斎藤
村で一番大きな屋敷の座敷と奥座敷。
それを間仕切る襖を外し、公民館の座卓が並べられている。
床の間には古めかしい皿と真新しい五月人形が飾られ、替えたばかりの畳が良い匂いを放ち、磨かれた柱の光沢はいつも通り、高級旅館のような雰囲気を出している。
いつもと違うのは立派な幅広の仏壇は扉が閉じられ、自慢の鷺の掛け軸がくるくると巻き閉じられていることだ。
その正面には白装束を左前に着せられ正座する圭の姿がある。
昨夜駆け付けた医師に何かしら注射を打たれ意識を取り戻した圭だったが、いまだ意識ははっきりとせず、これまでに発した言葉は美鈴に向けられた「ごめんね」だけだった。
圭の前には三方が並べられ、その上には皿や瓶子が置かれ、そのどれも中身は空っぽだ。
村人三十人ほどが圭の姿を眺めるように二列に向かい合い正座で並んでいる。彼らはみな喪服姿で、その前には刺身や天ぷら、汁物など、立派な仕出しが並べられている。
下座、圭から一番遠いところには制服姿の美鈴と純が座った。二人の前に料理は並ばず、なぜか赤い布で目隠しされている。
「ええ、それでは」
しんと静まる部屋の中、中央に立つ男が口を開く。
「本日取り仕切らせていただきます斎藤と申します。いくつか決まりごとがございますんで、それをくれぐれもお守りいただくようお願いいたします。ああ、返事とかはいいですよ。終始なるべく無言、止むを得ずお話しされる場合もなるだけ小声でお願いいたします。後ろのお嬢ちゃんたちは絶対に声を出さないように」
男に相槌を制され村人は硬直し、美鈴と純は小さく頷く。
首元のボタンを二つ外したワイシャツに細身のスラックスのラフな出で立ち。
切れ長の目に光沢のある細い眼鏡。少し額の広い短く刈り上げた髪。口髭。手には日本刀を持っている。
昨日の出来事に村人たちは緊迫していた。
そして、本日未明に現れたこの男の、どう見てもその筋にしか見えない風貌は、彼らにさらに別の緊迫感を与えていた。
「ええ、では今から祝詞?みたいなもんを上げますんで、それが終わったら食事を始めてください」
そう言い放つと、斎藤は圭に近づきしゃがみ込み、語りかける。
日本刀の鞘で自分の肩をトントンと叩いている。
「君はじっとしててね、声も出さないように。一通り終わったらみんな出ていくからさ、電気も消すから。そしたら歩いて自分の部屋に戻りなさい。靴は履かないでね。玄関からではなく縁側から外に出て。そしてそう、その間誰ともしゃべっちゃだめだよ。部屋に戻るまで静かに、ゆっくり、顔を上げずにうつむいて」
圭は頷かずにじっと斎藤を見た。その目には理解を示す光があった。
気が気でないのは両親だ。
日本刀を持ったいかにもな風体の男が息子に何やら語り掛けている。
圭の一番近くに並んで座る二人は慌てて「斎藤さん」と早口に呼び、膝が料理の乗ったお座卓にあたり音が鳴った。
「お静かにお願いします」
斎藤は冷静に対応する。
村人の緊張感を感じ取り、できるだけ穏やかな口調を心掛けたのだが、その落ち着きが余計に村人を恐怖させた。
深夜数時間かけて駆けつけてくれた陰陽師を名乗る男。ありがたくもあるが胡散臭くもある。
そしてこの見た目だ。昨日息子の身に起こったこととは別のことを危惧させる。
「その、刀は何に使われるんです?いえその、自分の村のこととはいえ、我々とんと無知でして、どのようのことに使われるのかと」
圭の父は斎藤の気を悪くさせまいとできるだけ丁寧に尋ねる。
恵まれた体も丸まった背中のためになんだか小さく見える。
「これはですね、祝詞にこう、舞ってほどでもないんですが動きが付きますんでね、別に素手でも御幣でもいいんですが、まあ、私はこれを使いたいんですよ。カッコいいでしょ」
飄々と語る斎藤に村人は息をのむ。
「それを踊ると息子はよくなるんでしょうか」
「踊ると、というか、何と言いましょうか、これはある種の葬式でして。あめふらし…例の神様ですね。それに息子さんが死んだと思わせる、形式上そういうことにするために必要なんですよ。こちらの土着の神様なんですが結構有名な神様でしてね、まあ、これをやればとりあえずは大丈夫という資料が残っております」
ぼんやりとした回答に不安になりつつも信じるしかない。というより疑う素振りを見せまいと、圭の父は話を変える。
「娘たちは目隠しをされているようですが、あれは…」
「山の神様は女が嫌いというのがございまして。若い、未婚の、つまり…経験のアレな女性は同席する場合ああする習わし…、いないものとするというかですね」
強面の五十代は頬を赤らめ、少し照れくさそうに語る。
が、村人は斎藤の表情の変化なんかに気づくことなく、場の空気は張り付いたままだ。
斎藤は真剣に答えているつもりだったが、村人はどこかはぐらかされているように感じ、純はなんだか赤ずきんと狼の会話みたいだと思った。
「最後にすみません。あの子はもう飯を食ってるようなんですが、あれはその…大丈夫なんでしょうか」
圭の父は圭の奥、部屋の端で一人、鯛の塩焼き、尾頭付きを食べる奇妙な姿の子供を指さした。
結構なスピードで食べ進んでいるようだが、きちんと座り、きちんと箸を持ち、あまり音を立てず、その所作は美しく案外お行儀良い。
時折口に運ぶ飲み物は黄色く、泡立ち、傍らの瓶には誇らしく星のマークがついている。
すでに一本が空だ。
「決まりを守っていただくのは参列者だけでして。あれはまあ、今回の功労者と申しますか、ともすれば厄除けに働くか。そもそも人ではありませんし…」
それは圭の父ににっこりと微笑んだ。口の周りに泡がついている。
斎藤の口から発せられる言葉はどれも胡散臭いものだった。
また、村人たちは古くからの言い伝えを口にはするものの、その実よくて半信半疑、殆どが迷信と考えていた。
アイアのことを人間ではないという斎藤の言葉に対しても当然訝しむものばかりで、鼻で笑いたいくらいだ。斎藤が怖いので我慢するが。
しかしながら、そのマスコットのようなルックスが手伝ったのか、村人は素直に理解したふりをすることができ、斎藤は順調に進行することができた。
「それでは始めます」
斎藤は立ち上がり圭から少し離れ、背筋を伸ばし、両手で恭しく刀を捧げ持つ。
そして再びゆっくりとしゃがみ込む。
しかし先ほどまでのいい加減なしゃがみ方とは違い、頭の先からつま先まで凛と張り詰めた、美しく、格式ある蹲踞であった。
刀を抜き、鞘を置く。
細い目を一層細くする。
圭の頭上の空を見つめる鋭い視線に村人は恐怖を感じるが、一部美しさを感じるものもいた。
大きく、静かに息を吸うと、ゆっくりと祝詞を上げ始める。
斎藤の声は低く、美しく、豊かだ。
そしてその声に合わせて長い手足がゆっくりと、しかしぶれなく、大きく、美しく、力強く動く。
まるでハイスピードカメラのスローモーションを見ているかのようだ。
刀は蛍光灯の光をキラキラと反射し、村人の目を刺激して緊張を途切れさせない。
素足が畳を擦る音が合いの手のように聞こえる。
祝詞というか神楽だ。そう思いながら村人たちは見とれていた。
少女たちからはその姿が赤い布越しにぼやけて見え、より一層幻想的なものに見えていた。
「かしこみかしこみ」「とおとおうみよりおはします」「りゅうじんあめふらしあまりあり」
それらしい単語が聞こえ、また、その舞の出来も相まって、村人たちの斎藤への印象に変化が現れる。
祝詞の正しい意味を理解し、その内容に効力を見出したとかではない。
ただなんとなく、それっぽいな。と思った。
実は斎藤も祝詞の内容をよくわかっていない。
それどころかちゃんと覚えていない。
それなのに一人で長い祝詞を上げながら舞わなければならない。
胸ポケット、ボタンをはずした胸元、両袖口にはひらがなで書かれたカンニングペーパーが仕込まれており、それがばれぬよう巧妙に舞い続けた。
その努力は見事に報われる。
村人はそれに一切気づくことはなかった。
そして完璧で美しい祝詞と舞は、斎藤の姿とこれまでの言動に一定の説得力を持たせることとなった。
その間もアイアはもくもくと飲み食いしていた。
あまり音を立てずに食べていたが、それでも静寂の中、皿や瓶やグラスの立てる音はよく響き、まるで斎藤の舞に合わせたお囃子のように聞こえた。
祝詞がぴたりとやんだ。
余韻のようにゆったりと体を動かしながら、斎藤は足をそろえ刀を捧げ持ち、圭のほうに向かって頭を下げた。
右足を出しては左足をそろえ、もう一度右足を出しては左足をそろえる。
ゆっくりと圭に近づき、蹲踞し再び頭を下げる。
右ひざをつき少し体をよじる。
一閃、斎藤は圭の頭上すぐのところを鋭く切り裂いた。
驚く村人。
母親は悲鳴を上げそうになり、夫が慌ててその口を押さえる。
斎藤は気にすることなく背筋を伸ばし、圭の右、左と何かを切り裂いた。
当の圭本人は何が起こったかわからず目をぱちぱちとしているが、場には明らかな動揺が広がり、口を押さえられた母親は涙を流し泡を吹いている。
アイアはビールを飲んでいる。
斎藤は正座し、刀を鞘に納め恭しく目の前に置き、深々と頭を下げた。
「はい!」
周囲が目を丸くし、膠着している中、朗らかな声で手をたたき、両こぶしを畳にあてくるりと村人のほうを向く。
「それでは皆さん飲み食いされて構いません。圭君とお嬢ちゃんたちはまだジッとしててね。あと、料理は残っても詰めて帰ってはいけません。できるだけ食べきって、残った場合はあとで裏で焼きますんで」
一仕事終えた解放感からか、斎藤は明るく伝える。広い額、ややこけた頬には汗が浮かんでいる。
村人はどうするどうすると互いに顔を見合わせるが、どうぞどうぞと右手を差し出す斎藤を見ておずおずと箸を手に取る。
母親は呆然とした様子で涙を流しながら刺身を数切れ大根や大葉と一緒にしょうゆもつけず口に運んでいる。
そんな妻の背中をさすりつつ、夫はちびちびとお新香をかじる。
かちゃかちゃと箸と器の当たる音が響く様子を二、三分眺めると、斎藤はよっこいしょと立ち上がりアイアに近寄った。
アイアはそれに気づくと箸をおき、斎藤に向かって両手をつき、深々と頭を下げた。
「お疲れ様でございます」
斎藤はそんなんいいよといった具合にそれを制し、隣に胡坐をかいた。
「おじさんのために鯛を残してございます。すでに箸がついてはおりますが頭のほうを残してございます」
よくわからん気遣いを見せながらコップにビールを注ぎ斎藤に勧める。
「いいよ。緊張しちゃって食欲ないし、お酒飲めないし。それよりもお前のおかげでありついた仕事だ。お前が全部食べなさい」
笑みを湛えた変な顔が、シュンとして口をへの字に曲げた。
その様子に気づき斎藤は困ったように微笑んだ。
「この仕事が終わったらお前の思うご馳走をおじさんのために用意しておくれ。それを楽しみに頑張るからさ」
反動もあって、斎藤の気づかいにアイアは輝かんばかりの笑顔になり、再び結構なスピードで飲み食いし始めた。
「それよりもお前さ、こんなところで何してたの?こういうこと起こるって知ってたの?」
訝しむ斎藤を横目でちらりと見ると、アイアは箸をおき、口の中のものを飲み込み、
「この辺りは昔からヤギを飼うものが多いのです。最近は数も減りましたが」
にっこりと答えた。
「へぇ、お前ヤギ好きなのか」
「はい!」
アイアは元気よく答えた。
二人の会話は村人の耳に入った。しかし頭に入ることはなかった。
ただただ無心で飯を食うが、味をあまり感じない。
酒を飲んでもあまり酔えない。
不気味な出来事に巻き込まれた困惑のせいでもあったし、それがこれで終わるという安堵感によるものでもあった。
「まだまだこれから七晩お仕事なわけじゃん。おじさんもほら、だいぶおじさんだからさ。アイアもお手伝い頼むな」
「もちろんでございます!」
アイアは元気よく答え、得意げに胸元をたたき、ポスっと音がする。
村人が一斉に斎藤とアイアを見る。
箸を落とすものもいた。
聞き流していたBGMのような会話だったが、重要な情報だけは聞き逃さない。
人間の耳と脳はそういう風にできている。
昨日電話ではこの席の支度の支持がなされたのみだった。
夜半に現れた斎藤は香をたいた部屋に圭を閉じ込め、自身は外をうろうろ歩き回り、ほとんど詳しい説明をしなかった。
村人には言っていないが、実は斎藤、初の大仕事。緊張していてきちんと説明していない。
年寄りの記憶も曖昧で、斎藤の風貌に村人から説明を要求することもできなかった。
七晩。
この緊張状態があと一週間続き、このよくわからん連中が一週間ここに居座る。
美しい祝詞と舞のために一時は説得力を持った斎藤の存在だった。
しかしこれで終わると一度は安堵した反動か、斎藤から発せられた新たな事実に落胆し、不信感が再燃する者もいるようだった。
赤い布で目を覆われた少女たちは大人の様子には気づいていない。
兄の意識が戻ってからというもの、いまだその不安感は消えることはなかったが、純は愛らしいフォルムで黙々と食べ、飲み、時折ゲップするアイアが気になっているようだ。
美鈴は一切姿勢を崩すことなく、ずっと圭だけを見続け、ほとんど誰の言葉も耳に入っていなかった。
鯛の尾頭付きをお手本のように食べ終えたアイアは、最後の一杯を一気に飲み干すと「ぷはー!」と心地よく息を吐いた。
まだ料理の半分も食べ終えないまま硬直している村人を眺めながら、ててと純の前に走り寄った。
赤い布で覆われた目をまるで見えているかのように見つめ、にっこりと微笑むと、正座する純の太ももに体を持たれさせ、そのうちに眠ってしまった。
どうしたらいいかと斎藤を見る純。
斎藤は肩をすくめ、恐ろしい顔の自覚がないのだろうか、おどけて見せた。
アイアはスースーと寝息を立てている。酒臭い。寝ゲップした。
純は頭を撫でてみた。
さらさらとごわごわを両立させた不思議で素晴らしい触り心地だった。
斎藤の言いつけを守り、声を出さず、なるべく音も出さぬよう緊張したままアイアを撫でる純。
背筋はピンと伸びたままだが、口元にはほころびがある。
斎藤はその様子を微笑ましく眺めた。
一方でその横の少女を不憫に思った。
昨日は約束があったらしい。
幼馴染の身に起こった出来事に相当なショックを受けたのだろう。
あるいは自分が初めに強く言い過ぎたのだろうか、微動だにせず置物のようだ。表情の変化がわかる分圭のほうがまだ動きがある。
自分がつけさせた赤い布ののせいで見えない目を、斎藤はじっと見つめ憐れんだ。
美鈴はまっすぐその目を眺めていた。
そして首を動かさず、布で隠れた目だけを動かし、誰にも気づかれることなくアイアの横顔を見下すように眺めた。
瞬きもせず交互に二人の様子を眺め、そして圭を見て瞬きをした。
圭は美鈴を見ては目をそらしていた。
「圭ちゃん」
出そうになった声を飲み込んだ。
ゆるみそうになった口を堅く結んだ。
そして固く結んだ口元を維持するために、アイアと斎藤を交互に眺めた。