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ふくろうとおおかみ  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
あいちゃん

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 夏の渦

「知ってるか。盆踊りって縄文時代からあったってさ」

 やぐらを中心に人々が回り動きをそろえるのを眺め、文也はつぶやいた。


 人々の喧騒と、スピーカーから流れる祭囃子の中、決して大きくない文也の声は愛子に届いたようで「ふーん」と気の抜けた返事をした。


「あれ?興味ない?なんで縄文時代に仏教があるんだとか」

 よく二人で教育番組を見ることがあった。

 賢い愛子はこの話に飛びつくだろうと思ったがそうでもなく、得意げに話す自分が恥ずかしくなった。


「大学で習ったんでしょ。自分の専攻以外からも授業とらないといけないんでしょ」

「いやまあそうなんだけど」

 じっとりとした上目遣いで呆れたように言う愛子。少し思っていた反応と違う。


「仏教が入ってくる前から似たような、夏至の、太陽の力が一番強くなるときに人々と精霊がこう、渦を作って混ざり合う…みたいな話…。ひょっとしてこれ話したっけ?それかテレビでやってた?」

 新しく得た知識を披露するのは、賢い愛子に対しこう…、兄ポイントを稼ぐうえで重要な要素だ。もちろん自然に、嫌味なく、ひけらかすようであってはならない。


 大半の話を愛子は興味を持って聞いてくれるが、時々こういう呆れたようなリアクションをとることがあった。

 ジャンルなどに共通する部分はなく、自分の言い方が、なんかさも得意げでいやらしかっただろうかと思い、その後しばらくは知識披露を控えるのが常だった。


「んーん、初めて聞いた。お兄ちゃんって案外そういう話好きよね。スピリチュアルっていうか…」

 意地悪そうに笑って、体を傾け、愛子は兄を見つめた。

「え、そうかな」

 文也はたじたじになった。こういう顔もいい。


「次は何の話する?UFO?おばけ?…あ!この前私おばけにあったよ!」

 兄をからかいながら急にハッと思い出す。

「は?何の話…」

「斎藤さん!斎藤さんは陰陽師でアイアっていうおばけ連れてたの!500歳くらいのお化けで、信長を焼き殺した張本人で、GHQに対してテロ活動…」


 突然まくしたてるように話し出した愛子に驚く文也。

「わかった!わかったから!落ち着け!オカルトは別に好きじゃないから。なんだその変な作り話。斎藤さんてカウンセラーとかコンサルタントとかそういう系だろ?父さんの元同僚だろ?」

 愛子の肩をつかみ落ち着かせようとする。


「ちがうの!本当におばけで!でかいひよこみたいな。帰ったらお母さんにも聞いてよ!話すの忘れてた!」

「なんでそんな話忘れるんだよ。深江ちゃんのおならよりそっちが重要だろ」

「いや、深江さんは…!あんな奇麗な人がおならするなんて思わないでしょ。しかも便秘で…」


 文也は眉間に皺を寄せ、あーはいはい。と微笑んだ。

「いやあしかし、お兄ちゃんおばけは感心しないなあ。UFOはいいけど、おばけはなんて言うか。深江ちゃんが宇宙人とかのほうがまだ面白い…」

「おばけは信じない?」

 距離を詰め、より急な角度で兄を見上げる。

「ほら、宇宙人はまだ科学っぽいし、あとは米軍の秘密兵器とかさ。でもおばけってなんか、コンテンツじゃん」

 そんな愛子に対し余裕をもって話す文也。兄ポイントを稼ぐ。


 愛子はにこにこと笑って言った。

「意外」

 からかうような表情でもあった。


「意外?そうか?そんな風に見えてた?」

 母がオカルトな方向に傾倒していた。その、血のつながった息子だからという意味か?だとしたら少し不快かもしれない。

 今はまだましではあるが、少し前の母の様子であったら、それを愛子の口から言われるのであれば、それは多少心に傷を負うものであったと思う。


 愛子は楽しそうに笑っているだけだった。

「なんとなくお兄ちゃんはこう…おばけとの親和性…。おばけうけしそうだと思ったから」

 その様子を見てとりあえずはほっとする。

「なんだよ、おばけうけって。むこうが好きってこと?そういう風に言われると少し怖いかな。いや、信じてはいないんだけどさ。憑りつかれやすそうってこと?」


「んふふ、さあ?」

 愛子は笑った。


 別になんて事のない会話だった。文也が危惧したような考えは愛子にはなかったようだ。

 

 愛子はべったりと文也にくっついた。


 誰か、先ほどの同級生が見ているかもしれない。

 兄妹であると知っていても変に、知っているからこそ余計に変に思うかもしれない距離だった。


 文也はそれを振りほどこうとしなかった。だってお祭りだから。


 ただ、そのままじっとしているのはおかしいと、

「ほら、踊り。そろそろ入ろうか」

と声をかけた時。


 愛子は微動だにしなかった。

 文也にとってもずっとこのままでいることはやぶさかではない。

 しかしさすがにそれはあんまりかと「ほら、愛子」と再度声をかける。


 愛子は固まって参道の人ごみの先、ちょっとした森になっているところを見つめていた。


 文也は愛子の様子がおかしいことに気づいた。

 身を屈め顔を寄せると、目をまるくし一点を見つめていることがわかる。


 震えてはいない。硬直している。

 怯えではなく驚き。もしくは身震いも許されないレベルの怯え。

 そんな風に思えた。


「どうかしたか」

 さっきまでのおふざけ、その延長などではない。

「ごめん、お兄ちゃん」

 愛子は文也のほうを見ずに答える。

「盆踊りはまた次でいい?ちょっと、今日はもう帰りたいかも」


 愛子の姿に尋常でないものを感じた文也は

「ああ、もちろんいいぞ。タクシーに乗るか?」

と言い、肩に手をあてた。


 頭がいいだけではなく体も丈夫で、思えば愛子は風邪を引いたこともないかもしれない。

 そんな愛子に明らかな異変、目元が震えているように見える。


「大丈夫、そこまでじゃない…。ちょっと歩きたい…。ごめんね、調子乗って食べすぎたり、冷たいもの一気に飲んじゃったし。あ、もしかして人ごみに酔ったりしたのかも」

 笑顔だった。文也の動揺を察したか、かえって気遣わせたようだった。

 

 二人はやぐらに背を向け参道を戻った。

 上手に下駄を履きこなす愛子だ。しかしこの様子では危ないかと、しっかりと肩を掴んで抱き寄せ、寄り添ってゆっくりと石段を下りた。


 盆踊りは始まったばかりだった。花火はもう少し後だし、まだまだ神社に向かう人が多い。

 二人はその人波に逆らって、穏やかに美しく歩いた。


 人々を避けて歩く必要がなくなったころ、空がすっかり暗くなったころ。

 神社と自宅のちょうど中間あたり。

 バス停のベンチに愛子を座らせる。


 神社の、会場に増設された投光器が空の一部を赤くし、一瞬まだ夕焼けが残っていたかと空目する。


 住宅地と住宅地の境、ここだけ少し田舎で、人々の移動もちょうど境の時期か、車通りもかなり、普段よりずっと少なかった。


「何か飲むか?まだおなか冷えるか」

 ベンチ横の自販機の前に立ち、小銭を出しながら文也は声をかけた。


「うん、大丈夫。飲み物はまだいらないかな。あったか~い。は、まだないよね」

 愛子は笑顔だった。だがまだ声のトーンが低い。

「ないね」

 文也は困ったように笑った。

 愛子も困ったように笑ったが、そうしている間も時々、神社の森のほうを気にしているようだった。


「お兄ちゃんは飲むんだ、しかもペットで」

「ああ、うん。お酒飲むと喉乾くんだよ」

「おしっこ近くならない?」

「なるよ。大丈夫、家までは大丈夫」

「いいよね男の人は。いざとなれば外でもできるもん」

「大丈夫だって。そんな文明人の尊厳をあれするようなことは…。多分、きっと大丈夫…」

「頑張ってお兄ちゃん。文明ぞ!」


 二人は笑った。ベンチに座って。

 こんな時、いつもなら文也は遠慮して距離をとった。愛子が無神経に距離を詰めるのを悩ましく思っていた。

 しかし今日は気にせず、文也のほうから肩が、腕が触れるくらいに近づいて座った。


 何ができるわけでもないが、珍しく、初めてといってもいいかもしれない、調子の悪い愛子に身を寄せたいと思った。


 食いすぎだとか腹を冷やしたとか言っていた。

 それならばトイレを探した方がいいかとも思ったが、腹の調子が悪いようには見えない。


 顔が紅潮しているようだ。

 夕日と祭りの赤い明かりの中では気づけなかった。

 息遣いも荒い。風邪の症状に似ている。人に酔うとこうなるのだろうか。

 本当に風邪なのかもしれない。


 愛子は普段よりも自分に身を寄せ、気遣う文也をうれしく思い、その目を見つめ、そして時々その奥の、神社の森を見た。


「大丈夫か、なにかあったか」

 愛子の視線に気づき振り返る文也。

「お化けでもいたか」

 文也は笑った。


 愛子は目をまるくした。

「僕はおばけと親和性が高いから。僕に憑りついた何かが見えたとか?」

 おどける文也に驚いて、そして、笑った。

「お兄ちゃんおばけ信じてないんでしょ」


「じゃあ、宇宙人だ。宇宙人がいて、何か…。牛をさらってたとか」

「その宇宙人は、深江さん?」

「ああ。食べるんだ」

「じゃあ、深江さんだ。深江さんなら一頭ぐらい食べそう」

「一頭買いか、金持ちだな」


 どうでもいい話だった。

 しかし愛子は楽しそうに笑ってくれた。

 文也も笑った。笑いながらも妹を気遣い、この後おんぶして帰ろうかなどと算段をつけていた。

 

 こんな話をしている間にも愛子の症状は悪化しているようだった。

 顔はより赤くなっているようで、息遣いもより荒く、肩が揺れるほどになっている。


「おい、今からでもタクシーか、必要なら救急車だって呼べるんだぞ」

 思っていたよりもまずい状況かと、慌ててポケットから携帯を取り出そうとした文也の腕を、愛子は強い力でつかんだ。


「もらうね」

 そして文也のペットボトルを取り、冷えたお茶を飲んだ。

 半分以上残っていたものをすべて飲み干し、口元から垂れる雫をぬぐった。


 兄妹であればままあることかもしれないが、渡辺家の、母の厳しい教育のもとでこういうことをするのはたぶん初めてで、緊急時とはいえ文也は少し驚いた。


 上目遣いに文也を見る。ねめつけるようですらある。

「いたんだよ。お化け」

「え」


 キスをした。

 両肩を強い、跡が残るほどの力でつかみ。


 息遣いは荒くなる一方。

 顔が傾き、唇以外のものも触れる。


 兄を自販機に抑えつけるようにもたれかかり、それがわずかに外界の視線を阻み、境界を作る。


 文也は抵抗できず、言葉も出ない。

 ペットボトルが地に落ち、控えめに音を立てる。


 ようやく思考が追い付き、「何をしてるんだ」と言いかけるも、愛子の腕の、首の力は予想外に強く、その言葉はさえぎられ、文也の聡明な脳はその働きを鈍らせる。


「お化け、大きなお化け、こっち見てたの、あんな、初めて、なんだろう、初めてがいっぱい」


 キスの合間に、愛子は途切れ途切れに声を発した。


 何を言っているのかわからない。

 やはり熱があるのだ。食い込むほどに肩を掴む両手が、そして境目がわからないほどに密着した口元が熱い。

 異様に熱い。


 思えばあの時、神社にいた時点ですでに熱があったのだろう、幻覚を見るほどに。


 もしも本当に何か見たとすれば、深江や斎藤が何かしていたか。いや、仮にそうだったとして妹の今、この状況を説明することはできない。


 とにかく引きはがそう。

 だがそれができない。

 異様な力だ。熱のため弱ることはあれど強くなることなどあるのか。脳の異常により制御できなくなるとか、そんなことがあるだろうか。


 制御できていないのはひょっとしたら自分かもしれない。

 愛子が強いのではなく、自分が、理性以外のところで抵抗を拒んでいるのかもしれない。


 足りなくなった頭でそんなことを考えていると、ふいに愛子は唇を離した。


 肩を掴んだ手がするりと動き、文也のシャツの襟元をつかむ。


 鋭い、上気した目で文也を見つめる。


 顔は一層赤い。息は一層荒く、肩が、体全体が大きく揺れるように息をしている。


 笑顔のまま、口元が何か違う生き物のように動いている。

 先ほどまで、祭りで見せていた無邪気な笑顔とはまるで別物だ。


 唇が離れたのは息継ぎのためだ。

 文也がそれを察し、覚悟した時、


 バタン、と音がした。


 自販機のむこうに車のライトの名残が見え、排気音もわかる。


 足音が聞こえ、文也が目を向けた先、

 そこには愛子と同じように荒く呼吸をする母、律子の姿があった。


 花火はとっくに始まっていた。

 だが誰も気づいていなかった。

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