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ある戦記

はじまりの話 -1-



少年は、家出をすることに決めた。



-------




キッカケは些細なことであった。

単身赴任の父親が半月ぶりに帰って来るというその日、父親が急遽仕事が立て込んでしまったので、

その話が立ち消えてしまったのだ。

少年は父親の帰宅をひどく楽しみにしていた。

なぜなら、少年は父親に剣術の新しい技を教えてもらう約束をしていたのだった。


およそ十年前までは、この世界には"魔物"と呼ばれる脅威が蔓延っていたのだが、

今ではすっかり平和になってしまった。


少年が丁度生まれた年に最後の魔物が駆逐されたので、少年は魔物の脅威に触れることは無かった。

だが、今だにその恐ろしい存在が残した爪痕に傷つき、

立ち直れていない人間が多くいることを少年は知っていた。


そして、少年の父親は、数十年前は高名な剣士として名を馳せた人物らしく、

少年はよくその話を町の人々から聞かされた。


(僕の父親は、凄い人なんだ)


少年はそのことを誇らしく感じていた。




-------



父親が帰って来ないことを母親から聞かされた時、少年はひどく裏切られた気がした。


(前だって絶対教えてくれるって言って、すっぽかしたんだ。もう堪忍袋の緒が切れたぞ)


父親は国の機関で働いていて、今だに復興が遅れている地域に派遣されていて、

その手助けをしていると聞いていた。

その為、少年が父親に会えるのは年に数回しか無かった。


(ターニャのお父さんは毎日、ターニャに数学の問題を出してくれるって……

イブキのお父さんは毎週近くの公園でイブキのマラソンの練習に付き合ってくれるって……)


少年は、友人たちのことが羨ましく感じることが多々あった。

何故、彼らの父は彼らと共にあろうとするのに、僕の父は僕をほったらかしにするのだろうか?

少年は、その事情を十分に分かったつもりではいるのだが、幼さから感情を制御することが難しかった。


だから、その日の夕食のことだ。少年は母親にその怒りをぶつけた。

最初は少年の肩を持っていた母親であったが、余りにもしつこく少年が父親の悪口を言うものだから、

段々と母親の眉間に皺が寄る。

そして、少年は興奮極まって、言ってはならないことを口にしてしまう。


「僕は聞いたぞ!父さんは大戦争の時、一人何もしてないノロマ野郎だって。

仲間を見捨てたクズだって!」


その瞬間、母親の平手が思い切り少年の頬を凪いだ。

少年が初めて見る、母親の涙だった。

母はとても悲しそうな顔を少年に向けていた。


少年は、とても混乱してしまい、居ても立っても居られず、家を飛び出した。





-------





それから、少年は当てもなく夜の街をトボトボと歩いた。

どのくらい、歩いた頃か……少年は先ほどのことの内省に心を取られて、

周囲の雰囲気が良くないものに変わっていることに気が付かなかった。


少年が、やっと気づいた頃には、周囲には怪しげな店とボロ家が立ち並ぶ、不気味な小路の中だった。

明滅する街灯がちらほらと薄暗く、一切の活気がそこには無かった。

辺りに人影もなく、人の気配すらない。

ここに人が生活しているという気配が余りにも希薄であった。

少年はすぐに血の気が引いた。


(あ、暗黒街だ……)


この町には行ってはならない場所が二つあると言われている。

"大蛇の大穴"と"暗黒街"である。


暗黒街というのは正式な名称ではなく、この町に多くある小路の幾つかに過ぎなかった。

その小路は長いもので700m程続いていると聞く。


少年の住む、上流にある住宅街と違って、下流にあるこの辺りは小さな家々や、酒場が軒を連ねていた。

海が近く、船着き場が多く存在するこの辺りは人の往来が多く、

階級制度の名残で元々身分が低かった者が多く住み着いていた。

その為、治安は元々良かったとは言えず、数十年前には魔物と共生している者まで居たほどだと言う。

しかし、そんな彼らですら近づくことを躊躇うと言われているのが、少年が今立っている小路だった。


(まずい、まずいぞ。早く戻らないと……)


"呪術"や"魔術"が存在した数100年前の話、ここで一人の呪術師が自殺を図った。

その際に世界を恨んでいたそいつは一人で死ぬことを拒み、沢山の人間を一緒に"大禁呪"を以てして、

あの世へと連れていた。

しかし、その"呪術"はあまりにも強力なもので、その土地の"地脈"までに及び、

以後その土地に在るもの全てに災厄と呪いを振りまいたという。

その呪いが効力を失ったと言われる現在でさえ、その場所に住み着くのは、

人目を憚るものか、悪事に身を染めたものだけと言われている。



少年は来た道を戻ろうと振り返ると、ふらふらと足取りのおぼつか無い老人が目に留まった。

少年が立ち止まって動けずにいると、老人は少年の目の前で倒れ込むように膝を着いた。


「おぉ……おぉ……」



老人がうめき声にも近い悲痛な声色で、少年に何かを訴えるような素振りだった。

少年は厄介ごとに絡まれたくないという思いだったが、放っておくこともできず、声を掛けた。



「ど、どうかされたのですか?」



少年がそう尋ねると、老人は顔を上げて、にたぁと醜悪な表情で笑った。

少年はぞっと血の気が引いた。


「いやぁ、なぁに嬉しいのですよ。こんなところに、こんな心優しい少年が居てくれてることがねぇ」


ひっひっひっと耳を突くような不快な笑い声に、少年は思わず一歩後ろに下がった。

少年が漂う嫌な雰囲気に、周囲を見渡すと、少年の右にある店の扉、左にあるボロ家の2階の窓、

左後ろの家々の隙間の空間に人の気配を感じた。

辺りに人は見当たらないのに、人がいる気配だけがする。少年は怖くて堪らなくなった。

少年は不安に心が裂かれそうで、今にも叫び出してしまいそうだった。


「お、おじいさん。ぼ、僕はもういきますから……」


少年が老人の脇を通り抜けて、来た道を戻ろうとすると、老人が両手を広げて通せんぼしてくる。


「まあまあ、この町に来たのは初めてじゃろ?まだ、ゆっくりしていくなされ」


"それにな"と老人はまた先の醜悪な表情で笑う。


「ここは、そう用のないものが易々と来れるところではない。

君はまだ、用を済ませていないんだろう?……このまま戻れば、呪い殺されてしまうぞ」


少年は、乾いた口の中を湿らせようと、ゴクリと唾を呑もうとする。しかし、乾いた喉の内が張り付くような不快さが残っただけだった。


「の、呪われるって……い、一体、誰になんですか」


少年がそう尋ねると、何が面白いのか、きひひひひぃと狂ったように老人が悶絶しだした。

少年はいよいよ怖くなって、来た道とは違う方へ、その場から逃げるように駆けだした。


遠く後ろから、老人の声が聞こえる。



「果たして、君はここから出ることができるかのぅ」







はじまりの話 -1- -終-


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