中年の部屋
斎藤の言いつけはすべてしっかりと守られ、圭はカーテンを閉め切った自室にいた。
普段着に着替えベッドに腰掛ける圭の前には父親と斎藤が向かい合って胡坐をかいている。
このころには圭の意識もすっかり元に戻っていたのだが、薄暗い自分の部屋に屈強で迫力のある父親と、別の意味で迫力のある斎藤が並んでいることに、その重々しい雰囲気に居心地の悪さを感じていた。
「これからまぁ、七晩ですね。こう、若い息子さんには酷かもしれませんが、この部屋から出ないようにしていただきたい。七日間姿を現さないことで本当に死んだんだとあめふらしに諦めてもらいます」
斎藤は申し訳なさそうに圭と父親に言った。
「この間ご家族であっても女性に会うことを禁じます。お母さんと妹さんですね」
「はあ」
父親は気の抜けた返事をしながらも、その内容をしっかりとメモにとっている。
「食事はお父さんが運んでください。トイレなんかに止むを得ず外に出る場合はお父さんがついてあげて、お母さんや妹さんと顔を合わせぬようお願いします」
父親はメモを取り、ふむふむと頷きながら、
「それはあれですか、息子に携帯を持たせて私に連絡させてもよろしいでしょうか」
「いや、携帯は他の方とも連絡が取れてしまいますので。それに圭君自身には声も音もできるだけ出さずにいてほしいのです。2、3時間に一回、できれば一時間に一回御用聞きをやっていただくのがベストですね。大変でしょうが」
斎藤が静かな口調でそう言うと、父親は「なんのなんの」と笑ってみせた。
「サラリーマンでなくてよかったですよ」
迫力ある二人の中年がやさしく微笑みあう異様な光景に、圭は自分の置かれている状況がかなり特殊であることを再認識した。
そしてその原因が自分自身の行動にあることを思い、申し訳なく、いたたまれなくなった。
「夜もできれば部屋の外で寝ていただいて、待機という形ですかね、そうしていただくとよいかと」
「夏でよかったですよ。冬場に廊下で寝るのはさすがに堪えますからね」
明るく笑いながら答える父は頼もしく、そのことが余計に圭に罪悪感を与えた。
「それからもう一つ圭君には約束してほしいことがあるんですがね。その…」
父親に語りかけるでもなく、圭本人に語りかけるでもなく、斎藤は少し顔を伏せて後ろ頭をかいた。
「まあ、お若い、年頃の息子さんなわけで、ね?そういう気持ち?ほら」
わざとらしい海外映画のようなリアクションを取りながら斎藤は何事か伝えようと試みる。しかしその歯切れの悪い様子に二人はきょとんとするばかりだ。
「一人でそれを何とかする。言ったらその、処理…ですか。そういうこともあるわけです。いや、全員が全員とは言いませんがね、ええ」
この世の穢れをすべて見尽くしたと言わんばかりの強面がうっすらと赤くなっている。
父親はそれに気づき「ああ…」と理解を示し、圭は遅れて顔を赤らめ下を向いた。
「それを七晩禁止します。それをというかあまり心が昂るようなことがないようにしていただきたいんです」
「はあ、なるほど…」
神妙な顔でメモを取る父親とは対照的に、圭と斎藤はバツが悪そうに、視線を泳がせた。
「まあ、たった一週間ですのでね。そう大したことでもありませんし、ひょっとすると息子さん、圭君もほら、何のことだかさっぱり…」
まだ言い終わらない斎藤の言葉を遮り、
「いや!斎藤さん、一週間は長い!自分のころを思い出してくださいよ!あまりに酷だ!試練だ!そうでしょう!」
大声を上げ立ち上がる父親に圭は眉をひそめた。やめてくれと言いたかったが、自分の立場を考え、自分のためにいろいろな感情を見せる父に何も言うことはできなかった。
「いえ、私はそんなん全然平気ですよ…。でしたよ…」
口を尖らせもごもごと喋る斎藤に対し
「嘘だー!絶対嘘だね!」
盛り上がる父親を眺め、
「おやじ、ちょっと…」
圭はさすがにこれはと思い、控えめにではあるが、しっかりと諫めた。
ハッとした父親はゆっくりと座り、斎藤は斎藤でわざとらしく一つ咳払いをし、わざとらしく神妙な顔と声色を作った。
「圭君、そういうわけだからこれから一週間、どうか心安らかに。寝て過ごす…なんてことは無理かもしれないけどさ、重い病気にかかったとでも思ってさ、ここはひとつ養生するつもりで過ごしてほしいんだ」
斎藤の作った顔はひと際恐ろしいものだったが、その優しい瞳を見つめ、圭は小さく、しかし誠実に頷いた。
その様子に斎藤の人柄と息子の決意を感じ父親は満足げに頷いた。
そして豊かで優しく、威厳のある態度で
「圭、エロ本あるだろ、出しなさい」
そう、微笑んだ。
「ねーよ」
せっかくの雰囲気を台無しにする父に向けられた表情は一転侮蔑交じりのものだった。
「はあ?ないわけないだろ!逆にやばいってそれ!」
「いや、ほんとにないから!探してもいいから!」
「逆に不健全だってそれ!わかった!ほんとにないとしてだ!あれですよね斎藤さん、興奮するのがダメなんですよね。お前の読んでるマンガ結構エッチじゃん!あれも全部出しなさい!」
「まあ、そうですね、そういうのも警戒するに越したことはないですね。」
「いや、あんなもん少年誌…!いいよ!持ってけよ…!…いや、その漫画は別にいいだろ!」
「ダメだって!ヒロイン可愛いし露出多いし…あ!新刊だ!あとこれ、ゲーム!お前ほんと女の娘の見た目でゲーム選ぶよな!コスチューム際どいし!センスいいわ!ほら、お前、ゲームって熱中してムキになったりするだろ!だめだって!ね、斎藤さん!」
「まあ、はい…」
「それおやじやりたいだけだろ…。いいよもう。全部持って行けよ」
圭は疲れている。数時間前まで意識もはっきりしていなかったのにこれは酷だ。
「あとはあれだな。写真だ。クラスの女子のとかさ。美鈴ちゃんの写真とかあるだろ。圭、出しなさい」
圭は目を丸くする。酷だ。
「いや、あっ、あったとしてそんなん…!お前マジ何考えてんの!?」
「はあ?父親に向かってお前って…、しかも俺は心配…」
あまり喧嘩をしない親子だったが、一連の危機的状況の反動か、二人は堰を切ったように感情を妙な形でぶつけ合った。
それはともすれば微笑ましいものだったのかもしれない。しかし、
「心安らかに…。そう、申し上げたのですが」
斎藤は微笑んだ。
その口調は静かでゆったりとしたものだったが、その一方で重たく、鋭く二人の心臓まで響き渡り、その無様で微笑ましい口論は終わることとなった。
「くれぐれもお願いしますね」
細い目をより一層細める斎藤の表情に、声に、親子はこれから七日間の主導権が誰にあるのかをはっきりと認識した。村の古い伝承もさることながら、やはり神とは触らぬに限るのだと実感した。