視線と視線
大切な何かを失った彼の前を少年と少女が通り過ぎる。
しかし二人はその変化に、喪失に、気づくことはなかった。
「宿題の範囲から問題出るんよね。数学の宿題全部終わっとるんやけどさ。でもなぁ」
「俺は数学より英語」
「英語は覚えるだけでしょ」
「メェ」
彼の声は二人の耳に入った。しかし頭に入ることはなかった。
かつては二人も彼を愛で、足しげく野菜くずを運ぶ小さな人間だった。
しかし高校受験を控える歳。多大な関心事を目の前にした二人に、ヤギの鳴き声など日常の雑音の一つでしかなかった。
「いっしょに勉強する?」
顔を覗き込みながら放たれた少女の言葉は、実は少年が言い出せずにいたものだった。
「うん。まぁ、いいけど」
うまく使いこなせない、持て余したような声で少年は答える。
「どっちんちでする?うちでいいよね?圭ちゃんの部屋汚いっしょ」
わざとらしい笑みを浮かべ、わざとらしいしゃべり方で少女がからかう。
「汚くねえよ。奇麗だよ。でもまぁ、うん、美鈴の部屋でいいよ。エアコンあるし。お前だってわざわざ着替えてうち来るのが面倒なだけだろ」
そんなの当り前だろうという顔で美鈴はわざとらしく頷いた。
それに対し圭は眉をひそめ、唇を尖らせた。
「じゃあ、着替えたら行くわ。一時間後くらい?」
「なんでそんなにかかんのよ。そんなにおめかししなくてもいいでしょ」
からかう美鈴の言葉に圭は返事をせず、二人は小さな四辻を二手に分かれた。
信号どころか白線もない、かろうじて車がすれ違える程度の細い道。
二人の約束は何気なく交わされたように見えて、それでいて二人とも速足だ。
そんな様子を眺める赤いぼさぼさ髪の不気味な姿があった。
そしてそれを眺めるヤギの姿があった。口を動かし何やら咀嚼をしていた。
多分反芻だ。