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「続・楽園の誓い」  作者: 凡 徹也
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第一章

 僕はラッシュ真最中の車内で、雑誌を食い入るように観ていた。気が付くと危うく会社へと降りる筈の駅を乗り過ごすところだった。電車から飛び降りる様にホームへと降り立った後、僕は大きく溜め息をついた。一斉に吸い込まれるように地上への出口へと殺到する乗客達に少し遅れをとって、僕は続いた。

 会社に到着しいつもの様に守衛さんに挨拶を交わしてから、急いで自分のデスクへと向かいパソコンを起動した。インターネットで、雑誌に記してあったURLにアクセスすると最初に画面に表示されたのは全て英語のページだった。そのページの「Japanese」と表示されたボタンをクリックすると、今度は日本語版のページが表示されたので読み進めた。どうやらユウイチは、この何年かの間に独立して「ユウマリンリゾート」という会社を設立していたらしい。社員8名に契約インストラクターを数人抱え、ヨット、サーフィン、ダイビングの他、渓谷を巡るトレッキングキャンプやカヌーなど、ありとあらゆるアウトドアスポーツの指導やガイドをこなすハワイでの拠点となっているらしい。カフェレストランや、簡易な宿泊施設も併設されかなり立派なオフィスだった。

 久々に見る写真でのユウイチの笑顔と白い歯が、眩しく感じた。同時に目を瞑りユウイチと過ごしたあの数日間の事を明確に思い返していた。…路上での偶然の出会い。ドライブ。自転車で出掛けたハナウマベイ。その海で見た逞しい躯。サーフィンを教わった事。そして、ワイキキを見下ろすタンタラスの丘での横顔。口論した時の泪を浮かべ潤んでいた瞳。最初は嫌悪感さえ覚えたユウイチの事が、何時しか好意的に思えて来て、それが空港での別れ際に確かな感情だと自覚して……あの時のユウイチの唇の感触は今でもうなじに鮮やかに甦る。

 改めてユウイチの写真を眺めた。髪の毛は昔より遥かに長く、後ろで束ねてまとめている。アップの写真では流石に目の周りのシワが目立つし、真っ黒に日焼けしていて差詰漁師のようだが、出で立ちは男らしくて笑顔は少年のように爽やかであどけなくも見える。両手を組む写真の手元にはまっているのは、古ぼけてはいるが確かにあのブレスレットだ。きっとユウイチは、ずっと身に付けていたのだろう。僕は書斎のテーブルに飾ってはいたが、このところ身に付けてはいなかった。その事が嬉しくもあり恥ずかしくも思えた。

 僕は、ウィンドウのメールボタンをクリックし、メールを書き込んだ。「ユウイチさん。久し振りです。元気ですか?以前、ハワイに行った時にお世話になったサトルです。覚えていられますか?」と、本当に簡単に文章を打ち、そして送信した。

 ホノルルは夜だった。オフィスでは、その日の仕事が一段落し、乱雑なデスクの上を片付けているところであった。秘書のエミーが、パソコンの画面にメールが届いていることに最初に気が付いた。日本からであり、しかもユウイチ宛てでもあったので、

 「社長。日本から社長個人宛てにメールが届いてますよ。」と伝えた。この2日間会社を紹介した雑誌が日本で発売されて何通もの問合せメールは来ていたが、個人名宛てに来たのは初めてだった。接客用のソファーでくつろいで煙草を吸っていたユウイチは、やれやれと腰を上げてデスクまで来て自分のパソコンを開くと、そのメールを見るなり腰を浮かし声を上げて満面の笑顔になった。

 「サトルからだ!」エミーは、日本語が堪能なのでその事は判っていたらしくユウイチの横でニヤニヤしていた。何せユウイチとは以前の勤務先からの長い付き合いであり、サトルとも一度会っている。実に爽やかな人だった。その後も何かの折にはユウイチからサトルの話題が出た。僅か数日間ハワイにやって来て、ユウイチにとって特別な存在となった伝説みたいな人。ユウイチがサトルの事を話すとき、その顔が少年のように無邪気で陽気な表情になる。羨ましい人だわと、常に感じていた。今の顔も正にそのものだわと思っていた。

 ユウイチは、思い出していた。偶然路上で出会った一日本人の男が何故か気に懸かった。再び会ったときは運命的に思った。一緒に色んな時間を過ごした。自宅に招いて、一泊し、楽しい朝食を一緒に摂った。身体から薫る臭いに堪らなく祖剃られた。僅かな時の中で想いは深くなった。帰国間際の空港で抱きしめた感触と香りが今でも忘れられない。この気持ちは、あれから何年たっても色褪せないし、他の誰にも感じない…。

 ユウイチは、椅子に座り直して、早速返信メールを打った。

 「久しぶり。元気だったか?もちろん覚えてるさ。当たり前だろ?絶対忘れるもんか!もう10年以上経つんだな。今はどうしてる?良かったら近況を俺個人のアドレスに連絡くれたし。」

    ユウイチは、プライベートのメールアドレスを添えて送信した。

 僕はその日は朝から仕事が忙しく、ユウイチからの返信メールに気が付かないでいた。夕方になり、仕事も一段落したあと、そのメールにようやく気が付いた。僕は嬉しかった。そしてそのメールを自分の携帯に転送して、仕事が終わって帰宅した後、そのメールと雑誌を妻の由美子や娘にも興奮して見せたら、余りにも陽気にはしゃぐ僕の姿に妻は呆れ顔でその雑誌を取り上げて「まるで子どもみたい」と笑った。その後、僕は書斎に行き、ゆっくりと返信メールを書いた。

 「連絡ありがとう。とても嬉しいです。再開を約束しましたが、あれから12年も経ってしまいました。ハワイで伴に過ごしたあの日々の事は今でもまるで昨日の事のように思い出されます。ユウイチさんがあの日以来、仕事で成功され独立し、会社を設立された事は日本の雑誌の特集記事で知りました。久しぶりにユウイチさんの変わらぬ姿を見て、居ても立ってもいられずメールしてしまいました。相変わらず逞しくて精悍ですね。今はあの頃と違って、国際電話でなくインターネットという便利なものが有るのに、どうしてもっと早く連絡を取り合わなかったのかと少し後悔も有ります。

 僕の方はあの翌年に娘が生まれて、現在は11才、小学6年生になりました。家も東京郊外の一軒家に引っ越して家族3人で仲良く平和に暮らしています。仕事の方は少し出世も出来て、今は企画開発部長という立場でいます。これも、ハワイのイベントの成功があったからこそであり、ユウイチさんのお蔭で有ります。是非、近い内に機会を作って逢いたいですね。」

そう打ち込んで、長い文章に最近撮ったばかりの家族3人揃った写真を添付して送信した。

書斎から出てきて、僕は妻と娘と一緒に持ち帰った雑誌を広げた。妻は、ユウイチの写真を見ながら「本当に格好いい人ねーユウイチさんは。40才を過ぎていると思えないわ」と言い、娘は、子供のころ散々欲しがった書斎のブレスレットの送り主が、雑誌に載っているのを見て、

 「このおじさんは有名人なのね!」と喜んだ。僕は本当に近いうちにユウイチに再会して、この家族にも逢わせてあげたいと思っていた。

 メールを受け取りユウイチは思わず「ヘエ~サトルが父親かあ!」と声に出した。気持ちは複雑ではあったが。

 ユウイチは、相変わらずの気ままな独身生活では有ったが、女性関係は以前より遥かに落ち着いていた。勿論、女性に人気があるのは変わらなかった。年齢のせい?いや、それ以上にサトルとの出会い以来「女」を渡り歩く生活をしなくなった。その分仕事に打ち込んだ。男友達は皆、「ユウイチもいよいよ焼きが回ったか!」と囁いたが、女性にとっては、反って神秘性が出てより魅力が増した様だった。一人一人に対してより丁寧に優しく接する様になったことが女心をくすぐった。それだけでなく男の同僚たちからも好かれ信頼される様になり、仕事の評価は更に上がった。その生活の積み重ねで今の事業の成功がある。今の充実した日々の支えにサトルへの思いが潜在的にあったことには間違いない。心にぽっかりと空いた大きな孔はその思いが塞いで誤魔化してくれた。暫し忘れていたそんなサトルへの思いと、目の前にあるサトルの幸せそうなファミリー画像が、複雑に絡み寂しい気持ちに襲われた。心の孔に一瞬冷たい風が吹き抜けて、心の奥底に押し込めていたある部分が疼く事に気が付いていた。

 僕とユウイチは、時折メールをやり取りするようになった。一緒にドライブへ行ったクリスとアンは、その後結婚し、クリスはそのままハワイに住んで、アンはカリフォルニアへと移り住んだらしい。

 ハナウマベイへ出掛けた時が懐かしいと書くと、

 「その後、数えきれない位ハナウマへは出掛けてるが、その間にハナウマまで自転車で行く奴とは一度も会っていない。」と、ユウイチは書いてよこした。さらに、

 「俺はあれ以来、どんなことが有ってもサイクリングとランニングだけは絶対に遣らないと心に決めている」との返信が有ったときは、僕は大笑いしてしまった。

 僕が更に「あの後、日本でトライアスロンにも挑戦しました。いつかその最高峰の大会であるハワイのアイアンマンレースに出たいと思います。」と返信したところ、

 「あんなのに出る奴等はきちがいか変態マゾしか居ない」と返信がきた。

 僕の日々の生活は、愉しさが増した。やっぱり、ユウイチは、僕にとってウィットで、面白い特別な存在だった。昔とちっとも変わってないユウイチが嬉しかった。ユウイチとのやり取りで一人声を出して大笑いすることも有り、その声を聞き付けた由美子が「どうかしたの?」と、書斎まで飛んでくる事もしばしばあった。

 12年という歳月は確かに長かった。全てが順風満帆な人生など誰でも有り得ない。それは、僕だけでなくユウイチにもきっと色々な事があったに違いない。メールには会社が軌道に乗るまでの苦労話など、一欠片も見せてないが。

 この時間を振り返れば僕にも失敗と言える出来事はたくさんあった。ハワイの2年後、当初は画期的と思われた白髪の改善効果のある頭髪ローションの開発に関わった。アマゾンの原生林に生える樹木から抽出した成分が、アミノ酸の「チロシン」から体内合成される、メラニン色素の前駆体である「ドーパ」と非常に良く似た分子構造であり、その作用を有効利用することで働かなくなったメラノサイトを刺激して、再び黒い色素を造り出させるコンセプトであり、確かにその働きが確認されたのであるが、白髪の黒髪化が斑に表れて、「ぶち」になる上に、頭皮の基底細胞にあるメラノサイトも刺激し、皮膚自体も黒ずんでしまった。また、内分泌系のアドレナリンや、性ホルモンバランスにも悪影響を及ぼす事がわかり、試験の段階で問題が続出して、製品化にならなかった。開発を中止したり、被験者の賠償など数億円が損失となった。

 また、日本の一地方の土壌から発見された特種なバクテリアの研究からその分泌成分が美白効果の高い事が判り、その成分をナノ単位まで細分化したものを配合した高級クリームの販売にこぎ着けたが、成分自体が皮膚のバリアゾーンで浸透が阻止されてしまい、期待するほどの効果が出なかったり、人によっては皮膚の部位により斑に効果がでて白斑病のようになってしまい賠償問題へと発展してしまった。僕にしても立場を悪くしそうになり、僕は外渉の責任者として各セクションを廻った。開発の直接の責任者である前任の開発部の室長は、失意から、心を病んでしまい他の部署へと移動した。開発チームのメンバーたちも、自信を持っていた研究開発がお蔵入りとなり落ち込んでいた。僕は一人一人に声をかけて廻り、ケアサポートに努めた。チーム解散が決定的になっていた時に、メンバーとの会話からとっさの発想の転換で、その成分を内服することで有効性があることに気が付き、解散は撤回、研究が続行されて数年後、内服の「医薬品」として認可され、販売に至った。その事で僕自身も名誉挽回となったが、わが社が医薬部門へ進出するきっかけにもなり売れ行きも順調、医薬品事業部門はその後も成長を続け、売り上げシェアの15%を占めるようになっている。その功績も有って企画開発部長となり得たのである。本当に、人生何が起こるか判らないものだと痛感した。その時、苦労を伴にした若手の技術者達が今の自分を支えてくれている。

 そして…つい最近まで、実はブランクに陥っていた。自分が現在抱えている製品の性質上仕方ないことなのだが。…

 開発して完成させた製品が全てヒットするわけではない。叉、ヒットしても短期間でブームが去ってしまい急速に売り上げが落ちると廃番となり、販売終了となってしまうものだって有る。「シャンプー」が、そういった性格の物だった。僕が部長に就任した最初の仕事の課題は「長売れする定番シャンプーの開発」であった。丁度その頃開発された液体シリコンが、感触や艶を従来より格段に向上させる効果があり、その成分をシャンプーに添加して製品化を目指した。出来上がった試作品の完成度は高く、自信も有った。「製品」は採用され、具体的に販売展開されることになる。イメージガールとして当時の有名女優を3人も起用し、大々的に販売された。TVでは連日スポットCMが流れて街の至るところに巨大なポスターが張られ、製品は「商品」と化した。売上は発売当初の見込みを大きく上回り、大いに売れた。しかし、半年も経つと売上は失速していく。ライバル会社も似たようなコンセプトの商品を売り出して一年後には、当初の十分の一以下に落ち込んでしまった。

 シャンプーは、元々長売れしずらい製品である。市場には数千種類の商品が溢れ、ドラッグストアの棚にはずらりと100種類程の製品が並び、目移りして選ぶのに困る程である。その為に大抵2年ほどで飽きられて売れなくなる。その為に各メーカーは定期的にリニューアルを繰り返し、延命を図る。それでダメなら新製品へと切り替えるのである。

 自分が産まれた頃の世の中は、シャンプーなどは高級品であり、銭湯に行くと「粉シャンプー」なるものが売っていて、それを使うのが子供の楽しみだった。その後世に出た「メリット」や、「エメロン」は、余り種類の少なかった時代のシャンプーの代名詞的存在となり、ロングセラー商品になっていった。

 でも時代は移り変わり、今や世間には商品が溢れるほどで飽和状態である。そんななかで「ヒット&長売れ」商品を作るのがどれ程難しいのか…会社の上司たちは解ってはいない。新製品は、本当に当初はバカ売れした。しかし1年持たなかった。その行き詰まりを感じ、悩んでいたていた僕を助けてくれたのはこの研究開発室のメンバー達だ。開発途上だった、加齢臭を消す「マスキング香料」をシャンプーに添加してまずは中年男性用として発売した。コマーシャルも地味であり当初は大して売れなかった。しかし、その香料を食品に添加して、ガムを売ったり、ボディーソープ、コロン或いは洗剤や、柔軟仕上げ材に応用していくと、その相乗効果から、全ての製品が売れ出した。中年男性だけでなくあらゆる年代世相に受け入れられ、売上はうなぎ登りとなった。他業種への原料提供も行われ洋服の防臭繊維、家庭用品、ソフアやベッド、寝具、建築建材にまで応用は至っている。今ではこの成分の使われている商品は、数千億円規模の市場となっている。叉、成分自体も特許となり、原料として諸外国にも輸出されていて、その世界的な認知度や評価も高く、原料としての売上高もかなりある筈だ。

 それでも、当初の「長売れする定番のシャンプー」というコンセプトの製品は、自分の中で完成はしていない。しかし、他で評価も受けて、漠然とした緩い環境の元でその事は忘れかけていただけだ。その事を今夜は急に思い返された。

 現在迄、数々の修羅場も経験してきた。眠れぬ夜が続いて神経が尖り、ストレスで心が荒れる日々もあった。今思い返すとそんな日々ははるか大昔の出来事にも感じるのだが。そんなとき、このブレスレットを手にすると、不思議と穏やかな気持ちになれた。安らぐ事が出来た。そして閃きが産まれ苦しい局面を打開できたりした。そんな時期はケースごとデスクの引き出しの一番手前に置き、必要なときはケースから取り出して気が付くと握りしめていた。僕にとっては最も大切な御守りみたいな存在だった。

 以前からこのブレスレットには、不思議なパワーが有るなあと、つくづく感じていた筈だった。しかし、仕事がそこそこ安定してくるとその存在を忘れかけていた。ユウイチの事も。そして、最近の生活はマンネリ化していた。幸せという退屈なぬるま湯の中に漬かって惰性のままに…。そんなときに再びユウイチと引き合わせてくれ色々な事を思いだし振り返させられた。それもこのブレスレットのパワーなのかもしれない。

 静かにブレスレットを握りしめ、瞼を閉じてみた。すると、急に自分の心にポッカリと空いたままの大きな穴を意識させられた。何か大きな忘れ物をしたままでいる気分に覆われて、胸の奥が鋭く疼いていた。

 季節は梅雨だというのに夏日がずっと続いている…そんな寝苦しい晩の事だった。

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