子やらにぶつけていた。
痛そうに見えたけれど、ダンテ様は頑丈なのだろう。表情一つ変えなかった。
テーブルの上の食器は、そのままだ。食べっぱなしで置いておくというのはどうにも落ち着かない。
「お片付けを……」
と、聞いてみたけれど、「それは君の仕事ではない」と言われて、私は大人しく頷いた。
公爵家の廊下の壁には、四面体のランプが並んでいて、そのどれもが淡く光っている。
「これは、蝋燭ではないのですね」
背の高いダンテ様の少し後ろを歩きながら、私は尋ねた。
ダンテ様は私よりも頭が一つと半分ぐらいに背が高い。見惚れるほどに立派な広い背中と、長い足と腕。
国や民を守るために鍛えていらっしゃる体だと思うと、余計に惚れ惚れしてしまう。
「あぁ。それは蓄光石。ミランティス領は宝石や鉱物の産地だ。蓄光石もその一つで、日中の光を中にためこんで、暗くなると光る性質がある。夜の灯りとしては十分な光量だろう。ミランティス領では蓄光石がよく使われている」
「わぁ、すごいですね。光を溜め込む石があるのですね。とても神秘的で素敵です」
蝋燭の炎は橙色だけれど、蓄光石の灯りは薄い青色である。
等間隔に並ぶ蓄光石のランプが廊下を照らす様は、未知の洞窟を探索しているようだ。
「それに、炎ではないから火事の心配も減りますし。ミランティス領にだけ普及しているのですか?」
「あぁ。領地以外に出回ってはいないな」
「広く知られるようになれば、きっと皆欲しがりますね」
「宝石は高価だが、蓄鉱石は知名度が低い。それに、蝋燭や油よりも高価だ。皆、蝋燭で十分だと思うだろう」
お値段が高いとなると、少し考えてしまうかもしれない。
けれど、蝋燭や油は使ったらなくなってしまう。
蓄鉱石ならなくならないから、多少高価でも欲しいと思う物ではないかしら。
そんなことを考えながら、ダンテ様のすぐ後ろを歩く。
部屋の前まで辿り着くと、ダンテ様が扉を開いてくれた。
「ディジー、君の部屋はここだ。今の、ところは……」
「婚礼の儀式が終われば一緒に過ごすことになるとお聞きしました」
「……そうだが、君が嫌ならば、無理にとは」
「とても楽しみにしていますね。ダンテ様と夜も一緒に過ごすことができるのは、嬉しいです。もっとお話しをする時間がもてるということでしょう? それに、エステランド家ではいつも動物たちが傍にいて……だから、一人というのは少し、寂しいのです」
「……ディジー」
「はい」
押し殺した声で私の名前を呼んで、ダンテ様は上着のポケットから小箱を取り出した。
それは私がダンテ様にお返しした、首飾りの小箱だった。
「……君に、返しておく。安価なものだ、気にせずに使え。君がなにも身につけていないと、妻に装飾品一つ贈れないほど公爵家が困窮していると思われる」
「そ、それは困ります……! 私のせいでダンテ様の評判がおちるのはいけません、頑張って使わせていただきますね。身に余りすぎて恐縮すぎるのですが、頑張ります……!」
私は頭を何度もさげて、首飾りの小箱を受け取ろうとした。
けれどダンテ様はひょいっと、腕をあげた。伸ばした手は、届かない。
「ダンテ様?」
「その……つけてやろう、そこまで気後れするというのならば、俺が」
「ありがとうございます」
私は首飾りをつけやすいようにくるりと後ろを向いた。
ダンテ様はしばらく沈黙したあとに、私の首に触れる。繊細で美しいチェーンが私の首に巻かれて、青い宝石が鎖骨のすぐ上ぐらいに収まった。
太くて硬い指が、首に触れる。
かすめるようにして触れる感触に、私は体を竦ませた。
「痛いか」
「痛くないです、くすぐったくて……恥ずかしいものですね。男性に、こんな風にしていただいたのははじめてのことですから……」
「……そ、そうか」
「ふふ……とてもとても、すごく綺麗です。ありがとうございます、ダンテ様」
するりと手が離れた。
私はダンテ様を振り返ると、首飾りの宝石に触れる。
私には勿体ないぐらいに美しい宝石だ。
今まで着飾ることとは無縁な生活を送ってきたから、余計に、はじめて女性として扱われた気がして――なんだかすごく嬉しい。
「で、では。もう休め、ディジー」
「はい、ダンテ様。また明日。おやすみなさい」
「……あぁ」
ダンテ様にご挨拶をすると、ダンテ様は私からすぐに視線を逸らして廊下の向こう側へと消えていった。
私はもう一度お辞儀をして、部屋に入る。
ロゼッタさんと侍女の方々がすぐにやってきて、寝る前に湯浴みをさせてくれて、寝衣に着替えさせてくれた。
私はまるでお人形のようになりながら、ありがたくそれを受け入れた。
私の身の回りの世話をするのが、ロゼッタさんたちの仕事。
私は今まで羊の世話をしてきたけれど、今度は世話をされる羊になったのだ。
そう思うと、艶々に磨かれることもそこまで恥ずかしいとは思わない。
毛刈りをされる羊たちも、大人しくしているのだから、私も大人しくしていることぐらいはできる。
ロゼッタさんたちがご挨拶をしてさがっていき、部屋に一人になった私は、ふわふわの雲みたいなベッドの上に寝転んだ。
お腹の上で両手を組んで、目を閉じる。
首にまかれた首飾りに触れてみる。
ダンテ様の妻として明日からも頑張ろう。ダンテ様がいつか笑ってくれるといい。
そんなことを考えていると、いつしか穏やかな眠りの淵に落ちていった。




