プロローグ
ユウイチとサトルのハワイでの出逢いから12年。その思い出に蓋をして、妻と娘との3人での穏やかで幸福な日々を過ごしていたサトルは、たまたま読んだ雑誌の記事で、ユウイチを見つけ、長い時間を経て、日本での再開を果たします。サトルはユウイチに何か恩返しを出来ないかと、日本の紅葉を見せるべく、家族共々の日光への一泊旅行へ招待します。
旅先で長い時間の空白を埋めるかのように、思い出を確かめ合ううち、二人は等々結ばれてしまいます。家族との生活を抱えるサトルと、事業をハワイで展開するユウイチとの「恋愛」は、果たしてどうなっていくのか……。
尚、当作品は投稿から日にちが経過した時点で運営サイトよりR18の指定を受けたため、1部のパートの本文を削除しています。その為、大変見苦しい文章となった部分も有り、予めお詫び申し上げたいと思います。よって、18歳以上の読者様は本作品のオリジナル版「真実の楽園の誓い」を御覧になることをお薦めします。宜しくお願い致します。
《 非情の扉 》
~サトルとユウイチ…二人の関係がロマンティックなほろ苦い思い出のままでいて欲しいと願う読者には、この先に進むことはお勧めしない。
しかし、二人のその後の真実を知りたいと望む読者には、是非この扉を開けて進んで戴きたい。~
プロローグ
季節は21世紀に入って何回目かの夏を迎えていた。僕は東京郊外に有る新興住宅地の自宅をいつもの様に出掛けた。この日も早朝立ち込めた朝靄がまだ微かに残る中、最寄りの私鉄駅へと続くだらだらとした長い下り坂を幾分高くなった陽射しを浴びながら歩いていた。
「さあ、今日も仕事に精を出すかあ」と、自分自身に言い聞かせながら、駅まで数分の通いなれた道を、ビジネススーツにバックを抱えて淡々と歩くという、特に変わりばえのない日常を繰り返す毎日である。周りを見渡せば自分と何ら変わらない格好のサラリーマン達が格子柄の様に区画されたこの住宅街の道を同じ様に歩いている。やがてその人々は徐々に増え合流し、皆が「駅」という名の排水口に吸い込まれる様に流れ込んで行く。そんな情景のなかで、「そうだ。そろそろ娘の優香里も小学校へと出掛ける時間だな…」と、ぼんやりと思いながら引き寄せられる様に今朝も駅の改札へと続く階段を登っていた。
僕は尾崎サトル。既に41歳になっていた。世間からは中年と呼ばれる年齢になったせいか、少し歩いただけで顔から汗が吹き出し始める。階段を昇り終えてスーツのポケットからハンカチを出し額や首筋を流れる汗を拭き取った。体臭を気にしたが、ハンカチからは清潔な香りがした。朝、自宅を出る時に玄関で首筋に吹き付けてきた、汗や加齢臭を消す「マスキングコロン」が効いているのだろう。自分が企画し開発された製品で、愛着もある。
この製品は、主に中年男性をターゲットに開発された製品だった。コンセプトは、腋臭や、中年以降のいわゆる加齢臭、汗臭さを、化学的に被ってしまう、新発見の特殊マスキング香料の効果で、臭いの元を断つと同時に爽やかな香りを放つ新型のフレグランス製品である。発売後、意外にも男女問わず、また、スポーツをする若年層からも支持されてヒット商品となっている。清潔感の有る残香には、今ではシトラス、フローラル、ウッディの3タイプがあり、僕自身はその中でもウッディ調がお気に入りだ。ハンカチをスーツのポケットに閉まってから改札の脇にある小さなコンビニに入った。毎朝の習慣である。飲物を一本と雑誌を一冊購入した。ふと見ると、レジの脇にフリーペーパーの旅行用パンフが置いてあり、表紙に印刷された「ハワイ」という見出しに目が引かれて思わずそのパンフを1部手に取り、雑誌と一緒に持ち混雑し始めた改札の群衆の中へと入っていった。
通勤の私鉄車内は、いつもと何ら変わらない混雑風景である。揺れる車内で吊革を掴んで立つことにも大分慣れた。通勤先の最寄り駅は地下鉄ではあるが、僕の乗った私鉄の電車はその地下鉄路線に乗り入れているので乗り換えはない。その利便性と産まれた子どもの生活環境を考えて、数年前にそれまで住んでいたマンションを引き払ってこの郊外の一戸建てを手に入れたのである。乗車時間は一時間弱。以前の住まいより時間はかかるようになったが、周りの乗客達は、途中霞ヶ関も通る所為か、公官庁に勤務する者や清潔感溢れるエリートサラリーマンが多く、この時間は苦になっていない。通勤の時間は決まって読書か、雑誌の時事記事に目を通すのが日課だった。この日も片手で吊革を掴みながら、思わず「ハワイ」という文字に惹かれて手にしたパンフレットを読み始めた。表紙にはワイキキのビーチとホテル群が写っていた。「懐かしいな。あれから12年も経つのか…」と、僕はイベントで出掛けた時の事を思い出していた。
コスメティックショウの成功の後、メインのパリでの発表も成功を修めて「落ちない口紅」は、世界的な大ヒットとなり、年間の売上は数百億円を超えて会社の主力製品となった。その後、僕が発案し開発に関わった「マスキングコロン」も、それには及ばないがヒット製品となっていた。その功績が認められて他の同僚社員たちより少しばかり早い出世をして、今は「商品企画室長」という役付きである。髪には少し白髪も混ざる様にはなったが、持ち前の童顔と端正な顔立ちは衰えていない。体全体には未だ気品ある雰囲気が漂い実年齢よりかなり若く見られている。社員からはいつの間にか「憧れの上司」として慕われる様にもなった。
ハワイでのイベントの翌年に、娘が産まれた。僕は自分の企画していた製品イメージから、「優香里」と、名付けた。その娘も11歳。小学6年生になる。妻、娘との3人家族での暮らしは、静かで豊かで笑顔溢れる生活だし、きっと誰の目からも穏やかで幸福な家庭に見えているのだろう。そう感じながら幸せという名の平穏で退屈な日々を過ごしていたのだ。
確かに、あのハワイでの出来事はその後の僕に変化をもたらした。人として堅さも取れ、以前より明るく喋れる様にもなったし、周りの人により優しく、寛容になれたとも思う。妻からも社員からも、より近い距離で慕われる様になった。家庭をより大切に出来るようにもなれた。妻の由美子からは「ハワイから帰ってから、性格が明るくなったわよね。やっぱり楽園のなせる技なのかしら?」と言われたし、同僚たちは以前よりフランクに接してくれるようになった。一同が「不思議なくらい変わった」と言う。でも、一番驚いているのは自分自身だった。自分を表現することに素直になれ、度胸もついた。それが仕事の交渉の場でも役にたつようになった。あの、ハワイでのユウイチとの「出会い」が、確かに僕を変えてくれた。手にしたパンフの表紙を見ながら、ユウイチは、今頃どうしてるんだろうと思い、胸が締め付けられた。
ユウイチとは、帰国してから一度だけ手紙を出したきりだ。簡単なお礼の手紙だった。再会を約束したが未だ実現出来ないでいる。
「あれから12年も、経ったのか。」そう心で呟きながらパンフをバッグのサイドポケットにしまって、替わりに雑誌を取り出し頁をめくっていた。すると、ふと何気に開いた特集頁の見出しに目が止まった。「海外で成功している日本人特集」というタイトルだった。一人目は南米の国でレストランを経営する夫婦の紹介記事で、その国の日本食レストランのオーソリティーとして成功し、今では大勢の現地社員を雇って事業の拡大を続けているという内容であった。
そして、次の頁をめくると、僕の目は見開き、全身に電気が突き抜けた。
「ユウイチだ!」
僕はラッシュの車内だというのに思わず声に出しそうになって慌てて声を抑えた。ユウイチの姿は、頁一杯の写真で載っていた。オフィスらしき建物のテラス席でイスに座りインタビューに応えるユウイチは、相変わらず真っ黒に日焼けし、逞しさは着ているシャツの上からでも充分に判る。額には少しシワも有るが、彫りが深く野性味溢れる男らしい雰囲気は変わっていない。以前より髪の毛を伸ばしていて、後ろで束ねて留めている。そして、その太い腕の手首には、あの懐かしいブレスレットがはまっていた。時は、止まって僕は静寂の中に居た。周りからの何の音も耳に入らなかった。瞬時に僕の頭の中を12年前の出来事が巡って、そのブレスレットが僕を呼んでいる様な気がしていた。
この先の展開をお楽しみに。