大恋愛、大学探訪
「すごく奇麗なところですねー」
翌日、深江は朝から文也の案内で大学の見学に行った。
その大学は歴史のある名門校だが、数年前に郊外に移転され真新しく、校門の前の、通称大学前通りから景観が素晴らしく、誰もがこんなところで大学生活を謳歌できたらと憧れるような所だった。
「どこ見たい?志望学部があるならそこから見ていくけど」
長身の深江よりも少しだけ背が高く、さらさらとした髪がいかにも爽やかな文也。
彼は優しく微笑みかける。
文也と愛子は血がつながっていない。
それでもその微笑みが似ているように感じたのは、やはり一緒に育ってきた、二人の歴史がそうさせているのだろう。
「理学部ぅ…、ですかね。それか歴史だから、人文学部ですね」
深江が答える。
「理学か歴史?なんか幅広いな」
文也が呆れたように笑う。
「わたし鉄が好きなんですよ。砂鉄とか。あと鉱石とかも好きなんでそういう勉強したら楽しいかなーって思って」
「いいね、鉱物は僕も好きだよ。歴史は何で?」
「うち神社なんですよねー。結構大きな神社で古文書とか扱うこともあって、将来家継ぐならそういうの勉強したほうがいいのかなーとも思ってるんです。…なんかあれですかね、志望動機としては弱いですかね?」
ここら辺は別に嘘は言っていない。
「いや、そんなことない。自分の興味と自分の将来をしっかり考えてる。僕なんか父親に言われて学部選んだから」
「経済でしたっけ」
「そうそう」
タイルを張り巡らした洒落た、歩きやすい構内を二人は歩く。
端的に言って美男美女だ。その様子を眺めるものもある。
さすがは名門学内というべきか、旧校舎から植樹された大きな木々が影を落とし、強い日差しの中に、長時間歩いても過ごしやすかった。
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昨晩、深江は目立った行動をとれないでいた。
愛子との夕方の会話、そして目力に対して、やはりどこか気後れしてしまうところがあった。
泊めてもらうお礼にと風呂掃除をし、夕飯の後には皿洗いをした。
皿洗いの間には「お客さんなんだからゆっくりすればいいのに」と文也が並んで皿をゆすいでくれた。
その間、背後に刺さる二つの視線が痛かったようにも感じた。
愛子の部屋に布団を敷き、そこで寝ることとなった。
そもそも愛子と文也、二人の仲を探るのが目的だ。
生い立ちからであろう、愛子が身にまとうものにそう気を取られる必要はない。
持ってきたUNOを二人でやりながらコイバナに花を咲かせる。
学校に好きな子はいるか。
学校で付き合ってる子はいるか。
どんな彼氏が欲しいか。
愛子の返事はあいまいで、そもそも自身の恋愛に興味を持っていないように感じた。
それよりも、そんな話を中心にしていると、高校生の恋愛に興味を持った愛子が深江にどんどんと高校での恋愛事情を聞いてくる。
お姉さん扱いしてくれる愛子が可愛らしく、自身の通う高校での恋愛話を得意げに披露(ちょっとエッチな内容を含む)する深江だったが、それは人から聞いた話ばかりで自分の経験談は一切話すことができなかった。
深江は多くのものから美人と思われていたのだが、人にモテるというよりは「美」と認識されると言ったほうが正確な、しかも人によってはその容姿を怖いと思うものさえいたため、恋愛については正直からっきしでした。
文也について聞くことはできなかった。
そもそも一晩泊りに来ただけの者が二人が実の兄妹ではないと知るはずもないし、文也についてあまり質問しすぎても、それはそれで別の懸念がある。
結局夕方に感じた異様な迫力以外、愛子は普通の女の子だなという印象を持ち、それ以外の兄妹の会話も案外そっけなく、普通に思えた。
ただ、母律子の文也の対する態度と愛子に対する態度は、やはりそこには差があり、客人の前とあってもその棘に気づけるほどだった。
ちなみにその棘は自分にも向いてるような気がした。
これらの家庭の様子はありのまま斎藤に報告しよう。
そして夜、トイレに向かった際、深江は斎藤に頼まれたもう一つの任務を果たす。
御使い3号。
それは斎藤が使役するイタチのことだ。
分類としては式神に分類されるのだが、えみ伯楽は小動物を使役して情報を集めることができる。
どの程度まで正確な情報を集めることができるかは不明だが、斎藤はこの御使い3号の身の回りで大騒ぎが起きると、それをなんか虫の知らせ的に薄ぼんやりと察知できる。
もとは獣医であったえみ伯楽独特の業だろうか、先代などはもっと上手に使役できたのかもしれないが、まだまだ未熟な斎藤には、凶暴な父、御使い1号ともっと凶暴な母、御使い2号から生まれた、この小さく賢くおとなしい御使い3号をようやく制御できる程度だった。
深江は音をたてぬようトイレの縁に裸足で乗り、天井の点検口を十円玉でひねって開けると、愛子にばれぬようパジャマのポケットに忍ばせた御使い3号をその中へ放った。
「頑張って」
小声で送り出し、一仕事を終えたとトイレのドアを開けた。
「何を頑張るの?」
愛子が立っていた。
薄明りに浮かぶ愛子のにやけ顔がとても怖い。
「違うの…。あの、実はその…、ちょっと便秘で」
なるほどと探るような目線を向けながら頷く愛子。
「明日はお兄ちゃんと大学の見学にいくんですよね」
「うん!そうそう!」
冷や汗が出る。
「深江さんチラチラお兄ちゃんのこと見てたみたいだけど、ひょっとしてお兄ちゃんに気があったりします?」
深江はドキッとする。
愛子の笑顔が怖い。
「べべべべべ別にそんなのは!いや、すごい素敵な方だとは思いますが!こう、憧れの大学に通う方ということで尊敬が!そう!尊敬が視線に現れていたかもしれませんね!」
顔が引きつる。
「そうね!お兄ちゃんとっても頭がいいから!」
笑顔の愛子にあは、あは、と情けない笑みを見せる深江。
「遅かったから迷ってないか様子見に来たの。戻ってお話しよ」
斎藤には渡辺家の様子はすべて報告しよう。
ただ、自分の様子についてはすべてを報告する必要はないな。深江はそう思った。
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昨日の夜のことを思うと文也と二人で歩くこの状況もなんだか気が気ではなくなる。
愛子に、あるいは律子に監視されてはしないかとキョロキョロしてしまう。
「人文棟はこんなもんかな、このまま理工学棟に行く?」
「え?あ、そうですね!行きましょう!」
考え事をしていた深江は慌てて生返事をする。そして文也はその様子をじっと見る。
「ちょっと早いけど学食行こうか。そういうのも気になるでしょ?」
「え?あ、学食。学食って日曜でも開いてるんですか?」
「学食はだいたい毎日開いてるよ。全部で4か所あるから、それが全部閉まるのは盆と正月くらいじゃないかな」
文也はにっこりと笑って深江の前を歩く。
構内は広く、学食まで二人は無言で歩く。
学食は広く、日曜の、それも昼前ということで人はまばらで、それでも深江には予想に反し多くの人がいるように感じた。
「こういうのもあるよ」
文也がそう言って見せたメニュー看板にはおいしそうなスイーツが載っていた。時間も時間だし軽いものを勧める彼なりの配慮だったが、文也が杏仁豆腐とスイートポテトパイを頼んだのに対して、深江はがっつり大盛とんかつ定食を頼んだ。
「大学見学って嘘でしょ」
席に着くなり文也は切り出した。
「どういう意味ですか」
愛子もそうだが、文也にも不思議な目力があり、その優しい目を向けられ、深江の目は泳いだ。
「どうも昨日から愛子と僕のことを探ってるみたいだ。昨日は愛子、今日は僕を」
その通りだった。
深江は詰めが甘く、こう切り出された時のことを何も考えていなかった。
「母さんが愛子のことを変に思ってるのは知ってる。どういうわけかちょっと、オカルトに傾いたような方向で」
「そうなんですね」
深江は努めて澄まし顔で答え、とんかつを口に運ぶ。一口がでかい。
昨日渡辺家を訪れて以来、明るく朗らかに接してきた深江の冷たいその態度は明らかに不自然で、文也はやはりと笑みを浮かべる。
「先週来たって言う斎藤さんが母さんの相談に乗って、君が調査、その一部を担ってるって感じかな?まさか盗聴器なんかしかけたりはしてないよね?」
文也は笑っていたが、だいたい合っているので深江は動揺し、その動揺を隠すために飯を口に入れる。一口がでかい。
「昨日は夜遅くまで愛子といろいろおしゃべりしてたみたいだけど、今日は例えば僕に彼女はいるかとか、大学の恋愛事情について聞くつもりだった?」
図星だった。コップに注いだ薄い麦茶を一口飲む。
「ある程度分かってるみたいだから話すけど、僕と愛子は血がつながっていない。僕が小さいときに海で見つけたのが愛子だ」
文也は表情を崩さず、微笑んだまま深江に切り出す。
「小さいころから頭が良くて、美人で。僕も愛子は普通の子じゃないと思っていた」
多めにマヨネーズのかかったキャベツを口に運ぶ。一口がでかい。
口にものを詰め込みすぎてハムスターみたいになっている深江をおかしく思いながらも、文也は続ける。
「でもそれは、僕が愛子のことを普通じゃ無く思っているからだ。そして母は僕のことを普通じゃ無く思っているから、だから今、こんな、普通じゃないことになってる」
斎藤からは渡辺家の兄妹が実際のところどう思いあっているかを調べてほしいと頼まれていた。
深江の、おそらくは斎藤も予想していなかった形で、本人の口から答えが出る。
「母さんから聞いてるんだろ。愛子が僕をそういう目で見てるって。でも違うんだ。実際は、僕が愛子をそういう目で見てる」
深江はあっけにとられる。こうも簡単に情報がザクザク出てくるとは。
「血がつながってないとはいえ、やっぱりよくないことだからね。だから大学に入ってからはできるだけ家にいないようにして、彼女も作るつもりだったし、うまくいきそうだったんだ」
表情の変化に気づかれまいと、もりもり大盛とんかつ定食を食べ進めながら深江は話を聞く。
対照的に文也はフォークでスイートポテトパイをいじりながら口に運ぼうとはしない。
「でも僕にはどうしようもなくて。どうしたって、あんなに奇麗で、大切な子は他に居なくて。だから、うん。いまだに悶えてるってのが現状かな」
「それは愛子ちゃんにも言ってるんですか」
とんかつと白米とキャベツの混ざったものを飲み込み文也の告白に口を挟む。
「言うわけないさ。誰よりも、愛子にとって僕はいい兄でいたいんだ」
文也はまっすぐに深江を見据え、微笑み続けている。
昨日の夕方愛子が見せた、強い表情に似ている。
「どうしてそれを私に言おうと思ったんです?」
あっという間に食べてしまった大盛とんかつ定食をわきに寄せ、文也のまだ手を付けていない杏仁豆腐を奪いながら、深江は睨みつけるように尋ねる。
「別に。君でも斎藤さんでもいいんだ。ただ、母さんは愛子が僕に気を寄せていると思ってて、愛子を憎むあまりなのか、そこに何らかの要素が加わってそれを人外の所業みたいに思ってる。調査を依頼された君たちがそんなことなかったと言えば事態は好転すかもしれないし。僕もこのまま普通の兄になるつもりだから。手っ取り早い解決策だと思ったんだ」
「愛子ちゃんが文也さんのことをどう思っているかはまだ未確認なんですが」
「愛子は僕が命の恩人だって思ってる。自分が僕に拾われたていうことは知ってるからね。それで余計に、多分普通の兄妹よりも僕のことを強く思ってくれてるのはあると思う。だけどそれだけなんだ。だから、杏仁豆腐あげたんだからうまく取り計らってくれないか」
深江からしたらおさまりのいい話のように思えた。最終的には律子がどう思うかなのだが、少なくとも、斎藤にはそのまま報告してもいいような、あとは斎藤が上手くやってくれるのではないかと思えるような、そんな気がした。
「杏仁豆腐…」
「これもあげよう」
文也は結局口をつけてないスイートポテトパイを深江に差し出した。
「君や斎藤さんが母さんに口添えして、何か変わるものか、それはわからない。でも、第三者の意見、客観性。そう言ったものを全く無視できるほど馬鹿な母親でもないんだ」
差し出されたスイートポテトパイを頬張りながら深江は頷く。
「この状況で一人暮らしもできないし、結局僕は頑張っていいお兄ちゃんをやるしかないよね」
文也は笑った。
「わたしは大学見学に来ただけですよ」
半分ほど残ったスイートポテトパイをフォークの先でいじりながら、深江は唇を尖らせた。
「そうだね」
文也は笑った。
「どうする?理学部も見ていく?それとももういいかな、そういうのは」
席を立つ文也に、
「いえ、鉱物が好きなのは本当なんで。砂鉄もいっぱい集めてるし」
深江は少し照れくさそうに言うと立ち上がった。
「そう?」と、「あっちだよ」と理工学棟を指さす文也についていきながら、しばらく考え事をしていたして深江は口を開いた。
「文也さんは、文也さんのそれはつまり、本気で愛子ちゃんを思ってるってことなんですよね。その、女性として」
突っ込んだ質問に文也は目を丸くした。そして笑って
「まあ、そうだね」
と答える。
しばらくの無言。
深江は文也の後ろをしずしずとつける。
「大丈夫なんですか。性欲とか」
そして放たれた言葉に文也は歩みを止めた。
そして振り返ったその表情に、形相に、深江は固まった。