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ふくろうとおおかみ  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
あいちゃん

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 夏と金魚

 祭りの喧騒だ。


 全国的に有名な祭りなどではなく、その地域の住人と、近隣の市町村から人が集まる程度の、まあ、そこそこの祭りだ。

 それでも人々の、群衆の生み出すうねりは、夏の熱気と自らの熱気を混ぜ合わせ、それでいて決して不快ではない。

 黄昏という色合いだろうか、赤と青と黒の混じった空と、橙の電灯が人々の意識に祭り特有のトランスを与えているような気もする。


 古いスピーカーからはいかにもな祭り囃子が低い音質で流れ、それを意識して聞くものは一人もいないものの、それでも人々の気分を高揚させている。


「あ!あれ!」

 愛子は無邪気に屋台の一つを指さす。

「おまえ好きだね、それ」

「祭りと言ったらイカ焼きでしょ!三本ください!」


 砂糖と醤油がベースの、煙の匂いでバフをかけた、恐らく日本人のほとんどが愛着を持つ、焦がれる匂い。


「はい!お兄ちゃん!」

「ありがとう。ってなんで三本…、ふふっ、おまえそれ…」

 最初の一本を自分に、そして残りの二本のイカ焼きを両手に得意げに持った愛子に噴き出す。


「今年は二本食べるわよ」

「去年も二本食ってたろ」

「今年は同時よ」

「ふふっ、おまえ、交互にっ、ふふっ」


 愛子は両手に持ったイカ焼きを一口ずつ頬張る。

 可愛い口が一度に噛み千切る量には限度があったが、それが二口分となると結構なもので、ほほが膨らんで食べずらそうで、それでいてご満悦の妹に思わず顔がほころぶ。


「ほのあいふぁふはえはんはひはえほ、ふごいふぁくばくたべるからさ、ひょっとこういう食べ方したいって思ったの。こう、粗野に!」


 今日は祭りだ。

 

 その言葉に普段のリミッターが部分的に外れている文也だ。

 妹もどうやら同じらしいが、その結果表に現れたものは普段より幼い、善性の、無垢なものであるようだ。対照的に自分の普段押し殺しているものの歪さに気づかされ、自己嫌悪する。

 だからこそ妹に合わせたい。合わせることで近づき同じ空気を楽しみ、楽しませたいと思う。


「ああ、深江ちゃん?学食でもすごかったな、昼前なのに大盛を…食べるの凄い早いし…」

「とんかつでしょー、お兄ちゃんのおやつまで食べて。お兄ちゃんはちょっと小食じゃない?あ!お兄ちゃんももう一本食べる?」

「いらない、いらない。ああ、ああ、振り回すな、タレがほら。母さんに浴衣汚すなって言われてたろ」


 無邪気すぎる。子供すぎる。可愛すぎる。


 愛子の落ち着きない挙動に手を握り袖を押さえ年長らしく振舞う。

 愛らしい兄弟の姿に見える。


 小さくやわらかな手。押さえ、捲った浴衣の袖の、その下の白くきめ細かな二の腕。

 それが目に入り、軽く触れただけで、文也はその質感に言葉を失いかけた。


「んふふ、お兄ちゃんありがと」

 またあの目だ。

 可愛く、艶っぽく、目を細めて笑う。


「イカ焼きよりもたこ焼きとか焼きそばが定番だろ。もっと色々食べようぜ」

 そんなにたくさん食べたいとは思っていない文也。むしろいろいろ食べている愛子を見ていたいか。

 それでも食を話題に、食欲を見せることで動揺を隠す、つまり何かほかの欲求を気取られまいと思った。


「何よ、小麦粉じゃない」

「なんだよそれどういう基準…。いいだろ小麦粉、炭水化物は文明ぞ」

「んふふ、文明ぞ」


 狙ったわけではないがなんかそういう口調になってしまった。

 文也は少し照れたが、愛子が笑ったので良かった。


 イカ焼きは大きかった。

 他に何か食べるかもと思ってはいたが、時間をかけそれを食べきると他に何も食べる気が起きなかった。


 飲み物が欲しくなり愛子はコーラを、文也はビールを買った。

 普段あまり酒を飲む方ではなかったが、愛子がお兄ちゃんがお酒飲むところみたいと言うので飲んだ。

 酒に強いわけでもないのだが、プラスチックのコップに注がれたビール一杯くらいで今更酔うような感じでもなかった。

 初めて見る兄の泡のひげに愛子は喜んだ。


 結局いろいろと出店を見て回り、見るだけで何もせず時間が過ぎた。

 いつもこうだった。

 愛子は幼いころから射的やらくじ引きやらをやりたいとは言わず、ただぼうっと眺めるだけだった。

 眺めるだけで楽しいようだった。


 途中二人で話すこともあったし、無言なこともあった。

 ただ、二人で時間を過ごした。

 こんなに長い時間、人の目を気にせず。


 途中愛子の同級生の集団に遭遇した。

 何やらキャーキャー言っていたが、愛子が「お兄ちゃんだよ」というと余計にキャーキャー言っていた。

 

 愛子と同い年くらいの男の集団がこちらを見ているのにも気づいた。

 愛子もそちらに気づいて手を振ると、男どもはぶっきらぼうに手をあげたり、なにやら声を出しつつ頷いたりしていた。


 ふと、愛子は足を止めた。

 どうした?と文也は膝を曲げ、愛子と視線を合わせる。


「金魚掬いか。やってみたいのか?」

 優しく、兄らしく声をかけると、愛子はゆっくりと真顔でこちらを見返した。

「珍しいね、そんな真剣にじっと見て、やったことなかったっけ?」


 金魚掬いなんて子供が祭りでやってみたいこと上位のアクティビティだ。

 小さなイベントなんかでやっていることもある。案外どこかでやったことがあるのかもしれない。


 愛子はしばらく考えて「わかんない」と答えた。

 不思議な答えだと思った。


 やったような気もするがあまりに小さいころの記憶だとか、テレビで見た金魚掬いの様子を自分の経験と混同するとか、そういう意味合いの返事かもしれない。

 ただ、先ほどから何か考えながら、真顔でじっと屋台を見たり、自分を見たりしているのが、そうして何か迷いながら返事しているのが不思議で、これまで見たことのない愛子の表情だった。


「やるか」


 思えば小さいころから自分が拾われた子だと聞かされ育ってきた愛子だ。

 昔から賢い子だと思っていたが、それは幼いころから我々に遠慮していたさまが、その子供げないさまがそう思わせていたのかもしれない。

 本当は射的もくじ引きもやってみたくて、それでも言い出せなかっただけかもしれない。

 それが今何かのきっかけで変化しようというのなら。文也は短い時間でそう考えた。


 ポケットから財布を出した文也の手を愛子は押さえた。

 愛子に腕を握られて一瞬固まるも、努めて兄らしく振舞う。


「遠慮しなくていいんだよ。だってお祭りだよ」


 先ほど愛子に言われた言葉を真似る。


 愛子はまっすぐにこちらを見て首を横に振った。

「ううん、金魚は、猫飼ってたら飼えないなって思っただけ」


 何を言っているのかわからなかった。

 確かに猫を飼っている家は魚を飼うのは避けたほうが良いとはよく聞く。


 しかしうちは猫を飼っていない。

「クロピンのことか?」


 愛子はハッとして

「ううん、クロピンは飼ってないし、名前だって深江さんが考えただけで…」

慌てたように言うが要領を得ない。


「あれか、猫飼っちゃだめって言われてるし、金魚もダメって言われるってことか?」

 文也の言葉に愛子の目が泳ぎ力なく頷く。


 やはり遠慮があるのだ、今までなぜ気づかなかったのか。ようやく自分がそれに気づけるようになったということか。だとしたら情けない。もっと早く気づいてあげたかった。


「大丈夫だろ金魚くらい。猫を飼うのとはわけが違うし。水槽は今度でいいとして…、ポンプは今日中に買えるかな、あの24時間の…」

「ううん、大丈夫。金魚掬いやってるの見るのが楽しかっただけ」

 愛子は文也の言葉をさえぎり、笑って見せた。


「遠慮しなくていいんだぞ」

 思えば愛子のわがままは見たことがなかったかもしれない。

 あの夜、無理やりベッドに潜り込もうとしたことくらいか。いや、あれは自分の妄想か。


「じゃあ次、次やってみる!」

 愛子は笑った。楽しそうに笑っているように見えた。遠慮をしているようには見えない。

 それもやはりまだ自分には見抜けないだけか。

 幼いころから染みついた習慣がそれを気取られないよう振舞わせているのであれば、それは何と健気で、愛おしいことか。


「次?来年の夏まつりか?たまにモールでやってたりするけど、そういうのか?」

 文也が尋ねると愛子は「んふふ」と笑った。

「次やってみたい!」


 愛子は無邪気に笑った。

「じゃあ、いつでも金魚掬いできるように金魚鉢とポンプ買っとくか。百均とかにあるだろ。今度一緒に買いに行こう」

 文也がそう言うと愛子は「うん!」と元気良く返事して、そしてまた「んふふ」と笑った。


 やってみたいけど今日じゃないとか、兄妹らしくない遠慮をしたくない気持ちは愛子にもあるものの今すぐにはできないとか、そういうことだろうか。


 文也はこれまで愛子に感じていた他の子にはない雰囲気、それを生み出していたものの正体に気づいた気がした。

 それは愛子と両親、特に母との関係においてはある程度重要なものだったのかもしれない。

 しかし自分と愛子の間には不必要な、もっと早く気づき取り払う努力をすべきものだった。

 

 情けなくも二十歳、この年になるまで気づけなかったものの、それに気づくと同時にそれを取り払う一歩を踏み出すことはできた。

 と、同時に、今度一緒に買い物行くという、言ってしまえばデートの約束を取り付けたと、ただ兄妹で買い物に行くだけのことを大げさに、文也は祭りの熱に浮かされていた。


「あ、でも金魚ちゃんと掬えるとは限らないか…」

 その浮かれを隠すため、文也はわざと冷静な、わざと意地悪な顔と口調で愛子の顔を覗き込んだ。


「大丈夫、多分上手にできると思う」

 愛子はいたずらっぽく、得意げに文也の目を見返した。

 自分から顔を覗き込んだくせに文也は照れた。

「なんだよその根拠のない自信は」

 精一杯それを気取られぬよう意地悪な顔を維持する。


 愛子は「うーん」と考え、

「練習するもん。針金と習字紙とかでそれっぽいの作って。で、なにかちょうどいい重さのをアレして…。お風呂で練習するもん!」

一層子供っぽく、一層いたずらっぽく文也に顔を近づけた。


 文也は「そうか」と年長らしく、兄らしく微笑み、

「あ、盆踊り、会場あっちだぞ」

と指さし、早足に歩き出した。

 そして風呂で、裸で金魚掬いの練習をする愛子を想像した。


「まって!」

 と無邪気に声をあげ、愛子は駆け寄り文也の腕をつかむ。

 

 その感触に全神経が気を取られる中、文也は深い罪悪感を感じていた。

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