第一話
世界を嘲笑う三日月の眼下――、
死臭混じる炎を撒き散らす廃れた山村にて喧を放つ二人の男が向かい合っている。
「大人しく縛に、つくわけないか」
気怠げにそう零した中年の男は、がしがしと白髪だらけの蓬髪を掻きながら定型句を引っ込めた。
本来、彼の生業は清潔さと高貴さを主張する白色の装いが義務づけられている。しかし整えていない髪と髭、くすんだ灰色外套を羽織っている中年の無精さはさながら野鼠のようで、高潔な雰囲気など微塵もない。
「居合か」
そんな中年と相対しているのは、若干癖のある黒髪に錆びた針のような荒んだ眼光を備える少年であった。
宵闇を吸い込んだような暗色に統一された装いの彼はひとり、燃える家屋と骸の輪の中に佇んでいる。
「君、物の怪かなにかかい?」
中年が目の前の少年を人外と称する理由はいくつかある。
ヒトを脅かす大きな魔獣の目撃情報を受け、これを討伐するべく結成された小隊の班長を任された中年は他四名の班員と共に人里離れた山中へとやって来た。
つつがなく魔獣討伐を終え、この廃村で野営を行なっていた彼らの眼前にこの少年は現れ、正面きっての夜襲を仕掛けてきたのだ。
四名の征道士を相手に大立ち回りを演じるその過程において、少年は傷一つ負わない高度な武を体現し、神の恩恵である【魔力】が生み出す【魔法】を素手で破壊するという不可解なチカラすらも行使し、尚且つ漏れなく皆殺しにする残忍性をも発揮した。
しかも、得物や体勢を隠蔽して敵方に情報を与えない目的の装いをしている中年の技を、少年は一瞥しただけで看破してみせた。これもまた驚くべきことである。
何故なら居合とは、この国において既に滅んだと言っても過言ではない古流剣術の一種。一般人は存在すら知らない。
それを年若い彼が知っている。あまつさえ見破れる。中年の覚えている驚愕と戦慄は紛れもなく人生において最大値を振り切っていた。
「もしくは、鬼の子か」
中年は抜刀態勢へと推移しながらすり足で間を詰めていく。
少年も重心を前へと傾けながら半身で構えを取った。一触即発な場の剣呑は最高潮を迎える。
「その鬼に挑もうとしているてめえは、じゃあなんだ」
だん、と一歩踏み込んだ少年は中年を挑発した。持てる技術の全てを見せろとでも言わんばかりの蛮勇は少年が好戦的であるという事実を確と中年へと伝えた。
しかし中年は動かない。少年から叩きつけられる尋常ならざる闘気と、なにより得体の知れなさから先制という選択肢を捨てざるを得ない。
「御覧の通りのしがない征道士――、神の御子だよ」
己をそう定義した中年の足元に輝くは円形の魔法術式――、身体強化魔法。
術式展開から1秒ほどの時間で中年の身体能力は5倍に強化された。
「……どいつもこいつも」
中年の戦闘態勢が整ったことなどどこ吹く風に、少年の像は瞬時にブレた。
「⁉(鋭いッ)」
高速の体捌きから倒れ込むように疾る少年の縮地は見事の一言。中年の想定を上回るほどに速く、低い。
「――!」
突破された想像を技術で再修正すべく、中年は足を動かさないまま持ち前の細目を開いて刀を抜き放つ。
発声も呼吸音もなく、鍔鳴りの音はおろか空気を裂く音すらもしない静寂の居合もまた見事に尽き、奮われた右薙一閃は凶眼を見開いて特攻する少年へと確と合わされた。
「⁉」
しかし中年の振った刀は空を斬った。回避された。
矜持を乗せた初撃を躱されたのはいつぶりかという失意よりも、過去の戦歴を紐解いても前例のない少年の反応速度に中年の心胆は更なる戦慄に歪む。
「蹴‼」
風圧を纏うた前方宙返りで斬撃を躱した少年は、そのまま踵を中年の頭部へ向けて振り落とした。ヒトの頭部など事も無げに砕く威力なのは先の戦いから明らかだ。
「くゥッ」
百戦錬磨の中年は事実を受け入れた上で対抗策を一瞬で構築。振り切った刀の勢いに脱力した己の身を委ね、重心軸を強引に移し、外套を削られながらも蹴撃を回避した。
居合において重要である下半身の強靭さと体重移動の精密さをかなぐり捨てた回避術と咄嗟の判断はまさに達人の技術。必中を予見していた少年は息を呑む。
(殺った――⁉)
体重移動の勢いに任せ、踊るような足捌きで高速反転した中年は少年の背面から延髄に向けて二斬目を振った。だがまたも斬撃は回避された。
延髄に迫っていた刀へ頭を差し出すように仰け反った少年は、喉元の上を通過させる形で二斬目を躱し、そのまま後方宙返り蹴撃を繰り出してくる。
対応の速さから中年は理解する。即死を狙った延髄への攻撃が読まれていたのだと。
これが捕縛を目的とした範囲の広い背中への攻撃だったなら躱せなかったはずだと。
つまり自分は知らず知らずのうちに少年の放つ未曽有の存在感に委縮していたのだと。
「疾‼」
「賦‼」
卓越した体性反射と瞬発力から駆使される追撃に、そして相手の力量を測り間違えた己の失敗に中年は汗を冷やしつつ被弾を避けるべく一歩後退。再び頭部めがけて降り落とされた蹴りの回避に成功する。
今度こそはと矢継ぎ早に中年は切上を放つが、着地した少年は地面すれすれまで体勢を屈めて再びこれを回避。水面蹴りで応戦を図る。
(速すぎる――、然らば)
体を横に流して水面蹴りを躱した中年は熟練の納刀術で刀を鞘に収め、弛緩から緊張へと爆ぜる全身のバネを全力稼働させた超高速抜刀術を敢行する。
音も痛みも衝撃もなく、斬られたことに気づかせず絶命を刻む居合術の奥義――〈神鳴〉
「ちぇあ‼」
中年の有する技の中で最高速に位置する居合術の妙は、周囲を舞う火の粉ごと少年を斬り裂き、鮮血を舞わせた。
一子相伝の技を受け継ぎ、皆伝に至った中年がこの技を奮って仕留められなかった生物は過去いない……はずだった。
(必殺、だったのにねぇ)
なんと中年の放った乾坤一擲を浴びた少年は胸から肩までの皮膚と筋肉と鎖骨を斬られこそすれ、一切闘志を衰えさせることなく一歩踏み込んだ。中年が満を持した奥義は彼の生命を断つことができなかった。
「瞬‼」
刀が身に触れた瞬間、驚愕の反射神経と運動神経で体を捻った少年は〈神鳴〉の殺傷力を最低限に抑え、びくとも被斬に怯むことなく独楽のように回転しながら左右の連続回し蹴りを二発放り投げた。刹那も止まらない少年の動きと高度な武は中年の理解を不能の域へと追放する。
(左、右は――、躱せない‼)
軌道が変化する蹴技の回避は叶わないことを悟った中年は強引な体勢から四斬目を奮う。この蹴りを喰らってはただでは済まない、ならばせめて相打ちに、そんな付け焼刃を瞬速で放つ。
交わる蹴りと刀、その交差点から再び鮮血が舞った。
赤き血潮は少年と中年、双方から噴き出した。
しかし結果は歴然にして明確である。
相手を打倒せんと怯まない者。
なんとか生き残ろうと足掻く者。
双方の志は交差こそすれ決してつながらず、また埋まらない。
「がッ!!?」
側頭部に強烈な後ろ回し蹴りを喰らった中年は弾けるように横合いへと体をズラす。被害は甚大に極まり、側頭骨、蝶形骨、篩骨を粉砕骨折。破壊された骨片は視神経すらもズタズタにした。
片や少年の損傷は中年に比べればまたも軽微なもので、蹴り足の腓腹筋と膝蓋靱帯を斬りつけられはしたものの重度ではない。
中年と相対した少年が敢行した前宙蹴り〈空車〉、後宙蹴り〈逆空車〉、水面蹴り〈水天〉、軌道を変化させる左右の連続回し蹴り〈流転回し〉で構成された一連の追跡型連続蹴撃――〈轆轤連葉〉は中年へ敗北の烙印を焼き付けた。
「殴‼」
鬼気迫る少年が追い放つ拳打は中年の顔面へとめり込んだ。
鼻骨を粉砕された中年はボロい家屋の壁に叩きつけられ、膝を折り、ズルリと地に倒れ伏せていく。
「ぶァ、ぐ」
少年は更なる追撃を敢行。親指と人差し指の間の筋肉で人中を打ち、倒れかけていた中年の体を強制的に起こして磔にした。中年の露わになった白い制服はどぼどぼと零れ落ちる血によって赤く染まっていく。
少年が執拗な攻撃を加えたのには理由がある。中年は最早戦闘不能であるが、その手から刀を放していない。武に忠実なその所作から手抜かりなど無礼であるとして追撃を決行したのだ。
(わけがわからない者に、わけもわからず、殺される、か。僕には、相応しい末路、かもしれない、な)
みしみしと喚く頭蓋の悲鳴と激痛と流血は中年の意識を薄弱に凌辱する。身体強化魔法をものともしない少年の膂力と戦闘力に、中年の闘争心は完全に折れたのだ。
「なにかあるか?」
少年は示す。中年の人生、最期の言葉を受け取る意を。
「……ない」
生命を風前の灯火へと追いやられ、死を受け入れた中年の"存在を定義するチカラ"は縮小の一途を辿っていく。
「ちッ」
忌々し気に舌を打った少年は拳を振りかぶる。
そして敗者へ向け、いや、その背後にいる絶対的な存在へ向け、憤怒の鉄拳を放つ。
ぐしゃりと響く骨肉の音を最後に中年の意識は途絶えた。
力が抜けた彼の体は地に倒れ、血流は地面へと浸み込んでいく。――刀だけを掴んだまま。
「……弱者が神に愛されていると偉ぶるかよ」
静かに敗者を見下ろしていた少年は星の瞬く夜空を見上げる。
双眸が射抜くは――、煌々と輝く青さすら映る新月。
「なら俺を、ぶっ倒してみやがれ」
燃える廃村に背を向け、少年は去って行く。
幾重にもゆらゆらと伸びる影のしんがりから、薄暗い闇へと歩んでいく。
◆◇ 空撃史 ~月輪ノ章~ ◇◆
【用語】
征道士 = 治安維持を目的とする実力組織に属する剣と魔法を操る戦士。
神の御子 = 魔法の基となる魔力を持つ神に愛されし貴族。
【技】
轆轤連葉 = ひと時も止まらず相手を追跡していく連続蹴撃。