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あめふらしがへし あいちゃん  作者: 南田萌菜(ナンディ・モイーナ)
あめふらしがへし
14/25

 真夜中の窓

 涅槃。

 それは仏教に語られる理想の世界のことであり、釈迦入滅の姿、涅槃像が有名である。


 同じ姿で横になっていた斎藤は、特に理想の世界について考えていた訳でもなく、当然入滅に向かっていたわけでもない。

 ただ眠っていただけだった。


 眠るつもりはなかった。眠ってはいけないのだ。

 村人すべてが寝静まる夜中に、一人格別の者が目を光らせている。それが重要なのだ。結界を張って以降儀式は順調で、そこに斎藤の油断があったのかもしれない。


 目を覚ました斎藤は居眠りの原因を、昼間アイアと純に起こされたためだと考えた。

 昼間なぜか枕もとで漫画を読むアイアと純の物音に起こされ、母親の介入までの約一時間、純の好きなキャラクターの説明や二人のお絵かきに付き合わされた。


「まいったね」

 そう言って迷惑がるものの、のどかで愛らしい、夢のような迷惑だった。


 ゆっくりと体を起こす。

 腕時計の明かりをつけると午前三時を過ぎている。夜明け前の儀式を始める予定の時間を過ぎている。


 責任感の強い斎藤には許されることではなかった。

 しかし斎藤には頼もしいパートナーがいる。

 付き合いは数か月と決して長いわけではないが、初仕事で成敗し、自分のそばに置いた妖怪だ。

 界隈では結構有名な妖怪らしく、実際今回の仕事はその妖怪の機転によってありついたものだ。


 居眠りをしてしまった後悔は大きいが、アイアの存在に助けられ、まだ余裕がある。

 胡坐をかき、大きなあくびをかく。

 後ろ手に突っ張り体を斜めにしたとき、手に、腰に、何かが触れた。非常に滑らかな手触りで上等なクッションのようだ。

 座布団ではない。座布団はひとつは斎藤の尻の下に、もう一つは傍らにある。

 夫妻の用意してくれたものかもしれない。一瞬そう考えたが、最悪なことにそのクッションは大変もこもことして心地よく、スースーと寝息を立てわずかに上下している。


「うーん」

 しまいには何やら寝言まで言い放つ始末。

 額にふつふつと汗が浮かび上がるのがわかる。暑いからではない。夏のさなかにも、山に囲まれた農村の深夜は涼しい。斎藤はそれ以上の冷気を全身に感じていた。


 一つ息をのみ、思い切って振り返ると、斎藤の真後ろでアイアが丸くなって寝ていた。

 その姿は普段よりもこもことして可愛らしかった。

 

 額から頬を伝い顎へと。長い奇跡を描いて汗が流れるのがわかる。全身がさらに冷気で覆われ、首から上は熱を帯びていく。短い髪が逆立っているような感覚がある。

 

 しかし目覚めてしばらくたち、頭が回転しだすと、今日はこのアイアが三体いることを思い出した。そのふざけた見た目とは裏腹に律儀な奴だ。自分から言い出したことをすっぽかすとも思えない。

 仕組みはよくわからんが分身などすれば疲れるのかもしれない。三体のうち一体が眠ってしまっても仕方がない。

 あるいは交代で見張りをしているのかも、そうに違いない。

 斎藤は都合よくそう考え、立ち上がりあたりを見渡す。


 一体は軒下にもたれかかり眠っている。

 もう一帯は山の木の根元にアクロバティックに足を上にして眠っている。

「んもー」

 険しい斎藤の顔から気の抜けた変な声が漏れる。


 早くアイアを起こそう。鉈鎌を持った本体を起こすのがいいだろう。そう考えアイアたちを見比べるが、どのアイアも何も持っていない。

 斎藤の傍らに二本の竹やりと鉈鎌が並べてある。律儀に。


 眉間を押さえ、汗をぬぐい、

「おい!アイア!」

 仕方なく傍らのアイアを起こす。

 大声は出してはいけないのだが、思わず出てしまう。

「ん-、何でしょう。朝でございますか」

 目をこすりながら起きる傍らのアイアに合わせて、軒下のアイア、根元のアイアも同じように目をこすりながら目を覚ます。

 変な顔で自分の顔を見る斎藤を不思議に思いながらあたりを見渡し、傍らのアイアはハッとした。

 同時に軒下のアイア、根元のアイアも驚いたように飛び上がり、そしてどこかに走って消えていった。


「つまりお前が、いつもの、いつも一緒にいるアイアだよな」

 肩を落としながら目印持っとけと鉈鎌を渡す斎藤に、アイアは赤く顔を膨らませ、

「おっ、おじさんがいけないのでございます!気持ちよさそうに眠って!母御の名前など寝言して!わたくしもついつい釣られてしまったのです!そもそもわたくしの持ち込んだこの大仕事のさなかに眠ってしまうとはちと緊張感に欠けるのではございませんか!」

「うそっ、母御って、圭君の…」

 アイアに告げられたまさかの、かなり恥ずかしい事実に一瞬たじろぐも、斎藤も負けじと顔を真っ赤にして

「おっ、おじさんはなあ!お前が任せろって言うから任せて!その安心しちゃったんだよ!だいたい昼間にお前らが起こすんだもんなー!あれがなければなー!おじさんもなー!」

 どちらの言い分も所詮は相手に責任を擦り付けるために自分の行いを棚に上げた言い訳に過ぎなかった。ただ、斎藤の言はひと際大人げなく、みっともなかった。


 どちらが悪いのとしばらく口論が続く。大声を出してはいけないのだが。

 斎藤の声が聞こえたのか圭の両親がうなされる。

 

 しばらく幼稚な口論が続いた後、父親にビールを飲まされたこと、母親の料理がおいしく、夕食に夜食と量があったことも原因ではないかという訴えがアイアからなされ、

「御好意を悪く言いたくはないが、それは一理ある」

 傍らの盆の上にあるからの皿と椀を眺め発した、斎藤の一言で停戦を迎えるという情けないありさまだった。

 

 情けないながらも一段落したことでようやく斎藤は異変に気付く。

 

 体の周りに何かピリピリするものを感じる。

 

 傍らに置いた刀を抜き、二、三、振り下ろす。

 柄を眺め、天に突き上げ、その感触を確かめる。

 

 先ほどまでと打って変わって真剣な面持ちでアイアを見る。

「おりますね。ええ、きっと出てきております」

 アイアは不気味に笑い、そして脅すように言った。

 

 斎藤は無言で立ち上がり、足音を殺し、ゆっくりと家に近づいた。わずかな衣擦れの音にも注意を払い、あたりを警戒する。

 

 圭の部屋の前で立ち止まる。音をたてぬよう窓に触れ、その感触から斎藤の顔は一層険しいものとなる。

「親御には伝えないので?」

 後ろをひょこひょことついてきたアイアは口元に手を当て、にやけ面で尋ねる。

「教えて何になる。騒ぎになるだけだ」

 ニマニマ笑うアイアだったが、斎藤のその姿に、言葉に、敬意を払って頭を下げた。

 

「ここから出て、裸足かな。砂利引きの庭はきついか。こう、犬走を歩いて直接山に行ったか、連れていかれたか」

 しゃがみ込んだ斎藤は地面の様子を眺め、指さしながら小声で呟く。

 その隣に並び、同じようにしゃがみ込みんだアイアは地面を眺め斎藤とは違う方を指さす。

「コンクリトの角からわずかに砂利を歩き、そこの垣根の脇から外に出ておりますな」

「わかるのか」

「このアイア、子らを呼んだのには訳がございます。庭のそこここにわたくしらにしかわからぬよう枝葉を置き、石を積ませてございます。風で動いたものではございません。猫やらでもなく、人が歩いたようなずれがございます」

「そうか、抜け目ないな。いや、助かる」

 その抜け目なさがありながらなぜ居眠りしたのか。そう咎めるのはやめておいた。その言葉はそのまま自分に返ってくる。


 二人は圭が通ったと思われる経路をなぞるように、足音を立てず歩いた。

 物音を立てずに砂利の上を歩き、垣根の狭い隙間を抜けるのは難しいことだ。しかし陰陽師であればたやすい。

 

 道へ出てしまうと圭がどこへ向かったのかわからなかった。

「あめふらしがここへ来たとは思いません。あれが来ればもっと湿り気が残るはずでございます。あれが小僧を呼んだか、あるいは抜け出た小僧にあれが気づいたということもございましょう」

 アイアの顔は醜悪なものになっている。斎藤の言いつけを破ったか、そうでなくとも斎藤に、そして自分に余計な仕事を増やす圭に苛立ちを覚えていた。


「あめふらしが直接さらいに来るのが最悪のパターンだとして、少なくともそれは避けられたと考えていいんだよな」

 二人は何事か相談し、道を二手に分かれ圭の捜索に向かった。

 アイアは四辻のほうへ、斎藤はその反対方向へと向かう。


 この判断はアイアが下した。

「わたくしはこちらに向かいますので」

 そう自分から切り出すことで斎藤を誘導した。


 あめふらしと出くわす可能性が高いのは四辻のほうだ。斎藤は陰陽師であり、体も丈夫なほうではあるが、ただの人間だ。万が一気の立ったあめふらしと出くわせばただでは済まない。

 アイアの言葉を素直に受け入れ、あたりに気を配りながら斎藤は小走りに離れていく。


 よくもまあ、こんな自分の言葉を真に受け、とアイアはため息をつく。

 小さくなる斎藤の背中を満足げに眺め、

「やれやれ世話の焼ける」

 と吐き捨て、トボトボと自らも四辻へと歩を進めた。

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