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継承

こころ-ゆるび







それは、ボクが小学生の時だった。



多分3年生くらいだったろうか?





年明け直ぐにおじいちゃんの入院している病院に、家族でいつも通りのお見舞いに行った。






そこで、おじいちゃんに会うなり、ボクとおじいちゃんは二人で泣き出した。






この時、ボクの能力は開花したのか、おじいちゃんから引き継がれたのかもしれない。




おじいちゃんは、ホント何でも器用にできる人だったらしい。




母によくおじいちゃんに似てるわ




と、言われることがこれを境に多くなった。





そんなおじいちゃんがお見舞いの翌日に亡くなった。




両親はボクとおじいちゃんが泣いていることも、何がなんだか分からなかったらしい。




今思えば、もう会えないと思い泣いていたのだろう。



両親たちも後でそう思ったらしい。



本当にお見舞いの時は翌日亡くなるとは思いもしなかったと両親が言っていた。




病院自体からも、酷い扱いをうけていたらしくおじいちゃんは嫌がっていたらしい。



お見舞いの時に渡した一万円が亡くなった翌日なかった点も、疑問と信頼できない事実である。



今なら、その日に戻れたら色々わかったのかもしれない。






しかし、そんな能力を意識しないでボクは過ごしてしまった。





16歳、高校1年になって色々感化されだした。





自分の能力に自覚しだした。





世の中は、気やオーラ、チャクラなどというがボクはあまり気にしない。





気が悪いですね、とかそう言う表現はするが、みて感じたことを言うだけだ。





悪いことや、陰で何かやってることなども感じた。




体調や機嫌が悪いのが手に取るようにわかるので、極力そう言う場合は距離を置いたり、上手くかわしてやり過ごしていた。




ゆえに、10代はオーラを纏い尖っていたボクがいた。




気を許した人だけが、ボクのオーラの中に入れるみたいな感じだ。





そんな限られた人の中に彼女も入るわけだが、ある時期、母親と彼女から言われた。




「その能力使うのやめなさい」


「その能力使うのやめよー」




それ以来、ボクは能力を使わないよう意識した。







【パフォーマンス1 耳】




小さい頃かららしいが、音には敏感だったらしい。



寝ていても少しの音で起きるみたいな。




母の弟であるおじちゃんが来るのもわかったらしい。




「お、ちゃんのブーブーくる」




母には全く聞こえない。



「え?おじちゃん来るの?」




母は驚いたそうだ。




これ以来、誰が帰って来るか、聞こえないはずの車の音が聞こえるボクで、母は助かったらしい。




「本当にわたしには聞こえないのよねぇー」




両親たちもびっくりしていた。






色んな音が混じり合っていても、違う音が入るとわかる、だからといって絶対音感を持っているわけではない。




楽器などには興味ないし。






人にも音がある。





身体から雑音が出ていたり、優しいメロディが流れていたり。




気やオーラで片付けるのは失礼なくらい、音は色んな曲を奏でている。





声を発するだけでうるさいと感じる人、その人が来ると場の雰囲気が変わるなど、経験はないだろうか?




声を発して癒される、その人が来ると和む、ではないのだ。




雑音、異音という表現が合うかもしれない。





場の空気を左右する存在は、陰陽あるわけだ。





例えば、はじめて会った人に対しての印象。




この人好き、嫌い。




苦手、得意。




つまらない、面白い。




など思うかもしれない。





でも、それは印象なのだ。





あくまでも印象。





ボクはそこに、みんなが言うところの気やオーラがはいる。





いい気だな、なんだこの気は?みたいな。





その中に、音があるわけだ。





音は真実を奏でる。





印象は後に変わることがあるくらい不確定要素とも言える。






印象だけで騙されないよう気をつけていただきたい。






そうそう、おじいちゃんが死んだ時に、後日死んだおじいちゃんが台の上に寝かされていた。



この時、ボクは死んだ人を初めてみたと、意識、識別したことになる。



子供の時なのに、よく覚えているものだと思う。




そのおじいちゃんをみて思った事がある。







おじいちゃんではない






なんの音も聞こえないのだ。







生きているから気があるのだろう。





だから、横たわるおじいちゃんを見ても悲しくなかった。





もうそこにはおじいちゃんがいないからだ。






子供心に、死ぬ前に、生きてるおじいちゃんに会えてよかった‥





と思ったことを、今でも覚えている。










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