たのもしく、かわいく。
閑静な住宅街を30分、高速道路を一時間、田舎道を30分走らせ、斎藤は自分の家についた。
先代の、斎藤の師事した陰陽師の住んでいた家で、築50年以上のいかにもな農家の家屋で、コンクリートで固められてはいるものの、玄関はかつての土間の名残の広さがある。
現在は車庫としてしか利用されていない納屋は大きく、その二階にはいまだに古い農機具が収められている。
玄関に腰を下ろすなり、深くため息をつく斎藤。
アイアはこぶしで斎藤の腰をぐいぐいと押してやる。
「いやあ、ありがとう。この年になると二時間の運転もかなり応えるんだよなあ」
「古い車ですから、そのせいもありましょう」
ため息の理由は他にもある。
恩のある知人のための仕事ではあったが、それがどうも自分の思っていたものとは違っていた。いや、むしろ思っていた通りというべきか、どうせこんなこったろとも思っていた。
砂利引きの、田舎にあっては決して広いとは言えない庭にジャラジャラと何者かが侵入する音がした。
じゃっじゃっと足音が玄関に近づき、半開きの古い引き戸がガラッと開かれる。
「おじさんお帰りなさい、さっき車見えたから」
顔をのぞかせたのはセーラー服におかっぱ頭の女の子だった。
「おお、深江ちゃん、学校帰りか。お帰りなさい」
切れ長な目をいたずらっぽく細め、
「わたしがお帰りなさいって言ってるんだからお帰りなさいで返さないでくださいよ」
深江は笑った。
「ああ、ごめんごめん。ただいま、深江ちゃん。ただ、日曜なのに学校行ってたんだなあってさ、そっちのほうが気になっちゃって」
「今日は友達と図書室で勉強しようって集まったんです」
「へえ、偉いなあ。何の勉強したんだい?」
「恋と人生とバドミントン!」
「素晴らしい、今しかできない勉強だ」
斎藤は微笑んだ。
「おじさんはお疲れでございますが、深江の麗しき制服姿に多少の疲れは癒えたことでしょう」
「いや、それはあるなあ。二、三割は消えたんじゃないかな」
からかうように笑うアイアに、斎藤は真面目な顔で頷く。
「おじさんも結構おじさんですよね。普通にそういうこと言うんですね」
5年ほど前、陰陽師となるべく突然東京からやってきた斎藤に対し、都会の、洗練された大人という印象を持っていた深江。
数年の付き合いの中でだんだんと砕けていった斎藤には親しみを覚えていったが、同時にがっかりもしているようで、唇を尖らせた。
「で、お仕事どうだったんです?知り合いからの依頼だったんでしょ?」
アイアを挟んで斎藤の隣、わざとアイアが窮屈な思いをするように深江は腰を下ろした。アイアは細くなった。
「それが思ってたのと違ってさ。なんていうの?人間関係のこじれみたいなやつで…」
斎藤は再びため息をつく。
「こういう話の9割は作り話、残り1割のうちの9割は誤解や勘違い、思い込み。でしたっけ」
深江は先代から聞いた言葉を思い出した。
「そうそう、それ。できれば無視したいんだけどなー。とはいえ恩のある人だしなー」
斎藤も同じ言葉を思い出しつつ、短く刈り上げた頭を掻いた。
「ダメですよ。えみ伯楽はそういう相談事にものらなきゃいけないんだし。八重さんもおじさんにはその才能ありと思ってスカウトしたんでしょ?」
深江は斎藤を諫める。
享年78歳。昨年亡くなった先代えみ伯楽、倉本八重を懐かしみ、目元を細めた。
「まあね…。いろんな人は見てきてるから、そこも気に入ってはくれたんだけど…。いや、投げだしはせんよ」
斎藤も目を細め、優しい笑みを深江に向ける。
「そもそもそっちのほうがお金になるらしいですね。相手の話にあわせてあげて、幽霊のせいにして現実的な解決をしてあげて…」
「そうそう、でもそれって詐欺じゃない?つけ込んでるっていうかさ。あと解決じゃなくて対処ね。解決などなく、あるのは対処のみ」
それは先代から教わった、えみ伯楽の心得のようなものだった。
「えみ伯楽」とは、ここ、福池町に江戸中期よりある陰陽師の呼び名で、斎藤がその十三代目にあたる。
伯楽とは獣医の昔の呼び名で、もとは農耕馬や農耕牛の治療や売り買いをしていたものが、生薬の知識を得、そしてなぜか妖怪退治などもするようになったのが始まりとされている。
「えみ」の語源は不明で、用水の知識を持ち、農業に貢献したことから「恵水」。あるいは福池町内にある字、永満をえいみつと読んだのが始まりという説がある。
ちなみに斎藤は自分がルパン三世の石川五ェ門と同じ十三代目であることを気に入っている。
「どんな話だったんです?面白い話?」
深江は興味津々に、大人びた顔を子供っぽく丸め、斎藤に近づける。
「面白くはないよ…。依頼者、おじさんの先輩の奥さんね。彼女の言うことには娘さんが人間じゃないらしい」
八の字に垂れ下がった眉をより一層八の字に、斎藤は横目で深江の可愛い顔を見る。
「面白いじゃないですか。憑りつかれたとか?」
「娘さんは養子でね、お兄ちゃん、こっちは実の息子なんだけど、そのお兄ちゃんに色目を使ってるらしいんだ」
深江は一瞬キョトンとするも、
「それめっちゃ面白いじゃないですか!血のつながらない兄妹なんて王道じゃないですか!歳…、いくつといくつ!?」
興奮し、目を丸くする。
「だよねえ、それおじさんも思った。奥さんには悪いが、母親を悪役にして一筆こう…。歳はね、娘さんが中二、息子さんが大学二年…二十歳くらいか。もともと息子さんが見つけた拾い子らしいんだ」
深江はため息をつく。
「ちょうどいいですね、ちょっと大人に憧れるやつですね。同級生が子供に見えたり。しかもそれって命の恩人ってことですか。いや、いいわ…」
なにやらしみじみと感じ入っている。
「でもなんでそれが憑りつかれたって話になるんです?」
ふと、ニヤニヤしていた顔を真顔に変え、深江は斎藤に尋ねる。深江の顔の変化をアイアがちょっと驚くように、楽しそうに眺めている。
「憑りつかれたって話じゃなくてね、そもそも拾った時から人間じゃないって言ってるんだ。息子さんが娘さんを拾った時、まだ三か月くらいの見た目だったらしいんだけど、息子さんに向かって大人びた声で「見つけた」って言ったらしいんだ」
「えこわ」
「ただねえ、その奥さん、冬の海での出来事だったらしいんだけど、風が強くて何も聞こえない状況だったとも言ってるんだよね。間近で聞いたって感じでもなかったしさ。風の音が声に聞こえたり、鳥の声だったり。そもそも記憶なんて案外簡単に書き換えられるものだしね」
一瞬顔をこわばらせた深江だったが、
「つまり?」
すぐに表情を崩し怪訝な顔を斎藤に向ける。
「この奥さん息子さんのことめちゃくちゃ溺愛してるんだよ。娘さんはまだ中学生だけどすごい大人っぽいというか、色気があってさ、しかも血がつながってない。旦那さんは単身赴任で今は三人暮らし。実際にこの兄妹の仲がどうなのかはわからない。ただ奥さんは娘さんのことをよく思ってないみたいなんだよね」
あきれ顔の中年と女子高生が見つめあう。
「それで娘さんを何とかしたくて人間じゃないなんて作り話を?」
斎藤は首を横に振った。
「本人は作り話のつもりはないんじゃないかな。この平成の世に思いつくうまい手じゃない。多分奥さんの中では本当のことなんでしょ」
「うわあ、どろどろ系?」
「エスカレートしたらそうなっちゃうかもね。その前になんとかしたいというのがおじさんの考え」
斎藤はあきらめたような笑顔を見せ、深江は話のひと段落に、バッグからペットボトルを取り出しポカリを飲んだ。
「でも、本当になんかのおばけって線はないんです?なんかこう、妖気を感じるとか…」
深江は指をワキワキと動かし、自分なりのおどろおどろしさを演出する。
「おじさんは何も
感じないね。もともとそういう勘は弱いしね。上手な妖怪はそういうの隠せたりできるらしいけど…」
ふと、視線を落とした先のアイアは
「愛子はおばけではありませんな。ただ、単純に美人というだけではなく、他にはない魔性がございます。稀にそういうものをもつものがございます。生まれ持ってのものか、生い立ちがそうさせたか、あるいはその両方か。それは人を引き寄せることもありますが、毒となることもございます」
にこやかに話す。
「魔性か。確かに他にはない雰囲気があったな。近づきがたいようで、でも惹きよせるようで。ものすごい美人なんだけどそんな単純な話でもなくて…」
「ああ、たまにいますよね、そういう人」
「そうそう。羨ましく思うこともあるけど、それで苦労してるようでもあるんだよな」
二人はアイアの言葉をしみじみと受け止めた。
愛子がもっと普通に、普通の女の子だったら、こういうこともなかったのだろうと斎藤は思った。
「…」
こういう人がいる、こんなことがあったと、自身の考える魔性の人物について楽しく話す二人を眺め、「あんたらもその部類に入るんだぞ」と思い、しかしアイアはそれを口に出さなかった。
「それでおじさん、どうするんです?」
深江はかわいく首を傾げた。
「最悪話がこじれるなら児童相談所に行くけどさ、問題が大きくなりそうなら施設に入ってもらうことになったりするかも。そもそもそうなるはずの子だったしね。ただまあ、息子さんとも会ってみたいし、渡辺さん、お父さんにももう一回話を聞きたいかな」
「なんだかんだしっかり面倒は見るつもりなんですね」
「そりゃね。ところで深江ちゃんにもお願いがあってさ…」
斎藤は申し訳なさそうに深江の顔を覗き込み、深江は再び首を傾げる。
「次の土日さ、その、渡辺さんちに泊まってくれない?何かしら理由はおじさんが考えるから。こう、二人の様子とか、年の近いものから探りを入れてくれない?」
斎藤からの思いがけない話に一瞬驚くも、
「いいですよ。私、おじさんの助手ですから」
深江は嬉しそうに笑顔で答えた。
斎藤は深江の答えに安堵し、
「よかった、できるだけ穏便に済ませたいからね、ちょっとでも二人の情報も集めたくてね。それに次の土日は…」
「ああ、鈴屋ですか。おじさんも大変ですね」
「陰陽師って儲からないからね。バイトはしていかないと」
鈴屋は福池町にある古い寿司屋だ。
手の器用さを買われたこともあったが、何より斎藤のその筋っぽい顔が見方を変えれば職人っぽいという理由で、また、福池神社の口利きもあって、予約の多い日にはアルバイトに呼ばれることがあった。
「もう握らせてくれてるんですか?」
「いや、まだまだ。最近ネタを切らせてもらえるようになったよ」
おじさんの握ったお寿司食べたいね。キャッキャッと深江とアイアが盛り上がる。
「じゃあ、また詳しいこと決まったら教えてくださいね」
深江は立ち上がり玄関を出る。
「うん、ありがとね」
斎藤の横でアイアが手を振る。
「ああ、それにしても大学生かー。何か起こったらどうしよ」
振り返った深江は、手をほほに当て、思わせぶりな表情と体のくねりでふざけて見せた。
「そうなったら奥さんは大喜びなのでは…、いや、逆に泥沼化…。いや!それより早女芝さんになんて説明すれば…」
「あはは、パパめっちゃ怒りそー。うちも溺愛だから」
楽しそうな深江。
「まあ、万に一つもないだろうからこうして頼んでるんだけどね」
シニカルな笑顔を見せる斎藤に
「それどういう意味ですー」
と文句を言ってみせ、自転車に乗って深江は帰っていった。
深江が見えなくなるまで手を振り続けるアイアを微笑ましく眺め、
「さて、いろいろ考えなきゃな。作戦は今日中に作ってしまおう。アイア、筆をもてい!」
突然大声のおふざけをする斎藤。
それにアイアは目を丸くするも、
「はいっ!」
と元気よく嬉しそうに答え、家の奥へと走っていく。
気の滅入りそうな仕事だなと考えていた。
それでも深江が話を聞いてくれたこと、そして協力してくれることに、アイアの言ったとおり、斎藤の悩みや疲れはずいぶんと和らいだ。
少し楽しい感じすらしていた。
商社勤めでは得られなかった経験だ。
何より今こうして自分の真横でサポートしているのは500年以上生きたという、自称そこそこの妖怪だ。
思った通りではないが、なんだかんだ自分は陰陽師をやっている。
その事実に斎藤は満足感を得ていた。
「お持ちしました!」
畳の上をタスタスと音を立てかけよる小さなそこそこの妖怪に、斎藤は「おお、ありがとう!」とにこやかに振り返る。
アイアは筆と硯と半紙、そしてずいぶん使い込まれ丸くなった墨を抱えていた。
「いや、筆ってのは比喩…。普通にペンとノートで…」
満面の笑みの、しかもよほど急いだのかちょっと息切れしているその姿に気後れし、斎藤は小声になる。
「え?なんです?ああ!すぐに水差しを持ってきますね!」
「ああ、はい…。お願いします…」
こうなっては仕方ない。
斎藤はこの日一日、筆に墨をつけ、半紙に書くという非効率的な方法であれこれ書き記し、作戦を立てる作業に没頭することとなる。
そしてこれ以降も、アイアが「筆をお持ちしましょうか」と嬉しそうに言うものだから、「頼む」と言わざるをえず、だんだんと書道が達者になっていきました。




