二度目の五夜
日が昇ってからもその日は一日中慌ただしかった。
午前中は美鈴の病院への搬送と錯乱する家族や村人への説明に追われた。
起こったことをありのまま話すが、いまだ懐疑的な村人の中には斎藤を強くとがめるものもあり、警察を呼ぼうとする者もあった。しかし圭の家族や一部の老人たちによってそれは食い止められた。
斎藤は大層落ち込んだが、その顔をまるで虫けらを見るかのような表情と受け取る者もおり、さらにその横の邪悪な顔がにらみを利かせたことも手伝い、一層の恐怖感を抱くものや、ご機嫌取りをするものも多く、以後の進行をスムーズにした。
午後には再び圭の葬式が行われた。
一度目よりもさらに急な話だったため、参加人数は少なく、料理も少なかった。
胸を痛めた斎藤は祝詞の発声にいささかの不具合があったものの、それでも見事に大役を務めあげた。カンニングペーパーを捨てずにいたのが良かった。
心情誰よりもかき乱されているはずの圭もじっとそこに座り、静かに自分の心の内を見据え続けた。
そんな姿を見てか、村人も誰一人声を出すことなく、より一層の緊張感をもって葬式は終了した。
その間、アイアはパイプ椅子の上に立ち、ぎょろぎょろと村人を脅すように睨み続けていた。
その後、圭は再び七日間の引きこもり生活となる。
両親は何か言いたげだったが、あまり心の揺れるようなことは避けてほしいという斎藤の言葉に、ただただおとなしく従った。
兄の儀式が長引き、けがをした斎藤とアイア、それに搬送される美鈴を見た純の口数は減り、落ち込んでいるようだった。
アイアと遊んだりおしゃべりしたりはするものの、どこか遠慮がちだった。
「いやはや、五日目だ。またやり直しなんてまっぴらだな」
「親御も目を光らせております。村もだいぶ従順になりましたな。今度はきっとうまくいきましょう」
夕方、大変な思いをしたにもかかわらず呑気な口調で、斎藤とアイアは四辻へと向かった。
斎藤は福池神社から借りた刀を肩に担ぎゆっくりと歩いた。アイアはその後ろを木の枝をもってついてくる。
けがを負った斎藤であったが、一度医者に診てもらったきり、時折痛むそぶりを見せるものの、粛々と儀式を進めた。アイアはケロッとしている。
四辻へ着いた時、公民館に誰かいるのがわかった。タイヤの遊具の上にちょこんと座っている。
二人に気づくとそれは立ち上がり、お辞儀をした。
美鈴だ。額に大きなガーゼが張ってある。
斎藤は近づき隣に座り、座りなよ。と勧める。アイアは少し離れて見ている。
「もう退院できたんだね」
「はい」
美鈴は申し訳なさそうに頷く。
「ごめんなさい、私、こんなことあるはずがないって。斎藤さんをずっと疑ってて」
「疑ってたのは君だけじゃないよ。大丈夫。君は圭君のことを思って、圭君を安心させようと思ったんだよね」
優しく微笑む斎藤であったが、意識のある状態での接点はほとんどなく、実は初めて斎藤と会話する美鈴。
その笑顔は含みある、恐ろしいもののように思えた。
「愚行を悔いても時は戻らんぞ、小娘」
アイアがちょっと離れたところから嫌味を言う。斎藤はやめなさいよと眉をしかめる。
「私のせいでいろんな人に迷惑をかけました。特に斎藤さんに、そちらの方に。圭にだって。圭はあなたたちのこと疑ってなかったんです。それなのに私がだまして、怖い目にあわせて。圭は…」
何かを言おうとしてやめた。言葉が出てこない。
そんな美鈴に斎藤は微笑みかけた。
「君は圭君のためにやったんだ。彼もわかってる。彼は君を抱きかかえて、ずっと守っていたよ」
「大きな傷もできちゃって、圭はどう思うか」
「ああ、それはね、ほらアイア、謝んなさい」
「なりませんな。最良の策にございました」
アイアは唇を尖らせ、そっぽを向く。
「違うんです。この傷のおかげで助かったこと、私覚えてるんです。そんなつもりじゃなくて…」
頭を下げる美鈴を見て斎藤は再びアイアに謝るよう促すが、アイアはさらにそっぽを向き、首が180度以上回転している。
「顔は血が出やすいのです。手加減はしております。縫ってはおらんだろう」
不満気に話すアイアの後ろ頭に向かい、美鈴はこくりと頷いた。
「あめふらしの水はこの世一等美しい水とされております。傷の治りも早いはずだ。このアイア軟膏も市販できぬ特別製にございます。まったく、とまでは言わんが傷もそこまで残るまい」
胸元から取り出された小さな缶にはアイアの絵が描いてある。
首を回転させたまま話すためぼさぼさの赤い髪しか見えないが、ちょっと得意げになっているのがわかる。
「それ何入ってんの。市販できないって。変なもの入ってないだろうな」
咎める斎藤にアイアは何も答えない。
美鈴は申し訳なさそうに微笑み、それを見て斎藤は安堵する。
「圭君はさ、君をきっと大切にするよ。傷なんて何でもないさ。だからさ、ね」
「はい」
斎藤の言葉に美鈴は明るいふりをして答えた。
そして深々と頭を下げ、そして帰っていった。
斎藤は手を振ったが、アイアは後ろを向いたまま何もしなかった。
「さて、まあ、あれだな。日が落ちるまでもう少し。ちょっと早く来すぎたかな」
斎藤はご機嫌取りに優しい口調でアイアに話しかける。
アイアはぐりんと首を元に戻しにこやかに、
「ちょっとあの畑を見に行きませんか」
と笑った。
アイアの指さすほうへ歩くと、そこには小さな川が流れ、数本の大きな木が立ち、そのわきの狭い土地にいかにも出荷用ではない趣味性の高い畑と小屋があった。
「こういうのいいよねえ。いかにも美しい老後って感じ」
にこにこ見渡しながら無断で敷地に入ると
「メェ」
と一つ鳴き声があった。
大木のわきを小さな柵で囲い、その中に一匹のヤギがいた。
「へえ、ヤギか。そういやお前ヤギが好きでここに来たんだっけ」
「はい。この辺りは昔からヤギを飼うものが多いのです。最近は数も減りましたが」
アイアはご機嫌に柵に近づいた。その光景を眺めながら
「かわいいもんだ」
斎藤は微笑んだ。
「見ていてくだされ」
アイアは柵の前で左手を大きく上げた。ヤギは柵の上から匂いをかぐようにその小さな手のひらに鼻を近づける。
斎藤は目を細める。
美しい光景だと思った。
瞬間、アイアの右手が素早く動き、ジャッという音が聞こえた。
アイアはくるりと斎藤のほうを向き、上機嫌に駆け寄った。
右手に和ばさみを持っている。
「これでございます」
得意げに広げられたアイアの左手にはヤギの髭に束があった。
アイアはにこにこと屈託なく笑っている。
ヤギを見てみると、髭が人の髪でいうところの「ぱっつん」になっている。
斎藤はしばし状況が飲み込めなかったが、
「好きなのか」
「はい!」
短い会話を交わすと、腰に手を当て、ため息をついて
「こらっ」
やさしくしかった。




