哀しみの始まり
「にしても、俺ら三人揃ってまた同じクラスだな」
「ね! めっちゃ嬉しいー!」
「アタシはアンタらといると色々見せつけられて胸やけしそうだよ」
「そういうこと言ってー、嬉しいくせに」
「ま、昼飯食べる相手に困らないのは助かるね」
「来年もよろしくな」
「どうせみんな就職希望だしね。確率的には五割ってところね」
「よし! 俺は勝つぞ!」
「何によ」
「確率に!」
「はいはい……」
教室が三階から二階に変わっても、特に代わり映えのしない光景に安堵と呆れを感じつつ、朝のどうでもいい時間を過ごす。何の変哲もない、どこにでもいる高校生。頭の上にいるコイツの存在を除けば。
みんなには見えていないが、アタシだけには怪物が見える。黒い不定形の身体を、ゆらゆらと玉虫色に光らせながら動いている。人間に危害を加えるような奴じゃないのはここ十数年ではっきりわかっている。アタシの怪物に関しては、ね……。
しばらく話していると、教室の前の扉が開き、瑞稀先生が入ってくる。
「瑞稀先生が担任⁈」
「新婚生活満喫してるー⁈」
クラスの男子どもがすかさず野次を入れてくる。瑞稀先生は今年の二月に結婚したばかりの新婚さんだ。自分から話すことはさすがにしないが、聞かれると満更でもなさそうに旦那さんの話をしてくる。割とデレデレだ。
「はいはい、満喫してるから心配しない」
「ヒュー!」
「うるさい!」
この通りだ。
「はい、では改めまして。二年E組の担任やります、西園寺瑞稀です。よろしく」
「旦那さんとの写真配布に入れてるって本当ですか?」
「スタイル維持の秘訣はなんですか?」
「バストは⁈」
「ご趣味は……?」
「うるさい!」
今年は賑やかになりそうだ。ちょっとうるさいけど、元気があるのは良いことだ。ね、ユウ。ユウもそう思う?
「……?」
怪物、ユウはアタシの視線の意味を理解していないようだ。そんなところもかわいいのだけれど。
*
「はい、それじゃ気を付けて帰るように」
ホームルームが終わり放課後となる。アタシはそそくさと帰り支度をする。
「お、今日バイトか?」
「まあね」
「新年度早々頑張るねえ」
「バイトは去年からやってるっての」
「ホント、頑張り屋さんよね」
「少しでもお金貯めときたいしね」
「ま、ほどほどに頑張れよー」
「サンキュー」
胡桃と綺羅に別れを告げてバイト先の喫茶店へと向かう。
駅から少し離れた住宅地にあるこの喫茶店、ミーティアはお客さんの入りは程々で、丁度良い忙しさだ。お客さんをあまり待たせず、かといって従業員が暇すぎることもない。主なお客さんは付近の住宅に住んでいる主婦たちだ。大学生もそこそこ来る。木造の暖かな内装と控えめな照明が、落ち着いた雰囲気を演出してくれる。店主の山本さんも愛想が良く、常連客も多い。裏で学校の制服から店の制服に着替え、カウンターに出る。
「よろしくお願いします」
「よろしく。窓側のお客さんに抹茶ケーキとブレンドコーヒーお願いね」
「はい」
最早慣れた手つきで早速コーヒーを淹れる。一年もやってれば季節のメニューも一通り経験があるので慣れていて当然なのだが。
ちなみにユウはこの店だとアタシの頭の上ではなく、カウンター裏の食器棚と天井の隙間で伸びている。あの空間がお気に入りの様だ。
「ブレンドコーヒーと抹茶ケーキになります」
「あら、愛ちゃん。四月だしもう二年生になったのかしら?」
「ええ。今日丁度始業式を終えたところです」
「一年あっという間だったわね。来年もいるの?」
「もう来年の話ですか? 早すぎですよ。いる予定ではありますけどね」
「いやね、若い子見てると自分も若くなった気分になるから、愛ちゃんがいる日だとちょっと嬉しくてね」
「そりゃどーも。今後ともご贔屓に」
初めのうちは意識して営業スマイルをしていたが、常連さん相手なら自然な笑顔が出るくらいには打ち解けている。就職先をどうするかはまだ悩み中だが、マスターには見つからなかったらそのままウチで働いてくれと言われている。楽しく仕事できているので全然ありだとは思っている。正社員になって給料が上がるなら悪くない気がする。
「ありがとうございましたー」
「ありがとう。次は明後日だっけ」
「そっすね。じゃあまた明後日」
「はい、おつかれ」
「おつかれさまでーす」
店を閉めてユウを回収して喫茶店を後にする。午後八時を過ぎ、夜の匂いがする。春は暖かな日差しのイメージがあるが、夜風も心地良くて結構好きだ。イヤホンで音楽を聞きながら帰路に着く。
「キャーーー‼」
突如として悲鳴が聞こえる。もしやと思い悲鳴の方へと駆ける。人通りの少ない道で、悲鳴の主と思われる女性が、食われている。
「あ……ああ……」
三メートルはあろうかという赤黒い血の塊のような巨体の口のような場所から、女性の上半身が垂れ下がっている。下半身はもうその口の中だ。バキボキと嫌な音を立てながら、女性の身体がその口へ吸い込まれていく。
「間に合わなかったようね……」
女性の姿は完全にその塊の中に沈んでいった。食事を終えた怪物は次の獲物として私を見据えたようだ。
「やるよ、ユウ!」
「……!」
アタシはユウを両手で持ち、引き延ばす。ユウはグニョグニョとその身体を変形させ、やがてアタシの身の丈を超える、二メートル程の大太刀となる。黒く、時折玉虫色に揺らめく色はそのままに、形だけ大太刀に変えたのだ。
赤黒い怪物がこちらへと触手を伸ばす。それを先端から真っ二つに叩き切る。裂け目から身体と同じ色の体液が噴出する。その体液を避けながら怪物へと向けて走る。咆哮を上げていた怪物はもう一本触手を生やし、それを拳のようにしてアタシの頭上から振り下ろす。それを大太刀で受け止め、弾き返す。快部がよろけたところをすかさず一閃。胴体部分を横に切断する。怪物の上半分は崩れ落ち、下半分もドロドロと溶けて跡形もなく消えていく。
大太刀を地面に突き刺し、両手を合わせて祈る。
「助けられなくてごめんね。あと、怪物さんも成仏しな」
大太刀を引き抜いて、元のユウの形に戻す。
「おつかれ、ユウ」
「ー、ー」
「さ、帰ろう」
これがアタシたちの日常だ。アタシには五歳の頃からこういった怪物が見える。怪物が人を襲っているところを見かけてはユウを変形させて立ち向かう。初めて怪物が人間を食べているところを見た時は衝撃だった。ユウより何倍も大きくて、人の腕を、脚を、頭を、胴体を食いちぎっていた。そして次はアタシの番なんだって思った。その時だ、ユウが大太刀になったのは。震える腕で大太刀になったユウを握り、動けない脚を踏みしめて、自分に襲い掛かってきた怪物に、何とかなれという思いで一振りした。
それからは、自分や誰かを襲っている怪物を見かけたら、ありったけの勇気を振り絞ってユウと共に戦うようになった。
にしても最近多いな。以前より怪物を見かける頻度が増している気がする。気のせいだといいのだけれど、多分そうじゃない。嫌な胸騒ぎがする。
*
「ただいまー」
「あいちゃんおかえりー!」
「ただいま、千咲」
「おせーぞ!」
「ただいまー剛。今日バイトだったんだってば。昨日言ったでしょ」
「そ、そうだよつよしくん。あいちゃんおかえり」
「智樹もただいま。まだ起きてたんだね」
「お、おかえりは、言いたい、から」
「ふふ、ありがと」
「愛ちゃんおかえりなさい。ご飯できてるから、温めて食べてね」
「ただいまー園長先生、今日何?」
「今日はカレーよ」
「お、アタシ園長先生のカレー好きなんだよね」
「今日は始業式だからね、ちょっとお肉多めにしといたよ」
「いーじゃん、ありがと」
そう、この児童養護施設がアタシの家だ。そんでもってアタシが今最年長のお姉さんだ。三人ともかわいい子たちだし、元気でいい。智樹はちょっと大人しめだけどね。園長先生も歳はそれなりだけど、まだまだ元気で優しいし、居心地がいい。アタシの家庭も元々はそうだったんだけどね……。
*
「愛、もうすぐ弟が生まれるからね。そしたら愛はお姉ちゃんだね」
「アタシ、おねえちゃんになるの⁈」
「そうよ、名前はもう決めてあるの。優っていうのよ」
「ゆう? ゆうーはやくでておいでー。おねえちゃんがまってるよー」
「そう急かさないの。今頑張って準備してるところなんだから」
「えー、はやくー」
「こらこら、お母さんを困らせるんじゃないよ」
「えー」
「待ちきれないのね」
「はやくおねえちゃんになりたい!」
しかし、人生とは上手くいかないもので、弟は死産となった。母さんの状態が急変し、病室から分娩室に運ばれたのだが、処置が上手くいかなかったのか、間に合わなかったのか、優は産声を上げることなく、その生を終えたのだ。しかし、廊下で待っていたアタシの元に、黒い怪物が現れたのだ。周りの大人たちには見えていないようだったが、アタシには見えた。そして確信した。直感でしかないのだが、アタシはその怪物をユウだと思った。アタシにしか見えない、アタシだけのユウ。
でも、優は世間的には死んでいるし、このユウもアタシ以外には見えない。そして死産を体験した母さんは自暴自棄になった。
「いや、いやよ……優は、優はどこ……?」
「優はもう……」
「ユウはいるよ?」
アタシは悪気なく、見えないユウを両手に抱えて母さんの下に向かった。それが、トリガーだった。
「優? いるの? ……いないじゃない、いないじゃない! 優、優、優! ああああああああああ‼」
母さんは辺り構わず食器を投げ捨てた。割れた食器すら手づかみして再度投げ捨てた。その内の一つがアタシの右目に当たった。
「おい、止めろ!」
「いやああああああああああ‼」
見かねた父さんが救急車を呼んだ。アタシはそれ以降右目の怪我を隠すように髪を伸ばした。縫った跡があるためだ。あまり心配も詮索もされたくなかったというのが大きい。
その後、子どもを育てることができなくなった母さんと、多忙で子どもの面倒を見れない父さんは、アタシを施設に預けたのだ。あの光景は今でも鮮明に思い出せるくらいにはショックだった。何もできないどころか、アタシが余計な一言を言ったのだと気付いてからは、尚更やるせない気持ちになった。
でも園長先生や、当時施設にいたお兄さんお姉さんに助けられながら、徐々に心を回復していった。傷は傷として残っているけど、きちんと自分の両足で立つことができるくらいにはなった。
「カレー美味しいー」
今はなんだかんだ良い暮らしをさせてもらっているので感謝している。それに、みんなには見えないけど、アタシにはユウがいる。それが何よりの支えでもある。