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あめふらしがへし あいちゃん  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
あいちゃん
24/25

 薬の効き目

「うわあ!」


 畳の上にぺしゃんこの布団を敷き、タオルケットを掛けただけの斎藤が勢いよく起き上がる。

 額に汗を浮かべながら「いてて」と、先日珍しい大仕事でけがを負ったわき腹を押さえる。


「どうなさいました!」

「大丈夫!?」


 昼寝をする斎藤の近くでDS版スパロボをやっていた深江とアイアが慌てて近寄る。


 ハァハァと荒い息を漏らし

「3号ちゃぁん…」

と斎藤が弱々しく漏らす。


 深江とアイアは起き上がった斎藤を優しく横たえさせ、まだ完治せぬその傷と、尋常でないその様子を労わった。


「3号!3号に何かありましたか!?まさか屋根裏の大ネズミと喧嘩とか…」

斎藤の言葉に、渡辺家に忍ばせた3号の身に何かあったかとアイアは心配する。


「それとも…」

 そして深江は愛子に、渡辺家に何かあったのではと思った。


「いや、3号は無事だよ。ただ、大きな音…振動がある…」

 横たわったまま、弱々しくも荒い息を吐いた。


 この一軒、とりあえずの見通しは立っていた。

 そして別件の大仕事に気を削がれ、けがをしたこともあり注意が離れていた。


 斎藤の能力では3号の身の回り、つまり渡辺家で何が起こったかまでは正確につかむことはできない。

 確かめに行かねばならない。


 やれることはやった。と思っていた。見通しは立っていた。と思っていた。


 しかしそれはやはり解決ではなく対処。

 いや、対処ですらなくごまかし。しかもその途中であった。


「アイア、すぐ出かけるから用意してくれないか。深江ちゃんももしよければ一緒に来てくれ」

 斎藤は枕元に置いていた痛み止めを唾でのみ込んだ。


 二人は声を出さず静かに頷いた。


 もう夕方と呼んでいい時間だが、外は明るい。

 気温は高く動くことが躊躇われるほどであった。


 それでもアイアはいそいそと斎藤の仕事道具をかき集め、深江は急いで福池神社に戻り、父に説明と自身の身支度を整えた。


 斎藤は二人が準備を整えるまで手の甲を額に当て、じっと横になっていた。

 それでも心臓はバクバクと動き、全身にじっとりと汗をかいていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 深江から愛子と文也の様子を聞いた斎藤は、この先二人がどうなろうが、とりあえずは律子を納得させ、恩人の家庭が崩壊しないよう努めなければならないと考えた。


 文也にはまだ会っていないし、愛子の気持ちもわからない。

 それでも文也の、若い青年の心の内を、苦悩や葛藤を聞き、母の介入なく、彼自身、あるいは兄妹二人の力で乗り越えるべき問題だと思った。


 律子には彼女の考えを否定せぬようにしながら落ち着かせる必要があった。

 

 斎藤はこう話した。


―あなたの言う通り。あの海へは行くべきではなかった。あなたの言う通りあの海にはよくないものがいた。しかしそれは愛子ちゃんに憑りついていたのではなく、愛子ちゃん自身のことでもない。それはあなたに憑りついた。憑りついたものの正体は時間をかけて調査しなければならないが、恐らく不遇の死を遂げた何かで、人に同じ思いをさせようとするものではないかと思う。あなたの家庭は素晴らしいものだ。そして拾い子を育てるなど素晴らしい行いをした。そんな素敵な家庭が妬ましく、あなたに影響を与えているように見える―


 なんかそれっぽい、もっともらしい内容だ。


 秘伝の薬。粉末を糊で固めたものに火を灯し、その煙を燻らせた薄汚い部屋。

 斎藤は普段よりも低く、相手の腹に響くような声で赤い布に目隠しされた律子に語りかける。

 

 律子は斎藤の声に引き込まれる。

 その言葉には彼女の脳内にあったものを全て上書きするほどの効力はなかった。


 しかし、愛子が幼かったころ、そのころはしっかり私たち4人は家族をやっていたのではないか。

 文也と愛子、兄妹が仲良くて何が悪いのか。

 思春期の愛子と兄との距離に変化あるのを過剰に反応していなかっただろうか。

 

 自分の言動、考えに、疑問を持たせることには成功した。


 秘伝の薬とは先代、倉本八重が残してくれたものだ。

 レシピは残っているが材料に毒性の強いものも多く、斎藤は未だ自分での製作には至っていない。

 

 相手の耳ではなく横隔膜に響かせるような話法はとても重要で。これは先代よりもむしろ得意なくらいだった。

 理屈としては、外から聞こえるのではなく自分の中から聞こえるように感じさせることで、それがまるで自分の思念のように思わせるのだとか。


―思い出してほしい。あなたの幼い息子が憐れな赤子をひと時も忘れずに気にかけたこと。あなたの賢明な夫が憐れな赤子を迎え入れたこと。あなたはそれをとても誇らしく思っていたことを―


 知り合いの不動産屋に使わせてもらった古い六畳一間は薄暗く、制限のかけられた視覚は心象風景を普段よりも鮮明にさせ、そこに斎藤の言葉が強く影響する。


 この言葉もまるっきり見当外れであれば効力は持たない。

 しかし律子にもやはり優しく愛子に接していた時期があったのか、あるいは夫と息子の善行を、その徳の高さを言葉に忍ばせたが功を奏したか。

 一通りの「術」が終わったころ、赤い布を外したその目は、斎藤が最初に持った印象とはずいぶん違うものになっていた。


―あなたに憑りついたものを特定し、祓うことは私には時間がかかります。ですが必ずやり遂げますので、お子さんたちのことは心配なさらず、どうか自分のことを大切になさってください―


 目隠しを外しても未だ燻した薬の影響の抜けない律子は、にっこりと微笑みながらも力強い斎藤の目に、「そうか、そういうこともあるかもしれないな」と思うくらいにはなっていた。


「これを週に一度お飲みください。わずかながら、あなたに憑りついたものの影響を抑えられるはずだ。無くなる頃にはまたお持ちしますので」


 粉末の入った薬包紙10包を小さな紙袋に入れ、斎藤はそれを手渡した。


 これはえみ伯楽秘伝の薬ではない。斎藤のオリジナルで、細かく砕いたハイレモンと細かく刻んだ都こんぶ。それを混ぜ合わせカルシウムパウダーで薄めたものだ。


 何の効果もない。ひょっとしたらリラックス効果、プラシーボがあるかもしれない薬っていうか食品で、蟲師っぽいことがしたいと斎藤が考えたものだ。


 この薄めた駄菓子もなぜか効果を発揮したらしく、つい先日、別の仕事の最中にかかってきた電話は、律子の夫、文昭からの感謝の言葉であった。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 目を開けた斎藤。


 アイアと深江はとっくに準備を終えていて、斎藤を覗き込んでいた。


「ごめんなさい、えっと…。声、かけれなくて」


 目を瞑り、苦しそうな表情の斎藤を起こすことに気後れした様子の深江。


「いいんだよ」と笑う斎藤はいつもよりも困ったような顔で、二人も困った顔をした。


 外はまだ明るい。

 しかし、時間がどれくらい経過したかなどその光から判別することはできない季節だ。


 斎藤はわき腹を痛めぬようにあまり急がず起き上がり、アイアの用意したしわのないシャツに着替えた。

 鍛えられた上半身を年頃の娘にさらすことになるが気にしなかった。


 深江も深江でそんなことは気にせず、左わき腹に大きく張られた湿布を、ただただ痛々しく眺めた。


 シャツをズボンに入れベルトを締めると、斎藤は深呼吸をゆっくりと時間をかけて行った。


 そして、

「ガス!」

と大きな声で叫んだ。


 キョトンとする二人の顔を眺め、大げさに片方の眉をひそめた。


「アイア聞こえないのか。ガス!」


 斎藤の言葉をくみ取ったアイアはハッとし、そのケガを案じながらも

「よし!」

と大声をあげた。


「窓!」

「よし!」

「コンセント!」

「よし!」

「テレビも洗濯機も?」

「冷蔵庫以外すべて抜いております!」


 カラ元気かもしれない。それでも二人は楽しそうに声をあげた。


「深江ちゃんも準備OK?」


 斎藤とアイアの様子をぼうっと眺めていた深江は急に話を振られあたふたした。

「えっと私はパパに話してハンカチとティッシュと…」

そして顔を赤らめ恥ずかしそうにポケットから小さな箱を取り出した。


「酔い止め…。おじさんの車、ぼろいから…」


 斎藤は歯を見せ笑った。


「酔い止めよし!さぁアイア!車のカギを!」

「ハイッ!」


 アイアから車のカギを受け取ると、斎藤は努めて明るく、颯爽と先陣を切り歩き出した。

 その様子につられ、深江とアイアもそれに元気よく続いた。


 そして玄関で靴を履くのにもたついた。


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