CLFC90
「そこの車!車?止まりなさい!」
サイレンとともに警察官の声があたりに響く。困惑交じりの声だ。
声を向けられた小さなそれは、ゴーグル越しの目でチラリと後ろを確認すると、ウィンカーを上げて左の草むらに乗り上げ停車した。
「君、これナンバーないけどどうなってるの」
「というか君は、え、何。君はなんだね」
降車した二人の警官はうろたえている。何しろ初めての経験だ。
「わたくしはアイアと申します。数百年おばけをやっております」
アイアはゴーグル付きのヘルメットを外し、髪にぺたりと癖のついた頭をぺこりと下げた。
「いや君おばけて、お父さんお母さんはどこにいるの。子供が…子供?子供だよね?」
自身の膝丈程度の丸っこいものに対し、警官はどう接していいかわからない。
着ぐるみを着た子供と考えるのが妥当だろうが、その足は鳥のようで異様に細い。目はまん丸で異様に大きく、普通の子供とは思えないが、とりあえずはその保護者を特定するのが常識的な判断だろう。
「何せ数百年生きております。母は死に、父は顔も知りませぬ」
しんみりと話すアイアに、中年の警官は思わず表情に同情をにじみ出す。純情派。
もう一人の若い警官は、ナニコレと思いながら無線で何やら報告している。
「そっかぁ、でもほら保護者の方とかさ、誰か面倒見てくれる人とかいないかな?」
優しく問いかける中年の警官に、アイアは元気よく答える。
「おります!斎藤清美という御仁のもとに御厄介になっております!」
喋り方といい、その雰囲気といい、普通の子供ではないなと思いつつも、何やらメモを取りながら警官は淡々と職務を全うする。
「その人の連絡先とかわかるかな。電話番号。ちょっとお話したいんだけど」
膝をかがめ優しく語りかける警官に
「いいですよ!」
とアイアは機嫌よく答え、胸元のふわふわしたところに手を突っ込みスマートフォンを取り出そうとする。しかし、いや待てよ。と、目をとがらせ、
「それよりも本部の方にご連絡いただけませんか。本部長様が高柳様のままならよろしいのですが」
アイアは不気味な笑みを見せた。
高柳。確かに県警本部長は高柳だ。その名前が出たことで二人の警官は目を丸くした。
「知り合いなのかい?」
少し怯えた口調で中年の警官は優しく問いかける。
「いえ、お会いしたことはございませんが、高柳様から県知事の下村様にお取次ぎいただければそれが一番早いかと」
「はい。ええ…、そうです。幼稚園生くらいの背丈なんですが、子供かと言われるとそうでもなく…。はい。本部長が、いえ、下村知事が身元を証明するような口ぶりで…。保護者は斎藤清美という女性らしいのですが…」
おずおずと無線機に向かい報告する若い警官に、
「ちがいますちがいます。おばさんではございません。おじさんです!斎藤清美はおじさんです!」
アイアは笑いながら口を出す。
「ああいえ、男性です。斎藤清美という男性です。おじさんらしいんですが。本部長…。ですよねえ…」
それまで中年と並んでいた若い警官はくるりとパトカーのほうを向き、「いや、そうなんですが…」といかにも歯切れ悪く後ろ頭を掻き、首を傾げながら話している。
「あのね、お嬢ちゃん。法律の、難しい話なんだけどね。車を運転するには車にも、乗る人にも許可がいるの。だからね、」
「おばけなのですから免許は要りますまい。戸籍も保険証もございません」
「うーん、そっかぁ…」
こっちもこっちで頭を抱える。頭を抱えながらも、
「でもね、車。小さいけどね、これが車道を走るには許可がいってね。見たところこれは…ミニカーかな。青いナンバープレートが必要なんだ」
と、優しく語りかける。
「これはミニカーではございません。CLFC90は90ccでございます。警官であればそういった確認はしっかりとなさいませ」
アイアはこぶしを振り上げ厳しく唾を飛ばす。
「じゃあ、軽自動車だね。ん?軽でいいのか…?というかこれはどこ製だい?外車?」
思わぬ反撃、奇妙な事態に困惑しつつも、しっかりと可能な限りの情報を集め、メモを取る中年警官。言動からその真面目さがにじみ出るも、この辺りから雲行きが怪しくなる。
「これはかつてGHQ統治下に職を失った飛行機工たちに作らせたものです。日本製ですよ。外国のレーシングカーを真似て作らせましたが」
「ん?なんかそのエピソード…。え、それって中島飛行機かい?まさかスバル幻の…」
中年の目が光る。
「中島の者もおりましたが満州帰りの者が三名。九州飛行機の者も合わせ計五人に作らせました。想像以上の物ができたので一人30万を払いまして、それをもとに皆独立。板金工や整備工になりました」
アイアは遠くを眺める。
「なんだそっかあ…。いや、おじさんスバルファンでね。涙目インプに乗ってるんだ。知ってる?こう、フロントライトが泣いてるみたいでさ。青いやつ」
「ほう、なかなかの傑作とお聞きします。しかも青とはどっぷりですな。良い趣味でございます」
「だろう?」
中年御満悦。
「ただ残念ながらスバルとは関係ございません。そう言えば一人はホンダに行きましたな。なかなかに出世したと聞いております」
「なんだよホンダかよ…バイク屋じゃねえか…」
中年は小声で呟き、眉をひそめる。
「その関係で今、エンジンはホンダ製でございます。21世紀になるからとその五人が集まりまして、いや、一人は死んでまして。それでいろいろとフェンダーとかウィンカーとかつけまして。私はいらんと言ったのですが、もう彼らの同窓会ですな。気がついたらこうなっておりました…。まあ、無下にはできますまい…」
目を細め、フェンダーを撫でるアイア。
「そっかあ…。そんなことがなあ…」
中年は小声で呟き、涙ぐむ。
「交通局にも行ったのですよ。ですがそんなもんにナンバーをやれるかと門前払いでございます。公道走行不可と。まず私の素性が怪しすぎますわな。幸いにしてわたくしおばけの身。法律も適用されまいとこうして時々走らせているのです」
アイアは得意げに話す。
「確かに認可は下りないだろうねえ。でもそこはやっぱり法治国家だからねえ。それにこの車はものすごく価値があるから。飾っとくとか、今のエピソード付きで博物館に寄贈とか…」
中年は親身になってみせ提案するも、
「なにをおっしゃいます!車は走ってこそ!彼らの意志を汲むならばこのアイア、走らずにはおれませぬ!」
「そうだ!よく言った!」
あっさりとアイアに乗せられてしまう。
「この小さな車体に華奢なサスペンション!単気筒!車体は常にぶるぶる震え乗り心地もへったくれもございません!しかしながらその温かみ!クラフトマンシップに浴する悦を!わたくしは手放すことなどできないのです!」
こぶしを振り回し熱弁するアイアに、中年警官はうんうん頷き、
「そうなんだよな。やれ乗り心地だ、燃費だ、空間だってさ。誰も水平対向の良さを分からねんだ。妻も息子もさ、ミニバン買えってうるさいんだよ。買えってだけならいいんだよ。ルカ(車の名前)を売れってんだ、ふざけやがって」
「むごい…」
中年は腕を組んで楽しそうに愚痴をこぼし、アイアも同調する。
「お巡りさん。わたくしはおばけにございます。わたくしを裁く法もございません。交通ルールも守っております。ここはひとつ目をつむってはいただけませんか」
アイアはわざとらしく胸の前で両手を握り顔を作って懇願する。
「…でもね、これを見過ごすことはできないよ。だって僕は警官なんだ。ナンバーのない車が公道を走ることを野放しにはできない。君がおばけでも、誰に責任がなくても」
警官は真面目に、威厳あふれる優しい声でそう言った。
「そうですね。今見逃されても、またいつお巡りさんに声を掛けられるとも限りません」
しゅんとするアイアに警官は顔を近づける。
「だからさ…ナンバープレート。作っちゃおっか」
中年は真面目に、威厳あふれるやさしい声で言い放つ。
「しかしそれは…、お巡りさんには見逃せないことなのでは…」
困惑するアイア。
「逆に言えばナンバーさえつけちゃえばこっちだってむやみに止められないしさ。仮にばれても君を裁くことはできないんだろ」
「えでもさっき」
「いいからいいから」
警官は急に顔をしわくちゃにした笑顔で妙に優しくアイアの肩を掴む。趣味が勝った。
「いいわけないでしょ」
頭上より声が落ちる。若い警官だ。
「本部長連絡つきました。下村知事に取り次いでもらったそうです」
凛とした、澄んだ、冷たい声だ。もともとそういう声なのだろうが、先輩警官の言動に冷め、それが話し方にまで出てしまってるようだ。
「で、なんて?」
バツが悪そうに中年が尋ねる。
「ほっとけって」
若者は腑に落ちない顔で頭を抱え困惑し、中年はぽかんとしている。
アイアはにこにこ顔で、
「では、用もお済なようなのでわたくしはこれにて。お勤めご苦労様です」
敬礼を一つ。ゴーグル付きのヘルメットをかぶるとひょいと自慢の愛車CLFC90に乗り込む。
キーを回し、ビリリという高めのエンジン音を響かせ、颯爽と消えていった。
「それは県知事の判断?」
その様子を眺めながら、この一連の出来事、自分の言動も含めなんだか化かされたようだなと思いつつ、中年は若者に声をかける。
「そうみたいです。知事がなぜか本物のおばけで間違いないと断定されて、裁きようがないから無視しとけって。斎藤清美という人物があれの管理をしているらしいのですが、法的な保護責任は一切ないと。おばけだからペットのように所有物にも当たらず、と」
自分は何を言っているんだろう。と若者は困惑しながら無線の内容を伝える。
「今後また、あの子が目撃されても県内ではもみ消し対象ですね。大丈夫なのか?それで…」
肩を落としながら先輩を見る
「そっか、でもこれで好きに走れるってわけだ。あの子も、あの車も…」
中年は遠い目で呟き、アイアとその愛車、そしてルカに思いを馳せた。
「ちなみにあの子がナンバープレート偽造しても逮捕されませんが、あんたはその教唆の疑いがかかるからな」
若者は先輩に冷たく言い放った。
「ええ?!」
中年は驚いた。
その言葉の内容より、侮蔑交じりにあんたと呼ばれたことに驚いた。